
暑中お見舞い申し上げます。しかし、去年に引き続き、今年も、暑い夏でございますなあ。もう、慣れたてか?猛暑日いうやつ。節電の夏でもございますのでね。先般、ある、お家でございますけれども、ここに、仏壇来まんねんちゅう話があったんですわ。長男さんでも無いのに、誰の?っと、入らはる人の想像をしてしもたわけですけれども、結局、よく分からんままに、来たらしいですわ。ひょっとして、もう中に、誰か入ったはったりして。てなことを思いまして、実は、頃しも、時候もエエし、こんな話を思い出してしまいました。今月は、最近では、お珍しい『菊江仏壇』で、ご機嫌をうかがいます。
舞台は、船場の、とある商家でございます。お決まりの、若旦那と、説教をする親旦那。奥さん、お花さんの、なぜに、見舞いに行かんと。母親が、早いこと死んだせいか、極道者に生まれ付いたせいか、夜泊り日泊りを繰り返し、嫁でも、もろたら、落ち着くかと聞いたら、あのお花をもろてくれと。掛け合うてもろたら、お断りを、恥を忍んでと、繰り返し頼んでもろうて、ようやくと貰うた、奥さん。エエ人でございますけれども、もう、一ヶ月も経たんうちに、また、夜泊り日泊り。ホンマに、飽き性で、移り気でございますな。しかし、若旦那にしてみると、そら、蛙の子は蛙で、親旦那も、おんなじことと。あまりの信心家で、今日は、どこそこのお説教、どこそこのお座が勤まるてなもんで、しょっちゅう、家を空ける。家でも、信心は出来ますやろというと、こんな小さな仏壇では、ありがたさがない。もっと、大きなん、買うてくれいというので、立花通りに、気に入ったんがあるさかいにというて、掛け合うてもろたら、お断り。それを何とかしてと、頼んで買うたが、今度は、場所が無いので、大工やら左官やらで、仏壇入れを作って、そこへ、ゆうゆうと、人一人入れるぐらいの、大きな仏壇入れと、お仏壇を据えた。最初は良かったが、一ヶ月もせん間に、今日は、どこそこのお説教というて、家を空ける。こら、道楽の差はあれ、おんなじことと。ようよう考えてみると、なるほどなあ。
しかし、お嫁さん、お花さんのほうは、それどころでは済まん。若旦那が家を空けるもんでっさかいに、私のせいと、思い悩んで病気になる。嫁ぎ先のこと、勝手は許されまいと、横にもなれんので、先方のご両親に相談をして、実家で養生してもらうことになった。親旦さんは、一日一回、お見舞いに行くが、若旦那のほうは、いっぺんも行かず。そのうちにのままに、今までなってしもた。「お前のような奴は、世間へ対して、申し訳がない。とっとと、出て行け!」「出て行かいでかい!」となりますが、やはり間に入りますのが、この家の番頭。ご寮さん、親旦那の奥さん、若旦那のお母さんが、早くに亡くなってはりますのでね。“まあまあまあ”というやつですわ。実は、お花さんの実家から、お使いが見えて、すぐに来て欲しいと。なんぞ、変が来たのかも知れん、ひょっと、亡くなりでもしたら、エライこっちゃと、親旦那は、出掛けようとします。が、よくよく考えてみると、妻の亡くなる晩に、夫が、家空けてるでは、先方に対して、悪いことですので、今日は、若旦那を、一歩も、表へ出さん、外へ行けんようにしてくれと、番頭さんに、重々念を押しまして、丁稚の定吉をお供に、お花さんの元へ。
後に残りましたのは、若旦那と番頭さん。若旦那も、早いうちに、いっぺんでも、見舞いに行っておったら、良かったのにねえ。先方のご両親に、挨拶しづらいんですがな。ま、それはとりえあず、家に居てても、することも無いので、「ちょっと二時間だけ」と。また、遊びに出ようという算段。しかし、今日は、さすがに、番頭さんも、許してはくれません。「ほたら一時間」「あきまへん」こうなりますと、いよいよ退屈。それでは、店に座ってようということになります。といえども、別にすることも無い。番頭はんは、帳合いをいたしておりますが、それをしながら、若旦那の話を聞くことになります。こうして、毎日、一生懸命、働いている番頭さんも居るかと思うと、世間には、また、油断のならん番頭ちゅうのも、ちょいちょい居る。若旦那も、一人だけ知ってると。得意回りするようなふりして、新町や堀江で、ちょいちょいと隠れ遊び。エエのんがでけて、淀屋小路(よどやしょうじ)あたりに、一軒、囲うてる。得意先へ行くふりをして、ちょいちょい、そこへ行ってるて。番頭はんといえども、奉公人ですので、お金のほうは、どうしても帳面に無理がでける。そこの主人は、番頭を信頼しきってるもんですので、バレる気遣いは無い。ただ、ここの家に、エライ極道な息子が一人居る。こいつが、蛇の道はヘビと、己が極道もんだけに、人のすることは、よう分かる。人の身代削られてるようなもんだっさかいに、おもろないのは、おもろないけれども、また、融通利かしてもらわんならんと、あえて、知らんふりしてると。「さあ、誰やと思う?」「どなたはんでっしゃろなあ?」この町内の話で、商売が糸の問屋。「番頭。お前と違うか?」「さあ」って、エライ話や。「こら、バカにすな。」「どうぞご内聞に」こら、頭が上がりまへんで。「ほな、ちょっと二時間。」「あきまへん」
といえども、バラされては、どんならん。そこは、なるようになる話で。若旦那の行き先ちゅうのは、北の新地でございますので、いっそのこと、北から、芸妓はんを呼んでは、いかがかと。昼の日なか、船場の堅気の家に、呼ぶわけにも、まいりませんので、日が暮れてから、奥の、離れで、好きなもん取り寄せて、一杯やっては、いかがかということになりますわ。こら、さすがに、遊び慣れた番頭はんだけあって、エエ考え。しかし、奥の座敷閉め切って、暑いさなかに、一杯やるのも、ちょっと、考えもん。どうせやるなら、店早じまいにして、奉公人も入れて、みんなで、好きなもん取って、お膳並べて、騒いだらエエやないかと、話は決まります。どうせ、親旦那は、夜通し看病して、帰って来ないであろうから、店のもんに、エエ目さしとろうということですな。店開ける時は、なかなか開きませんが、早じまいの時の、閉めるのの早いこと。皆が集まったところで、めいめい、好きなもんを言えと。これを控えまして、注文をしに行くという段取り。まずは、番頭。「洗いか、水貝でも。」って、さすがに、遊び慣れたはる人だけあって、粋なもん注文しはるわ。レンコンの天ぷらに、タイの浜焼き、ハモの落としなどなど。これいっぺんに、一軒では、誂えられませんので、何人かに手分けして、注文に行かせます。別に一人、用事を頼まれますのが、藤七どん。こらあ、この人でないと、使いにならん。北の大滝へ行て、菊江さんに、この手紙を渡して欲しいて。頭も着物もエエさかいに、裏から駕籠で、早いこと来てもらうようにと。
近所に誂えた品も、表からは、入れませんので、裏から持って来てもらうようにいたしまして、お膳を出して、燭台を用意いたしまして、お酒をつけて、ぼちぼちと、宴会の始まりでございます。若旦那が、番頭さんに、先に、お酒注ぐちゅうのも、心憎い演出でございます。一方、菊江さん、早いこと来てくれというので、何ごとか知らんと、座敷着ではございません、白の帷子(かたびら)・薩摩上布という夏らしい着物で、駕籠に乗りまして、お店の裏口へ。駕籠のまま、お家の中へ入りまして、奥から、お店のほうへ。皆が居並んでおりますところへ、キレイどころの登場でございます。番頭はんに、挨拶をいたしまして、一杯注ぎますわいな。佐助はんも、酔うたら、エエ加減なもん。「ご当家へ、奉公に来ました折、若旦那、四つでおました。まだ、溝またげて、小便してなはってん。それが、こない大きなりはって。悪い子でしたんやで。蔵の横手で、ボーンと。」って、なんべんも繰り返すうちに、一人で三人上戸(さんにんじょうご)が出来てしまう。乱れてまいりますというと、三味線を出してまいりまして、今度は、陽気に、下座から、ハメモノが入ります。
親旦那のほうは、「なんまんだぶつ、なんまんだぶつ」と、急いで家路についておりますけれども、それに引き換えまして、どうも、町内のうちで、おめでたいことがあったとみえ、賑やかな家がある。音が近づくにつれ、分かってきましたがな。「うちやがな。これ、これ。」と、表の戸を叩くと、どうやら、気づいた様子。しかし、中では、うかつに開けられまへんで。親旦那のお帰りでっさかいになあ。燭台は、背中へ、鍋は、またぐらへと、順々に隠して行きますが、菊江さんは、どうも具合が悪い。仏間の、仏壇入れの中に、隠してしまいます。ようようのことで開けますが、皆、もう、エエ加減に、酔うておりますわいな。あれだけ言い付けておきました、番頭さんまでも、頼りがいのある姿。「おとっつぁん、バッ。」って、若旦那ですがな。とうとう、お花さん、死んでしもたと。ついては、一刻も早く、それを知らして、うちにある親鸞さんのお姿を、いただかしてやろうと、取りに帰って来たて。「おとっつぁん、どこへ?」「あれは、お仏壇の引き出しに。」「入れ場所を変えました。」「どこに?」「下駄箱に」って、そんなもんが、下駄箱に、入ってますかいな。こら、エライことになりますで。お仏壇へと、戸を開けますというと、中には、白い着物の菊江さん。「おお、迷うたか。迷うて出るのも、無理はない。どうぞ成仏しておくれ。どうぞ、消えてくだされや。」「私も消えとうございます。」と、これがサゲになりますな。白い帷子の、菊江さんを、亡くなったお花さんの、幽霊やと思ってのことでございます。幽霊に消えて欲しいのと、菊江さんも、消え去りたいところでしょうなあ。不謹慎かも分かりませんが、おもしろい話です。
上演時間は、三十分から三十五分前後でしょうか。割り合い、長い話で、どちらかというと、やはり、落語会での、じっくりと楽しむ話でありましょう。筋があり、おもしろいのは、おもしろいですが、なにせ、人一人死にますのでな。哀れな感じは、否めませんが、これも、作り話と、割り切っていただくほうが、よろしいでござりましょう。冒頭は、親旦那・若旦那の会話ですけれども、案外、それぞれの、しゃべりが、長いですわな。上記では、随分と、割愛させていただいておりますが。ここは、最後までの状況説明ですので、重要なんですけどね。そこで、意見が聞かずに、物別れになって、間に番頭が入ると。『親子茶屋』にも、似た感じがありますな。なかなか、見舞いに行きづらい若旦那の気持ち、現代には、通じにくいかもわかりませんけどね。親旦那が出て行ってからが、おもしろい所。番頭に、家を出してもらえませんが、若旦那は、とある番頭の話を始めます。帳面に無理を利かして、エエのんを、囲うてるてねえ。知っていながら、今まで、泳がしてあった、若旦那も、さすがは、道楽もんですな。頭が上がらへんようになってからは、家で散財するということで、落ち合いが付きます。そうなりますとういうと、店のもん、全部でと、好きなもんを注文にやらせて、菊江さんも、知らしに行くと。引きずりではなくて、夏のこと、白い夏もんの単衣(ひとえ)で、周囲に分からんように、駕籠に乗って来るちゅうのも、ポイントでございます。佐助はんの、三人上戸も、おもろいですなあ。賑やかになりましたところで、今度は、親旦那のお帰りと。最初に、「なんまんだぶつ」と言うております通り、お花さんは、残念ながら、亡くなってしもたんですなあ。『二番煎じ』などでも、おなじみ、戸を開けましてからは、今度は、親鸞さんのお姿を探して、仏壇へ。そこで、菊江さんと鉢合わせして、サゲになると。昔、ようドラマでありましたやろ、ほれ、浮気相手が家に居るところで、奥さん帰ってきて、靴持って、ベランダとか、風呂場とかへ隠れるて。あんなもんどすわいな。
東京でも、『菊江の仏壇』『白ざつま』などという題で、演じられております。といえども、やはり、珍しいネタですな。上方のものですけれども、所有音源は、故・三遊亭百生氏のものがあります。もちろん、お歳を召してからのものですが、若旦那が、非常に元気で、イキイキとされておりました。登場人物も多く、場面も、よく変わりますのに、それを感じさせない、それぞれの、おもしろさがありまして、お花さんの死という暗さも、あまり考えさせられませんでしたね。これぐらい明るいと、気にならんのでしょうなあ。他に、桂米朝氏、故・桂文枝氏なんかも、やたはったと思います。あまり、現代的ではありませんし、難しい話ですので、滅多に、聞かせていただく機会はございませんが、『舟弁慶』同様、夏には、よろしいネタでござりましょう。怪談話の系統の、怖い話では、ございません。そこら、いかにも、もっちゃ〜りした、上方もんですな。
<23.8.1 記>
![]() |
![]() |
![]() |