
近ごろ、よく、生きたまま、生のウナギを裂くという仕事がございまして、今月は、『うなぎや』が出ておりますので、『鰻谷』にいたしました。鰻谷由来の一席でございます。これを、一席としてエエものかどうかも、ちょっと難しい扱いでございまして、サゲが無いといえば、無いのですが、あるといえば、それらしきもので。やっぱり、お珍しいものですので、あんまり演じられることはございません。
大阪の地名に、鰻谷という所がございます。しかし、随分と昔のこと、あの辺は、長堀川が流れてございまして、長堀南通りと、申しましたそうでございます。それが、どういうわけで、鰻谷という地名になったかというのが、この落語の本質でございます。長堀南通りに、『菱又』という料理屋さんがあったんやそうでございます。ここの主が、日本一と言うてもエエぐらいの変人でございまして、魚がたくさん捕れた折には、商売をいたしません。どこででも食べられるさかいにと。シケが続きまして、魚の揚がらん折には、『ここは一番、出番や!』というわけで、店を開けるというような具合。今日しも、五日ほどのシケが続きまして、生の魚も、ザコの子一匹揚がりません。他の料理屋さんは、皆、店を閉めておりますけれども、菱又ばかりは、そういうわけには、行きますまい。普段、変人ぶっておりますのでね。しかし、こことても、アテも無く、魚が無い。お客が来てはかなんと、探し回りますが、ど〜にも、魚一匹とて、手に入りません。もういっぺん、探しに出掛けてみようと、外へ出まして、やってまいりましたのが、安綿橋の南詰、住友さんの浜でございます。川の中を見ますると、ヌルマがぎょうさん泳いでおります。その時分で言う“ヌルマ”、今の“ウナギ”でございますな。
この当時、ヌルマ・ウナギは食べられない魚として、ございましたんやね。当たると思われておりましたので、誰も食べません。そこで、捕まえない。川には、たくさんいると。食うたら、命が無いといわれておりますが、この困窮の折、一度、主が火通して食べてみて、どうもなかったら、使おうやないかと、人体実験ですな。大きなカゴを提げておりますので、捕まえてしまいます。ウナギてなもん、そないすぐには、捕まるもんやおへんけれども、その当時のウナギ、捕まらんやろうと、悠々と泳いでおりますので、カゴでも、簡単にすくえた。他の人に見られたんでは、具合悪うございますので、口には、風呂敷をかぶせまして、店へと帰ってまいります。
ヌルマというぐらいでっさかいに、捕まえて、料理をしようといたしましても、なかなかに、捕まりません。往生しながらも、ぶつ切りの丸焼きや、刺身にいたしますが、これが、あんまり、おいしいことございません。こら、開いて、骨抜いて、付け焼きにしたら、どないやろうと、料理を始めます。これがすなわち、今の蒲焼きでございますな。焼いておりますと、エエ匂いがしてまいりますので、魚不足の折、近所の連中が集まって来た。ウナギのニオイに集まるのは、今も昔も一緒というわけでして、連中さん、ヒョイッと見ますと、魚は、ヌルマでっさかいに、気持ち悪がって、青い顔をして、逃げて帰ります。入れ違いに、入ってまいりましたのは、ケンカの知らせ。浪速組とこの、雁金文七の手合いと、薩摩の蔵屋敷の侍が大喧嘩で、長堀の鳶が、侍の肩を持ちやがって、布袋市右衛門の額へ、鳶口をぶち込んだて。浪速五人男の一人、雁金文七と、気の荒い薩摩侍とのケンカ。こら、放っておくことはできませんので、菱又のおやっさん、ケンカの真っ最中に、割って入りまして、まあ、まあ、まあの仲裁役。両者共が、菱又の顔を立てまして、ここはひとまず、引くことにいたします。
仲直りの仲裁にと、おやっさんが、自分の店へ、双方を連れて帰ってまいります。二階ヘ上げましたが、ご連中さんに、仲直りの盃は差せますが、肴が無い。野菜もんで、精進ちぇなわけには、まいりますまい。気の荒いもん同士でっさかいに。思案に暮れた、菱又の主、どうしょうと困っております折に、女房の、お谷さん、ヌルマの焼いたんを、切らずに長いなりで、皿に乗せて持ってまいります。なかなかの、しっかり者でございますけれども、「どうぞ、肴を見繕うておりますうちに、何もございませんが…」と、出したのが、ヌルマでございます。さすがのお侍も、これだけは、箸を付けることがでけません。雁金文七も、困りまして、何を思うて、こんなもん、出してきたんやと思案顔。そら、喰うたら、命が無いと思われてるもんだっさかいにな。しかし、そこは、男の度胸を試されてると、引くに引けません。「お内儀、こら、ヌルマの焼いたんやな。誰が料理したんや?」『亭主』と言いたいところですが、間違いがあってはなりません。そこは、心得たもんで、「ほんの、私の手料理で。」「そうやろ、呼ばれるで。」箸でつまんで、口まで持って来ましたが、なかなか、食べられません。ええい、と、一口食べてみますと、これが、なかなかイケますねやね。ウナギの蒲焼きでっさかいに。「お内儀、ウマイ魚やなあ。お内儀、ヌルマは初めて喰うたが、何ともない。お内儀。」文七が、「お内儀、お内儀」と言うたんが、“ウナギ”の名前の起こりであると。“ヌルマ”が“ウナギ”になりましたんやな。そして、菱又が、ウナギを初めて食べられる魚にしたので、魚へんに、“日”という字と、“四”と“又”と書いて、魚へんに、日四又で、これで“鰻”という漢字が出来ました。また、初めて、座敷に出しました、女房の、お谷さんの名前を取りまして、長堀南通りを、“鰻”に“谷”で、鰻谷と。鰻谷由来の一席でございます。サゲといえば、サゲですし、無しといえば、無しですなあ。
上演時間は、十分もあれば、出来ましょう。要するに、地ばなし、ト書きで進行する部分が多くございますので、講談・講釈調ですな。寄席や、時間の無い時なんかには、合わせて出来るものでございましょう。『うなぎや』の導入に、引っ付けられるということも、可能でございます。大笑いは出来ませんし、笑いが多いとも思えませんので、難しいですな。で、演じられない理由です。機会も、無いのでござりましょう。世の中が、こう、せわしなすぎては。ここというて、ポイントも、指摘しづらいんですが、やはり、最後のお楽しみ、ウナギ・鰻・鰻谷の由来がメインですな。ここまで、どう、お客さんが、ダレずに、喰い付いて、聞いて行くか。しかし、ウソの作り話とはいえ、実にバカバカしい、落語らしい発想でございます。
東京には、ございますまい。アホらしすぎて。所有音源は、故・橘ノ圓都氏、笑福亭生喬氏のものがあります。圓都氏のものは、『うなぎや』に引っ付けたはりました。単独のものも、あったんでしょうけれどもね。しかし、古風な、いかにも、昔話を語る、おじいさんという雰囲気が出ておりまして、味があって、おもしろうございます。長年、この方ぐらいしか、演じられるのは、あんまり、聞いたことございませんでしたが、近ごろ、生喬氏で聞かせていただきました。これはまた、ちょっと違った、堂々とした語り口で、おもしろいものでした。失礼ではありますが、これで、この話も、細々と残るような気がしておりますにゃわ。小品ですが、いっぺん、聞いてみとくれやす。
<23.11.1 記>
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