新年あけましておめでとうございます。旧年中はいろいろとお世話になりましたが、どうぞ本年もこの“上方落語のネタ”をどうぞよろしくお願い申し上げる所存であります。

 2001年、21世紀最初のネタ、ご陽気に、という言葉に似ても似つかぬ、しじみ屋をお届けしたいと思います。演題は、“しじみ売り・蜆売り”とされているものも多く、どちらが本当なのかは言い難いのですが、とにかく、両方とも古くから使われている名前であります。このネタ、ちょうど十日ゑびすの晩のお話なので、今月のネタに選びました。

 関西では有名な十日ゑびす、一月十日に商売繁盛を祈って、ゑべっさんにお参り致します。ちょうどその夜、雪の降る寒い寒い中、ある顔役(かおやく)の親方(つまり、任侠の世界の親分ですな)の家の戸を開けて、小さい子供のしじみ屋はんが入ってきます。“しじみ、買うとくなはれ”と天秤棒の前と後ろの笊(いかき、ざる)の中にいっぱいのしじみを売ろうとしますが、応対したのは表の間で火鉢にあたっていた三下(さんした、子分でも下っぱの方ですな)の留。“十日ゑびすの景気をつけんならんような時に、しじみが食えるか”と、怒鳴り散らします。そして、そんなことを言いながら履き物を取って出ていく、履き物泥棒やろうと、家から追い出そうとします。そこへ、騒がしいと奥から出てきたのが親方、訳を聞いて、しじみを全部買ってやります。

 薄物の着物、あかぎれ・ひびの入った手をしているの子供を見て、親方はお寿司なんかを与えてやりますが、その場では食べずに家に持って帰りたいとしじみ屋はんは言い出します。家には目の不自由なお母さんがいるとのこと。それではなおさらと、今度はお金を与えてやろうとしますが、しじみ屋はん、どうしても受け取ろうとしません。訳を聞くと、人にお金をもらったために、このようにしじみを売り歩くようになったとのこと。その詳しい理由は…。

 しじみ屋はんの姉さん、元は芸妓で出ていました。なじみの若旦那があって、その若旦那が親から勘当。姉さんは芸妓をやめて、家に連れて帰って、若旦那と一緒になり、少々の蓄えで二人で一緒に商売を始めます。しかし、大店(おおだな)の若旦那、大きいことは慣れていましたが、小商いには不得手。頃は年の暮れ、それ相応のお金がなければ、その年を越せぬとなったとき、二人は橋の上から身を投げて、一緒に死のうと心中しかけたところにさしかかった、どこぞのお方、子分を一人連れておりましたが、訳を聞いて、名前も名乗らずにお金を二人に与えて去ってしまいます。その金で払いを済ませて、しばらく後、近所で泥棒が入り、犯人が分からん。急に金回りが良くなったと、若旦那と姉さん、二人一緒にお上に引っ張られて行ったままで、帰ってこない。目が不自由になってしまった母親を養うため、小さいながらしじみを担いで売っていると話します。この語りの部分、本当にグッと引き込まれてしまうところですなあ。

 そういう訳で、お金は受け取らないと言いますが、“何ぞ言われたら、この家でもろたと言え。その筋には、わしが言うて、二人を解き放ししたる。”と親方は、お金を与えます。留公も、ほんのわずかですが、お金をやって、しじみ屋はんは帰ってしまいます。そこで、本来のサゲは、“親のしじ目に逢いたい”と、死に目としじみをかけて終わるのですが、その他にも、いくら考えても恨めしいのは、その橋の上でお金をやった人で、そんなこともあるものかと親方が考えていると、そのお金をやったのは、実は、この親方であると留公が思い出し、驚き、“どうしたんや”“へえ、身が縮みました”と、ちぢみ(縮む)としじみをかけて、サゲにしたりします。また、しじみ屋はんが話をしているうちに、お金を与えたのは自分だと親方は分かって、しじみ屋はんを帰した後に、“名前も名乗らんと、あんなことしたらいかんかったなあ。さっきの話、ド〜ンと肝にしみたで。”“肝にしみたはずや、しじみはよう効くわ。”とするサゲ、同じく、自分がお金をやったのだと気づいてから、“あんなことして、あの子にとっては、かいがあったんかなあ。”“かいがあったさかい、しじみ売ってまんねん。”とするサゲ、親方がちぢみの着物を与えて、しじみ屋はんの売り声、“あ〜さり〜、ちぢみ〜”と、ちぢみとしじみをかけたサゲなどがありますな。

 上演時間はだいたい二十分から三十分前後ですが、極端に長くはできない話だと思われます。ちなみに、導入部分ですが、筋書きのはじめ、このしじみ屋が登場するまでに、この親方の奥さんが、夫は荒くれない商売をしているけれども、娘には芸事の一つもしつけてあると、親方に聞かせるために、娘に三味線を弾かして、それを親方が聞いているという型、またその音を下座から三味線を弾いてみせる型、世間の様子、つまりゑべっさんの賑わいを下座からお囃子で『十日戎』を弾いてもらってみせる型などがあります。また、その家の中には、若い者がみんなゑべっさんにお参りに行って、残っているのは親方・奥さん・娘はんと留公だけの型、みんな家に残っているという型があります。

 とりあえず、サゲも同様ですが、全てにおいて、あまり決まった型が特定されて演じられていないように思えますし、演じ手も数少ないのであります。それはなぜかというと、上方落語としては、やはり笑いが極端に少ないからでありましょう。ウケない割に、話が難しい。最大の難関が、あのしじみ屋はんの一人しゃべり、姉さんのことを語る件り。成功であると、涙が出るほど感動を受けるのですが、失敗すると、ただの“おもんない話やなあ”で終わってしまいます。

 ちなみに、このネタ、東京では親方が鼠小僧(ねずみこぞう)になっていまして、場所設定も違っていますし、ここにまだ前後の話がついていたり、サゲをなくしたりと、れっきとした人情噺となっているようであります。それは、このネタの原話が講談からきているためかと思います。そのため、私個人としては、上方でもサゲをつけずに終わってもいいようにも思います。

 所有音源としては、故・桂小文治氏、桂福團治氏、桂文我氏のものがあります。小文治氏のもので、私はしじみ屋はんの一人語りに非常に感動し、涙を流しかけたことがあります。ラジオで聞いただけなのですが、実際に聞いたら、どんなにか感銘を受けたことであったでしょう。小文治氏の人柄に合った、非常にすばらしいものでした。この時マクラで、“この話は兄弟子の三代目・文團治師匠がよくやっておられた”と言ったはりましたね。小文治氏のものは、下座で三味線を弾かせ、家の中には親方家族と留公のみ、サゲは“身がちぢみました”のサゲでありました。福團治氏のものも、やはりしじみ屋はんの一人しゃべりに感動を受けます。文我氏のものは、ちょっと笑いが多くしてありますね。福團治氏は、『十日戎』の囃子入り、家の中には一家全員いる型で、サゲは“かいがあった”と“ちぢみ”のサゲ、文我氏は、娘に三味線は弾かしていますが、言葉だけで下座の音を入れず、家の中は親方家族と留公のみ、サゲは“肝にしみた”のサゲでありました。

 ネタとしては、大ネタというようなものではないらしいのですが、とにかく難しく、演じ手のあまり増えないネタなので、おそらく21世紀、今世紀中に滅びてしまうような気もしないではありませんが…。

<13.1.1 記>
<以降加筆修正>


トップページ