ちょっと、お珍しい話でございます。実は、今月のはじめ、とある落語会に、誘っていただきはすれど…。これがなかなか、行けしまへんのや。残念でございましたになると思います。そこで、珍しいネタが、出ておりました。『帯久』やて。講釈のような、あまり、笑いはございませんが、とりあえず、長いお話でございます。

 大阪は、島之内、東横堀の三丁目に、和泉屋与兵衛さんという呉服屋さんがございました。主人の与兵衛さんというのは、温厚なお方で、町内の評判もエエ、奉公人のしつけも行き届いているという、立派なお方で、お店も繁盛いたしております。対しまして、二丁目には、帯屋久七さんという呉服屋さんがございました。主人の久七さんというのは、どこか陰気な感じで、商売も、あんまり、“売れず屋”という名前が付いております。十二月のある日、この帯屋久七さんが、和泉屋さんのお店へとやってまいりました。応対をいたしましたのは、ここの番頭さん。「これはこれは、帯屋の旦さんでございますかいな。どうぞ、こちらへ。」「ご主人、ご在宅で?」奥に居りますので、丁稚さんに、このことを伝えます。「あの旦さん、二丁目の、売れずやの旦さんが…」「これっ!」って、そらそうですわいな。お目にかかりたいと。「そちが案内をするのではない。番頭どんに、取り次いでもらうように。」と、そこは、一家の主ですからな。「どうも、ご無沙汰をいたしまして。」と、そこは、近所でもありますが、同商売の旦那同士ですからな。帯屋さんがおっしゃるのには、ちょっと、商売のほうも、あんまり、うまいこといかず、年内には、お返しできると思いますので、二十両ほど、融通願えませんかということ。そこは、同じ商売をしております者同士、よく分かったことと、二十両用立ていたします。「実印を持ってまいりましたので、証文を。」そんなまた、他人行儀なと、与兵衛さんは、そのまま貸してしまいます。また、与兵衛さんのほうが、いつ何時、借りに行かんならんようになるかも、分かりまへんのでと。そこで、お酒の一杯も飲まして、返してしまいます。二十日ほどすると、「ありがとうございました」と、帯久さんが返しに来た。

 年が明けまして、春の中払い、節季前になりまして、今度は、「三十両拝借を」とやって来た。融通すると、また二十日ほどたって、返しにくる。六月の節季には、五十両。これも、二十日ほどして、返しに。秋の中払いには、百両。二十日ほどして…。今度は持って来うへん。一月・二月たち、極月の三十日、要するに、今でいう大晦日。引っくり返る忙しさの中、帯久さんがやってきたと。しかし、蔵屋敷から、お役人が、お越しになっておりました折で、また、年明けに、お断りをと言いますが、どうも、お金を返しに来た様子。それではと、ちょっとだけ、和泉屋さんが会いまして、百両の金を返してもらう。番頭さんが呼びにまいりまして、お役人が帰られる。お見送りをと、与兵衛さんが、座敷から出る。帯久さんも、帰ろうといたしますが、目の前には、百両の金包みが置いたまま。自分も忙しいので、いつまでも待ってられん。それではと、立ち上がる拍子に、お金もろとも、「失礼」と。こら、ホンマに失礼ですわな。家へ去んでしもた。与兵衛さんが、ようやく戻ってきますと、金が無い。番頭さんから、奉公人に、一応、聞いてみますと、出入りしたもんも無い様子。「いや、こら、わしの間違いじゃ。コロッと、忘れてた。」と、皆の前では、言い繕いましたが、さては…。ネコババしよったに違いない。まあ、それでも、今年の厄落としじゃと、諦めてしまいます。無かったことにしてしまいます。懐の大きいお方ですな。

 年が明けまして、二日の初売り。降って湧いたような百両ですから、それを元手に、帯久さんのほうでは、“さらし一尺お買い上げの方にも、もれなく景物進呈”という引札・広告を出した。これが大当たりで、ものすごい大繁盛。一方、和泉屋さんのほうは、これがケチの付けはじめで、一人娘さんが亡くなる。これを苦にして、母親・奥さんですな、この方も亡くなる。商売のほうも、勘定がもらえんどころやない、もみ消してもらうようなことが起きたり、二番番頭が掛取りの金集めて逐電。挙句の果ては、七月に大火事。『瓦屋町焼け』という大火で、無一文。前年に、別家をさした番頭の武兵衛も、商売に失敗しておりましたが、このことを聞き付けまして、すぐに与兵衛さんを、自分の家の二階へ引き取る。それから、床に付いてしまいます。地所は、生活費・薬代にしてしまいまして、ちょうど十年という歳月が流れます。やっと、床払いがでけまして、元気になった。与兵衛さん、もう還暦ですわ。新規まき直しと行きたいが、それは、武兵衛に任して、もういっぺん、和泉屋の暖簾を掛けさしてやりたい。しかし、先立つものが無いので、昔、世話をしてやった、帯久さんへ、いくらかでも、貸してもらいに行こかて。今では、大繁盛して、立派な大店になっておりますのでね。あんまり、エエ評判は聞きませんので、武兵衛のほうは、止めますが、それでも、和泉屋さんは、帯久さんのところへ。

 入りづらく、ウロウロしておりますのを見つけましたのは、このお店の番頭さん。「ご無沙汰をいたしております。お見舞いにも、うかがえませんで。」「いやいや。今日はちょっと、お願いしたいことがございまして。ご在宅ですかな。」「うちに居りますので、しばらくお待ちを。」取り次ぎますと、帯久さんは、「“留守や”言え」と。しかし、居ると応えたので、番頭さんの勧めもありまして、会うことにいたします。事情を話しまして、武兵衛に、もういっぺん、商売させてやりたいので、いくばくかのご融通をと。しかし、やはりのこと、頭から断ります。十年前、最初に、二十両用立てした時に、立場が変わって、反対になるかも分からんと、言ったことを、それなりに匂わせますが、しかし、それとても、この帯久さんは、一軒、店を持っていたから、貸したんであろうと。今のような、何も無い一介の人間には、貸せんと。その後、三十両・五十両・百両。百両の際、蔵屋敷のお役人を送りに立って、戻って来ると、百両が無かった話をします。「わしが盗ったとでも、言いなはるのか?」余計、怒らせてしまいます。「あの時の利息やと思うて、いくらかでも。」「貸せん、去にさらせ。」真鍮の太いキセルで、額を打ち据える。若いもんに引きずられて、表へ出されます。

 着物は引き裂かれ、頭から血を出しておりますので、通る人が見る。面目無いので、横手の路地に入り込みましたが、このまま帰ると、武兵衛にも、会わす顔が無い。死んでしもたろと、帯屋の裏手へ。離れが普請の途中で、あらかた完成いたしております。腹いせに、ここの庭の松の木で、首でも吊って、死んだろうと、縄を探しておりますが、普請場のこと、かんな屑や木屑が山盛り。どうせ死ぬのやったら、ここの家に、火付けて、恨み晴らして死んだろうと、火打ち道具を取り出しまして、かんな屑へ。火打石からですので、そう簡単に、火の付くはずが無い。ようよう、ポッと、火の手が上がった時分に、「火事や!」と、たちまちに消されてしまう。逃げ遅れて、ウロウロいたしております与兵衛さんが、すぐに捕まりまして、番所へ突き出される。火付けは、その当時の大罪ですから、町役がビックリして、やってまいりますが、顔を見て、二度ビックリ。和泉屋与兵衛さんですからな。人払いをいたしまして、訳を聞くと、こうこうで。誰も見てないということで、町役が内々に済ましまして、お見舞いの金を五両ほど持たせて、家へ返してもらいます。しかし、帯久さんのほうでは、百両の一件を言いふらすに違いないと、おおそれながらと、火付けの一件を、西の御番所へ訴え出た。さて、ここで話は収まりません。いよいよ、大詰めですな。

 お白洲が開かれまして、お奉行さんのお出座。火付けの一件は、誠に、その通り。最初から、和泉屋さんも認めている。しかし、縁もゆかりも無い、帯久さんに、無心合力に行って、断られたから、火を付けたでは、ちょっと、納得のいかん、お奉行さん。そらそうですわいな、何か理由があってのことと、問いただすと、十一年以前の話を始めます。最初に二十両・三十両・五十両、そして百両。これを返してもらったが、部屋に戻ったら、金が無い。その後、火事で焼け出されて、武兵衛のもとに、長の患いでしたが、床上げした後に、もういっぺん、商売をさしてやりたいと、無心に行ったが、貸してもらえなかったということ。お奉行さんも、かわいそうなので、いくらか、貸すことはできんかと言いますが、これも断る帯久さん。それでは、百両の金を返しに行った際、このまま、置いて帰ったのでは、用心が悪いと、親切心から、懐へ入れて、年が変わってから、また改めて、返しに行こうと思いながら、忘れておったのではないかと、お奉行さんは、言いますが、「そんなことはございません」と。「よく考えよ」と、畳み掛けるお奉行さんに、「思い出せません。古いこって。」「そうか手を出せ」何気なしに出した手の、人差し指と、高々指をつまんで、紙で巻き上げて、糊付けをする。封締めに、判を付いた。「忘れ物を思い出す、まじないじゃ。家へ戻って、よく考えてみよ。その封締めには、奉行の印が押してある。これを、ゆえなくして、破る場合は、家は闕所(けっしょ)、所払いを申し付けるぞ。」エライこっちゃ。奉行所のほうでは、隅々まで、調べが行き届いておったんですな。十年前の、さらし一尺で粗品進呈まで。

 家へ帰って来ますが、帯久さん、不自由なこと、この上も無い。ご膳食べられしまへんさかいに、握り飯にしてもらう。風呂へも入られへん。寝てる間も、丁稚が寝ずの番で、便所も、ろくに行けません。さすがに、五日ほどすると、泣き出しよった。エライ番頭さんでっさかいに、『思い出した』言うて、百両持って、奉行所に、お届けあそばせと。今の帯久さんにしたら、この状況より、百両は、安いもん。再び、お白洲が開かれることとなりまして、お奉行さんが出てます。帯久さんが思い出したと。「懐へ入れて持ち帰り、返すのを忘れておりました。」と、百両を差し出します。「これは元金じゃな。利子はどうした?」「ございません」「黙れ。十年の長きに渡り、無利息で貸す者も、また、返す者も、なかろう。奉行が取り計らう。年一割として、十年で百両。これなら安かろう。複利にすれば、もう少々、金高が上がるが、どうじゃ?」「持ち合わせがございません」ここで、さすがの、番頭さん、余分に、百両の他に、もう五十両、持って来たはったんですな。「ほう、感心じゃな。残りの五十両は、少し待ってもろてやろう。月賦にいたすか、それとも、年賦が良いか?」「相成るべくは、月賦より、年賦のほうが。」「年十両つかわすか?」「もう少々、ご猶予を。」「年五両では?」「もう少々」「しからば、年一両ならどうじゃ?」「それぐらいでしたら、結構でございます。」ということで、五十両は、年賦一両で、返すことになりまして、書類が出来て、署名捺印をする。お金の一件は済みましたが、しかしながら、火付けの罪は、免れん。ただいま、百五十両の金で、武兵衛に、小さな店の一軒も、持たせてやることが出来ますので、火あぶりの刑になっても、思い残すことは無いという和泉屋さん。「しかし、火あぶりの刑は、残金五十両払い終わりし暁に、これを執り行なうこととする。」さすがのお裁きですな、お奉行さん。年賦一両で、五十両返すのに、五十年掛かりまっさかいに、今年還暦の和泉屋さんの、五十年後て…。「五十両じきに払います」と言う帯久さんですが、そこはそれ、再吟味は、法に無いという時代ですからな。それに、第一、受け取るもんがおれへんかったら、返すに返したことにならんし、また、署名捺印までして、書類がでけてしもた。「恐れ入りました」としか、言いようの無い帯久さん。「一同の者、立ちませい。ああ、これ、和泉屋与兵衛、そちゃ今年、何歳に相成るな?」「六十一でございます。」「本卦(ほんけ)じゃのう」「いいえ、今は別家の居候でございます。」と、これがサゲになりますな。お分かり?還暦を、昔は、本卦がえりと申しまして、暦が一巡するので、こう呼ばれたのでございます。本家と本卦が掛けてありますし、今は、番頭であった、別家の武兵衛の居候ということです。親戚筋とか、よっぽどの奉公人が暖簾分けした場合のみ、分家の称号が使われておりまして、たいがい、奉公人が暖簾分けしてもらう場合には、別家の称号が、使われておりますね。

 上演時間は、五十分ぐらいですか。長い話です。一時間は、越えないかも分かりませんが、とりあえず、長い。何か、特殊な落語会ぐらいでないと、なかなか聞かせてもらえない話です。筋の運びはありますが、笑いも、そんなにございませんし、しかも、お金の説明の部分は、何度となく、同じことを言わなければなりません。退屈といえば、退屈になりますが、それでも、市川右太衛門は出てまいりません、出てきたら、ビックリするけどね。それは、エエといたしまして、右太衛門さんが、お奉行さんのように、スッキリ話は解決いたします。なかなか、貫禄の要る話で、どなたでも出来るという種類のものでは、無いでありましょう。冒頭、和泉屋さんが、帯屋さんを、呼び入れる当たり、実に、克明に描写されておりまして、丁寧な扱いでございますけれども、ここも、立場が逆になる、後の訪問の場面と、見事な対比となっておりますね。無利子無証文で、二十両を貸すというあたり、やはり、大阪でも、大店の呉服屋さんの感じが、良く出ております。また、返さなんでも、それまでと、最初から、思うてなはったんでっしゃろなあ。それから、三十両・五十両・百両と。昔は、年に二回の支払いで、その間に、中払いの制度が出来まして、年四回の節季ということです。ホントの昔は、年一回も、あったようです。そのまた、掛取りの日に、取りに行かなんだら、次の日に行くものではございませんで、次の節季に支払いなんですなあ。百両を返しにくるのは、二十日ほど後ではなくって、ただいまの大晦日。こら、どこも忙しい。しかし、帯久さんも、年内にと、考えてのことだったんでしょう。すぐに席を立った和泉屋さんの、後に残った百両。失礼してしもたんですなあ。これが、お互いに、エエような、悪いような、物事の起こるキッカケ。帯久さんは、この金で、景品付きで商品売って、大儲け。和泉屋さんは、娘さん・奥さん亡くして、商売もしくじりがちで、最後には、もらい火で、焼け出されて、寝込んでしまう。火災保険、あれしまへんさかいになあ。それでも、十年間、よう養生しなはったこっちゃ。それにも増して、武兵衛さんも、よう面倒見なはったこっちゃ。

 ここで、床払いをいたしまして、武兵衛のための、商売の元手をと、帯久さんへ借りに行く。もうちょっと、小ましな格好やったら、話も、別やったかも分かりません。元は、大家の主でしたんやからな。ここで、初めて登場いたしますが、この帯久の番頭さん、なかなかに、よく出来た人でございます。実は、この場面、『ねずみ穴』にも、よく似ているような気も、しないではありませんが、内容は、違いますな。それとなく、百両のことを匂わせますが、逆に怒らせたのか、キセルで額を打ち据えられて、表に放り出されます。死んでしまおうと、手頃な松の木と、縄を探しますが、どうせ死ぬのならと、腹いせに、火付けを思い立ちます。普請場ですからな。それから、捕まりまして、番所で取り調べられますが、善人であったことを、よく分かった町役さんですから、内々に済まして、しかも、お見舞いのお金まで持たして、家へ返して、一件落着。で、終わらないのが、この話のおもしろい所。火付けの罪は大罪ですから、帯久さんのほうから訴えて出て、和泉屋さんを、火あぶりの刑にしてやろうという魂胆。そうすれば、百両の話は、誰も知らないままに終わると。お白洲が開かれまして、訳を聞きますが、『忘れたのであろう』と、助け舟を出すのは、さすがに、エライお奉行さんですな。そして、こよりで、指二本括って、判押すて。日常生活が、できしません。ひょっとしたら、手錠より、キツイかも分かりませんで。すぐ破れまっさかいにな。番頭のはからいで、再び、思い出したと届けを出して、お白洲が開かれる。元金の百両の他に、もう五十両持って来ていた番頭さん、エライですよねえ。『忠臣蔵』の烏帽子・大紋みたいなもん。それでも足らん。年賦・月賦で、年一両まで、まけてもらうあたり、やはり、大阪の商人いう感じしますよねえ。それ以前に、利子が出るのや、お金の金額が、ことこまやかに、裁判に出てくるというのも、上方らしい演出です。複利になると、もひとつ、エライことになりますけどな。五十年の年賦で、話が決着いたしまして、署名捺印、書類が出来ました後に、今度は、火付けの処罰。これが五十年後て、ホント、よくでけた話です。胸スーッといたします。ここで、一件落着を兼ねて、サゲになると。

 講釈にもなるようなネタですが、上方由来のものなのでしょうかねぇ。東京では、故・六代目三遊亭圓生氏など、やったはりました。大岡越前守でね。所有音源は、故・四代目桂文團治氏のものがあります。省略の得意な方だったそうですが、それでも、やはり、三十分近く、かかったはると思います。多分、ABC・朝日放送の、『上方落語を聞く会』のものやと思いますが。違うやろか?講釈のほうも、やったはった方らしいですので、話の運びはウマイですな。おもしろいというよりは、やはり、お話本位のものでござります。いや、しかし、これだけのもの、普通の人が、なかなか出来しませんよ。他に、もちろん、桂米朝氏や、笑福亭松喬氏などが、やったはりましたな。

 ここまで、お読みになるのも、しんどかったでしょう?書くのも、たいがいでしたわ…。

<24.6.1 記>


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