大意はございませんが、今月は、『テレスコ』でございます。今日び、スルメも、高ぅなりましたな。あんまり、買わへんうちに。普通の、生のイカのほうが、安いですもんな。流通の発達というものは、恐ろしいもんで。しかし、スルメはスルメでまた、独特のおいしさがあります。焼いてから、しゅうゆを付けて、また、マヨネーズを付けたりしながら。イカの一夜干しちゅうのも、あれ、また、スルメと違うて、イカでもなく、おいしいもんどす。って、食べもんの話が、何で、『テレスコ』やてか?それは、内容をご理解いただければ、分かります。しかし、演題だけ聞いたら、ほんに、なんのこっちゃ、分かりまへんやろなぁ。

 お所は、これがまた、肥前の長崎。ここの海辺に、珍しい魚が、揚がりました。しかし、この辺の漁師さん、誰も見たことのないような魚で、皆目、名前が分からん。代官所へ持ってまいりまして、調べてもらいますが、これも分からん。そこで、この魚の絵を紙に描きまして、代官所の表に張り出します。この魚の名前が分かる者があらば、申し出るようにと。金十両遣わすちゅう、懸賞金付きで。早速に、明くる日になりますと、申し出る者がおります。大浦の仁助という漁師。お代官様が、聞こうとしますが、一応、実物を見せてもらってから。父親から、聞いて知ってる魚に、相違ございませなんだ。「テレスコ」と。まぁ、だ〜れも、知れしまへんのやさかいに、おかしげな名前のような気もしますが、そら、信用せな、しゃあない。とりあえず、十両渡して、この男を帰してしまう。

 代官所のほうも、腑に落ちない気もいたしますので、この魚を、カンカンに天日に干しますと、生の時とは、似ても似つかん形になった。再び、これを絵に描きまして、代官所の前へ。名前を知ってる者があれば、十両遣わすと。次の日、やってまいりましたのは、くだんの仁助。これも実物を見せてもらって、今度は、「ステレンキョウ」と。さあ、エライこっちゃ。おんなじ魚ですがな。縄を打たれて、入牢ということになります。そらそうですわ、お上のお金を、騙し取ろうとしたんですからな。無宿者で、哀れを請けまして、格別の憐憫を持って、死罪ということになります。むごたらしい処刑はなく、あっさり打ち首ですて。ただ、最後に、一つだけ願いを聞いてやろうというので、お情けを掛けてもらいますと、女房子供に会いたいと。そら、もっともですわ。今はの際に、乳飲み子を抱えた女房が、お白洲へ通される。

 「お前も苦労したと見えるな。やつれて。患いでもしたか?」「いいえ、一日も早いご赦免を祈って、神仏に、火物断ちをいたしました。」要するに、火の掛かったもんは、一切、口にせえへんちゅう、断ちものですわいな。煮たり焼いたりしたもんは、食べられへん。お米も、生米を搗いたり、挽いたりしたもんでないと、お湯も使われへん。「そうか。わしが亡き後、この子が大きくなったら、一つだけ遺言があるので、それを守らせてくれ。“イカの干したのを、スルメと言わすな。”」こら、エライ遺言や。お代官様も、ちょっと考えた。イカを干してスルメ、テレスコを干してステレンキョウ…。「う〜ん。無罪放免といたそう。」と、スルメ一枚の言い訳で、命が助かります。それもそのはず、女房が、火物(干物)断ちをしてしおりました。と、これが、サゲになります。火物と干物を掛けたサゲですな。と、言いたいところですが、これは、分かりやすく、後から付け加えられたサゲでありまして、やはり、元々は、「イカの干したのを、スルメと言わすな。」だけで、サゲになっていたものらしいですね。一言だけでは、なかなか、分かりづらいですのでね。

 上演時間は、噺自体は、十分程度で終わりますが、ここまでに、たいがい、『国なまり』のマクラが付きますんで、一高座二十分程度で、演じられますか。寄席向きの話で、時間の伸縮が、しやすいですわな。所が長崎の海辺。ここからして、すでに、変わってますがな。前半、珍しい魚が捕れて、名前が分からんので、代官所の前に、絵に描いた紙を張り出す。懸賞金付きちゅうのが、ミソで、これを欲しさに、仁助さんという人が、名乗り出る。「テレスコ」と。しかし、演題にもなっております、このテレスコちゅう言葉に、意味は、あるんでっしゃろか?わたしゃ、勉強不足で、知れしまへんねけどね。後半、十両は渡しますが、なんじゃ、腑に落ちんというので、この魚を干す。絵を紙に描いて、再び、張り出す。今度は、「ステレンキョウ」と。これは、おかしげなちゅう意味の、ステレンキョウでっしゃろか?同じ魚で、金を騙し取ろうとしたとして、入牢の上、死罪。今はの際に、「イカを干したのを、スルメと言わすな。」という名言を吐いて、お仕置きを免れる。火物・干物断ちの、おかげでね。

 東京でも、同じ題であります。故・三遊亭圓生氏なんか、やったはりましたな。最後に、アタリメの話だと、付け加えられたりもします。所有音源は、故・橘ノ圓都氏、笑福亭松枝氏などのもの、他に、桂米朝氏などのものも、聞いたことがございます。圓都氏のものは、ホント、日本昔ばなしのような、おじいさんが、昔話を聞かせるような、朴訥とした感じで、落語というよりは、民話の語り部みたいな印象がございます。といえども、お代官様の、しゃべりなんかは、やっぱりウマイですけどね。松枝氏のものは、よく笑いを取ったはりました。あんまり、笑いの多い話や、ないはずですのに。米朝氏は、あっさり演じてはりました。『国なまり』のマクラも含めて。そういやあ、何の噺の前でしたか、故・笑福亭松葉氏(七代目笑福亭松鶴氏)は、このマクラで、爆笑取ったはりましたわ。

 寄席の出番のせいか、近ごろ、こんな噺も、あんまり、聞かなくなりました。小品で、あっさりした感じの物なんですけどね。しかし、訛りも、テレビの影響で、随分と、緩和されてきたような気がいたしますね。さびしい。。


<24.11.1 記>


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