今年も、押し詰まりましたな。といえども、今月は、多分、夏向きのお話だと思われます。堪忍しとくれやす。お珍しい、『宇治の柴舟』で失礼をさせていただきます。あんまり、出ませんな。そやけど、私…。この話、言いたいことおへんので、割愛させていただきますが、とりあえず、その人は、今月、入籍しはりました。おめでとうさんです。

 手伝いの熊五郎が、母屋へ訪ねてまいります。若旦那が、ご病気で、それが気やまい。誰にも、しゃべらんので、思い詰めてることを、聞き出してやって欲しいという、いつものパターン。って、要するに、『崇徳院』と同じ趣向ですな。聞き出してくれたら、三百円の大金がもらえるという、懸賞金付き。病間へ入ってまいりますと、今度は、若旦那のほうから、三百円で頼まれたやろうと、逆に推察されてしまいます。それでも、思い詰めてることが、何か当たったら、若旦那のほうからは、金の鎖が付いた、白金の時計をやろうと。熊五郎、小指を出します。ご明察!女子の話ですわいな。恋患い。どこぞから出ている、玄人ではなく、はたまた、どこぞの娘はんてな、素人でもない。かというて、活動写真の女優でもない。果ては、「尼はんでっか?」て、んな、アホな。もう降参。時計は諦めて、三百円だけにします。聞いてみますと、造幣局へ、桜を見に行った帰りがけ、本町で、美人画の展覧会をやってた。覗いている、その中に、井上素山という方の描いた絵で、キレイな絵があった。頭は、手拭いで、姉さんかぶり、歯を黒に染めて、肩からは、赤いたすき、着物の裾を、端折って、小さな風呂敷包みを持った、かわいらしい女の人。実は、この若旦那、こともあろうに、絵に描いた、この女の人に惚れてしもた。そんなことって、ありますにゃろか?

 しかし、好きな絵なら、買うたらエエてなもんですけど、それが、非売品で、売ってくれはれへん。もういっぺん、描いてもらおうとしても、この人、とうの昔に、死んではる。思い詰めてるうちに、頭の上がらん病気になったと。家で寝てても、その女の人が、ごめんやすいうて、向こうから来ることは、ございません。とりあえず、どこぞへでも、養生へ行て、そこで会えることを願おうやおまへんかと、熊五郎は勧めてみます。そら、家で寝てるより、確率は高い。というか、そのうちに、気も変わりまっしゃろということ。須磨でもエエが、須磨の海辺では、こんな女の人、いはりそうにない。そこで、白羽の矢が当たったのが、京都は宇治でございます。風光明媚な、宇治川の流れでも見ながら、出養生しましょということに話は決まります。親旦那に話をしますと、そらもう、倅の命が助かるならばと、早速に用意をいたしまして、車を呼んで、当座の金と小切手を持たせまして、熊五郎を付けて、宇治へ養生へ。

 宇治では、菊屋という、こら有名な旅館ですけれども、ここへ、ご逗留。一週間ほど経ちますと、薄紙を剥がすがごとくに、若旦那のご病気も、快方に向かってまいります。ある日のこと、宿屋の二階の窓際で、手すりに手をかけまして、若旦那、ボーッと景色を眺めております。と、細引きの雨が降ってまいりまして、往来の人たちは、軒へ隠れてしまう。にわか雨・通り雨・夕立ですな。小一時間ほどしますというと、もう後は、カラッと晴れ渡りまして、西日が出てまいります。虹も出ようという上天気。そこへ差して、向こうのほうから、やってまいりましたのは、姉さんかぶりに、歯を染め、たすきをかけて、風呂敷包みを持った、女の人。菊屋の中へ入ってまいります。「京へ帰るんどすけど、舟は、おへんか?」「あいにくと、一艘も、おまへんねや。電車でお帰りやしたら、どうどす?」「電車は、酔うんどす。無かったら、伏見まで、歩いて帰ります。」「伏見まででしたら、宇治橋の下まで行きますと、まだ、一艘ぐらい、残ってるかも分かりません。」「そうどすか。えらいすんまへん。」と、出て行きます。

 これを聞きました若旦那、裾を端折って、宿屋の裏階段を駆け下りる。裏は宇治川。舟が一艘つないでございまして、中へ飛び乗りますと、棹を突いて、川の中ほどへ。それから、宇治橋のたもとで、船をつないで、件の女子を待っております。若旦那、材木問屋の倅ですので、子供の頃から、イカダに乗り慣れております、船を操るのは、得意なもん。やってまいりました、お女中に、「もし、姐さん、伏見まで、お帰りやおまへんか?」と。「わたいも、伏見まで帰りまんねん。空では、どうもしょうがないんで、乗ったっとくなはれ。」「船賃は?」「そんなもん、よろしい。タバコ銭で、結構です。」と、手を取りまして、舟の中へ。再び、棹を突きますというと、宇治川の急流に乗りまして、ズズズッと。七・八町も流されたところで、舟を岸へ着けまして、もやい綱を、猫柳へ。ちょうど夕焼け時分ですな。「姐さん、わたし、あんたに、頼みがおます。私の申しますこと、一通り、お聞きくだされ。」と、下座も入りまして、述懐のセリフ。

 要するに、絵に描いた女性に惚れて、宇治で養生。しておりますうちに、その絵の女性が、現われ出でたかのように、目の前に飛んで出た。これが、この姐さん。姿といい、容といい、まさに、この姐さんが、あの絵の女性。「私の気持ちをお察しいただき、どうぞ、私の家へ来ていただきとうございます。」と、告白してしもた。しかし、歯を黒々と染めているということは…。お歯黒でっさかいに、人の嫁はん。「亭主のある身でございます。どうぞ、堪忍しとくれやす。」嫌がる姐さんへ、手を掛けまして、帯へ触れると、ズルズルズルッ。匕首(あいくち)をば片手に、片足を舟べりをかけまして、「じゃかましいっ!」ゴーンと、鳴りますと、芝居がかりで、格好がよろしい。話のほうは、そう、ウマイこといきまへん。「堪忍しとくれやす」と、姐さんが、突いた拍子に、若旦那のほうが、船から落ちて、川の中へ、ザブ〜ンと。「ああ」「若旦那。もし、若旦那。」「夢か」で、サゲになります。ま、夢から覚めて、このまま、大阪へ帰って、元通りになって、嫁をもらうという風な、サゲ無しの演出や、他に、サゲを付けられたりという演出も、古くからあったみたいですけどね。ちょっと、不思議な感じで終わりますので、現代人には、物足りないかも分かりません。

 上演時間は、二十五分ぐらいでしょうか。長い長いものではありませんが、かというて、短くなりすぎても、場面転換が急ですので、聞いている、お客さんのほうが、付いていけないかも分かりません。あまり笑いはございません。不思議な話です。演題がキレイで、凝っておりますね。上流で刈り取りました柴を、宇治川の流れで、流して運ぶという、古来より有名な、宇治の柴舟です。前半は、大阪での、お家の様子。ここは、笑いもありますが、ただ、さいぜんも申しました、『崇徳院』など、かぶる場面がありますので、あまり、しつこく、誇張されては、演じられないみたいですね。でも、熊五郎が、エエ味出してます。しかも、絵に描いた女の人に惚れるて。考えようによっては、『肝つぶし』なんか、夢の中の女の人ですからな。ここの所、“黒々と、歯を染め…”で、ピンと来なければ、なりませんよ。昔の人は、常識でしたけどね。人の嫁はんですよ。ですから、冒頭に…。思い出したくない、思い出したくない…。とりあえず、風光明媚な、宇治へ出養生となります。ここからが後半。夕立の後で、舟を出して欲しいと、やってまいりますのが、もう、あの絵の中の女の人、そのもの。そこからの、若旦那の行動が早い。舟を仕立てて、宇治橋の下で待ち伏せ。まんまと、姐さんを船に乗せまして、いよいよ…。はまってもたちゅうのが、いかにも、もっちゃ〜りした、落語らしいとこですな。

 東京では、あまり聞きません。関西でも、聞かへんぐらいの噺ですのに。それでも、所有音源には、東京での、故・桂小南氏のもの、桂梅團治氏のものなどがあります。小南氏のものは、人物に、それぞれの役の味がありまして、そう時間は、長くない物でしたが、聞き応えがありました。特に、棹を操る若旦那、元気でしたわ。前半の病人と、打って変わって。梅團治氏のものは、大阪に帰ってから、サゲを付けられておりました。これはこれで、また、ちょっと違う感覚で、話としての筋が通っております。他に、昔、桂春團治氏も、やったはりました。いっぺんだけ、聞いたことがございますが、こらまた、ラストに盛り上がりがあって、短いながらも、何か、芝居を見ているような、ドキドキ感が、多分にありました。

 人の嫁はんは、好きになってはいけません。とりあえず、エライ目に遭いまっせ。エエ年、迎えとくれやっしゃ。私も、来年こそは、エエ年にしたいですな。


<24.12.1 記>


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