先月、とある結婚式に寄せていただく際、久々に、着物を着まして、羽織だけですが、黒の紋付を合わせました。紋服なんて、我々、滅多に着る機会おまへんもんな。そこで、こんな話を思い出しました。近ごろ、あんまり聞きませんねやが、一時、よく演じられておりましたな。
お所は、船場でございます。夜さり、旦さんが、丁稚さんを、せいだい、起こしてなはる。どうも、店の表で、ドサッと音がした様子。紙屑でも、置いて行かれて、そこへまた、火でもつけられたら、どんならなん。様子を見てきて欲しいて。見に行かすと、エライことやて。どうも捨て子。「返してきまひょか?」て、これも、おかしな話。捨てた親が、柱の影かどっかに、居てるのかいなあと思いきや、そやないん。初め、隣りへ捨てはったんが、その隣りから、うちへ引きずってきた跡が付いてるて。そら、分からんことはない。隣りの家が、やりそうなこと。しかし、どうも兄弟がある。それも三匹…。こらおかしい。捨て子いうさかいに、てっきり人間やと思いのほか、これが、犬でんがな。白に黒、それに、まんだらのブチの三匹。この常吉っとん、小さい時分、家で、犬飼うてたような具合でっさかいに、よう知ってるし、犬のほうも、よう、なつく。丁稚の身で、犬を飼うちゅうのも、おかしな話か知れしまへんけど、飽かずに世話をするのならと、旦さんのお許しが出ます。
かわいいもんどすな。皆にも好かれまして。と、ある日のこと。前を通りかかりました、お方が、犬の話で、主さんへと、入ってまいります。何ぞ、粗相をしたんかいなあと謝りますが、そやないん。犬を一匹、分けて欲しいて。中でも、クロがエエと。「どうぞ持ってお帰りを」と言いますが、「一度帰りまして、主に相談をいたしまして、また、日を改めて…。」やて。なんじゃ、たいそな話。からかわれてんのかいなあと、そのまま、忘れておりまして、十日ほどたった、ある日のこと。この前、犬をくれと言うた人が、紋付に袴姿で、手には白扇を持ちまして、「ごめんを」と。今日は、天赦日(てんしゃび)で、贈り物も、持ってなはる。旦さんは、あまりのことに断ります。というのも、犬で金儲けしたといわれるのも、アホらしい。結構な品物でっさかいになあ。鰹節が一箱に、酒が三升、反物二反。どうも、医者に見離された病人が居て、黒い犬の生き胆を煎じて飲むと治るかなんか、いわれはったん違いますかと。近い話やけど、これがまた、そやないん。この人、今橋の、鴻池善右衛門さんの所の、手代さんやったんですな。ボンが、黒い子犬を可愛がっておりましたが、これが死んでしもた。大変気に入っておりましたので、後に、おんなじような黒い子犬を飼いますが、これが、皆、馴染まん。そこで、ソックリな、こちらさんの犬を、いただけんかいなあというお話ですて。そら、鴻池さんやったら、これぐらいの贈り物は、当たり前ですわなあ。手代さんも、「どうぞこれをご縁に、親戚付き合いを。」てなこと言いながら、乗り物を用意する。立派な輿(こし)で、中には、緞子(どんす)の布団。いつも、ワラの上で、寝てますのにね。どエライ出世。
鴻池のご本宅へ帰りますというと、これを見たボンが大喜び!今度は、ボンもそうですが、クロのほうも、病気さしては、一大事と、可愛がっております。広い庭を駆け巡って遊びますし、食べるもんも、ごっつぉうばっかり。みるみる、たくましい犬に成長をいたしまして、船場じゅうの、犬の大将になってしもた。そら、ケンカしても、負けたことないし、たいがいの、揉め事も解決してしまう。この前の、ケンカの仲裁を、大将にお願いをすると、連れといでと、当事者を連れて来て、おいしいもん食べさして、仲直りさせる。今日しも、鴻池の大将、天気は、どんな具合かいなあと、門口の敷居の上へ、頤(おとがい)乗せて、表を眺めておりますと、そこへやってまいりましたのは、もう、毛も抜けて、ガリガリで、一見して、病犬と丸分かりの、ヒョロヒョロした犬。これを見ました、町内の他の犬が、挨拶もせんと通りよると、ワンワン飛び掛って行く。病犬のほうは、鴻池のほうへ逃げてきた。見過ごすわけにはいかん、鴻池の大将、間に入って、丸うに収めます。しかし、この犬のほうも、挨拶もせんと、よその土地を通ったのは、いかんこと。「どっから来た?」「今宮でおます」また、遠い所から。どこぞ、船場の丁稚さんやと思われますが、お使いの帰り道、やきいもを食べながら、歩いてなはる。その皮を、ほかして歩きなはるのを、食べながら、付いて来てしもたて。そやけど、「生まれは、船場でおます。」と。南本町・質屋さんの、大きな用水桶があった、その向かいのほうで、池田屋はんですて。三人兄弟で、一人は、鴻池さんへ、貰われて行きはった。もう一人は、表へ出た途端に、車にはねられて死なはった。一人だけ残ってたんですが、悪い仲間と遊ぶようになって、拾い食い・盗み食いの味を覚え、ぼつぼつ毛が抜けて来て、病気になった。周りのもんが、気持ち悪がって、とうとう、自転車で、遠い所へ、運ばれてしもて、捨てられたんですと。
話を聞いて、ビックリ!そう、大将の弟はんでしたんやがな。「やっぱり、鼻筋のところなんか、よう似て…。」って、ホンマかいな。エライお世辞ですけれども、これからは、ここに居たらエエ。病気も、すぐに治るようにしたるさかいにと、言うておりますところへ、「こいこい、こいこい。」と、ご主人呼んでなはる。ごんぼのような尾を振って、走って行きますというと、なんじゃくわえて、帰って来た。鯛の浜焼きやて。「兄さんどうぞ、お先ぃ。わて、骨のとこで。」って、遠慮しますが、そこは兄弟のこと、お腹が減っているのであろうと、弟に食べさします。また、「こいこい、こいこい。」と。行って帰って来ると、今度は、鰻巻き。これも食べさしまして、「食べ飽きてんので、あっさり、奈良漬で、茶漬けでも食べたいねん。」て。贅沢な話ですなあ。「こいこい、こいこい。」「今度は、あっさりと、汁のもんでも、言うてはんのかいなあ。」と、行って帰って来ますと、しおしおと尾を下げて帰って来た。「何くれはりました?」「何にもくれはれへん。」「そうかて今、“こいこい”言うて、呼んではりましたがな。」「ボンに、シシさせてはったんや。」と、これがサゲになりますな。“こいこい”の、犬を呼ぶ声と、おしっこをさす“こいこい”の声を、掛けてあるんですな。子供に、おしっこさすのに、言う言葉ですからな。
上演時間は、30分前後、割り合い、時間が掛かります。大笑いは、出来ないかも分かりませんが、筋のあるもので、笑いあり、涙ありといったところでしょうか。案外、悲哀もございます。じっくりと、聞かせてもらうものですかな。冒頭の捨て子の件りは、意表をつかれて、おもしろいのですが、演題に“犬”と出ますので、半減するかも分かりません。隣りに捨てられてあるのも、おもしろいですな。そして、常吉っとんが、世話をして、飼うことになってから、欲しい人が出てくる。これが、日本一の金満家、鴻池さんやて。金持ちの代名詞といたしまして、上方落語には、ちょいちょい登場いたします。想像を超えるような、金持ちですからな。贈答品やとか、犬の乗り物でも、立派なもんですわ。そして、後半は、この鴻池の大将の話になってまいります。と同時に、犬がしゃべるようになります。おもろいもんどすな。迷い現われた病犬が、大将の弟さんで、これに、滋養のあるもんを食べさせて、サゲになると。
東京では、『大どこの犬』という演題らしいです。林家彦六の、故・八代目林家正蔵氏が、やったはりましたな。所有音源は、故・六代目笑福亭松鶴氏、桂枝雀氏、桂千朝氏などのものがあります。松鶴氏のものは、後半の、鴻池の大将に、十二分な貫禄があり、弟犬の身の上話なんか、身に迫るものがありました。枝雀氏のものは、この弟犬が、いかにも、かわいらしく、時間もたっぷり取って、得意にしたはりました。近ごろは、千朝氏ですか。おもしろいものでございます。桂米朝氏も、やったはりましたな。
こんな動物の話、昔から、あるんですな。今も昔も、人間の考えることは、あんまり変わらんようで。
<25.3.1 記>
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