先月、久々に、落語会に寄せていただきました。ナマの落語を聞かせていただくのは、やっぱり、よろしいな。その日のトリは『三十石』。と申しますか、『三十石』を聞くための落語会やったんですけどね。上方落語の大ネタでございまして、わたしゃ、大好きなんですけどね。長いお話でございまして、『東の旅』シリーズの一貫、大詰めでございます。お伊勢詣りを済ませまして、帰りは、大津から京都へ出まして、大阪へ帰って来る。その冒頭、『三十石』といえども、『京名所』の件りが、引っ付いているものもございますので、今月は、短いですけれども、その『京名所』だけを取り上げてみたいと思います。ここはしかし、近年は、故・五代目桂文枝氏や、桂米朝氏ぐらいしか、やってはれへんかったんですけどね。あんまり、おもろい部分でもなく、風景描写といった感じですからな。

 お伊勢詣りを済ませました、喜六・清八の二人連れ、帰りは、道を北に取りまして、大津・京都へと出てまいります。昔の東海道、三条通りを、蹴上(けあげ)・粟田口から三条大橋へとやってまいります。大阪には橋が無いと、清やんは言いますが、大阪は、『八百八橋』ちゅうぐらいで、た〜くさんに橋がある。天神橋・天満橋・淀屋橋と。しかし、それはみな、“ばし”。“はし”ではない。京はみな、“はし”。三条の大橋、五条の大橋と。言われてみれば、そうですなあ。分けても、この三条の大橋は、立派なもんで古い。天正十八年庚寅(かのえとら)正月・増田右衛門尉長盛(うえもんのじょうながもり)ちゅう人が、造らはった。太閤秀吉っさんが、増田長盛ちゅう人に、命じて、造らせはったという古いもん。今でも、三条大橋の擬宝珠(ぎぼし)に、刻み込まれております。四百年以上経った今でも、往時の姿はそのままに、三条大橋は、雄大な姿を見せております。

 これを渡りまして、三条通り、だんだんと賑やかになってまいります。有名な池田屋もございましたが、この近辺には、旅館や旅籠が多かったんですなあ。河原町を過ぎまして、タラタラ坂を降りますと、新京極。京極通りでございます。興行もんが多いとなっておりますが、新京極が開かれますのは、明治になってからでございますので、これも、時代によって、説明が変わってきたのでありましょうなあ。北から南へ。六角の誓願寺(せいがんじ)さんへ出てまいります。「誓願寺の和尚さんは、ぼんさんか?」『誓願寺の和尚さん、ぼんさんで』って、そら、子供の歌ですがな。しかし、この誓願寺の安楽庵策伝という、お方も、落語の祖とされる方の、お一人なんですね。火事の後、今は、コンクリート造りのお寺になってございますが、しかし、立派な阿弥陀さんでございますよ。

 今度は、蛸薬師っさんへ。これも、けったいな名前のお寺。というのも、昔、ここに池があって、夜な夜な、化けもんがでるという噂。退治してやろうという、お侍があって、池の周りをまわって、時刻を待っていると、大きな蛸が現われた。蛸て、海のもんですねけどね。そこが、池の主やったんですなあ。刀を抜いて、蛸を切ると、どうびん・頭が切れた。これが真っ二つに切れて飛んで、落ちたところが、東のどうびん・西のどうびん。って、そら東洞院・西洞院ですがな。後に残った八本の足を、串に刺して焼いたので、これで、蛸八串・蛸薬師。ニワカですがな。錦の天神さん、道場の芝居と、出てまいりましたのが、四条通り。

 今度はまた、元戻りするようですが、四条大橋を東へ。しかし、三条大橋のように、擬宝珠が無い。これは、お上が架けた公儀の橋と違うて、町人が架けた橋やさかいに、擬宝珠が無いと。ほんに、今でもございません。一昔前は、四条鉄橋いうてはりましたけどね。これを渡りますと、これまた賑やかな、と申しますか、粋な感じ。四条通りを挟んで、北と南に、北座と南座。南座だけは、今も残っております。北座は、井筒八ツ橋さんのビルで、櫓が差し向かいになってますねんね。『京の四季』ですわ。縄手・花見小路、一力・万亭と通り過ぎまして、突き当たりが、祇園さん・八坂神社。「ほんに、ぎおんさんな人やなあ。」って、シャレですかいな。円山・二軒茶屋から清水さんも見物をいたしまして、出てまいりましたのは、伏見街道。ただいまの、本町通り・本町街道ですかな。

 といったところで、今月は、早々と、退散をいたします。伏見人形を買う件りから、いよいよ、来月の本題『三十石』に入ることといたしましょう。


<25.7.1 記>


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