暑中お見舞い申し上げます。今年の夏も、お暑うございます。どないしまひょ?とりあえず、先月の続きでございます。ここからが本題と申しますか、長い。
出てまいりました伏見の街道筋、大阪へ土産を買うのを忘れたと、喜六は言い出しますが、ちょうど幸い、この辺は、伏見人形が有名ですので、子供の土産に、お人形さんを買うて帰ることといたします。伏見稲荷・お稲荷さんの周辺に、郷土玩具の原点・土人形の元祖といわれております、伏見人形を売るお店が、たくさんに並んでおります。お人形さんが割れても、その土が、元の稲荷山へ返るという言い伝えもございます。表には、いろいろと、飾って置いてある物もございまして、戎大黒なんかも、まるで生きてるように、ウマイこと細工したある。しかし、喜六は、暖簾の間から、首突き出してる丁稚のほうが…。って、そら、人間やがな。お人形さん、違う違う。
これも何かの縁と、この店へ入りまして、「あの丁稚、鼻ふいて、なんぼや?」って、そら無茶な。しかも、丁稚さんと違いまして、息子はん・跡取りですがな。「あんなもん、売ってしもて、また、新しいの、こしらえたら?」て、これも、無茶な話。「もうこの歳では…」「手伝おうか?」ややこしい話ですがな。「これは?」「福禄寿(ふくろくじゅ)、百七十を百六十におまけしときます。」「百六十が百七十で、福禄寿。」なんじゃ、分かりまへんがな。饅頭食いに、文使い・虚無僧人形など。寝牛は、子供のクサが治ると。「わいの言うような牛ないか?こって牛の背中に、鍋乗せて、豆腐と糸こんにゃく入れて、火にかけたら、ジューと鳴く牛。」そんな、すき焼きみたいな牛おまへんがな。「ほな、わし、その饅頭食いに、虚無僧人形・寝牛もらおか。なんぼや?」「五百でおま」「誰がぼやくねん」違いまんがな。
まだ、道を南へとりますというと、いよいよ伏見の浜へ。一名、寺田屋の浜とも申しまして、寺田屋さんという、大きな船宿さんがございます。表では、女中さんが、お客を呼び込んでおりますな。「へぇ、あんさん方、お下りさんや、ございませんか。そこの顔色の悪い方、あんた、下らんか?」「へえ、一昨日から、結してます。」って、便所行かずちゅう話、違いまんがな。京都から大阪へ帰ることを、“下る”と、言うてはりまんねやな。「大阪へ帰ってから下ります。」て、また丁寧に返事を返しておりますが、船が出るまでに、もうちょっと時刻がございますので、この寺田屋さんで、一服させてもらうことといたします。二階へ上がりますと、皆が退屈なもんと見えまして、旅日記を付けたり、爪を切ったり。中には、さいぜんの、伏見人形の、大きな寝牛を買うてまいりまして、荷造りしたあるのを、ほどかいでもエエのに、出してみて、横の火鉢に当たって、角を折ってる人も居る。あれ、慌ててついでも、つげるもんや、おまへんねけどね。
そうこうしておりますうちに、船宿の番頭さん、帳面と矢立を持って、上へ上がってまいります。所と名前を控えて、お上へ届けないかんねて。「わしは大阪や。今橋通り二丁目・鴻池善右衛門。」「私とこ、始終、お泊り願うとりまんので、よう存知上げとります。もっと、太ったお方で。」「こないだうちからの米高で、ドカッと痩せた。」「背の高かったように…」「道中歩いて、ちびって、低ぅなった。」んな、アホな。「わいは住友」「鴻池さんの次が、住友はんですか。」「福島羅漢(らかん)前の、炭屋の友吉。」炭屋の友吉で、炭友ですねね。「そちらの旦さんは?」「おいどんか?おいどんは、鹿児島県鹿児島市本町通り二丁目十六番、西郷隆盛じゃ。」「そんなお方、おへんわ。」「西郷ひく盛か」無茶やがな。「そちらのお女中は?」「わらわは、照手姫(てるてひめ)」「そちらの、お婆さんは?」「自らは、小野小町。」塩辛みたいな顔して。「そちらのご出家は?」「愚僧かな?愚僧は、高野山弘法大師。これにましますは円光大師。真言経を唱えるで、それへ書け。」て、帳面、真っ黒けになりますがな。「そちらの、お子たちは?」「むちゃちぼうべんけい」子供まで、なぶってなはる。「わし、丁寧に言うさかいに、丁寧に書いてや。おふさかよふり、三里南に当たる、泉州堺。」そら、最初から、泉州堺で、よろしいねや。「大道九軒之町・包丁鍛冶・菊一文字四郎兼高・本家根本。名古屋市新町通り二丁目同じく支店。」こら、堺から、名古屋に、包丁の支店を出す、新店のチラシ書き。もう、今度からは、名前だけでも結構ですと。「竹内梅之助・河合浅次郎・大橋駒次郎…」って、ぎょうさん名前書かされると思うたら、乗るのは一人。法事の配りもん、何軒あるて、葬礼やおまへんで。昔は、ここで、落語の中に出て来る人物名が入りましたし、今は、噺家さんの本名なんかが入れられますね。
番頭さん、皆に、なぶられまして、ビックリして下へ降りてしまいます。しばらくいたしますと、浜のほうから、「出しまっそう〜」「船が出るぞ〜」という、船頭さんの声。急いで、下へ降りて行く方もありますが、なかなか、船は出やいたしません。炊き立てのご飯に、アツアツのお汁が出たとこですので、箸置いて、降りてしまいます。が、これは、ご飯食べさせんとこうという、宿屋の計略でございますので、旅慣れた方は、落ち着いて、ご飯食べてから、ゆっくりと下へ降りてくる。店の前では、また、女中さんが、「お静かに、お下りやす」と、ベンチャラ混じりに、お見送り。わざわざ、わらじを履かいでも、宿屋の下駄を船まで突っ掛けて行って、浜で脱いどくと、下駄に焼印が押してございますので、それを、宿屋さんのほうで回収するという仕組み。船に乗り込みますというと、今度は、土産もんを売りに来る。「おみやどうどす。おちりに、あんぽんたんよろしおすか。」て、また、京ことば。おちりは、ちり紙。あんぽんたんは、砂糖の衣がかかった、おかきですな。「買えへんわい!そっち行け。」「まぁ、あんさんのお声、いっかいお声どすこと。」「大きな声とぬかさんかい。」「そんなこと言うたかて、京の言葉や、仕方が無いぇ。」「京、京て、京がどんなけ、エライねん。」「京は王城の地どすぇ。」「青もん食ろうて、往生の地じゃわい。」「京の御所の砂を掴みてみ」「どないぞなんのんか?」「どんな、いっかい怒りでも、落ちるぇ。」「大阪の造幣局の金掴んでみぃ」「怒りが落ちるんどすか?」「首が落ちる」
ウマイことオチが付いたところで、眠とうなったもんとみえまして、横になりかけますと、ここが、どうも船頭さんの通り道。「どきなされ」と言われて、頭どつかれる。「よう鳴るドたま」と、口汚く言い争いますが、そこは、故郷から出て来て、間もないような、田舎の船頭さんですから、主船頭の一人が間に入って、「こらえまえよ」と。そらそうですわ。馬方や船頭さんてなもん、荒くれない商売でっさかいに、口汚いもん。「なあ、船頭」「じゃかましいわい!」かえって、怒られてします。「お客さんよぅ、あと一人、お女中じゃけぇ、お頼みいたしますでのぅ。」って、船はもう、いっぱい。満員で、乗れませんが、中には、変わったお方も、居てなはる。どうもキレイな、お女中さんで、座る場所が無いので、この人の、ひざの上に乗せたげようと。二人一緒に、揺られて、八軒家に着く。聞いてみますと、帰りも、おんなじ方向。歩いて帰るのも邪魔くさいしで、人力俥・相乗りで。「相乗り幌かけ、ほっぺた引っ付け、てけれっつのぱ!」お女中の家へ着きますというと、中には、おなごしさんが一人で留守番。すぐに帰るわけにもいかず、甘いお菓子と、渋いお茶を飲んでるうちに、目配せが効いたかと見え、仕出し屋の出前が来る。酒肴の用意。ちゃぶりん・ちりん・トボン。杯洗の水がちゃぶりん、中の盃がちりん、当たって、下へトボン。芸が細かいですがな。女子はんは、顔の色が、ほんのり桜色。この男の人とは、色が黒いので、桜の木の皮色。最後は、ややこしいことに…。と言うてるところへ、先に、お女中の荷物。周りの人の頭に、戴かしてから、上に吊っておく。
「はいはい、親切なお方。どうぞよろしゅう、お頼みいたします。」って、やってまいりましたのは、お婆さん。お婆んでも、お女中やて。そらそうですわ。二十歳のお女中が、四人連れで…。って、合計の歳は、合うてるかもわかりまへんけどね。さいぜん吊った荷物を、降ろしてくれて。何が入ってるか聞くというと、ほうらくに砂が入ってる。要するに、おまる。しかも、試しに、いっぺんだけ、したて。エライもんや。ほどいた拍子に割れた。騒動ですがな。てなこと言うてるうちに、船頭さん、歩み板をば引き上げます。三間半・赤樫の櫂(かい)をば、突きますというと、船は岸を離れる。川の真ん中で、キリキリーっと船の向きを変えまして、ぼつぼつと、腕によりかけて漕ぎ出します。二丁の櫓には、四人の船頭が付きまして、下へ下へと。下座からも、お囃子が入りますが、そのうちに、船頭さんが、船唄を歌う。これも、民謡なんかで残っておりますが、有名なもんで。演者も歌いますな。声のエエ方は、聞きどころでもございます。中書島では、橋の上から、お女郎さんが、船頭さん相手に、声をかけて、遊んでおりますな。戦後でも、まだ、あの辺に、色街がございましたがな。唄の間に、いろんな話が入ってまいります。川堀りの役銭を集めて回るが、皆、寝たフリして、なかなか、寄附が集まらん。また、茶が欲しい、注いでくれと言う客には、川の水でも飲んで、土左衛門になりくされと。立ち上がった、お女中は、お手水へ。そんなもん、あるような船と違いますので、船べりから、お尻を突き出してやれと。船べりへ掛かると、船玉さまのバチが当たると、尻を突き出して。見とれているうちに、船頭さんは、はまってしまう。船歌のほうでも、おもろいもんもある。奈良の大仏っつぁんに、お乳飲ました、お乳母はんは、どんなデッカイ、お乳母はんであったかと。下座から、上り船の船唄が聞こえまして、すれ違う場面もある。
枚方の手前辺りまでまいりますと、東が、じんわりと白んでまいります。お百姓さんは、朝の早いもんで、もう仕事をしてなはる。ワラを打ちながらの、けったいな唄。また、糸紡ぎ唄に、機織りの唄。のどかな雰囲気が続いておりますところで、ポイと一人、陸へ上がった男が居る。どうも、怪しい様子で、大津から付け狙っておりました奴の、胴巻きの中から、寝ている隙に、五十両という金を盗み取りましたんやな。盗人ですわ。久々に、橋本か中書島、いっそ京まで戻って、膳所(ぜぜ)裏で一散財でもと、わらじの紐を結び直して、逆戻り。この様子は、犬でも分かると見えまして、そこらの野良犬が吠え付いておりますな。この犬のケンカで、ふと目を覚ましました、乗り合いの中の一人、五十両の入った胴巻きが無いことに気が付きまして、船頭に言い渡す。乗り合いの中を調べてみますが、怪しい奴は居てない。そういえば、さいぜん、枚方手前で降ろした奴が、どうも怪しい。あの時間に、あんなところで降りたからには、どうせ、上り船をつかまえて、京に戻るに違いないと、見当を付けます。そこで、この船の向きを変えまして、上り船に仕立てて、降ろしたとこら辺まで行くと、つかまえるであろうと、船頭は、引き綱を土手へ上げる。拍子に、船頭さんも土手へと上がりまして、綱を曳いて、船を引っ張る。案の定、「上り船か?」「上りじゃ」「一枚頼む」と、さいぜんの男。乗り込んできたところを、取って押さえて、調べてみますというと、五十両の金が出て来る。この盗人、京は大仏前の、こんにゃく屋の権兵衛という男でございます。金を盗られた人は、無事に戻って来たのでと、喜んで、五両の金を船頭に渡す。付け回した権兵衛は、役所へ突き出されて、一銭の儲けも出ず。船頭は、褒められまして、五両の金が入る。ほんに、“権兵衛ごんにゃく船頭が利”になる。と、これがサゲでございます。“権兵衛ごんにゃく しんどが利”という、ことわざに、掛けてあるんですな。こんにゃくというものは、大変に、作るのに苦労する。それが、利にはなりますが、その割りに、その利が薄いですからな。そういう意味みたいです。サゲまで演じられることは、ほとんどございませんね。
上演時間は、どこまでやるか、どこを入れるかで、随分と変わってまいりますが、まあ、三十分から、ゆうに一時間を越えるものもございます。長い話ですな。たいがい、落語会で、たっぷりと演じられるもののほうが、多いです。また、聞き応えもありますしね。先月の『京名所』の部分は、これも、演じられる方は、少ないです。故・五代目桂文枝氏は、引っ付けて、やったはりました。取り立てて、爆笑という部分が少ないのと、名所を見て歩くだけの、ダレる気も、しないでは、ございませんので。個人的には、好きなんですけどね。たいがいは、伏見人形を買う件り、また、伏見の浜へ着いたあたりから始まります。伏見人形も、盛んに作られていたんでしょうねえ。今でも、話の中に出てまいります、お人形さんは、売ってございますし、おもろいもんです。表情や動きに、ユーモアがありますね。おもちゃという感じの色彩にも。そして、寺田屋さんへ。坂本龍馬で、有名なんですが、それ以前に、大きな船宿さんやったらしく、寺田屋さん自体が、この辺では、有名やったんですな。今でも、その面影が残ってございます。帳面を付ける場面も、おもろいですわな。あんなん、誰が考えはったんやろ?先人達の積み重ねでございます。船に乗り込んでの、土産もん売りから、船頭との言葉の行き違い。これも、おもろいもんです。京都と大阪でも、違いますねやからね。もひとつ田舎になると、なおさらでございます。お女中のノロケの場面も、よく出来ております。相当な、長い妄想でっせ。引っ張って、引っ張っておきながら、最後は、おばあさんと。しかも、おまる持参て。船が出ましてからは、船唄を挟みながら、話が進んでまいります。こういう演出は、落語には珍しいもんですので、風情もございますな。だいたいは、この辺で、「三十石は夢の通い路でございます」と、切られることが、多いんですけどな。サゲまで行くと、こんな話になります。桂米朝氏ぐらいでしか、聞いたことございませんねやがね。
東京でも、故・六代目三遊亭圓生氏なんか、得意にして、やったはりました。内容は、ちょっと違う部分も、ございましたがね。まあ、土地柄もありますので、やはり、これは上方のものでございます。所有音源や、聞いたことのあるものも、た〜くさんにございますので、そこは、ちょっと、代表的なものだけにさせていただきますわ。故・三遊亭百生氏は、東京でのものですが、よくウケておりました。枚方手前の、唄のあたりまで、やったはりましたな。東京でで思い出しましたが、故・桂小南氏も、同様に、そこまでやったはりました。故・六代目笑福亭松鶴氏も、得意にして、やったはりました。五代目も、得意やったらしいですね。ノロケの部分を、引っ張って、引っ張って、楽しんだはりましたわいな。米朝氏は、そこを省いて、歴史に忠実な感じで、サゲまでやったはりました。故・桂枝雀氏との、リレーちゅうのも、聞いたことございますわ。近年では、文枝氏が、得意にして、たっぷりと、四十分ぐらい掛かって、やったはりました。初代の文枝という方が、この噺を質入れして、贔屓の旦那さんが、それをまた、受け出して、座敷で聞いたという逸話が残っておりますね。ですから、得意にも、してはったんでしょう。喉もエエ方でしたので、船歌が、今でも耳に残っておりますわ。笑福亭仁鶴氏は、お笑い中心で、やったはりましたかなぁ。枝雀氏も、たっぷり、爆笑でやったはりました。ノロケの部分が、おもろかったですなあ。そして、近ごろは、林家染丸氏が、得意にして、たまに聞かせていただきます。声がよろしいし、聞き応え・見応えもございます。故・桂吉朝氏も、聞き応えございましたんやがね。惜しいことに、早いこと亡くならはりました。
現在でも、人気のあるネタではございますが、昔ほど、たっぷりした、大ネタという感じのものは、少ないように思えます。あの、ワクワクするような期待感ではなくて、サラッとした、軽〜い感じになってきているように思えてなりません。『東の旅』より、『三十石夢之通路』ですよ。
<25.8.1 記>
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