今年の冬は、お寒うございます。京都でも、雪は、そんなに降りませんが、それでも寒い。毎年のことながら、寒さが身に染むようになってまいりますので、おそらく、私も、歳を取っている証拠と思われます。そこで、今月は、お寒い時分のお話で、御免蒙ります。『按摩炬燵』。題名からいたしまして、関係各位の皆様方には、毎度ながら、失礼を申し上げるかも分かりません。誠に申し訳ございません。“あんまこたつ”でございます。

 店のもんが、寄り集まりまして、番頭さんに直談判。何かいなあと思いのほか、寒い時分のこと、布団をもう一枚でも、下しおかれのことやて。要するに、寒うて、寒うて、寝られまへんちゅうこってすわ。薄い薄い、せんべい布団一枚では、なかなか寝られへん。しかし、番頭さんとても、同じ境遇で寝ております。というて、炬燵を使うわけにもいかん。今の、電気こたつではございません、炭団(たどん)や炭入れる、昔の炬燵でっさかいに、夜の夜さりに、火の気があるのは、危ないこと。とりあえず、番頭さんの一喝で、この件は却下。

 では、話が前に進みますまい。怒ってはみたものの、そこは、かわいそうですわな。奥の旦那さんや、ご寮さんには、なかなか言いにくい。というて、番頭さんが炬燵を使うわ、奉公人一統が炬燵を使うわでは、炭団が、なんぼあっても足らん。そこで、一計を案じました番頭さん、旦さんの療治が終わったと見え、帰りかける按摩はん、徳さんを呼び止めます。目がご不自由でございまして、揉み療治の、按摩はんをなさってございます。聞くと、もう回る家もなく、自分の家へ帰るのみ。それやったら、泊まって行ったら、どないやと。やもめ暮らしのことでっさかいに、帰ったところで、何をするでもなく、好きな酒を飲んで寝るだけのこと。

 邪魔くさいですので、それでは、夜通し、話を聞きながらでも、こちらのお家で、泊まって行こうということになりますわ。しかも、大好きなお酒付き。お酒を飲ましてもらいながら、寝さしてもらえる。寒中でも、酒を飲んでおりますと、体があったまって、汗をかくぐらい。っと、ここがポイント。要するに、タダで、飲ましてもらう代わりに、その、温まった体を貸して欲しい。番頭さんと一緒に、布団へ入れて。こら、ちょっと、おかしな具合になってきましたで。よ〜く聞いてみますると、炬燵になってくれて。人間炬燵ですな。あったまった徳さんに、足突っ込むて。こら、おもろい趣向。一合二合では、温もりませんので、そこは五合と決めまして、早速、お清どんが酒の燗を付ける。

 上燗上燗。湯呑みに注ぎながら、なんじゃかんじゃしゃべって、飲んでまいります。どちらのお店へ参りましても、帰りがけに、一杯・二杯、飲ませていただくことがある。おいしいのは、おいしいが、そこは、余りもんとか、お神酒の残りや、燗ざまし・燗ざ。こんな生地なりの、正真正銘のお酒は、なかなか庶民では、買い付けできひんと。目がご不自由ですので、佃煮なんかでも、手のひらに乗せてもらって、そのまま食べながら、つまみながら、だんだんと、酔いが回ってまいります。お見合いの話もありましたが…。

 こんなこと聞いてたら、夜が明けますがな。そろそろ炬燵になってもらいまひょ。四つん這いの形になりまして、番頭さん、続いて、手代や丁稚さんに、おなごしさんまで。右・左脇腹やら、頭や顔、お尻にも、次々と、足が入ってくる。最初のうちは、ワイワイ言うておりましたかと思いますというと、急に静かになる。昼の疲れが出たもんと見えまして、皆、すぐに寝てしまいます。そのうちには、オナラをかまされるわ、大きな声で寝言を言われるわ。挙句の果てに、顔に、寝小便。こらたまらん。おもろいですけどね。大騒ぎですが、徳さんは、もう帰らしてもらいますと。こら、かなわんと、皆で引き止めますが、もう炬燵はしまい。「何でや?」「今の小便で、火が消えました。」と、これがサゲになりますな。

 上演時間は、二十五分前後でしょうか。もっと短くも出来ますし、ウダウダと長くも出来ます。とりあえず、おもしろい題材ですので、笑い所はたくさんありますし、最後のほうは、もう見る落語で、見ないと、おもしろみが半減するかも分かりません。上記のものは、故・八代目桂文楽氏のものを、参考に書かせていただきました。東京もんですな。しかし、元来は、上方ネタでありまして、ちょっと冒頭の趣向が違います。名演で、よくまとまっておりますので、文楽氏のものを書かせていただきましたが、最初は、なんとなく炬燵になる型なんですな。というのも、療治が終わって、出て来た徳さんと、番頭さんの会話で、炬燵になると。ご当家は、火の始末に、誠に厳しいお家ですので、炬燵を抱いて寝るわけにはいかん。そこで、酒を飲んで、炬燵になったげまひょと。酒も、一升徳利で、徳利燗というやつ。葬式やおへんけど。風呂の湯で、つけはる方も、いはります。それに、この徳さんは、やもめではございませんで、奥さん居てなはる。目がご不自由ですけれども、知り合う機会があって、仲人してもろうて、夫婦になる。今でも仲がエエ。たらいで、背中の流し合い。このあたりの描写は、実は、故・桂枝雀氏の、『くやみ』に入っておりまして、よくウケる場面なんですなあ。故・初代桂春團治氏の『按摩炬燵』は、十八番といわれておりまして、呼び声が高いのですが、この夫婦のノロケに、お笑いが多かったみたいです。SPレコードの音源も、ここで終わっておりますねやね。

 ですから、元々が、どれだけのネタであったのか、私も詳しくは存じませんし、また、現在では、公の場で、演じることが出来ない場面も、ございますでしょうから、ちょっと、詳細は分かりかねます。勉強不足で、誠に申し訳ございません。ただ、話の、筋の運びといたしましては、文楽氏のもののほうが、分かりやすいと思い、載せてみました。近ごろでは、笑福亭鶴志氏が、『徳兵衛炬燵』の演題で、按摩はんが登場しない、碁打ち終わりの、普通の人の型で、演じられておりました。よくウケておりましたし、おもしろいものでした。故・六代目笑福亭松鶴氏も、一部、聞いた記憶がございますねやが、不確かなもので、すみません。おもしろいネタですので、ぜひ、形を変えてでも、お寒い時候には、ちょいちょい聞かせていただきたいものですな。


<26.2.1 記>


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