
今年も、花粉症に悩まされました。例年のことですから、慣れてはおります。おりますけれども、やはりツライ。今年は、寒い日が長く続きまして、三月でも、よく雪が降っておりました。ですから、花粉の飛散も、遅い目でした。いつもなら、桜の花の咲く頃には、随分と、ましになるものですけれども、今年は、花盛りでも、まだまだ、くしゃみが止まりませんでした。そこで、今月は、上方落語でも、爆笑編でございます、『くっしゃみ講釈』を、お届けいたしましょう。しかし、この“くしゃみ”の間に、小さい“っ”の字が入るのは、やはり、関西弁なのでしょうか?
主人公が、表から入って来ますというと、だいたいは、お話の始まりで。ちょっと顔を見せなんだと思うてたら、“カイサ”へ“ゴト”で。要するに、三ヶ月ほど、仕事で、堺へ行ってたて。しばらく見ん間に、この町内の様子も変わったて。夕べ、横町の化けもん屋敷の前を通ったら、ぎょうさん化けもんが出て来た。これは、化けもん屋敷を改装して、講釈小屋になったんですて。小屋が新しいところへさして、先生が上手、読みもんがおもしろいと、毎晩大入り満員。「先生いうと?」「前方は、東京に居てなはった、後藤一山というお方や。」「まあ。聞いて、聞いて。わい今年二十六や。」て、何の関係も無い。初めて女がでけた。それも、今小町と評判の、小間もん屋のおもやん。これを磯屋裏へ呼び出して、薄暗い中で、ヒソヒソ話をしてた。そこへ、この後藤一山が入って来よった。見つかったらいかんと思うて、二人で、日が暮れのコウモリみたいに、塀に、へばり付いてたて。後藤一山、路地口で、何か踏んだみたいで、『雪駄の裏へ、にんやりと出でたは、土にしては、粘り気も、少々、これ有り候。犬糞(けんふん)でなくば良いが。』と、月にすかしてみて、『案に違わず、犬糞・犬糞。拭くのも異なもの、どこぞへ、なすくっといてやろう。』と、主人公の鼻の頭へ。『わぁ』という声に驚いて、おもやんも、講釈師も、逃げてもた。後に残ったのが、この人と犬糞の二人連れ。って、おかしなもんと。
この前は、邪魔が入ったのでと、もう一回、おもやんを呼び出したんやが、犬糞で鼻を押さえられて、応対の一つもでけんような人間と、一緒になったところで、末に見込みが無いと。犬糞のために、破談になるとは、こんな“クソ”おもろもない。って、シャレやがな。腹が立ってしょうがないので、これから、講釈場に暴れこんで、講釈やれんようにして、仕返しがしたいと。そんなことしたら、警察沙汰。たとえ、一時でも、講釈やれんようにしたら、腹の虫が収まるというので、政はんは、エエ知恵貸しますわ。八百屋へ行って、コショウの粉を買うてくる。これを、講釈やってる前で、火鉢の火にくすべる。煙が鼻へ入ると、えぐいクシャミが出る。そこで、文句の一つも言うて、帰って来ようという算段。こら、おもろい。「で、なんやら、買うてくんねんね。どこ行って買おう?なんぼほど?」て、この人、物忘れがひどい。そこで、エエ目安を教えてもらいます。のぞきからくりで有名な、『八百屋お七』の中で、お七の色男は、小姓の吉三。行き先が八百屋で、買い物がコショウ。手に二銭を握り締めまして、横町へ。
八百屋まで来ましたが、ここで、何買うのか、忘れてしもた。クシャミの出るもん言うても、そんなもん、店の人、分かりますかいな。大きな口開けて、覗いてもらいますが、見えるわけもなし。「お伝馬町より引き出され…」と、からくりの文句は、すぐ出て来る。おもろいもんですな。八百屋の店先で、大きな声で、からくり一段語ってしまいます。周りは、何事かいなあと、大勢の人だかり。「わしのやってるのは、何や?」「からくりでっしゃろ」「からくり二銭…違う」「八百屋お七のからくり」「お七を二銭…違う」「小姓の吉三」「コショウ。そいつや〜そいつ」やっと出て来ました。コショウの粉ですがな。「コショウ二銭」「拍子の悪い。昨日から売り切れ。」って、災難ですな。そら無いわ。「他に、火鉢にくすべたら、クッシャミの出るもんないか?」「それやったら、トンガラシ。」と、トンガラシ・唐辛子の粉を二銭買うてまいります。コショウより、トンガラシのほうが、キツそうですけどね。
政はんの家へ帰ってまいりまして、これこれと説明しますが、政はんも、呆れてますわいな。そら、からくり一段語って、おまけに、コショウ売り切れで、トンガラシ買うて来たて。講釈場というものは、続き読みでっさかいに、常連さんの場所が決まってる。早いこと行かな、前の場所が取れんと、せかされながら、やってまいりましたのが、講釈場でございます。一番前に陣取らんと、何にもならん。しかも、収まって、座ってるだけでは、いかん。お茶子さんに、火鉢を貰いまして、早速に、トンガラシの粉を…。って、先生、まだ出てはれへん。扇子で扇いで、この煙を政はんのほうへ、「へっくしょん」「これやったら、トンガラシでも大丈夫。」って、予行演習ですがな。言うておりますうちに、上がりましたのが、後藤一山。どうも三席の予定みたいですが、まずは『難波戦記』。大阪夏の陣の様子。ここで、演者が、講釈・講談を語りますが、なかなかにウマイもん。って、感心して、聞いてたんでは、何の意味も無い。いよいよ。トンガラシの粉をくべまして、黄色い煙が上がってまいります。「へっくしょん。これは、失礼をいたしました。」と、最初のうちは、謝っておりますが、そんな程度の話ではございません。次から次へと、クシャミの嵐。「なぜ今夜は、このようにクシャミが出るのであろう。皆様方、半札とは思いますれど、丸札を差し上げまするで、どうぞお帰りを。」と、次回無料券をもらって、皆が帰る。ここで、この二人、悪態をついて、文句を言いまして、胸がスッとして、しかも、なんじゃ、けったいな、虫の歌を歌いながら、帰りかける。「あいや、そこへ行くお二人さん。他のお客さんは、気の毒じゃというて、黙って帰られたが、あなた方二人、なんぞ私に故障でもあるのですか?」「コショウが無いさかい、トンガラシくすべたんや。」というのが、サゲになりますな。故障が入るの“故障”と、コショウの粉の“コショウ”が掛けてあって、コショウが無いので、トンガラシになったのであると。
上演時間は、三十分ぐらいですか。お笑いの多いネタですので、よく演じられておりますし、おもしろいものですな。中身は、いたって古くさい芸能が出てまいりますが、そんなに古さは感じられないぐらいに、それ以上に、爆笑編でございます。冒頭は、後藤一山に仕返しがしたいとの話。これも、よくでけたもので、犬糞の雑巾代わりにされたて。そやけど、後藤一山は、偶然に次ぐ偶然で、悪意は、無かったんでしょうね。そして、政はんに、エエ知恵を出してもらいまして、講釈をやれんように、考えます。コショウをくべて、クシャミを出すて。私も、もちろん、こんなこと、実際には、やったことございませんので、詳しくは存じませんが、えげつないんでしょうなあ。忘れの目安が、『八百屋お七』のからくり。のぞきからくり。そして、中盤、これを八百屋はんの店先で語ると。そら、人だかり出来ますわいな。これだけでも、十分、おもしろいん。そこで、コショウが売り切れで、トンガラシと。これを持ちましての終盤、講釈場での様子。講釈の部分は、なかなか難しいんでしょうねぇ。また、その合間合間に入る、クシャミのタイミングも、演者によりけりで。
東京でも、ございます。しかし、講釈の部分は違いますし、コショウを買いに行く場面が無かったり、演出が、かなり違うように思われますが、いかがなのでございましょうか?勉強不足で、私も、詳しくは、存じませんが…。所有音源は、桂米朝氏、故・桂枝雀氏、桂福團治氏、故・桂吉朝氏などなど、また、たくさんの方のものを、聞かせていただいております。有名なネタですもんね。米朝氏は、笑いを取りながら、最後に、ヤマ場を持って来るというものでした。枝雀氏は、爆笑に次ぐ爆笑で、腹抱えて、笑いましたな。コショウ売り切れで、見台引っくり返って、コケてはった。福團治氏も、爆笑で、クシャミが出そうで出ない、表情が豊かなものでした。吉朝氏も、笑いを取ったはりました。内容は、ごく、お古いものなんですけどねぇ。今でも、ニュース番組で、アナウンサーが、立て続けに、クシャミしたらとか…。
<26.5.1 記>
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