さて、今月は、先月の続き、『東の旅』より『七度狐』をお届けしたいと思います。前回、すり鉢に入ったイカの木の芽和えを食べた喜六・清八の二人、足がついてはかなわんと、そのすり鉢を草むらに放り投げます。しかし、ちょうど昼寝をしていた七度狐という、一回人間に仇をされると、七回だまして返すという、悪い悪い狐の頭に、そのすり鉢が当たって、額から血がタラタラッ。“悪い奴なあ〜”と、下座で来序が入り、狐は仕返しに二人をだますこととなります。この来序という鳴物、“テン、ドロドロドロドロ…”というおなじみの、狐の出に使われるもので、他に落語では『天神山』や『猫の忠信』、歌舞伎では『吉経千本桜』なんかでよく使われるポピュラーなもんでんな。

 しばらくすると、前には大きな川。何回かお伊勢参りをしている清八は、こんなところに川はなかったといい、喜六に石を投げさせると、バサバサという音。やっぱり大水でできた急な川と判断し、着物を脱いで笠にくくり、ふんどし一丁で二人連れ立って川を渡り始めます。ここで下座から『いろめき』が入りますが、この辺はのどかで非常に風情がありますよねえ。横で見ていたお百姓さんに、川なんかではなく、ただの麦畑で、狐にだまされてるんやと教えられ、またもとのように道中を続けます。

 すると、今度は日も暮れて細い山道をトボトボと、凄味の合方が入る中、喜六は、“何も出えへんか?”と清八に聞きますが、“出たところで亀。頭に尾のついた亀。おかめやのうて、お〜かめ、オーカミ”というやりとりがありますが、この話ができた時分には、まだオーカミが日本の山の中にいたんでしょうねえ。たしか、明治時代に日本では絶滅したのではないかといわれてますので、やっぱりそれ以前は結構一般的に怖い動物として、庶民の間でも認識されていたんでしょう。そんな中、一軒のお寺を見つけて、泊まらしてもらうこととなります。尼さんが一人だけの庵寺ですが、なんじゃ“べちょたれ雑炊”を食べたりしながら、本堂で休むことにします。しかし、この尼さん、下の村の金貸しのおさよ後家というおばあさんのお通夜へ行くことになり、二人に留守番を頼みます。この本堂のお灯明、ろうそくの火が消えたら、骸骨が相撲を取ったり、幽霊が子供を抱いて現れるので、火を消さないようにと言われながら、本堂で二人でいると、お灯明の油がなくなりそうな様子。徳利で注ぎ足すと、これが醤油で、火は消えてしまいます。そうこうしているうちに、遠くの方からひとかたまりが、『なんまいだ〜』という下座の声と共にやってきます。聞くと、おさよ後家が棺桶の蓋をはねのけて出てくるので、庵主さんにお経をあげてもらおうとやってきたとのこと。つまり、庵主さんと行き違いになったんですな。邪魔くさいので置いて帰ろうということで、棺桶は本堂に置かれたままになります。すると、やがておさよ後家が棺桶の蓋をはねのけて、それへズ〜ッ。幽霊の出にはおきまりの、大どろの後、寝鳥の合方が入り、二人は伊勢音頭を唄わされることになります。ここら辺は、『夢見の八兵衛(夢八)』と同じ趣向ですな。

 と、これも、狐にだまされているのだと、さっきのお百姓さんに教えられ、やっと正気に戻ります。実は、狐がムシロを持って立っていたんですな。こらしめたろうと、お百姓さんが狐を捕まえようとしたあげく、“こら、ええかげんに人を化かさんかい”というと、狐が“お前らも、ええかげんに庵寺つぶしとかんかい”、とか、また、お百姓さんが“こら、狐、ええかげんに旅のもんをばかさんと、土地のもんをばかしやがれ”というと、狐が“お前ら、色男ぶって、庵寺つぶすな〜い”などと、これが本来のサゲになります。これは、“(さっきまでだまされていた)庵寺をつぶす”という意味と、バカなことをするなという意味の“あんだらつくす”をかけて、サゲにしているのですが、“あんだらつくす”という言葉自体が死語ですので、現在では全く通じませんし、また、このサゲで演じられることもほとんどありません。そこで、お百姓さんが狐のしっぽを捕まえますが、狐は逃げようとする、お百姓は逃がすまいとする、ここで、“しっぽが抜けたと思たら、畑の大根抜いておりました”と、このサゲを現在では一般的によく使われています。これは、先代、初代の桂小南氏が考え出されたのではないかといわれています。私も、このサゲの方が分かりやすいし、また、おもしろいので、この方が良いと思います。また、“これから五度だまされる、七度狐でございます”と、サゲなしにされる型もありますねえ。これは、元来、『七度狐』というぐらいで、本当に七回だまされたらしく、宿屋町へかかったり、大名行列に出会ったりする件りがあったので、途中で切っているわけであります。しかしながら、私もその部分は一回として聞いたことがありませんので、おそらくもう滅びているのではないかと思われます。

 と、思っておりますと、近年、後述もしますが、桂文珍氏が、独自のお考えで、ここの部分を創作され、立派に七度だまされるという、筋書きで、新に演じられております。なかなか興味深いものです。

 さて、先月の分から含めますと、『発端』から『七度狐』までで約一時間ぐらいはかかると思います。現在の型でいくと、『発端』から『煮売屋』あたりまでを『東の旅』、『煮売屋』と『七度狐』で『七度狐』、また『七度狐』だけを独立させて『七度狐』などとして、一席物で演じられることが多いみたいでありますな。それでも、『東の旅』で三十分、『七度狐』で三十分ぐらいはかかりますかねえ。ただ、『七度狐』単独で独立させる時には、最初は、二人の投げた石ころが狐の頭に当たって、狐が怒るというところから入るみたいですな。また、『奈良名所』の部分は単に奈良の名所を細かく語っていくだけということなので、短くしたり、全く飛ばされたりして、演じられないことも結構よくあります。

 ちなみに、それぞれ単独でサゲをつけるのであれば、『奈良名所』では、大仏さんの小噺をつけて終わったりましすな。つまり、東大寺の大仏さんの目が体内に落ちこんで、えらいこっちゃと騒いでいると、職人風の親子連れが出てきて、子供が大仏さんにのぼって、目を直しましたが、子供は体内に閉じ込められた。どうすんねやろうと見ていると、子供は鼻から出てきた。これから、賢い子のことを“目から鼻へ抜ける”というようになったという、よく桂米朝氏が『鹿政談』のマクラに使うたはるやつをサゲにしたりするんですな。『野辺』で切る時には、くたびれて歩けないという喜六が、“足がわらじを食うて歩けん”というと、清八が“それもいうなら、わらじが足を食うというねん”“そうとも限らん。最前の道者(どうしゃ)は、頭が笠着てる”であるとか、“足に○○ができた”“なんや豆ができたんか”“大きい声で言うな。向うで鳩が聞いてるがな”とかいうサゲをつけたりするそうですが、私はここで切らたものを聞いたことがありませんので、実際にはよく分かりませんなあ。また、『煮売屋』で切る時には、先月の“酒くさい水や”でサゲにして切られますねえ。

 全編通して、前座ネタとはいいながら、やはり『七度狐』の件りなんかでは、なかなか難しいところもありますな。その『七度狐』は別としても、元来からそんなに大笑いのできるネタではありませんので、なかなか言葉遊びだけでは笑いを取るのは難しいですね。また、下座のお囃子がふんだんに入りますので、にぎやかにはなりますが、そのきっかけのタイミングなんかも修行の一つなんでしょう。昔は、ハメモノの入るネタで、演者のきっかけが下手だと、下座のお囃子を入れてもらえない、なんてこともあったそうであります。

 所有音源としては、故・桂小文治氏で『煮売屋・七度狐』、故・三遊亭百生氏で『野辺・煮売屋・七度狐』、故・桂小南氏で『煮売屋・七度狐』、故・笑福亭松鶴氏で『野辺』、故・桂米之助氏で『発端・奈良名所』、桂米朝氏で『七度狐』、笑福亭仁鶴氏で『煮売屋・七度狐』、故・桂枝雀氏で『野辺・煮売屋』、林家染丸氏で『七度狐』、桂文珍氏で『野辺・煮売屋・七度狐』、桂福楽氏で『煮売屋』、桂小枝氏で、『野辺・煮売屋』、故・桂吉朝氏で『発端・野辺・煮売屋』、桂九雀氏で『七度狐』、他にも故・桂文我氏の『発端』なんかも聞いたことがあります。小文治氏のものは、非常に古風な型で、おさよ後家だけではなく、本当に骸骨が相撲をとる様子や、幽霊が子守唄を歌う様子が入っていて、また、サゲは元来の“庵寺”でありました。百生氏のものでは、煮売屋のおやっさんがとても愛想よく、また、庵主さんが妙に色っぽいしゃべりで、なかなか乙な感じがする、陽気なものでありました。小南氏のものは、煮売屋のおやっさんの描き方が独特でおもしろく、まるで百生氏と正反対のような感じのおっやさんであります。また、庵主さんが現れたところで、“ジャンケ〜ン”というギャグが入っていたりして、本来の上方のものとは少し変えておられるみたいでしたが、非常に良いものでありました。東京では、小南氏が結構得意ネタにしておられたみたいです。なお、百生氏・小南氏は共に、“これから五度だまされます”と、サゲをつけておられませんでした。松鶴氏のものは、ハメモノをレコード化した時の抜き語りしか聞いたことがありませんが、後づけの文句と吉兆廻しの下座の息がピッタリで、良かったですねえ。米之助氏のものも、高座ではなく、ラジオでの抜き語りしか聞いたことがありませんが、淡々とした語り口調が、やはり米之助氏特有のもので、昔の噺家さんの修行とは、こんなんだったんだろうなあと推測してしまいます。たしか、初舞台で、このネタを上演中、『野辺』の伊勢音頭の流れる中、懐に入れた手が出せなくなって、松鶴氏が舞台に出て、手を出した、なんていう話を聞いたことがリます。米朝・吉朝氏のものは、リレー落語のもので、吉朝氏は適度にうまく笑いを取っておられました。米朝氏の『七度狐』はさすが!です。二人で川を渡るところのしぐさ、中腰になるあたりなんか最高ですねえ。昔は、結構得意ネタにしておられたらしく、特別な会なんかの時は、『発端』から『七度狐』まで通しで、たっぷりと演じておられたようであります。仁鶴氏のものは、お若い時分の頃のものですが、大爆笑を取ってはります。声の張りが良くって、アホさ加減が、なんともいえん、おもろいですな。最後は、お百姓二人が、狐にだまされて、自分とこの畑の中で、「深〜いか、浅いか」で、サゲておられました。枝雀氏のものも、やはり大爆笑でしたな。型の崩せないこのネタを、見事に枝雀流にしておられました。染丸氏のものは、狐のしぐさがとてもキレイで、やはりきっちりとしたイイものでしたわ。文珍氏のものは、あちこちを短縮しておられましたが、結構笑いを取っておられました。また、近年のものでは、七回だまされて、サゲをつけるという、新解釈もされておりますね。福楽氏のものは、東京の『二人旅』を逆輸入という形で、演題も、『二人旅』とされております。時間が限られた中で、うまくまとめられて、煮売屋の看板で、キレイにサゲをつけておられました。笑いも多かったですし。小枝氏のものは、意外と型通りで、それはそれで、違った意味で、おもしろかった。九雀氏のものは、古風な中にも現代的な感覚が入っていて、これはこれで非常におもしろく、淡々とした語り口調が良いですねえ。

 米朝・米之助両氏の師匠、故・桂米團治氏が高く評価された、この『東の旅』というネタ、やっぱり次世代に忠実に語り継がれていって欲しいものでありますな。

<13.4.1 記>
<18.2.1 最終加筆>


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