
押し詰まりました。もう十二月。で、ネタも尽きてきましたところで、今月は、お珍しい『松医者』で、締めくくりたいと思います。オーストラリアのシドニーにいる知り合いから、盆栽の話がありまして、こんなものを思い出しました。向こうで、盆栽作ってくれいうて、頼まれたんですと。しかし、なかなか、奥の深いものでござりまして、日本人全員が、盆栽できるとは、限らしまへんで。
話というのは、おもしろいもんで、ある男の出入り先の、ご隠居はん、近ごろ、ちょっと機嫌が悪い。というのも、可愛がってる、盆栽の松が、枯れかかってるて。見せてもろたが、素人目に見ても、どうも、元気がなさそう。色も変わってきてるて。どんな植木屋に見せても、寿命でございますと。諦めりゃぁ、そんでエエのかも、分からんけれども、だいたい、松てなもん、千年の齢(よわい)を保つちゅうぐらいで、育て始めたけれども、ご隠居はんより、はよ枯れた、寿命やてなことでは、ご隠居はんの命も、長うないのではないかと、意気消沈。そこで、何か、機嫌を直そうと、機嫌を取り戻そうといたしますが、なかなか、ウマイこといかんて。
「ちょっと、わし連れて行って。」この話を聞きました、主人公の男が、エライ乗り気。植木の医者で、松は十八番やちゅう触れ込みで。「それ、銭出しよるやろ。」「そら、なんぼでも、出すに違いないわ。そやけど、しくじったでは、困るで。」「任しとき」と、エエか悪いか、相談がまとまりまして、ご隠居はんのところへ。これこれこうでと、ご隠居はんに、紹介をいたしますと、大喜び。植木の医者で、松は十八番ですと。どれどれと、見せてもらいまして、かなりの重態ですが、治らんことは無いと。しかし、少々、高う付くのと、入院ささないかんて。大阪では、具合が悪いので、空気のエエ、大和のほうへ、出養生。しかし、治らなんだら、お金は、いただきませんと。それでは、よろしく頼みますと、盆栽を抱えて、家を出て来る。どないなりまんねやろ?
その実、植木屋がアカンいうてるもん、治るわけが無いやて。内実は、大阪じゅうの植木屋走り回って、似たような松探して、植え替えするて。なんぼ付いても、かまへんねやさかいにね。ほんで、ちょっと日数置いたら、向こうのご隠居かて、細かいとこなんか忘れてるさかいに、松に違いは無いと、納得しよるやて。エエ銭儲けですな。エライ算段を付けよったもんで、盆栽を探し回ります。ま、おんなじようなもんは、あるもんで、ほぼ似たもんを見付けまして。二十日ほど置く。
忘れた頃になりまして、これを持って、ご隠居はんの所へ。「大和のな、空気のエエところで、養生をいたしまして、元気になりました。」と、件の松を。「ほう、青々と、元気になったわい。感心な。高ぅ付いたやろ?」「へえ、三百円。」「三百円とは、法外な。」「へえ、随分と高い薬も使いましたんで。」「なるほど、元気にはなったが、おまはん、あんまりエエ薬を使い過ぎたんやないかえ?」「なんでだす?」「木が違うてしもたがな。」と、これがサゲになりますな。気が違うとのシャレですわな。あんまり高い値段を言い過ぎましたんでね。
上演時間は、十分から十五分程度でしょうか。土台、小噺を膨らませたような噺ですので、どちらかと申しますというと、寄席向きでしょうか。でも、そんなに上演頻度はございません。珍しい噺です。おもしろいような、おもろないような。あんまり、盛り上がりが無いといやあ、そうなんですが。どないぞなんのんかいなあと思いきや、案外、思ったとおりで、バレて、どないもならんと。そこは、話の持って行きようかも分かりません。
東京では、『拝領の松』という題で、お侍の話になってるみたいです。実際には、私も、聞いたことがございませんねやが、そのほうが、おもしろいかも分かりませんね。拝領した松を枯らしてはならぬと、算段するというような。もっと、大仰な噺ですから。所有音源は、故・桂米朝氏のものがあります。と申しますか、米朝氏のものしか、聞いたことがございません。普通に、淡々としゃべったはりました。多分、何か、特別な会の時のものだと思います。普段でも、やってはれへんかったと思いますし。今となっては、繁盛亭の寄席なんかでは、聞きやすいかも分かりませんね。また、来年をお楽しみに、良いお年を、お迎えくださりませ。
<27.12.1 記>
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