新年、あけましておめでとうございます。どうぞ本年も、この上方落語のネタをよろしくお願い申し上げます。お正月の初席にふさわしく、短い噺、しかも、お珍しい噺で、ご機嫌を伺います。演題は、『焼き塩』となっておりますが、本来は、やはり、『泣き塩』なんでしょう。サゲが分かるのでね。おおよそ、昔の話で、頭にまだ、ちょんまげが乗ってた頃のお噂でござります。
昔々は、字が書けん、読めんちぇな方、往々にあったようでして、特に、女性ともなりますと、なおさらやったみたいですな。女に学問なんか要らんちゅうので、奉公に出されます。と、田舎から手紙がまいりましたが、自分では読めん。誰かに読んでもらいますねやが、そこの家の事情もありますので、たいがい、読んでもらう人が決めてあったんやそうですな。しかし、その人がいないとなると、困りますわいな。留守の所へ、田舎から手紙が来た。つい先だって、村の人に会うことがあって、聞いた話では、この、おなごっさんのお母さんが病気で、患うてるて。それが気になって、一刻でも早う、手紙を読んで欲しい。しかし、いつも読んでもらう人は、留守。他の人に読んでもらうと、秘密ごとがあってもかなん。
ふっと、表を見ますと、若い侍、浪人ものらしいのが歩いてる。この人に読んでもらおうと、往来へ駆け出します。母親の病気が気になっての一心で、一生懸命でございます。「お願いがございます」と、事情を説明して、侍に手紙を差し出す。侍のほうは、中を開けて、二・三度読み返したかと思うと、涙が…。「もう間に合わん」て。そら、悪い知らせであったのかと、おなごっさんのほうも、ワーっと泣き出した。道の真ん中でっさかいに、往来を歩いている人が、不思議そうに見る。そこへ、『やきしお〜』と、塩売りの親爺が通りかかる。どう見ても、おかしいですわな。どこぞのおなごしが、手に手紙を持って泣いてる。また、若い侍も、道の真ん中で泣いてる。はは〜、こら、色恋沙汰やなと。身分違いの恋というやつで、そんなおなごし風情と、一緒になるわけにはいかんちゅう手紙、しかも、おなごっさんには、おなかの中に子があると見た。って、エライ早合点。若い身空でと、この親爺も、もらい泣き。
周りで見ているもんのほうが、おかしい。また一人増えた。おなごっさんに声を掛けてみますと、手紙を読んで欲しいと、お侍さんに頼んだら、泣き出されたので、こらどうも、母親が、とうとう…。で、そのお侍さんに聞くと、「いやいや、そうではござらん。」と。実は、この方、浪人なんですけれども、幼少の頃から、剣一筋に修行を重ねて来はったんで、学問のほうが、おろそかになってしもた。要するに、字が読めん。仮名ぐらいやったら分かるけれども、難しい字は、読めんちゅうことですわ。常々、文武両道を言われてきた父親の言葉が身にしみて、往来の真ん中で、字が読めんことを恥じて、思わず、涙が出たて。「間に合わん」て、そらそやわ。今から勉強しても、間に合わんちゅうことですわ。
そこで、間に入った、この近所の人が、手紙を読んでみますと、その同じ村の人に会うたという話やが、母親の病気は、程なく本復も近く、床離れが出来そうなので、心配しないでくれという内容。要するに、安心してくれいうこってすわ。そうなりますと、分からんのが、塩屋の親爺。「あんた、何で泣いてんねん?」「いや、わたい、商売が『なきしお〜』。」と、これがサゲになりますな。言うことなくなって、建て前の売り声、『やきしお〜』が、『なきしお〜』になったと。
上演時間は、マクラを引っ付けても、十分程度でしょうか。小噺のようなもので、寄席なんかでは、演じられたかも分かりません。ただ、時代錯誤も甚だしい話で、説明が要りますので、現代では、なかなか演じられません。そこまで説明して、演じるほどなのかどうかということですわな。昔の塩は、今の塩化ナトリウムの食塩と違いまして、塩田から、海水で摂るものでありまして、にがり成分、不純物が多かった。これが、湿気で湿るんで、ほうらくなんかで、焼いて、煎って、焼き塩として売っておられたということ。また、字の書けん読めん人が、往々にしてあったということ。これが大きな説明要素でござります。やはり、実体験として、知っているのと、知識だけのとでは、おもしろさは、格段に違うんでしょうけどね。
東京でも、同じようにしてございますし、東京の噺であると思います。ただ、それとても、あんまり演じられておりませんね。所有音源は、故・桂米朝氏のものがございます。実に淡々と、小品ながら、まとまった話となってございますね。おなごっさん・お侍・塩屋の親爺と、三者三様の描き方、また、泣き方で。この手のものは、なかなか残りにくいですけどな。誰が考えはったんやろ?
<28.1.1 記>
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