先月、突然、桂米朝氏が、“来年一月以降の独演会は、やめよかしらん”と発言されたという報道がなされ、各スポーツ紙なんかでは、“事実上引退”という大見出しが出て、大騒ぎになりました。とはいえ、内容はそないに大層にいうほどのものではなく、自分だけの“独演会”という形式のものはやめようというぐらいの気持ちで発言されたものらしいです。そらそうですわなあ。七十五歳にもなって、もうそないに体力も続きまへんわなあ。まあ、そんなこんなで、事情はあるんでしょうけど、ファンの一人としては、ちょっとだけ寂しいもんで、そんな思いを心に持ちながら、今月は米朝氏の得意ネタ、十八番を選ぼうと思い立ちました。といっても、アホほどありまんねん、これが。まあ、その中で、六月にふさわしい、ジューンブライドのネタで、持参金を選びました。内容は、全然ジューンブライドに似ても似つかんもんですけど…。
主人公の“やもめ”の男の家に、朝の早うから、あるお店の知り合いの番頭はんが入ってくるところから話は始まります。“感心ななあ。昔から、早起き三両、宵寝(よいね)は五両てなことをいうさかいになあ。”とかなんとか言いながら、番頭はんは前に貸していた二十円を今日じゅうに返してほしいと言い出します。有無を言わさずに出ていった後に入ってきたのが、金物屋(かなもんや)の佐助はん。“早起き三両、宵寝は五両”“いや、もうそれは済んでまんねん。昔の人がいうてることて、あてにならんわ。三日(さんじつ、つまり三のつく日)に小豆炊いたら、火事にあわんて、座摩(ざま)の前のぜんざい屋は、年がら年中、小豆炊いてるけど、三べんも火事におうたがな。火遊びする子は寝小便するいうけど、寝小便する子を鍛冶屋に奉公に出したら、寝小便が治ったぐらいやがな。”と、だんご理屈を言う主人公。おもろいでんなあ。これらの諺(ことわざ)は、関西のもんですわ。東京では、通じないものもあります。“早起き…”は、東京では、“早起きは三文の得”になりますねえ。今日では、“三文の得”の方が全国で一般的になっています。
まあ、そんなことはいいとして、この佐助はん、主人公のやもめに縁談を持ってきたんですな。“一人口(ぐち)は食えんけど、二人口は食える”と、また諺を言いながら、相手の女性のことを言い出します。歳が二十二、色が黒くて、背が低い。でぼちんが出て、花がへこんで、頬べたが盛り上がり、あごがでてんので、コケても鼻は打たん。”と、『宿屋町』に出てくる大津の宿のおなごしさん同様。“目は小さいけど、口は大きい。左右の眉毛の長さが違うところに愛嬌がある。右の目尻に、はつれがあって、左の口元に、あざがあるし、入れ合わせはできたある。炊事や洗濯は何をやらしても半人前やけど、メシは四人前食う。人の応対やら挨拶はようできひんけど、いらんことはよ〜うしゃべるわ。仕事は遅いけど、つまみ食いは早いで〜。ここに一つだけキズがあんのは、お腹に子供があって、もう臨月や。”て、これ以上悪う言えんぐらいの女の人ですわ。これだけの人は、探してもなかなか見つかりまへんで〜。ほんまに。大笑いできるとこですわ。ところが、“こんな女でも二十円つけたら、誰かもろてくれるやろ。”と佐助はんは帰ろうとしますが、そこは渡りに船。主人公は、“嫁はんつきで二十円”、いやいや、“二十円つきで嫁はん”をもらうことにします。しかも、番頭はんにいわれているだけに、今晩のうちに。それから、“風呂へ行け”などと佐助はんに言われたりしますが、この辺は『延陽伯』やら『不動坊』の趣向と一緒ですな。佐助はんが帰った後に、最前の番頭はんが来たので、主人公は、“今晩のうちに金ができるさかいに、取りに来て。”と言いますな。
さて、そうこうして、日が暮れてくると、金物屋の佐助はん、相手の女の人を連れてやってきます。ここで佐助はんが仲人になって言う言葉の中に、“困ることがあったら、わしのとこへ、こういうことがあったと言いに来てや。それで、わしを通して、話をつけたげるさかい”というのがありますが、なぜか、ここの部分に、私は気持ちが引かれますねえ。夫婦とはそんなもんなんでしょうねえ。私も結婚したら分かるようになるやろか?そこで、“二十円忘れてん。明日の朝にすぐにでも届けるさかいに。”と言いながら、佐助はんは帰ってしまいます。二人きりになってしまって、別にすることもなく、二人は寝てしまいます。
明くる朝、やってきたのが番頭はん。前の日の晩に取引先のお客さんの相手をしていたので、取りに来られず、今朝になってしまったとのこと。主人公の二十円も今朝届くはずなので、番頭はんは主人公の家で二十円を待つことにします。そこで、番頭はんはお金が急に要るようになったわけを語り出します。去年、店の仲間内の寄り合いで、飲めん酒を無理に飲まされ、店へ帰ってきて寝床に入ったが、気持ちが悪い。そのうちに、不細工な女であるが、お鍋というおなごしが親切に介抱してくれて、その晩のうちにややこしいことになってしまったということ。それから、ちょいちょい忍び会うてるうちに、お鍋のお腹が大きくなってしまう。金物屋の佐助はんに相談したら、二十円もつけたら、どこぞのアホがもろてくれるやろうと探してもろてると、昨日、そのアホがいたとのこと。つまり、これが主人公なんですわ。ビックリ仰天。実におもろい話やおまへんか。
“まあ、子供の親が誰か分からんより、分かってた方が、また何ぞの時に頼りになるわ。”てなことを主人公は言いますが、しかし、二十円のケリはまだついてない。手元にある手ぬぐいを二十円に見立てて、この手ぬぐいを主人公から番頭はんに、“長いこと借りててすんまへん”てなことを言いながら返す。すると、番頭はんの手から佐助はんに手ぬぐいが渡る。またその手ぬぐいが主人公に。そう、この手ぬぐいが三人の間でいっぺんグルッと回る。“ほんに、金は天下の回りもんやなあ”と、これがサゲになります。始めから“早起き…”の諺で始まり、終わりは“金は…”の諺で終わる、何ともおもろいサゲやおまへんか。また、この二十円という金額を五円に変えて、グルッと一回りした後に、“不思議な御縁や”と、五円と御縁をかけてサゲにする方法もあります。しかし、これは古くからニワカ芝居なんかでも使われていたサゲであり、また、聞いているお客さんに先にサゲが分かってしまう可能性が高いので、どちらかというと、“金は…”のほうがいいのと違いますやろか?
しかし、この話、元来は、『逆さ(ま)の葬礼(そうれん)』というネタの前半部分なのであります。この後は、二人の話を聞いていたお鍋が、急に産気づいて、産婆はんを呼びにやって、無事に赤ちゃんは産まれますが、お鍋は死んでしまいます。そこで、お鍋の母親を呼んできて、説明したりしているうちに、お鍋の葬式ということになります。ここで、お鍋の母親が、棺桶の蓋を取って、娘を見て、“これは、私の娘やない。首がない。しかも、男で、胸毛が生えている”と言うので、棺桶をのぞくと、死体が逆さまに入っていたという、これがサゲになって終わりになります。つまり、今の細長い、四角の棺桶に死体を寝かせて入れるのではなく、丸桶に座らして死体を入れていた時代の話なんですなあ。しかし、サゲがちょっとバレ(エロ)っぽいので、あんまりねえ…。
また、それとは別に、お鍋が産んだ子供が、あまりにも不細工なので、主人公が嫌がって、この子を捨ててしまう。その子供を見つけた人が、“子めが捨てたある”“米なら拾いいな”“いや、赤子やがな”“赤米でもええがな”“いや、人やがな”“なに、四斗やったら、二斗ずつしような”という、いわゆる『捨て米』という小噺のサゲをひっつけることもあります。
しかし、恥ずかしながら、私も、最後まで聞いたことがありませんし、また、『捨て米』も“御縁”のサゲも聞いたことがありません。ですから、本題の『持参金』自体しか分かりませんが、上演時間はだいたい二十五分から三十分前後、笑いが所々に入る、おもしろいネタであります。しかも、借金・縁談・婚礼と、我々となじみのあることが多いので、内容がわかりやすいと思います。そこへもってきて、番頭はんの子供がお腹の中にいる、お鍋どんと主人公が夫婦になってしまうという、とんでもないことが起きてしまうところに、非常なおもしろみを憶えてしまいますなあ。登場人物は、四人(実際には、お鍋さんはしゃべりませんので、三人)と少ないので、簡単なようにも思えますが、結構とそれぞれの人物の特徴を出すのに、苦労するのではないでしょうか。それと、手ぬぐいを二十円に見立てて、一回りするあたり、聞いているお客さんに先にサゲが分かってしまいそうになるので、気をつけなければいけませんなあ。
所有音源は、桂米朝氏、故・桂枝雀氏、桂南光氏、笑福亭松喬氏、桂坊枝氏であります。さすがに米朝氏のものは、登場人物の描き方がはっきりとしていて、おもしろいですなあ。特に、佐助はんがお鍋どんの顔やら姿やらをいうあたりの間がよく、何ともいえんおかしみがあります。枝雀氏のものも、番頭はんの慌てぶりなんか、ものすごいよう分かります。お鍋どんが一致したあたりなんか、腹かかえて笑えますなあ。南光氏のものは、番頭はんがたばこを吸いつけながら、お鍋どんの話をするあたり、聞いているお客さんにはわざとしらじらしく見せるあたりが、分かっていながらも、何ともおもしろいものであります。松喬氏のものは、ちょっとテンポがゆっくりとしているのですが、番頭はんのあせっている様子が如実で、やはりイイものですな。坊枝氏のものは、良かったですよ。ちょっと引き込まれてしまいましたわ。米朝氏と同様、お鍋どんを語る所の間なんか、最高です。また、焦点が主人公にあっているため、坊枝氏自身が主人公のように見えて、とてもおかしみがあります。
しかしながら、一度でいいですから、ぜひとも得意ネタにしておられる米朝氏の語りで、最後の『逆さの葬礼』の部分まで、聞いてみたいものです。
<13.6.1 記>
<以降加筆修正>
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