暑中お見舞い申し上げます。お暑うございます。しかし、ネタはございません。久々に思い出しました、『三年酒』で、ご機嫌を伺います。とてもとても、お珍しい話で、桂米朝氏が亡くなられた今、なかなか、聞く機会もございませんねやが。

 清八が、喜六を探しているという、ちょっと、ただならぬところから、話が始まります。又はんが死んだ。この三人は、仲がエエので、放っておくわけには、いかん。一緒に行って、くやみの一つも、言わんと。しかし、そこは、喜ィ公のこと、皆が、真面目な顔して座ってると、笑いが込み上げてきて、たまらんわて。そやさかいに、父親の死んだ時のことでも思い出せと。これもアカン。腫れの病で死んだんで、顔が腫れ上がってて、棺桶に入らなんだ。無理矢理押し込んだら、底が抜けたて。これで、三日間、笑い続けた。ま、とりあえず、行くのは、行かないかんので、清やんのマネをしてたらエエやろうと、又はんの家へ。

 おかみさん、おとわはん、泣きながら、二人の来てくれたんを喜びますが、さて、何で死んだのか?病気や無いらしい。昨日、池田のおっさんとこ、造り酒屋はんの家へ行って、酒好きな人でしたさかいに、浴びるほど飲んだみたい。ベロベロに酔うて帰って来て、“こんなウマイ酒、飲んだこと無い”とか何とか言いながらも、そのまま床取って、寝てしもた。朝になっても、起きて来いひんので、様子を探ると、息が止まって、死んでたて。“酒飲みは、焼かな治らん”ちゅうぐらいで、なんぼ意見した所で、治るはずもなく、やっぱり、好きな酒で、命を落としてしもた。ま、友達でっさかいに、出来ることは何でもしますと、一応のくやみを、清やんが述べる。やめときゃエエのに、喜ィやんも、おんなじように…。って、これが、そうはいきませんわいな。夜、寂しなったら、そこはまた、いかようにでも相談。んな、アホな。

 「何ぞ、遺言でも無かったか?」それが、この頃、又はん、神道講釈に凝っておりまして、毎日、講釈聞きに行ってたて。これが、幕末時分に、よう流行ったらしいですわな。そこで、『神道又』てな、あだ名が付けられたぐらいのもん。茨(いばら)住吉さんの、田中左弁太夫という先生に凝ってた。“わしが死んだら、神道で葬式出してくれ”と、よう言うてたて。これがたった一つの遺言というわけで、神道で、その先生の元で、葬式出してやりたいと。現代では、簡単かも分かりませんけれども、江戸時代のことでっさかいに、そう易々と、宗旨替えの出来るはずが無い。人別の届けを、お寺から出してもらわんならんのでね。しかも、仏教から神道へて。ここのお家のお寺は、下寺町のずく念寺さん。また、おっさんが、頑固でっさかいに、なかなかに、許してくれようも無い。届けだけを、お寺から出してもろうて、葬式は、神道でて。こら、ちょっと、てこずりまっせ。

 こういう場合には、掛け合いに行く人だけが頼り。オネオネの佐助はんは、どうやろ?オネオネ、オネオネと、話を持って回って、ウマイこと決着を付けると。それだけでは、具合悪いので、高飛車に行く手で、高慢の幸助はんは?難しいこと言うて、説き伏せてしまう。それでも、あかなんだら、コツキの源太。こらもう、力づくで、腕力で、何とかしてしまおうという算段。話がまとまりまして、三人揃うて、ずく念寺さんへ。一緒に出ると、具合悪いと、まずは、佐助はん。北安治川二丁目、播磨屋又七方から参りましたと。「昨日、主人・又七が、死去いたしました。」こら、どこの、おっさんでも、ビックリしますわなあ。「ご先代様は、当寺の檀家総代まで務めていただきましたお方、お葬式のほうは、万端、お任せくだされ。」って、それでは、具合悪いがな。それが、神道講釈に凝っておりまして、昨日、池田のおっさんのとこで、酒呼ばれて、池田に、安治川に、茨住吉さんが…。っと。お得意の、オネオネですわ。ななかな通じません。「葬式出したけりゃ、出せ。人別は、どないすんねや!帰れ!」と、エライ剣幕。

 こらアカンというわけで、今度は、幸助はん。「二言目には、檀家檀家と言うが、檀家あっての、寺と違うのか。檀家の言うことも、聞かんかい!」「何を言う!聞く耳持たん。」っと、これも、あきまへんわ。頼みの綱は、源太はん。「この爪で、己の体引き裂いて、酢に漬けて、喰うてしもたるぞ!」「人を鰯みたいに」「ここの坊主は、鰯喰うてるぞ!」って、近所の手前、聞こえが悪い。軒並み、お寺でっさかいになぁ。「そう、大きな声を出さずとも、そこは、いかようにでも。」「ほんなら、話は決まった。神道で葬式出すぞ。文句言いやがったら、本堂へ火付けるさかいな!」っと、そこは、腕力には、叶いませんな。

 早速、茨住吉さんへも、人を走らせまして、事情を言う。最初に、お寺のおっさんが、ちょっとだけお経を読みまして、後は、神道で葬式を済ます。七日ほど経ちまして、池田のおっさんが、この話を聞いて、飛んでやって来た。どうも、旅に出ていた様子。手紙が来て、それでも、二日ほど遅れて、旅から帰って来て、手紙見てビックリ。取るものもとりあえず、やって来た。「死んだんやない」て。んな、アホな。話を聞くと、おっさんの家で、床の間に置いてあった、甕に目を付けた。唐土から渡ってきた、『三年酒』というもので、これ飲んで酔うたら、三年間、目が覚めんという代物。これを又はん、飲んでみたいというので、飲んでるうちに、ウマイ・ウマイと、空けてしもた。酔うたら、エライことになるさかいに、家の者にも、よう言い聞かしとけよと言うて、帰したが、何も、言わんかったんかと。あれは、死んだんと違うて、眠ってるだけ。三年経ったら、目が覚めると。「焼いてしもたか?」「それが、神道で葬式出しましたさかいに、土に埋めたまま、土葬でございます。」「こら、助かった。すぐに掘り返せ。」三年間、目が覚めんという話ですけれども、土の中やったせいか、早いこと覚めたもんとみえまして、棺桶の蓋を取ると、「おとわ」。「生き返った」「喉渇いた。ひやでエエさかいに、一合持って来て。」「ああ、やっぱり、酒飲みは、焼かな治らん。」と、これがサゲになりますな。葬式を、神式で出すというのが、ミソの部分で、今でも、十分、通じるとは思います。

 上演時間は、三十分ぐらいでしょうか。珍しいネタです。話の筋が、しっかりいたしておりますので、そんなに短くやるものではないかと思います。順を追って、丁寧に説明していくというような。何か、特別な会でしか、滅多に出ませんね。不思議な話といえば、不思議な話ですわ。でも、この手の、おとぎ話みたいなもんは、万国共通で、時代も、昔からあるみたいですけどね。実際には、そうは、いきませんねやけれども。最初は、又はんが死んだ経緯。喜六・清八の、おなじみのコンビが、くやみに行って、笑わせるという一連のお笑いですな。これで、事が済むんかいなあと思いきや、今回は、そんな、ちっちゃな話ではございません。葬式を、神道で出したいと。幕末とはいえ江戸時代、こらあ、大変なことですわな。人別をお寺で、管理しておったんですから。死んだ報告だけを、お寺から出してもろうて、葬式を、神道でて。そこで、中盤、三人が活躍します。オネオネの佐助はん・高慢の幸助はん・コツキの源太はん。これが、頑固な、お寺のおっさんを説得しに行くという。おもろい部分ではありますが、なかなかに、難しい部分でもございます。最後は、腕力には勝てず、終盤へ。最後に、池田のおっさんが現れて、大どんでん返し。落語らしいといやあ、落語らしい、突拍子もない三年酒で、サゲになると。案外、私は、個人的に、好きな演目なんですけどね。

 東京では、あるんでしょうか?とりあえず、上方でも、先述の、米朝氏のものしか、聞いたことがございませんでした。それでも、何回かしか、やってはれへんの、違いますやろか?話の筋があるんですが、実際に聞いてみると、難しそうな話ですんでね。おもしろかったですけれども。時代には、逆らっているかも分かりませんが、また、どこぞで、聞かせていただきたいですわな。


<28.8.1 記>


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