なかなか、涼しくなりませんな。ま、とりあえず、今月も、理由もなく、『向う付け』で、お付き合いいただきましょう。お葬式と申しますというと、案外、おもろい話が出てきたり、また、笑いに変えるほうが良いともいわれますね。へぇ、そんなこといわへんてか?

 主人公は、毎度おなじみ、おもろい喜ィやん。家へ帰ってまいりますというと、おかみさんが待ってる。エライことが起こった。「火事か?差し押さえか?」「差し押さえは、この前、いっぺん…。」って、そんな話やおまへん。十一屋のご隠居が、お亡くなりになった。「なくなったら、探さんかい。鬼だれや?」って、かくれんぼ違いますがな。「初めてか?」そら、役者やないにゃし。とりあえず、行かなアカン。でも、イヤミ言わないかん。それも言うなら、くやみですがな。

 ところが、これがまた、喜ィやんが口下手ですがな。しょうがないので、この前の、上町のおばはんとこのんで、間に合わせとこかて。『風向きが変わったんで、大丈夫や。』って、そら、火事見舞いや。仕方が無いので、おかみさんが口移しで教える。そして、向こうで、せいだい用事をしてくんねやと。昼時分に帰って来いでもエエ。葬式でっさかいに、ごっつぉうが出てくんので、食べといたらエエと。しかし、用事忘れたら、いかんので、腹八分目にしときやと、背中を押されまして、線香持って、十一屋はんへ。

 「どうも、みな、おそろいで。」「来ましたがな、町内の人気もんでっせ。」「いやあ〜、エライにぎやかで。」って、葬式でっせ。しかし、こういう人、一人は、どこでも居りまんな。何でも笑いに変えてしまう、関西人らしい。ご寮さんが、探してなはったて。奥へ通りまして、ご寮さんにくやみ。が、言えしまへんがな。さいぜんの、差し押さえからの話。なんじゃ、分からん。「これ隠居にやって」って、線香手渡します。それから、お腹ふくらして帰ることまで、皆しゃべってしまいまして、ご寮さん、大笑い。「今日、初めて、笑わしてもらいました。」そこで、思い出されたらしく、阿倍野の斎場の帳場を忘れてた。この喜ィやんに、帳場を頼みます。「あんた一人では、具合が悪い。後から、確かな、しっかりした人、付けるさかいに。家へ帰って、紋付きに着替えて、すぐに斎場へ行ってくれるか」と。有無を言わさず、とりあえず、元の家へ。

 「かか」と帰ってまいりますと、おかみさんはビックリ。でも、話を聞いてみますると、エライこっちゃ!帳場頼まれて来た。帳場といやあ、葬式の華ですけれども、この人、字書けませんねや。この時分の葬式、今の葬式と違いまして、帳場はんが、だれそれと名前を書く。それが、字よう書かん無筆では、何の役にも立たん。こらどうもしょうがない。とりあえず、できるだけ早う行って、そこら掃除して、墨すって、お茶沸かして、後から来る確かな人に、正直なこと言うて、書いてもらうということで。それぐらいしか、算段のしようが無い。

 ようようのことで、やってまいりましたのが、阿倍野の斎場。「ちょっと、おたんねします。十一屋はんの帳場は、どこでおます?」「向こうに書いたある、あそこです。」って、字が読めるぐらいなら、難儀しませんわいな。たどり着きますというと、「あんたですかいな。待ってましたんや。」て、先に、相方来てなはる。しかも、墨すって、お茶沸かして、帳面まで綴じて。しかも、聞いてみまするというと、この相方も無筆。字書けん。こら、もひとつ、エライことなってきた。「どなたぞ、親類や友達で、字書ける人、おまへんか?」遠方ですけど、叔母が一人いる。「どこです?」「富山だす」って、そら間に合わんがな。こらどうもしょうがない、帳面の向き、ひっくり返して、銘々付け、向う付けということにしまひょかて。要するに、現代の葬式の記帳の仕方ですな。

 「どうも、ご苦労さんで。浪花屋徳三と。」「銘々付け・向う付けでございます。銘々付けて、勝手にお参り。」どうも、新しい型かいなあと、付けて帰る。「故人の遺言で」って、んな、アホな。「ほな、あんさん方二人並んで、何してなはんね?」「付けるか付けんか、検分の役。」腹切りやがな。「明石屋万平と。」「ああ、明石屋はんでっか。」「伊丹屋忠吉と。」「伊丹屋はんでっか。」っと、邪魔くさいもんでっさかいに、この人が、帳場になってしまうがな。

 一番最後にやってまいりましたのが、法被(はっぴ)を一枚引っ掛けました、職人風のお方。「手伝いの又兵衛と」「銘々付け・向う付けでござい。銘々付けて、勝手にお参り。」って、ここへ来る最中、聞いてきたもんとみえまして、『変わった帳場や』という評判。ところが、この人だけ、特別、付けて欲しいて。というのも、この人も、字よう書かん無筆。「あんた字も書けんの」よう言うわ。実は、帳場二人も、よう書かん。今まで、そんな人も、ちょいちょい送りに来てはったんですが、前後の人に、書いてもろてた。しかし、もう後に、誰も来そうにない。「ほな、わいの送りに来たんは、どないなりまんねん?」「あんたの送りに来たことは、この三人の内緒にしときまひょ。」と、これがサゲになりますな。そら、三人とも、字書けんのですから、しゃ〜ない。。

 上演時間は、二十五分前後ですか。長くも出来ますし、筋だけであれば、短くも出来るでしょう。それなりに、笑いもございますし、筋もありますので、いろんな場面で演じられます。が、お葬式の噺ですのでね。でも、『東の旅』の発端のごとく、案外、めでたいし、それだけに、お笑いの材料になるのかも分かりません。冒頭は、十一屋はんの、ご隠居さんが亡くなったところから。普通ですと、悲しむべきなんでしょうけれども、最初から、笑いに変えてございますね。かくれんぼや、芝居の役者のごとく。そして、くやみを教えてもらって、十一屋はんへ。最初からそうですが、喜ィさんは、おもしろい方ですけれども、おかみさんは、しっかり者というところが、この話のポイントでもあり、聞かせどころでもありますな。中盤は、先方へ行っての、ご寮さんを笑わすほどのくやみ。くやみで、笑わすちゅうんですから、よっぽどでっせ。ま、忌みごとでっさかいに、余計、おかしみがあるんですけれども。そして、帳場を頼まれて、いったん家へ。ここでも、おかみさんの裁量が光ります。知恵を出してもらいまして、終盤は、阿倍野の斎場へ。っと、これが、後から来るはずの人が先に来て、用意したある。まさかの、この人も無筆。仕方が無いので、現在の帳場のように、向う付けになる。そして、最後に、職人風の方が来て、サゲになると。しじゅう、笑いがございますので、おもしろいネタですな。

 東京では、『三人無筆』ですか。そんなには聞きませんけれども、上方でも、あんまり頻度が高いとはいえません。所有音源は、故・橘ノ圓都氏、笑福亭仁鶴氏、桂塩鯛氏などのものがあります。圓都氏のものは、案外、長く、『くやみ』のネタに入っているような、くやみの口上が、喜ィさんのものだけではございません。笑いもありますが、筋の運びもございますね。それに比べますというと、仁鶴氏のものは、スッキリとまとめてありますが、おもろいですわな。案外、分かりやすい。塩鯛氏のものも、そうで、大笑いできますわ。場面が場面だけに…、これがまた、笑うてしまいますにゃわ。


<28.10.1 記>


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