今月も、大した意味もなく、『近眼の煮売屋』でお楽しみいただきます。“きんがん”ではなく、関西弁で、“ちかめ”と読みますねやね。もっぱら、関西でも、“きんがん”という呼び名になってしまいましたが、ま、それ以前の、これまた、お古い、お珍しいお話でございます。
おなじみ、喜六が清八の家にやってくるという、最もオーソドックスな落語の入りでございますな。見てみると、昼間から一杯飲んでる。しかも、一人で、前には、ごっつぉう、ぎょ〜さん並べて。酒は、灘の酒蔵に、友達が居てんのんで、蔵出しを一本もろた。燗よりも、ひやのほうがエエぐらいの、上等の酒やさかに、そのままやってるて。紀州のかまぼこ、きずしに、このわた。また、さわらの照り焼きに、焼き豆腐の炊いたん。酒の肴ばっかりですな。また、飲んでる猪口が、この前、夜店で買うてきた、九谷焼。
「コラッ。あんまり殺生なマネすな!」って、喜ィやんは、急に怒り出しますわ。「一杯飲めぐらいのことは、言うたらどやねん!」って、完全に、逆ギレや。そら、おとなしい前へ座りゃあ、『一杯いこう』となりますが、物欲しそうに尋ねながらでは、意地でも、飲めとは、よう言わんて。「謝るさかいに、一杯飲まして。」って、これまた、意地汚い。自分で揃えようとしても、酒は、何とかできるかもしれんが、しかし、なかなか、懐の都合が悪いので、具合悪い。「ワシが儲かってるちぇなことがあるかいな。こら皆、タダや。」って、そら、『寄合酒』みたいな話。
この町内やのうて、隣り町の煮売屋、あそこで、タダでにしてもろた。というのも、向こうのおっさん、エライ近眼や。あれやこれや注文して、持って帰れるようにさしてから、金払う時に、紙かなんかを向こうへ落とす。『エライことした。落としてもた。』『どこでやす?』っと、おっさんが、下見て、近眼やさかいに、地べた近いところまで、頭を下げたところで、背中を、力いっぱい押す。ドーンと、へたったところで、荷を抱えて逃げてくる。悪い思案やなぁ。「おい、ちょっと待ち。今のはウソや。冗談や。一杯飲ましたろ。」
というのも聞かずに、家を飛び出します。災難なんは、隣り町の煮売屋。「ごめんやす」「へぇ、お越し」っと、かまぼこやら、きずしやら、ぎょうさん注文して、包んでもらう。「なんぼや?安いな。金、ここ置いとくで。エライことした!」「どないしなはってん」「落としてもた」「どこでやす?」っと、案の定、下を覗き込んだところで、上から、グーっと押さえつけて、一目散に、逃げて帰って来た。「やってきた!」「ホンマにやってきたんかいな」っと、清やんの家で、「で、品もんは?」「あっ、忘れてきた。」っと、これがサゲになりますな。サゲ自体は、『愛宕山』と一緒です。
上演時間は、十五分前後でしょうか。もうちょっと短いかも分かりません。寄席向きの、軽い噺です。落語らしいですけどな。前半は、清やんが、おいしそうに一杯飲んでるところから。実は、この部分が、重要でして、いかにも、おいしそうに見えるんですわ。我々、観客も、飲みたい・食べたいと思わせるようになりますというと、この噺、もう成功なん違います?離れてしまいますと、後は、何にも、おもろないと。昼から、しかも、ごっつぉうが、ぎょうさん。しかし聞いてみますると、それも虎の巻があって、隣り町の煮売屋のおっさんを、騙して帰って来る。近眼でっさかいに、金落としたら、顔近づけて、下まで見ると。しかも、その金も、見えんのですから、広告とか、チラシでエエて。これを上から押し付けて、その間に、品もん抱えて、逃げて帰って来る。お客も、誰が来たんかも、近眼でっさかに、よう見えてへんて。悪い考えですわなあ。後半は、これを実際にやって帰って来て、果ては…、サゲになると。悪いことは、でけませんけれども。
東京では、ございますまい。こんな、しょう〜むない話。しかし、故・桂小文治氏が、やったはったらしいですわ。その流れで、故・桂米朝氏が、やったはりました。私も、米朝氏しか、聞いたことございません。おいしそうに、なんじゃ、いろんなもん食べてはったわ。それが実に、印象に残っております。要点なんでしょうなあ。ちなみに、『東の旅』なんかに出てまいります、煮売屋さんは、食べる場所、ちょっとした食堂みたいなもんですが、この場合の煮売屋さんは、持ち帰りの、おかず屋さん・おそうざい屋さんというような意味でございますね。時代と共に、そのように、移り変わってきたらしいです。今やったら、デパートのお惣菜売場みたいなもんですかね。
<29.2.1 記>
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