あけまして、おめでとございます。旧年中は、お世話になりましたが、どうぞ、本年も、この上方落語のネタを、よろしくお願い申し上げます。

 と、いつも通りの、年始の挨拶でございますけれども、今年は、戌年でございまして…。いうても、ほとんど、犬の噺も出ておりますの、猫にしました。『猫の茶碗』です。純然たる江戸落語・東京落語ですが、故・桂米朝氏は、お時間の合間に、たまにやったはりました。

 導入部も、街道筋やったり、バス待ちしてる茶店やったり。とりあえず、大阪の道具屋さんが、地方へ買い付けに参りまして、その帰り。あまり、芳しくない手応えの後、立ち寄るというような。そこで腰を降ろしまして、一服して、何とはなしに、辺りを眺めたりしておりますと、猫が、床机の下で、ごはん食べてる。よ〜く見まするというと、この、ごはん食べてるお茶碗が、絵高麗梅鉢の茶碗。どエライお宝!知らんもんというのは、恐ろしいもんで。

 猫に相手になりますというと、猫も寄って来る。「毛が付きます」と、茶店の亭主に言われながらも、「猫が好きやねん」と言いながら、猫の毛並みを撫でる。この人の奥さんが、猫が好きで、かわいがってたが、この前、死んだて。そやさかいに、情が移って、なかなかに、かわいらしいもん。茶店のほうでは、犬や猫を捨てに来るのやが、どうやら、この猫が居付いたて。かわいらしい。この人も、子供が無いので、この前、猫が死んで、奥さんが寂しがってる。旅の土産に、もろて帰ったら、いかんやろかと。茶店のおやっさんは、ばばどんが留守なんで、留守の間に、人にやったら、また、怒られる。

 「かつおぶし代や」と、無理矢理に、お金を渡しまして、猫を連れて帰ろうとする。「まだ大阪へ帰る途中、宿屋で泊まると、猫に、ごはんやらんならん。そこで、その茶碗もついでに、頂きたい。」「猫の器でしたらな、ここにエエのが。」「いや、これでエエ。普段、食べ慣れてるほうがエエやろう。」「いや、割れてんのは、いかんので、こっちのサラを。これは、差し上げるわけには、まいりません。絵高麗梅鉢の茶碗で、相当なお宝ですねん。私も、古いもんが好きで、集めてましたんやが、皆、手放してしもた。これだけ、置いて、明け暮れ、目立つとこへ置いて、眺めてる。」と。知ってはったんですがな!「わい、猫キライ。もうエエわ。しかし、そんな値打ちもんで、何で、猫に飯食わしたりしてんねん?」「これで猫に、ごはん食べさしますとな、ちょいちょい猫が売れますのや。」と、これがサゲになりますな。あえて、金額は出しませんでしたが、その時々の時代設定で、額を変えたりされますね。要するに、茶店の亭主は、最初から、知ってはるんですわ。

 上演時間は、十分前後。小噺程度で、寄席向きですな。東京の寄席なんかでは、ちょいちょい聞きますわ。これでいて、この高麗茶碗が、いかに良い物であるかを表現するのに難しいところなんかもありますな。『なんでも鑑定団』なんかいうテレビ番組も、ございますけれども。しかし、この番組を拝見いたしましても、この手の実際の話は、あるように思うんですが…。

 元来、東京ネタです。私も、米朝氏が、たまに、やったはったんを、聞いたぐらいです。現在でも、上方では、少ないでしょう。他愛も無い噺ではああるんですが、やはり、正月の初席には、良いかも分かりませんね。って、騙されたら、あきまへんで〜。


<30.1.1 記>


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