戌年に因みまして、犬のお話を探しておりました際、こんなん思い出しましてん、『ぬの字鼠』。それやったら、もうちょっと待って、子年にしたらエエのにてか。それが、なかなか待ってられへんぐらいに、思い浮かぶネタが、すけのうなってきましたんやわ。しかし、これとても、珍しい噺でございます。
これは町方のお話ではございません。寺方のほうでござります。お住持・ご住職が、小僧さんを呼んでのお小言・ご意見ですな。年取ったせいか、息が続かんので、生魚を食べる訳にもいかず、カツオ節を削って、混ぜたり、ダシにしたりして、内緒で食べている住職ですが、この前、檀家の近江屋さんに、珍念さんが削っている所を見られてしもた。放っておいたら、見逃してくれそうな所を、カツオ節隠すのと反対に、削ってた小刀隠して、カツオ節のほうを前へ出して、『これ、この前、うちのおっさんが、堺で買うてきました小刀、よう切れまっせ。』と。エライしくじりですがな。それにもうひとつ、表の花屋で、『わては、ホンマは、ここの和尚の子供。お母はんは、上町に住んでる。』てなこと言う始末。肉魚も、妻帯も禁止の時代のお坊さんですからな。
とんでもないことを…。と思いのほか、そうでもない。実は、これはホンマの話で、和尚さんの子供さんですねね。花屋の親爺さんは、何もかも知っているので、口外はしませんが、『よそで、おっしゃらんように、気ぃ付けなはれや。』と忠告に来たて。そら、表沙汰になりますというと、唐傘一本で、放り出されますのやさかいに。今日という今日はと、実の子供ですけれども、本堂の裏手の柱へ括り付ける。明日の朝まで、このままでおれと。
暗くなってまいりますというと、なお、心細い。泣いたところで、助けに来てくれるわけでもなく、泣き疲れる。そこで、フッと思い出しましたのが、この前見ました、芝居の金閣寺。『祇園祭礼信仰記』金閣寺の段ですわ。雪姫というお姫さんが、柱に括られてる。舞台一面、桜の花びらだらけなので、その花びらを足で集めて、ネズミの絵を書くと、そのネズミが抜けて出て、お姫さんの縄を食い切って、助かって逃げる。ちょうど幸い、足元は、流した涙で濡れておりますので、これでネズミを…。って、絵ヘタですから、書けんがな。ひらがなの“ぬ”の字に似ておりますので、これをネズミに見立てて、一生懸命に祈りながら書く。
人の一心というものは、恐ろしいもんとみえまして、これが叶いますというと、“ぬ”の字のネズミが現れますというと、縄を食い切ってくれる。部屋へ戻った所で、余計に怪しがられると、賽銭箱ひっくり返して、お金を取り出しますと、掴んで、遊びに出てしもた。物陰で見ておりました寺男がビックリいたします。かわいそうなので、分からんように、助けてやろうと、見に来たはったんですな。これは一大事と、和尚さんにご報告。「えっ。珍念の書いたネズミがか。ああ、やっぱり、大黒の子は、争われぬ。」と、これがサゲになりますな。つまり、お寺の奥さんを『大黒さん』と呼ぶのと、大黒さんのお使いがネズミなのとを掛けてあるんですな。
上演時間は、二十分弱ぐらいですか。ちょっとマクラを引っ付けても、二十分そこそこぐらいです。寄席向きですが、珍しいネタですので、滅多に出ません。おもしろいまでは、いかないかも知れませんが、それなりに、趣きのあるネタでございます。要するに、前述いたしました、芝居を踏まえてのお話ですので、これが分かっておりますと、なおいっそう、おもしろいことでありましょう。というか、これがために、パロディーで作られたんでしょうなあ。ただ、この『金閣寺』は、今も、結構、上演されますので、ご存知の方には、そんなに無理は無いかと思います。前半は、和尚さんが小僧さんへのお小言。カツオ節と親子の一件。ただ、こんなんも、禁止と言いながら、昔から、あったんでしょうなあ。そら、人間と生まれたからには、誘惑は、なんぼでもありまっせ。そして、後半は、珍念さんが縛られて、ネズミの出からサゲになると。ここは、、下座のお囃子も入りまして、やはり、芝居じみたものになりますね。
東京でも、演じておられる方が、現在は、おられるかも分かりません。故・桂米朝氏の復活ネタであります。また、米朝氏ぐらいしか、聞いたことがございません。もっと、芝居がかりになるかと思いきや、そこは、噺ですから、必ず、お話中心として、演じておられました。要するに、ある程度の、笑いを必要として。そこが、難しいですわな。風情や雰囲気だけでは、落語では無いんですから…。
<30.2.1 記>
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