大した意味はございません。まだ、こんなネタも残っておりました。有名な『軒づけ』ですな。浄瑠璃・竹本、要するに、義太夫節のネタでございます。関西では、『浄瑠璃』といえば、『義太夫』のことでした、という時代の、お噺で。

 主人公が、甚兵衛さんの家を訪ねてまいりますというと、お話の始まりで。「こってる」と。手を口の端へ、あてがいますので、歯痛かと思いのほか、浄瑠璃にと。この前、『五段目』が上がったて。要するに、『忠臣蔵』の五段目が語れるようになったと。それで会に出たて。「当たったんか?」「いや、当てられた。」って、おかしいですがな。こういうものは、『大当たり』とか言いまして、評判の出来るもん。この人、最初に出た。御簾内。これこれの人が来てるなあと、中から見ると、緊張して、どうにもならん。傍にあった鉄瓶の湯を飲んで、腹帯締めると、心が落ち着いた。それで、鉄瓶の湯をば二杯ほど飲んで、語り出す。「またも降り来る雨の足」「よいよい」「人の足音トボトボと」「こらこら」って、前の客が合わしまんねんな。声が高いさかいに。「子ゆえの闇に付く杖も すぐなる親爺 かた親爺」と、「すぐなる心」を間違うて、親爺二回言うてしもた。前のお客が、「親爺二人出まんのかいな?」と言うさかいに、「この街道は物騒ゆえ、隣り村から、応援を頼んで…。」んな、アホな。

 お師匠っはんから、「飛ばしなはれ」と言われて、飛ばしたところが、猪の出。「駈け来るシシは〜、一文字〜。」ここ、もっと勇壮なところでっせ。前のお客が、「エライ色っぽいシシですなあ」と。「このイノシシは女形」んな、アホな。「こんな、けったいな浄瑠璃を語る奴の顔が見たいわい!」「こんな顔でおます」と、御簾から顔を出しますというと、そこらじゅうから、ミカンのヘタやら、イモの皮なんかが飛んで来て、そんで、『当てられた』と。意味が違いまんがな。それやったら、『軒づけ』に行ったらどうやと。よその家の軒下で、浄瑠璃を語って回るという。本物の太夫さんでも、修行のために回ってはると。こないだなんか、好きな方のお家に当たったと見え、浄瑠璃を語った挙句、鰻のお茶漬を呼ばれて帰って来たて。

 ぼつぼつ、この町内の人が寄って、軒づけに回る時刻なんで、この男も一緒に連れてもらえるようにと、甚兵衛さんと主人公が、集まる場所へ。一緒に回ることとなります。しかし、いつもの三味線が、具合悪い。代わりに、紙屑屋の天さんを、頼んだあると。「エライ、遅うなりまして。」って、お師匠っはんに、調子合わしてもろてたて。大丈夫ですかいな?それも、かすがいで止めたあるて…。三つ上がったちゅうのも、『テンツテンテン』『トテチントテチン』『チリトテチン』って、三段違いまんのかいな。「誠、いかんようなら、他に…。」って、居直られるとは、思わなんだわ。

 とりあえず、手当たり次第に、近い所から。「どなたか、手の空いた方?」って、三味線の胴を持ってて欲しいて。立って弾いたことおまへんにゃね。「もひとり…」棹の上のほう持ってて欲しいと。「どなたぞ…」反身になって弾きたいので、背中押さえてて。こんなん、大丈夫ですかいな?『てーん』『かみくずー』って、からかわれてますがな。『テーンツテンテン テーンツテンテン』「ゴホッ ゴホゴホッ」「これ子供、表見といで。どなたぞ、ヘドついてなはる。」って、ヘドと間違われてまんがな。『テーンツテンテン』「弾きなはんな」「鰻のお茶漬は?」そんなもん、出ますかいな。おもろいなあ。

 次は、ヘドと間違われたんでは、具合が悪いと、最初に、ことわりを言う。「ちょっとお門を拝借いたします」「どちらさん?」「素人がなぐさみに、浄瑠璃を語らせてもらいます。」「お断り」「お金はいただきません」「うちはなあ、病人が居てますねや。」「どなたがお悪うございます?」「母者人が熱出して寝てまんねや」「それそそれは、お気の毒。ずいぶ〜んだい〜じに〜」って、浄瑠璃で、病気見舞い言うてどないしまんねん。次は、断るのがいかんと、最初から、ダーッと語り込んでやろうという算段。「かかるところへ 春藤玄蕃 首見る役は 松王丸 病苦を助くる 駕籠乗り物 門口に… 『かしや』 御用のお方は東へ三軒目 蒲田屋まで どうです、間取りなと見せてもらいましょか?」て、ここ空家ですがな。そら、黙ってるはずや。中は、誰もおれへんがな。

 次は、『妹背山』の橘姫の出。「されば 恋する 身ぞ つら〜や〜」「よさこ〜い よさこい」って、よさこい節違いまっせ。「立ち寄れば 母の声 おお嫁女 うれしや お目が覚めましたか 三浦様のお帰りぞや 義村参上 つかまつ〜る〜」「じゃかましわい!」「こら、人が一生懸命、浄瑠璃語ってるのに。」「浄瑠璃?わしはまた、だだけもんが暴れ込んで来たんかと思うて。」「暗がりで無本で、これだけの浄瑠璃、語れるもんなら、語ってみい!」「そんなもん、明るい所で聞けりゃ、聞いてみい。」「なるほど」って、感心して、どないしまんねやな。

 あっちでもいかん、こっちでもいかんで、最後は、糊屋のおばんの、奥の六畳を借りようとなります。おばん、耳が遠いので、こんな浄瑠璃でも、聞いても聞かんでも、分かってへんて。とりあえず、皆で訪ねますというと、おばん、なんじゃ食べてなはる。夜食代わりに、金山寺味噌をおかずに、お茶漬け食べてるて。食べ終わったら、おばんも聞かせてもらうと、あっさり、奥の六畳の間を貸してもらいます。こないなったら、天さん、支えもいらんと、大活躍。「追うて行く 名に高き 海道一の大井川 しのを乱して 降る雨に うち混じりなるはたた神 みなぎり落つる水音は ものすごくもまた」『トテチン』「すさ〜ま〜じ〜し〜」『チリトテチン チリトテチン チリトテチン』って、さすがに、この三味線では、語ってられへん。「あんさんがた、浄瑠璃がお上手やね。」「おばん、あんた、耳が遠いのに、浄瑠璃の上手下手、分かりますかいな。」「なんや知らんが、さいぜんから食べてる味噌の味が、ちっとも変わらん。」と、これがサゲになりますな。下手な歌は、味噌が腐るとか、糠味噌が腐るなんかいう言い草から、取って来たもんなんでしょうなあ。たしか、『ドラえもん』のジャイアンが歌う歌にも、糠味噌に蓋するセリフなんかが入ってましたよね。最近は、あまり通じませんかな。元来のサゲは、浄瑠璃を語ってくれと、お呼びが掛かる。「どこやねん?」「表の、すき焼き屋や。」「ああ、それで、根深を好くのやな。」根深節、つまりネギのことで、節が無いというところから来た、言い草らしいです。これが通じなくなったので、おばんの家に寄って、味噌のサゲになったみたいです。これも、分からなくなるかも分かりません。

 上演時間は、三十分そこそこぐらいですか。長いものもありますが。おもしろいネタで、筋の運びもありますので、浄瑠璃が通じなくなった現代でも、それなりの、おもしろさがございますね。浄瑠璃の文句なんか、よく知ってる方が多かった時代には、なおいっそう、よくウケたものかと思います。序盤は、主人公の男が、浄瑠璃に凝っていると、甚兵衛さんの家にやってくるところから。しかし、この家での会話でも、すでにおもろいもん。ちょっと稽古しただけに会に出て、当てられたと。当たったんではなく、当てられたて。ミカンのヘタやら、イモの皮に当てられた。それではと、軒付け浄瑠璃に、連れて行ってもらえるようにと、家を出まして、中盤、皆と一緒に浄瑠璃を語って回ることに。三味線が、ピンチヒッターの紙屑屋の天さん。三つだけ弾けるて。んな、アホな。皆で一軒づつ語り始めますが、これがなかなか、おもろいですなあ。こんなん、誰が考えはったんやろ?先人の知恵でしょうなあ。一番の笑い所でございます。そして、終盤は、糊屋のおばんの家に上がり込んで、最後に、一番長い浄瑠璃を語って、サゲになると。

 東京でも、同じように演じられているかも分かりませんが、やはり、浄瑠璃もの、上方のネタでございます。誰のものを聞かせていただいたことがあるか…、たくさんございます。故・橘ノ圓都氏、浄瑠璃ものを、よく演じておられたらしいのですが、おもろいものでした。もちろん録音ですよ。そんなに、時間は取ってはれへんかったようにも思えますねやが。故・桂米朝氏、中盤に、そんなに大爆笑は無かったように思えますが、最後に、ヤマ場を持って来られるような、全体として、おもしろいものでした。故・五代目桂文枝氏、この方のものも、全体として一つの作品というような感じで、おもしろかったですな。故・桂枝雀氏、大爆笑編でしたよね。長いこと時間取って、やったはったものも、聞かせていただいたことございます。浄瑠璃が何ぞやなんて、どうでもエエぐらいに、笑いに溢れておりましたな。現代では、桂文珍氏なんかもやったはりまして、おもろいもんですなあ。

 浄瑠璃自体が分からない、文句知らんでも、十分、現代に、何か通じる部分があるんでしょう。とりあえず、おもろ〜いネタですわ。



<30.4.1 記>


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