先月、10月17日の夕方4時ごろ、うちの表に掲げている看板にトラックが当たり、当て逃げされてしまいました。うちの家の前の一方通行の道を逆行してきて、当たって、走り去ったそうですが、運良く、これを見ていた方がおられ、すぐに車のナンバーと、車に書いてあった社名を教えてもらい、警察に届け出るというような、一大事が起こったのであります。まあ、その後の話し合いで、看板は元通りにしてもらうようになったのでありますが、しかし、びっくりしましたわ。と、そんなこんなで、今月はこれにちなみましての『看板の一(ピン)』をお届けしたいと存じます。

 まず、話の始まりは、若いもんが集まってバクチをしているという、バクチ場から始まります。やっているのは、チョボ一(いち)。テレビの時代劇なんかでよくやっている、サイコロ二つをツボの中に入れる丁半バクチではなくて、サイコロを一つだけツボの中に入れた、出た目が1から6までを当てるという、分かりやすいバクチですわ。そういえば、『狸賽』のバクチも、チョボ一ですわな。まあ、どちらのネタも、サイコロが一つでなかったら、成立しえないといえば、そうなんですが…。夢中になっている若者達を隅のほうで見ていたのは、年寄りのおやっさん。若いもんのすすめで、一度きりという約束をして、バクチに入ることになります。当然、サイコロを振る胴(親)になりますわ。やっぱり、昔は縦社会の意識が強かったのか、すんなりと年長のおやっさがサイを振る胴になるみたいです。“バクチてなもんは、こないにすんねや。”とかなんとか言いながら、サイをツボに入れて、伏せたんですが…。サイがツボからはみ出しています。出て見えている目が、一。ピンですわ。

 これほど確実なバクチはおまへんで〜。目が出てるんですからな。若いもんは、みんなおやっさんがもうろくして、サイをツボから出してしまい、またそれに気づいていないと、一に張りますわな。全財産、有り金全部を張る奴や、後から張り足す奴なんかもいてますわ。そこでおやっさん、“看板のサイはこっちへしまって”と、ツボから出ているサイを袖にしまってしまい、“勝負”とツボを上げると、中の目は五。つまり、最初からツボの中のサイとは別に、おやっさんがあらかじめ自分で持っていたサイをそっと外へ出し、あたかもサイがこぼれ出ているように見せてたんですな。これにはさすがに、みんなが引っかかってしまい、大金を持ってしまったおやっさん…。ですが、そこは年長者。“これからはエエ大人なぶったら、エライで。バクチみたいなもん、ほどほどにせえよ。”と、一銭の銭も取らずに消えていきます。

 これを聞いて、“はあ、なるほどなあ。”と感じて、“二度とバクチなんかせんとこう。”と思うような奴は、まずいてまへんわ。そらそうですわなあ。そんな人間やったら、始めからバクチみたいなもんはしまへんわ。“ははあ、こらエエ手やなあ。どこぞでいっぺんやってこましたれ。”と思うような奴が一人は出てくるもんで…。また、どこぞのバクチ場へとやってまいります。今度は、“仲間に入れてくれ”というても、なかなか胴は取らせてもらえません。そらそうですわなあ、同年輩の中ですもんな。“めったにないこっちゃさかいに”と、ようよう胴を取らせてもらって、おやっさんとおんなじように、“お前ら若いもんに…”なんか言いながら、いよいよツボを振って、看板のサイコロをそっと落とし、ツボの外へ。ここにいる若いもんも、そら、“アホがサイをツボから出しとる”、また、“気づいとらん”と、みんなが一に張りますわ。こら、しめたもん。有り金全部もらえると、ニコニコしながら、看板のサイを袖へ入れて、周囲があっけにとられているところへ、“勝負”と、ツボを上げてみると、ツボの中のサイの目も一。と、これがサゲになります。運の悪いこと。6分の1の確立やのにねえ。しかし、このサゲ、ちょっとサゲの手前で、“そうなるやろうなあ”と予測できますよねえ。まあ、なにわともあれ、この後、おそらくこやつは張られた金を倍にして返すだけの金を自分が持っていないので、仲間の若いもんにエライ目にあわされるでしょうなあ…。

 上演時間は、十五分から二十分ぐらい、どちらかというと、落語会よりも寄席に向いている、いわゆる“前座ネタ”と呼ばれるものだとされているみたいです。そんなに大爆笑ができる、というネタではありませんが、笑い所としては、おやっさんをまねる男が他のバクチ場で、おやっさんそっくりの言い回しを使うあたりや、サゲの所なんかでしょうねえ。しかし、我々客席側からみると、やはり意表をつかれるのは、最初のおやっさんが看板のサイをしまう所でしょう。こんな手もあるのかと、ちょっと感心させられますねえ。もっとも、これはおやっさんであればこそできるものなのですが…。ところが、この演題である『看板の一』を先に聞いていると、この意表をつかれるところの驚きは、半減してしまいます。他にも、『千両みかん』や『尻餅』、『次の御用日』などなど、落語のネタの演題には、先にサゲが分かってしまったり、話の内容が分かってしまうものがたくさんあります。御存知かと思いますが、落語の演題は、元来は寄席の楽屋内での呼び名であって、寄席ではその日、その時に応じて、演者がネタを選ぶわけなので、先に演題を出しておく必要がなかったわけなんですな。つまり、今日の落語会のように、“今日は誰々が何々をやります”というのは、前もって告知しないんですわ。そやから、“この人のこのネタが見たい、評判や。”なんかいうときは、客席から歌舞伎の大向(おおむこう)のように、『三十石』とか『らくだ』とかいう声がかかったそうですな。

 それはともかく、このおやっさん、こんな妙技を持っているとは、なかなかの技師なんですな。ですから、おやっさんが若いもんに説教する場面なんかは、やはり演者としてはなかなか難しい所かと存じます。ここをきっちりと描くことによって、二回目のまねをする男がまたいっそうにバカバカしく思えて、サゲがイキイキとしてくるのではないでしょうか。若いもんばっかりが出てくるこのネタでの唯一の年長者、アクセントとなるおやっさん、この演じ方がイイ修行になるんだろうと思います。

 このネタ、皆さんもお気づきかと思いますが、上方ネタにしては、ちょっとあっさりしるぎるように思いませんか?実はやはり、元来は東京ネタらしく、桂米朝氏が最初に上方に移されたのではないかと、御本人自体がおっしゃっておられます。それで、ではありませんが、このネタに関しては、あまりにこってりとなりすぎないように、寄席で演じやすいように時間も短く、上品にあっさりと、すっきりと演じたほうがイイと思います。

 所有音源は、桂きん枝氏・桂福車氏のものがあり、他にもたくさんの方のものを聞いたことがあります。きん枝氏のものでは、おやっさんの描き方がおもしろく、まねをする男はきん枝氏自身のように見えて、とても楽しく聞かせてもらえます。また、福車はん、どっからみても普通の近所にいるおっちゃんみたいですけど、このネタに関しては、私は福車氏のものが好きでありまして、最大の特色は、おやっさんが関東弁で話すところではありますが、福車氏自身が近所の若いもんと一緒にバクチをしている雰囲気が、ものすごいよ〜う出てますねんわ。そんなにしつこい笑いの取りかたではなく、なにげなく実際の場面を見ているようで、“ああ、こんな奴いてるわ”と思えるところが節々にありますな。ま、某新聞に競馬の予想の記事も書いてはったぐらいでっさかいに、バクチもほどほどにお好きなんかと…。

 しかし、昔の日本人て、バクチ好きですよねえ。とにかく何でも賭けてたらしいですな。角曲がってくるのが、男か女かとか、踏み切りで通る電車が、普通か急行か特急かとか…。うちのおじいさんも好きやったらしいですわ。まあ、他に娯楽が少なかったからなんでしょうけどねえ。こんな体質も、日本人が“働きバチ”とかなんとかいわれるようになった時代ぐらいから変わってきたんでしょうなあ…。

<13.11.1 記>
<以降加筆修正>


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