いやあ、四月になりましたなあ。今年はもう二月末頃から暖かい日が多かったんで、桜の花も早う咲きましたな。時候がエエところへさして、花がキレイ。なんともウキウキする時節であります。そこで、今月は、まさにその花見を題材に致しました、『桜の宮』をお届けしたいと存じます。
稽古屋の連中さん、松っつぁんに寅はんに喜ィさんが、これも同じ稽古屋の仲間であります定はんの家へやってくるところから話が始まります。三人連れ立っての用事というのは、時候がエエところで、花も盛り、一つ今年も四人で明日あたりに桜の宮へ花見へ出かけまへんかということ。そら賛成となりますが、やっぱり稽古事の一つもしようかという四人のことでっさかいに、ただ飲んで食べてだけではおもろない。何ぞ趣向を…。となりますが、どうやら定はんがこの前から芝居をやろうと考えていたとのこと。
その芝居はというと…。兄弟の巡礼が親の仇(かたき)を探し回っているところで、たまたま桜の宮で一服している。そこへ深編笠をかぶった仇の浪人者が、この巡礼に煙草の火を借りる。そこで、巡礼が顔を見ると、これが親の仇。刀を抜いて立ち回りとなるところへ、一人の六部が出てきて、この勝負の仲裁をする。双方が刀を引いたところで、六部が背中の負い櫃(おいびつ)を下ろして、その中から酒や肴を出して、四人が飲み始める。はたで見ていた人が、“やっぱり稽古屋の連中や。粋なことしよんなあ。”と感心する。と、こんなストーリーですわ。しかしまあ、よう考えたある芝居ですな。定はんて、エライ人や。背格好や人相からいって、仇の浪人者が松っつぁん、巡礼の兄が寅はん、弟が喜ィさん、六部が定はんと役柄が決まります。それから四人がそれぞれに芝居のセリフを稽古しまして、芝居の衣装やカツラ、小道具は定はんが段取りするということで、この日は解散。
明くる朝、また三人が揃って定はんの家へ。みなうれしいて、なかなか寝られへんかった様子。ここで衣装替え。松っつぁんは、侍の格好。寅はんと喜ィさんは巡礼。巡礼とは、この場合は、西国巡礼のことのようで、西国三十三所の霊場を巡るという人のことですな。しかし、仇討ちをするので、杖の中には刀が仕込んであるという、いわゆる仕込み杖。まあ、この仕込み杖でも、松っつぁんの大小でも、芝居の小道具でっさかいに、竹光に銀紙貼ってあるもんですけどなあ。そして、定はんは六部。六部とは、六十六部のことで、日本各地の国々、六十余州の国分寺に一つずつ法華経を納めるという、いわばおぼんさんに近い人のこと。四人が一緒に並んで歩いていくのはあやしいので、道順を変えて桜の宮へ。松っつぁんと、寅はん・喜ィさんとが、別々の道を行くわけですな。ほんで、定はんが寅はん・喜ィさんと同じ道順で、遅れて出発し、桜の宮へ入る手前の土手下で二人に会い、もう一度打ち合わせをしておくということ。いざ、出発!
定はんがようようと天神橋の南詰めへやってきたところで、向こうからやってきたのが、高津に住んでおります、この定はんのおっさん(おじさん)。甥の姿が変わっているので、ビックリして、“何か気に入らんことがあんのやったら、ワシに言え。とにかく、家へ来い。”と言います。定はんも訳を説明しますが、このおっさん、耳が遠いので、一向に定はんの声が聞こえない。地べたへ字を書きますが、無筆で字が読めん。年がいってる割には、力が強いとみえて、おっさんは定はんを引きづって自分の家へ。
さあ、エライことになったわ。けれども、何にも知らん寅はんに喜ィさん。土手下で煙草を吸いながら定はんを待ってます。ところへ、西国からのお侍、桜の宮へ花見見物にやってきたと見えますが、休む所がないので、この巡礼に煙草の火を借りにきます。寅はんも、これで稽古をしてやろうと、煙草の火を平野というお侍に貸しますわ。しかし、煙草を飲まんと見えるもう一人の中村というお侍、そこら辺をキョロキョロ見ているうちに、仕込み杖を抜いたり戻したりしている喜ィさんを見つけます。そこで、二人のお侍は、巡礼に姿を変えた兄弟の仇討ちだと察して、“仇を見つけた折には、助太刀なとしましょう”と約束をして、その場を立ち去ります。
しびれを切らした二人、桜の宮へとやってきますが、桜の宮では花見の人でいっぱい。飲めや歌えの大騒ぎ。その中で松っつぁんを見つけ出して、定はんが来ないことを言いますが、まあ、おそらくもうそこら辺へ来ていて、見えないように、バレないように姿を隠しているのであろうと、三人はいよいよ芝居を始めます。お決まりのセリフがあって立ち回り。この芝居のセリフの中で、仇の名前は“くろけむりごへいた”、巡礼の兄が“ひがんちゅうにちこれよし”、弟が“ももやまぐんじさかもり”、そして討たれた巡礼の親が“じょうきのぼりのすけ”、奪われた短刀が“よどがわまる”となっていますが、それぞれに意味はあんにゃろか?おそらく当て字としては、“黒煙五兵衛太”“彼岸中日是好”“桃山郡司酒盛”“蒸気昇之助”“淀川丸”ぐらいやと、思うんですけど。勉強不足のせいか、その辺はちょっといまいち分かりませんねんわ。詳しいことを御存知の方は、ぜひとも御一報を…。
しかし、肝心の定はんが現れない。さあ、周りの群集は、巻き添えになってはかなわんと逃げますが、そんな中、群集から仇討ちの話を漏れ聞いた先ほどの二人のお侍、“これは、先ほどの巡礼。助太刀してやらねば。”と走ってゆきます。そんなこととは知らん三人、同じ立ち回りを何べんも何べんもやっています。ところへ、二人のお侍。ビックリしたんは松っつぁん。寅はん、喜ィさんに聞くと、ホンマもんのお侍で、助太刀に来てくれたとのこと。こんなことでは本当に斬られてしまうと、申し合わせて、それぞれに逃げ出しますわ。
ビックリしたんは、今度は二人のお侍。仇も、仇を討つ方も、両方が逃げたんでは何の意味もない。と、二人がそれぞれ逃げたもんの後を追いかけます。松っつぁん、芝居の衣装ですから、裾に綿が入っていて、慌てて逃げる途中で転んでしまい、中村というお侍に捕まります。寅はんに喜ィさんも、平野というお侍に捕まってしまいました。“犬侍にキズはないか?”“犬侍にキズはない。して、ご兄弟には?”“ご兄弟の方々にも、キズはない。”“双方にキズがなければ、勝負は五分じゃ。”“いいえ、六部が来まへんねん。(六部が来んとおさまりまへんねん。)”と、これがサゲですな。つまり、勝負は五分五分ですが、六部の定はんが来ないことには、この芝居の収拾がつかんということなんですわ。なんとも、笑えるサゲですな。結構、意表をつかれるサゲですので、私は好きですよ。
上演時間は三十分前後かと思います。そんなに短くはできない話だと思いますし、また、ほんまもんの芝居にかかるまでのあれやこれやを丁寧に描いていかないと、クライマックスにおもしろみがなくなりますので、ある程度、時間をかけて演じられた方がイイのではないでしょうか。全編通して、結構それなりに笑いを取る所はあるのですが、やはり何といっても、最大の笑い所は、三人で立ち回りをしている所、そこへ二人のお侍がやってきて、あげくの果てに双方共に逃げてしまうというあたりで、言葉のやりとりでのおもしろさというよりも、どちらかというと、振り・しぐさを伴っての動きのある笑い、これがこのネタを象徴していると思います。つまり、会話のおかしみだけではなくて、ストーリー自体におもしろさがあるんですな。ストーリーが非常にうまくできているんでしょうなあ。ですから、話の運びがうまくいかないと、風情のない、つまらないものになってしまうのでしょう。そこへ持ってきて、四人がそれぞれの衣装・カツラ・小道具を持っているという心づもりや、立ち回りの動きなんか、なかなか演者としては難しいネタとなっておりますな。そして、その上に、一段違った所から登場するお侍がまた輪をかけているように思えます。というのも、お侍の振りや言葉、また、侍が登場するという自体、江戸時代でなければならないという設定、こら難しいはずですわ。結構な腕がいるとは思いますねえ。
このネタ、東京でも、『花見の仇討』として演じられています。内容はほとんど変わらないのでありますが、ただ東京ネタの方が、どこかお侍がカッコ良く見えますよねえ。そら、侍の本場ですもんな。侍の本場ちゅうのもおかしいですけど…。東京の落語には、お侍の出てくる話が多いので、噺家さんがお侍の描き方に慣れているからかも分かりません。しかし、話全体の流れからいっても、このネタ自体が元は東京ネタだったようにも思えますよねえ。ちょっとその辺は分からないんですが、とにかく、このネタに関しては、私は東西共に大好きなネタであります。
所有音源は、故・笑福亭松鶴氏、笑福亭松之助氏、桂南光氏、桂塩鯛氏のものがあります。松鶴氏のものは、若い頃の録音でしか聞いたことがありませんが、ストーリーを主体にした、実にうまいものでありました。特に、最後の大立ち回りのあたりなんか、非常に力のこもった声で、聞いているこちら側も手に汗握る迫真の演出で、またそんな中でも、仇討ちを見て逃げる人々の細かい描写なんかがあったりしていました。稽古屋の四人、お侍が二人、それに定はんのおっさんと、登場人物がそれぞれに特徴をもって描かれており、何回聞いてもいいものであります。松之助氏のものは、これまた変わっておりまして、年代が特定されておりますし、なかなか笑えますな。定はんのおっさんというのが、いかにもすんなりと出てまいりまして、何の不自然さ無しに、定はんを引っ張っていくのも、演出なんでしょう。南光氏のものは、最初に寅はんの家で芝居の稽古をするなどで、笑い所を増やしておられますし、四人の衣装や六部の解説を細かくされており、現代の我々にも分かりやすい演出となっています。塩鯛氏のものも、非常におもしろく、力の入ったもので、エエもんでございました。特に、二人の侍に、最後の所で、勢いがありますね。また、松之助氏と南光氏・塩鯛氏のものでは、その侍は西国の出ということで、“〜ばい”などという訛り(なまり)を付けてしゃべっておられます。これは、事実に忠実にしてあるんですな。松鶴氏のものでは、二人の侍は、普通の侍言葉であります。どちらがイイとは明確に言い切れません。というのも、芝居や浪曲なんかでも、関西で描かれる水戸黄門は関西弁で出てきますし、関東で描かれる忠臣蔵の四十七士は標準の東京の侍言葉で出てきます。これはこれでイイのであって、無理に忠実に変える必要もないのだと思います。といいながらも、『三十石』の船頭さんには訛りがありますが…。とにかく、どちらも正しいのでありますな。ああ、そうそう、南光氏のものですが、これも非常にイイものであります。登場人物がそれぞれにイキイキとしていて、特に侍には、その訛りと同様に、力がこもっていて、いかにも西国の侍という感じが出ています。演出としては、やはり、ストーリーが主体で、笑いも増えていますので、うまいですな。
他には、桂都丸氏なんかも演じられるらしいのですが、残念ながら、聞いたことはありません。それは、このネタ、やはり時期が限定されるんですな。花見時分しか演じられへんのですわ。そこへもってきて、ストーリーが主体なので、話が難しい。そら、演じる人も少ないし、聞く機会も少なくなるはずですわな。とにかく、私は、このネタ、本当に好きなのでありまして、ぜひ、もっと上演頻度が多くなり、聞く機会が多くなるように心から願っております。
<14.4.1 記>
<以降加筆修正>
![]() |
![]() |
![]() |