実は、私、最近、糖尿の“け”があるように思われてなりまへんねん。というのも、いつも行くお医者はんで、尿を取ってみてもらうと、ちょっと糖が多いんですわ。糖尿というほどの大げさなものではないのですが、ちょっと糖が多いらしいんですわ。そこで、この前から甘いものは一日一個と決めて、コーヒーなんかにも砂糖を入れへん生活を送っているんですな。そこで、今月は、せめて話の中だけでも甘いものをと思い立ちまして、『饅頭こわい』を選びました。それに、この五月十六日に、人間国宝の柳家小さん氏も亡くなりはったんですけど、小さん氏も、『饅頭こわい』を結構よく演じたはりましたわ。饅頭を本当においしそうに食べたはったなあ〜。お悔やみ申し上げます。

 若いもんが何人か集まって、ゴジャゴジャと話をし出すというのが、始まりですわ。人間が何人かいると、やはり気性も様々。好きなもん、嫌いなもんもそれぞれに言い合います。まあ、この辺は『こぶ弁慶』と一部重なる所がありますねえ。まずは、好きなもんの尋ね合い。ある人は酒。次の人は、二番が酒。二番の酒は分かるけど、一番は?ホンマは女(おなご)。って、そら言いにくいわ。それに後は、てんぷらやら鯛のつくりやら。また、“麺類ではぼた餅”という人も。“ぼた餅て、あれ麺類か?”“ああ、あら魚類か”て、何でこんなアホな会話が成立しまんねん。また、丼鉢という人もいる。なんでかいうたら、丼鉢に炊き立ての御飯を入れて、その上へ卵の黄身だけ、鯛の切り身、ワサビに醤油、あぶった浅草海苔をもんでふりかけ、ガサガサッと。しかも八杯食うて。化けもんやがな。それやったら、丼とか、鯛とかいうたらエエのに、丼鉢いうさかいにややこしい。しかし、ぜいたくで、おいしそうですなあ。私も二杯ぐらいは…。次はおぼろ月夜。おぼろ月夜の晩に一人で歩いていると、足に当たるもんがあって、拾ってみると財布。中には八十七万六千五百四十三円二十一銭入っていて、それを警察へ届ける。忘れた頃に警察から出頭命令。行ってみると、例の財布の落とし主が知れん。署長さんにせんどほめてもろうて、その金が自分のものになるのが好きや。って、誰かてやがな。そんなんやのうて、ちょっと食べるもんでは…。そら豆やて。おぼろ月夜と大違いやがな。

 今度は嫌いなもん。ヘビやらナメクジやらカエルやらクモやら…。と、キツネという人もいる。町内で悪さをするもんがいるという噂のあった頃、道を歩いていて、白犬がいると思ってよく見ると、これがキツネ。これが正体やなあと、捕まえてみると、キツネが“どうぞお助けを…”と言う。助けてくれたら、生涯見れんもんという、キツネが人間を化かすところを見せてくれるということ。分かったと、手拍子を合図に、キツネがキレ〜イな女に化けますわ。しかし、急場の仕事で、後ろを向くと、帯の間からしっぽが…。キツネにいうてやると、手で尾を隠して、“お〜恥ずかし〜。”って、そんな洒落いうかいな。向うからやってきた風呂帰りとみえる小粋な男をだましまひょかと、キツネがその男の耳元で、なんじゃボシャボシャいうたかと思うと、二人が肩を並べて空家へ。中をのぞこうとすると、戸が閉まってしまう。すると、節穴から指がチョイチョイと出たかと思うと、スッと引っ込む。ここからのぞけという謎かいなあと、中をのぞくと、真っ暗で何も見えん。時刻は夕景小前やさかいに、まだ明るいはずやのに、中は真っ暗。ジーッと見てると、頭の上から何かがバサーッとかかって、これを払いのけといて、ジーッとのぞくが、何じゃモヤモヤモヤモヤとして、プーンと臭い。すると、“コレ、危ないがな。”と後ろから背中を叩かれて、ふっと気がつくと、馬のケツの穴をのぞいていた。それからキツネが怖いて。そら、キツネにこっちがだまされてんねやがな。ところで、このキツネの登場の部分、大和の山の中でキツネを捕らえるワナがしかけてあって、そのワナに捕まっているキツネを助けてやるという型もあります。というか、この方が本筋だと思われますし、話にリアリティーがあるのですが、やはり私は、町中とはいえ町内でキツネが出てくる方が、何となく身近に思えて、個人的には好きなんですわ。

 いうてるところへ、年配のおやっさんが仲間の輪へ。強いと評判のおやっさんでも、怖かったことはあるとのこと。おやっさんのおばあはんが洗濯した浴衣を着たとき。糊がきいて、コワイ、コワイ。って、糊ききすぎてバリバリいいまんがな。そらこわい。昔、こわ糊とかひめ海苔とかいうてましたわな。今では、ほとんど死語でっさかいに、このギャグはあんまり分からんようになるんと違うやろか?ま、そんな話はエエとして、このおやっさんが、真から底から、ホンマに怖いと思うた話があるということ。その話とは…。

 おやっさんが二十五・六歳の時、叔父さんの家へ寄って、一杯飲んだ帰り道、真夜中に農人(のうにん)橋を渡る所で、橋の欄干に手をかけて、今にも川に飛び込もうとする一人の女。声をかけて、それを合図に飛び込んでしまってはと、後ろから羽交い絞め。身投げをやめるように諭すが、女は聞かない。好きなようにせえと、そのまま放って歩き出すと、後ろでザブーンという音。飛び込みよったわと思いながら、雨の振り出した所を、後悔しながら歩いていると、後ろから濡れワラジで歩くような音が、ジタジタジタジタ。こら、後をつけとんねやと、しばらく行くと、そばにお堂かお地蔵さんかがあって、その前に賽銭箱が置いてあり、その影へ隠れる。足音の主は、賽銭箱の前で、あたりをキョロキョロ。ふっとこっちを向いた時に、行灯の明かりで見えたのは、最前の女。顔がザクロのように割れて、血がタラタラ、見当の違った目をして、“さっき助けてやろうと言うたお方へなあ。”と。ああこわ〜。こうなると、おやっさんも賽銭箱の前に飛び出して、今度は俺が殺してやろうと、その女の髪の毛をつかんで、ズルズルズルズル。元の橋へやってきて、ドボーンと女を放り込む。と、同時におやっさんも川へはまった。拍子の悪い、橋のたもとに舟がつないであって、その舟の角で頭打って、目から火が出た。その火で足やけどして、あつい、あつい。“気ィつけよう〜、やぐら炬燵は危ないぞ〜。”って、そんなアホな。目から出た火でて…。と思うと、よ〜う考えると、夢の話ですがな。炬燵で寝てて、夢見てたんやがな。いやあ、ビックリしましたわ。しかし、この部分、最初聞いた時は、夢やというのがすぐには分かりませんでした。ところで、話は全く夢かいなあと思うてると、そうやない。ホンマの所もある。川にドボーンとはまったと思うたら、おやっさんは寝小便たれ。汚いなあ。

 ワアワアいうてるところで、一人、奥の方で話を聞いてたんは、光っつぁん。光っつぁんの怖いもんはと聞くと、これが“おまん”。つまり、饅頭のこと。こら、今でも関西では饅頭のことを“おまん”といいますわなあ。ちょっと関東のほうへ行くと、言いづらい言葉ですけど。そういうたら、桂萬光いう名前かてねえ…。“丸うて、割ってみると、中にあんが…”と言うと、それを聞いただけでもうアカン。二・三日は震えが止まらん、寝込まなアカンと、家へ帰ってしまいます。そこで、集まっていた連中は、おもろいことを考える。皆でそれぞれに饅頭買うてきて、裏口のない一人住まいの光っつぁんの家へ饅頭を投げ込む。中で光っつぁんがキャーバタバタ、キャーバタバタと、苦しむ所を皆で見て楽しもうという策略。ホンマ、おもろいわ。そこで、皆が饅頭を買うてくる。高砂屋の薯蕷に、橘屋のへそ、ひさごのけし餅などなど。この饅頭の名前、昔は実際に大阪にあった有名なものらしいのですが、残念ながら、私は京都の人間なので、ちょっとよく知らないんです。スミマセン。

 光っつぁんの家へとやってくると、案の定、光っつぁんは布団かぶって寝てますわ。そこへ、会いたい人がいると、皆がいっぺんに饅頭を投げ込んで、戸を閉めて出てくる。しかし、中では何の変化もない。“こら、光っつぁん、死んだ。”と誰かが言い出しますわ。こらあ、エライことになったわ。そうなると、警察から検死やなんかがきて、皆が逮捕。新聞に大きい出るわ。『友達共謀して、佐藤光太郎氏を饅頭にて暗(あん)殺す』、殺した奴もあんつくなら、殺された奴もあんつく、そこで皆が小豆色の服着る。って、そんなアホな。そやけど、この光っつぁんの名前が佐藤光太郎て、ホンマにうまいこと作ったある名前ですなあ。“砂糖”に“蜜”て、誰が考えたんやろ。これだけでおもろいわ。

 一方、中では光っつぁんがおいしそうに饅頭食うてまんねんわ。実は、大の好物やったんですな。どうせこんなことになるやろうと思うて、わなを仕掛けたったんですわ。光っつぁんの方が一枚上手でっせ。外では、中から音がすんのでおかしいと思うて見ると、光っつぁんが…。こら、我々を仕掛けようとしてたんやと、連中が中へ踏み込む。と、ビックリした光っつぁん、饅頭がノドに詰まりますわ。連中の一人が、“光っつぁん、あんたがホンマに怖いもんは何でんねん。”“熱いお茶が、一杯怖い。”“濃い〜お茶が怖い”“今度は熱〜いお茶が怖い。”なんかがサゲになります。つまり、饅頭が怖いといって、饅頭を持ってきたので、今度は、饅頭を食べて、ノドが詰まっているのもありますが、お茶が怖いといって、お茶が欲しいという意味ですな。ようできたサゲですよねえ。饅頭を食べた時に、お茶が欲しくなって、“お茶が怖い”なんか言うてる光っつぁんを想像すると、なんともおかしみがあって、よろしいわなあ。ただ、このネタ、あまりにも有名すぎて、サゲは誰でもが知っていますので、最後にどないなんねやろうという期待はちょっと薄いかも…。

 上演時間は、やはり四十分から一時間はかかると思います。それで、上演頻度はそんなに多いとはいえませんな。とりあえず長い。実は、上記に述べましたのは、あくまでも上方式の『饅頭こわい』でありまして、東京式に演じられると、もっと短く、二十分ぐらいあればできるんですわ。それで、寄席でも結構演じられているわけであります。というのは、東京式では、キツネの話や、夢の怪談噺などが入っておらず、好きなもの・嫌いなものの言い合いがもっと短く、簡素なのでありまして、その分時間が短くて済むんです。特にキツネの話は、『九郎蔵狐』という別の話で、一つのネタになってますわ。ただ、饅頭を食べるしぐさだけは、東京式の方が重要視されているみたいで、比較的見せ場にされています。話の流れからいうと、この東京式のほうがすっきりとしていてイイのであります。しかし、何じゃゴジャゴジャと入ってる方が上方っぽくて、また、馬のケツの穴をのぞいていたとか、寝小便たれとかも、いかにも上方らしくて、おもしろいですね。先ほども述べましたが、このネタ、たしか国語の教科書やなんかにも載ったことがあったと思うんですが、全国的に一般に広く知れ渡っていて、サゲも誰もが知っていますが、上方式の長〜い『饅頭こわい』の内容を御存知の方は、案外少ないと思います。

 とにかく、長くしようと思うと、いくらでも長くできますし、短くしようと思えば、短くもできる話なのですが、笑い所としては、キツネの話と怪談噺、それに本筋での最後の饅頭を投げつけるあたりでしょうなあ。キツネの話では、何じゃ臭いのと、馬のケツのぞいてたいうのが、いかにも笑ってしまいますよねえ。怪談噺は、やはり演者としては、結構難しいものだと思います。お客さんをグッと引き付けるだけの力がいりますもんねえ。ほんでまた、引き付けるだけ引き付けておいて、最後は夢だったと…。落語にはよくある手法なんですが、非常に真に迫る勢いなので、何ともいえん迫力があってよろしいなあ。噺の合間に入る、若いもんの茶々の入れ具合なんかも難しいと思いますが、それがまた笑いになって返ってくる。そこで、怪談噺の最後のオチが寝小便という、いかにも上方的で、東京の本筋での怪談噺とはまた一風違った味わいがありますねえ。

 で、この盛り上がるだけ盛り上がった後に、いよいよ光っつぁんの登場となるわけでして、ここでダレてしまうと、ここからサゲまでが一種の付け足しのようで、おもしろくない。その辺も難しいですなあ。そのため、この怪談噺までで切られることもあるようです。私はここで切られたのを聞いたことがありませんが…。けど、それやったら何のために『饅頭こわい』という演題になるのか分かりまへんわなあ。まあ、それから、光っつぁんに饅頭を投げつけてから、死んだんやないかとの推測、新聞記事の見出しのとこなんか、よう考えてありますなあ。ほんで、引っ張るだけ引っ張っておいて、最後のサゲ。演者の方としては、本当にご苦労さんでした…。一見、話の内容からいっても、前座噺のように思われているかもしれませんが、上方式の『饅頭こわい』は、相当な腕が要りますよ。

 所有音源としては、故・三代目立花家千橘氏、故・六代目笑福亭松鶴氏、桂米朝氏、桂枝雀氏のものがあります。千橘氏のものは、もちろん、SPレコードのものですので、コンパクトに演じられておりますが、それでも、怪談噺も、ちゃんと入ってますよ。キツネに騙される所ですが、あそこがタヌキになってまんねんな。最後の饅頭の件りだけが、ものすごく、あっさり、やられております。時間の関係でね。しかし、全体として、おもろいもんでんなあ。松鶴氏のものは、やはり最高でしたね。怪談噺では、引き付けるだけ十分に引き付けておいて、また、笑いのあるところでは、何ともいえんとぼけたおかしみが多く、間の取り方がうまくて、とにかく素晴らしいものでした。たしか、十回目の島之内寄席でのものだったと思いますが、まさに脂ののりきっていた頃の、全盛期の松鶴氏を十二分に堪能できます。米朝氏のものは、最近のものしか聞いたことがないのですが、全体としてあっさりと、三十分ほどでやっておられましたが、話としては非常にまとまっていて、これもさすがでありました。そして、光っつぁんが饅頭を怖いといって逃げて帰った後に、ヨナ(エナ、胞衣)の説明がされています。これは、母親の体から出てくる時に、赤ちゃんに付いているもんで、昔はこれを縁の下や庭なんかに埋めて、この上を通ったものを赤ちゃんが一生怖がるというので、たいがいは親が一度踏む。で、光っつぁんは、そのヨナの上に饅頭がコロコロッと転がったという話が入っています。枝雀氏のものは、やはり大爆笑でしたな。得意ネタとして残っていますが、とにかく、最初の好きなもん・嫌いなもんの言い合いのところからしてすでにおもろい。クモやアリが走るところなんかを指で表現するなんぞ、ホンマに気持ち悪〜い風に見えましたわ。しかし、どちらかというと、この好き嫌いのところを主体としておられたようで、最後の饅頭の件りは比較的あっさりとやられていたように感じます。饅頭の名前も、特には出しておられなかったんやないかなあ。サゲは、“濃〜いお茶が…”というもので、この“濃〜い”という言葉に枝雀氏のこだわりが出ているようでありました。甘い物を、しかも、一挙に食べた後に、“濃〜い”お茶は欲しくなりますわなあ。ちなみに、上記に三種述べましたサゲは、この御三方のサゲでありまして、それぞれに特徴が出ているように思われます。“一杯こわい”は、いかにもこってりとした味わいを出そうとする松鶴氏、“今度は熱〜いお茶が…”は、単にお茶が欲しいという意味ぐらいのサゲであるという米朝氏のものであります。

 とりあえず、ここまで書いてきて、ああ、やっぱり饅頭が食べたいわ〜。一日一個いうても、一日て長〜うおますねん。糖尿はツライぞ〜。

<14.6.1 記>
<20.1.1 最終加筆>


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