暑中お見舞い申し上げます。いやあ、暑いですね〜。この暑いさなか、先月に、うちの二番目の姉の子供が家に帰ってきたんですわ。もうすぐ二歳になる女の子なんですが、これがまたやんちゃ盛りでねえ。ほとほと疲れましたわ。そこで、今月は、『いかけや』をお届けしたいと存じます。

 いたずら盛りの子達が七・八人も寄りますと、これが話の始まり。いかけ屋はんの前に集まってきます。いかけ屋はんといいますと、漢字で書くと鋳掛屋、穴の開いた鍋やら釜を修繕する商売、つまり、穴に鋳物を溶かし込んで、固めて、金づちで叩いて直していきまんねんな。今は、もうないと思いますわ。私とて、一度も見たことがありませんので。昔は、電気・ガスのなかった時代、割り木や炭、からけし(消し炭)なんかで煮炊きもんをしてましたんで、ご家庭で使う鍋なんかを焦がしてしもうたりすると、すぐ穴が開きますねやわ。割り木なんかやったら、ガスより火力強いですしねえ。ほんでまた、現代のように、ホームセンターで500円前後で、鍋て売ってしまへんやろう。昔の人は、物を大事にしはりましたし。そんなこんなで、いかけ屋はん、なんて商売もあったんですな。道ばたや空き地なんかに道具一式の荷を置いて、“ふいご”いうて、箱みたいな形の火おこすもん使うて、路上で商売しまんねやわ。

 そんな、いかけ屋はんが火を一生懸命おこして、鋳物のカネを湯に沸かしているところへ、最前のような子供ら。まずは、"お体、お達者で結構ですな。お達者なりゃこそ、働けまんねんで。”って、そんなこと分かってるがな。また、“火をおこしてるのは、どういう目的や?”と。“カネ、湯に沸かしてんねん。”と言うと、“そら、造幣局でも、造船所でも、カネを湯に沸かしますわなあ。おっさんとこ、造船所のほうか?”って、知ってて、なぶってまんねんで。火が出てますのんで、“青い火から幽霊でますか?”それ聞いた別の子が、“こんなとこから幽霊は出ますまい。よしんば出たところで、釜から出る幽霊で、五右衛門の幽霊。”って、なかなか、よう物事知ってますな。釜ゆでで処刑されましたんでねえ、石川五右衛門は。次は、“細君ごわすか?”やて。子供だてら、嫁はんのことを“細君”言いまんねん。この“ごわす”は、鹿児島弁の“ごわす”ではなくて、船場言葉の“ごわす”やと思うんですけど、違いまんにゃろか?“いかけ屋かて、カカも子供もいてるわ。”と言うと、“そら、和子様ですか、姫御前でやすか?”やて。男の子・女の子やのうてねえ。“男の子や”と言うと、“男の子は末が楽しみや。将来、出世するかも知れんわ。親がいかけ屋でも。”やて。バカにしてまんな。ホンマに。

 そんな中、ちょっとおとなしい子がいるので、いかけ屋のおっさんが聞くと、“わて、病人。”“散発がキレイに出来ておまんなあ。”と言うと、“散髪屋のおっさん、向こう商売で。”また、いかけ屋のおっさん、やられた〜。ところへ、一番の悪ガキとおぼしき子供が、“金づち、貸してくれ。”とやってきます。“何すんねん?”と聞くと、石をほじくるとのこと。“そんなことせんと、家帰って鍋や釜の底を穴開けて回れ。”と言うと、“お父さん、お母さんが怖い。”って、まだその辺が子供ですな。“そんなことでは、悪さの頭にはなれん。おっさんら、子供の時分、家にある鍋や釜の底を潰して歩いたもんじゃ。”と言うと、“ほんで、大きなって直して歩いてんのか。”やて。あきれるわ。金づちを断ると、今度は、“火、消したろか?”と言い出す。“消せるもんやったら、消してみい。”と、おっさんも怒ると、子達がみんな小便して、この火を消してしまいます。商売ワヤやがな。

 この後、連中はうなぎ屋はんをからかいにとやってきます。このうなぎ屋はん、屋台の、持ち帰り専門の店なんですな。ここでもいたずらのやり放題。うなぎを裂いたら、中から針が出てくるので、針が欲しいと言い出します。今のように、ほとんどが養殖やなく、川で捕ってくる天然のうなぎでっさかいに、針が入っているのも当然ですわなあ。確か、東京のある有名なうなぎ屋さんで、メニューの中で“天然うなぎ”と書いてある横に、“針が入っていることがございます”という注意書きが載せてあるものがありましたなあ。このうなぎ屋はん、子達にようからかわれるらしく、この前には、八幡巻きの高いのと安いのとの値札をあべこべにされて、エライ損をしたことがあったり、屋台の脚に縄をくくりつけられ、角を曲がったところで引っ張られていたり…。と、いうてるうちに、ダシ(今でいうタレですな)を混ぜる杓(おそらく、しゃもじでしょうなあ)をねぶったり、また、そのねぶった杓をダシの中に入れたり。そして、地べたへ落としてしまって、土のついた杓を、もう一度ダシの中へ入れる。って、タレ使えんようになってしまうがな。子達を追い払うために、うちわであおいで、頭から灰を降らせると、“雪降りや”と踊ってしまいますわ。

 今日も、こら商売さしよらへんわと、ウロがきて半泣きになったところへ、白の脚半・甲掛け、金剛杖をついた一人の男が、うなぎ屋の前を通りかかります。このうちわで子達を追い払う様子を見ていたので、もう一つ困らしてやろうと、うなぎ屋に、“お前の持っているのは何や?”と問うと、“うちわです。”と、うなぎ屋のおっさんが答える。“うちわやったら、うちの中であおぐもんや。外であおいだら、そとわやないか。どうじゃ、グウとでも言うてみい。”とやり込められてしまいます。また、このやりとりを見ていた人が、“なんじゃありゃ。追いかけて行って、『お前は身なりからすると山伏やろ。山伏やったら山歩け。里歩いたら、里伏や。』と、言い返しなはれ。”と、うなぎ屋のおっさんに教えます。悔しいおっさんも、最前の山伏に、このことを言うと、山伏は“わしゃ、山伏やない。山上詣りや。”“何、山上詣り。ごきげんようお詣りやす。”と、これがサゲになります。ま、“静かにお詣り”とか、“あんじょうお詣り”なんかいう言葉でもサゲになっています。つまり、山伏やと思うた男は、大峰山へお詣りやったんですな。大峰山の奥の院は、山上ヶ嶽に蔵王権現が祀られてるんで、大峰詣りを山上詣りというたんですわ。うなぎ屋のおやっさんも、山伏やなかったんで、これには言い返すことが出来なくて、しょうがなく、“ごきげんようお詣りやす”と言ってしまったんですな。これは、山上詣りでは、お詣りの途中、山の中なんかで、登る人・降りてくる人に会うと、顔を知らなくても、お互いに“ごきげんようお詣り”と声を掛け合うのが、普通やったんで、このサゲの由来になっているのであります。しかし、別に山上詣りだけやなくって、京都の愛宕さんの千日詣りやら、大津の立木さんなんかでも、一昔前は、“よう、お詣り”なんか言うて、声を掛け合ってましたよねえ。今でも、朝早くお寺や神社にお詣りすると、互いに顔は知らなくても、“おはようございます”と声を掛け合っていますよ。ま、こういう風習の一種だったんですよね。

 ところで、どう考えても、このサゲ、イイものとは思われませんよね。これは、これまでのいかけ屋のおっさん・うなぎ屋のおっさん共に、あまり関係がないからなんですわ。子達が二人をせいぜい困らせたあげくに、どっからか現れた山伏風の男がサゲになってしまうんですよ。話の順序からいくと、当然、子達とうなぎ屋のおっさんとのやりとりでサゲになるように思われますのでねえ。やはり、話につながりがなくなりますな。これは、『山上詣り』という小噺が、この『いかけや』の話の最後にくっついてサゲになっているからなんだそうです。あれやこれやと一悶着あった末に、あんまり関係のないところから小噺を持ってきてサゲにする。こういう手法も落語には、たまにあるんですよ。たとえば、『商売根問』に『イギリス』の小噺を引っ付けてサゲにするとか。ですから、この話にサゲをつけない演出も多く、うなぎ屋の登場で、話がまた初めからになるので、いかけ屋をからかうところだけで切られたり、また、うなぎ屋をからかって、サゲをつけずに切られたりするんですな。今では、サゲをつけなくて、途中で切られるほうが多いんですよねえ。実は、私は、このネタに関しては、サゲをつけて欲しいほうなのでありましす。それは、“ごきげんようお詣り”という言葉をかける習俗が、いかにもなつかしく、残しておいて欲しいからなんですよ。別に話の流れとか何とかという問題ではなくて、単に、この言葉を聞きたいというだけの理由で。

 上演時間は、十五分ぐらいから二十分前後、そんなに長くは引っ張るべき話ではないと思います。最初から最後まで、全編通して笑いが多い、寄席にはもってこいの話ではないかと思います。やはり、笑い所は、子達といかけ屋のおっさん・うなぎ屋のおっさんとのやりとりですよねえ。言葉の掛け合いだけではなく、そのしぐさをも含めての。どちらかというと、子達が実際にしゃべるのは、いかけ屋のおっさんとのほうが多いのですが、このやりとりの模様、いろいろとありまして、一概にこれでなくてはいけないというわけでもないんでしょうが、ただ、子達の舌のもつれ具合や背の高い・低いなどで、随分と描き分けされていますね。なかなか文章だけでは表現しきれないのではありますが、それぞれの子達の、憎たらしい中にもかわいらしさが残る、しぐさやものの言い方と、いかけ屋のおっさん・うなぎ屋のおっさんの仕事をしながらも、子達にかまって、ものを言う応対が、いかにも対比されていて、おもしろいですよねえ。一昔前は、どこの辻にでもあったような情景ですわ。しかし、演者にとって、この人物の描き分けというものは、非常に難しいと思われます。特に、子達の会話の中で、どこで大人のいかけ屋はん・うなぎ屋はんがうまく入っているかねえ。そして、同じ大人でも、いかけ屋のおっさんと、うなぎ屋のおっさんとの違いも。

 このネタ、皆様方もよくご存知だと思われますが、故・初代桂春團治氏の十八番として、現代にまで語り草となっているものであります。『野崎詣り』と共に、レコードでも爆発的な人気があったネタらしいですわ。特に、子達が憎たらしくも大人をからかう部分が、非常によくウケたんですね。また、その後の故・二代目桂春團治氏も、得意ネタにしておられたらしく、大変に人気があったものらしいです。そして、当代の三代目桂春團治氏も、両二者に負けず劣らずの十八番ネタとして、現在でもよく演じられております。しかし、初代の『いかけや』は、あまりにも有名で、非常にうまかったたために、他の噺家さんがこれを演ずるのを意識的に避けていたようで、これは、二代目・三代目となる現在に至っても、上方落語界の一種の暗黙の了解のような形になってしまっているような感じがあります。そのため、当代の三代目さんも、お父さんであります二代目さんに稽古をつけてもらわなかったそうで、故・桂文團治氏に稽古してもらわれたと、先般、語っておられました。

 所有音源としましては、その初代春團治氏と文團治氏、三代目春團治氏、それに故・桂小南氏のものがあります。初代のものは、もちろんSPレコードのものですので、ややコンパクトで、短くなっているのかもしれませんが、やはり大爆笑ですな。大人と子供の掛け合いの妙と間。どれをとっても、やはり、おもしろいもんですわ。ぜひ一度、生で高座を見てみたかったものです。文團治氏のものは、その初代のものに比べると、そんなに派手さはないのでありますが、やっぱり子供の演出が、いかにもうまかったですな。また、半泣きになったうなぎ屋のおっさんなんかも、目に浮かぶぐらいでした。三代目のものは、マクラに『桃太郎』をコンパクトにした話をつけておられまして、ここからもうすでに、笑えますわ。本編の中でも、病人の子供がいかにも、しんどそうだったり、いかけ屋のおっさんが持っている金づちを、扇子で表現しておられるのですが、その扇子の持ち方が、まさに金づちを持っているかのように見えて、リアル感があって、うまいですよねえ。そら、今でも、誰もやらんはずやわ。また、小南氏は、東京にあって、このネタを随分と広く普及させた方でもありますよねえ。上方では遠慮して、やりにくい人が多い中、東京では堂々と得意ネタとして、よく演じられていたようでありますな。内容は、やはり、爆笑の連続。マクラでは、いかけ屋はんという商売は権威があって、天秤棒が他の物売りよりも一尺長かったなどの詳しい説明をして、子供達が出てくるところで、いかけ屋のおっさんがキセルで煙草を吸いながら、“いずれを見ても、山鹿育ちか”という、『菅原伝授手習鑑』の『寺子屋』の一節が入っていますし、子達の中には、何人かの女の子が入っています。他にも、病人の病名は高血圧で、金づちは塀に穴開けるために使うとか、ちょっと現代的な部分も取り入れられておられます。そのため、ちょっと上方的なところを省いておられるような節もなきにしもあらずではありますが、またこれが東京にぴったりと合っていたんでしょう。子達の描き分け、また、半泣きのうなぎ屋のおっさん、深く印象に残っています。ちなみに、初代と文團治氏はサゲまで、三代目はいかけ屋のところだけ、小南氏はうなぎ屋のおっさんが半泣きになって、うなぎを真っ黒に焦がしてしまったところで切って、サゲはつけておられませんでした。

 上記に述べましたように、やはり上方では、春團治氏以外には、やりにくい事情もあるのかもしれませんが、それはそれとしまして、私は、もっと気楽に構えて、子達の無邪気な笑顔を楽しみながら、もっともっと他の噺家さんにも演じて頂きたいと願っております。

<14.8.1 記>
<以降加筆修正>


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