先月、父親がちょっと体調を崩しました折、私、初めて釜を掃除したんです。商売柄、毎日、朝・晩二回、おくどさん(かまど)に火を入れまして、割り木で煮炊きもんをしていますんで、定休日の前日、毎週水曜日の夜には、必ず釜とおくどさんを掃除するんです。煙突は、毎月一回、屋根の上にのぼって、業者の方に掃除してもらってます。ガスと違うて、おくどさんでは、必ず、すすがたまります。炊き口は、毎回、燃やすたんびに掃除しますが、おくどさん自体の内側についたすすや、釜の底についたすすは、水曜日の晩にかき落としてまんねやわ。すすを落とさんと、だんだんだんだん、こびりついて、たまりまっさかいに、下からなんぼ火炊いても、火力が伝わらんようになりますねん。あの、お好み焼きのコテの小さいような金属のヘラで、ガリガリと削り落としまんねん。この、こそげ落としたすすが、鍋墨ですわ。釜についてる墨でも、鍋墨。釜墨とは言えしまへん。ま、今では、ほとんど見受けられない光景となりましたが、電気・ガスのなかった時代では、どこの家、または、ホコリが立ちますんで、家の外では、必ず見受けられた風景やったようです。この説明を分かってもらわんと、今月のネタは、なんのこっちゃ分からんようになりまっせ〜。

 主人公の男というのは、担ぎの、振り売りの八百屋。というよりも、大根売り。“だいこ、だいこ〜”なんて言いながら、とある長屋へと入ってまいります。声をかけたのは、どこぞの奥さん。奥さんというよりも、長屋のカカ。“一本、いくら?”と聞くと、“六文だす。”という答え。“この、こんな細い大根が、これ六文。もうちょっと負けえな。”“負かりまへん。”という、どこにでも見られるような値段応対の風景。“これ、ぎょう〜さんあるけど、何本あんの?”“まだ口開けで、いっぺんも商売してまへんさかいに、百本ありますねん。”“口開けやさかいに、負けえな。”“口開けやさかいに、負かりまへん。”なかなか両者共に手ごわい。“これ、百本、皆買うたら、ここで荷が空になるさかいに、ちょっとは負けてくれるやろ。”と、カカの方が、ちょっと値切り方の方向を変えてきましたな。これにつられて、大根売りも、“百本でやったら、四百文でよろしいわ。”と、妥協してきましたなあ。“ほんなら、五十本で二百文。十本で四十文。一本四文の勘定やなあ。これとこれとこれで、三本もらうさかいに、後で持ってきて。わてが、この長屋中にふれて回ったげるさかいに。ここだけでも五十本は売れるがな。皆、大根売りが来ましたで〜。一本四文だっせ〜。”と大声で言いふらします。この辺は、さすがに大阪の長屋のカカ。しっかりしてますなあ〜。

 と、言われましたが、いっこうに売れる気配がない。また、これこれと言うて、引き出しよった三本の大根、どれもよ〜う太い、長いやつですわ。悲し〜いになって、大根売りも、細い大根三本を、この太い大根とすり替えて、さっきのカカのところへ。十二文の銭もろて、三本の大根を出すと、“大根が違う。”と言われます。大根売りも、見破られてはかなわんと、“違わしまへん。”と言い張りますが、やっぱりダメですわ。このカカ、さいぜんから、鍋墨をかき落としている最中で、手にすすがついていたんで、太うて長い三本の大根に、黒いすすの印がつけてあるとのこと。さすがでんなあ〜。たくましし、たくましし、長屋のカカ。大根売りもあきらめて、さいぜんの鍋墨で印のついた大根を渡して、帰ってしまいます。しかしまあ、なんという庶民の知恵でしょうなあ。

 この大根売り、自分には、こんな商売向いてへんと、突然に商売を変えて、今度は、駕籠屋になります。って、この発想の転換が、また突拍子もない。なんで、大根売りから、駕籠屋になりまんねん…。相棒と一緒に、客待ち。ところへ、一人のお客。“堀江まで、なんぼや?”“一朱でお願いします。”“そこを二朱で行ってんか。いや、酒手やら、走り増し言われたら、かなわんさかいに、そこをゴジャゴジャなしの二朱で行ってちゅうてんねん。”と気前のエエお客ですな。“そうと決まったら、そこら辺の茶店で、茶碗酒一杯飲んで、景気つけてやってんか。”と、お客は、二人の駕籠かきに、二朱とは別に、天保銭一枚をやって、酒を飲みに行かせます。その隙に、お客は誰もいない空いた駕籠に、相撲取りを乗せてしまいます。相手が相撲取りやと言うたら、駕籠に乗せてくれへんし、また、乗ったとしても、駕籠賃もアホほど高う取られるので、駕籠賃を倍に払うて、乗せてもらおうという、お客の計略ですな。このお客、関取のひいきの旦さんやったと見えて、関取には祝儀なんかを渡しながら、関取の履きもんも駕籠に入れて、左右の垂れもおろして、誰が乗ってんのか分からんようにしてから、どこぞへ行ってしまいました。

 そんなこととは、つゆ知らず、戻ってきた駕籠屋、垂れも履きもんも直ってますので、お客が乗ってるもんと、棒を上げますが、重とうて、なかなか上げられへん。さいぜんに応対したお客は、どっちかいうたら、やせた人。まさかと思って、垂れを上げてみると、乗っていたのは、相撲取り。駕籠屋が、“しもた、さいぜんのお客に、鍋墨つけといたらよかった〜。”とこれがサゲになります。つまり、大根売りの時に、太い長い大根を、最初に鍋墨で印をつけられていたので、駕籠屋になっても、さっきの、駕籠賃の応対をした、やせたお客に、鍋墨で印をつけといたらよかったのに、という意味ですわ。何とも、おかしみのある、奇抜といえば、奇抜なサゲですな。お客に鍋墨をつけられるはずはないんですが、以前に大根でやられているだけに、実に実用的ですわ。

 上演時間は、十分から十五分程度、引き延ばすほどのネタではございませんし、小品で、あっさりと演じられるネタですな。かといって、小噺程度ではあるんですが、内容からいうと、ちょっと説明が要るので、小噺では収まりません。時間的には、寄席向きかとも思われますが、笑いが多いこともありませんので、別に寄席向きというほどでもなく、特に変わった、特殊な場合しか演じられないと思います。話自体は、大根売りと駕籠屋とで、大きく分かれますな。前半は、いかにもちゃっかりとした大阪の長屋のカカと、ちょっと気弱な大根売りの、商いのかけひきにおかしみがあります。一昔前の長屋なんかでは、ようある光景やったんですけどねえ。ちょっと前までは、商店街の八百屋のおばちゃんと、主婦とのやりとりなんかでも、こんなんようありましたわ。“負けて〜”“いや、負からん”“ちょっと、○○さんの奥さん、今日、ここの大根安いね〜。”とか言うて、人呼んで、自分の分を負けてもろたりしてねえ。『みかんや』の中でも、こんな長屋の中で、みかん売ってやる、采配する人、出てきますな。後半は、ちょっとした落語好きの方なら、よう御存知の件り。『住吉駕籠』の最後の二人乗りのところと、ほとんど同じです。しかし、二人乗りではなくて、相撲取りが乗っているところが違いますし、また、これがサゲにつながるわけですな。時代設定は、駕籠屋が出てくるので、やはり江戸時代のことで、それで、お金の単位も文と朱になっているんでしょう。

 だいたいが前半と後半に、非常な無理なつながりがあるネタですな。どういう発想で、大根売りが駕籠かきになるのか?別に、前半なら前半、後半なら後半、それ自体に無理はないんですが、これをつなげることが…。でも、このつながりがばければ、ちょっと変わった、おもしろいサゲが出てこないんですよねえ。困ったものだ。一番始めに説明しましたが、この鍋墨というものが、ほとんど一般の方は知らないということになってくると、この話はやりにくい。説明してから、ネタに入らんといけませんしねえ。だから、このネタも、上演頻度が少なく、半分埋もれかかっている、珍しいネタになってしまったんでしょうなあ。

 所有音源としては、桂米朝氏のものしかありませんし、また、他の方ので聞いたことはありません。マクラでは、“桂南天さんという、ちょっと変わった人に教わりました、けったいなネタで…。”なんか、おっしゃっておられまして、やはり、鍋墨の説明をされておりました。大爆笑はできませんが、前半・後半ともに、筋立ての通った、おかしみのあるものであります。前半・後半のつながりの無さを、カバーされるぐらい、やはりウマイ方ですなあ。

 昔は、こんなネタを軽く一席やった後、踊りを踊ったはった人もいはったんでしょうなあ。それに、時間のない時やらねえ。この種のネタは、やはり、若い時分やのうて、ちょっと歳いってからの方でないと、おかしみは出せへんと思いますし、また、演じるのを許されへんと思いますわ。そやけど、どっかで残しといてほしいなあ〜。

<14.11.1 記>
<以降加筆修正>


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