新年、あけましておめでとうございます。旧年中はいろいろとお世話になりましたが、どうぞ本年も、この上方落語のネタ、よろしくお願い申し上げます。てな、あいさつがあちこちで聞かれる正月、今月はそれにふさわしいネタ、『けんげしゃ茶屋』をお送りしたいと思います。この話、実は舞台が大晦日と元日という、一年で最も慌しいこの二日間のみを取り扱ったネタでありまして、なんともいえん風情がございます。しかし、同じ二日間でも、この二日だけは本当にがらっと雰囲気が変わりますな。ところで、演題の“けんげしゃ”という言葉、今では何のことかさっぱり分からない上方の死語であります。意味は“かつぎや”、つまりゲンをかつぐ人のことだそうです。御幣かつぎなんかいう言葉もありますな。このゲンという言葉自体も、縁起をひっくり返したシャレ言葉ですよね。声に出して言うと、“けんげしゃ”“けんげしや”“けんげっしゃ”などと、場合によって発音が多少違うこともあるんですが、ちょっと不思議な言葉ですな。上方落語の代表作・『たちきれ(たちきり、立ち切れ線香、線香の立ち切れ)』の中でも、若旦那が小糸はんのおかはんから白木の位牌を見せられるところで、演者によっては、この“けんげしゃ”という言葉が出てきます。とにかく、この言葉の意味を最初に分かっていただいてから、早速中身へ…。
主人公というのは、村上の旦さん。ちょっとした大店(おおだな)の主(あるじ)さんですな。大晦日の昼間、この人が道を歩いていると、声をかけてきたのは、又兵衛という人。聞いていると、この旦さん、家でも店でも大晦日の大掃除や総決算で、邪魔者扱い。しょうがないので、ぶらぶらと外へ出て歩いているということ。又兵衛のほうも、家には掛取り・借金取りが来るので、いてられへん。二人揃うて、色街のお茶屋へ、というのも大晦日では…。しかし、旦さんの顔なら、いつもの新町のお茶屋でも遊べるはずですが、それが、新町へはちょっと行けへんようになった様子。というのも、この旦さん、エライ事しはりましたんやわ。
いつものように、新町の大門へとさしかかると、幾代餅を売る店があって、見ていると、黄色い粟餅を小さくちぎって丸め、あんをつけていく。ここで、ちょっと趣向を思いついた旦さんは、できるだけ不細工に丸めさした餅を、あんなしで、黄色い粟餅だけで、五つほど竹の皮に包まして、懐へ入れて、いつものお茶屋へ。上がって飲んでるが、旦さんが浮かん顔をしていると、“気分がお悪いんですか?”と聞かれたんで、“ちょっと、お腹の具合が悪い。わしの腹痛は、出すもんさえ出したら済むねん。”“それではお手水へ。”“いやもう、手水行くのん邪魔くさい。ここにおまる持ってきて。”“こんなお座敷へ、おまるみたいなもん持って来られますかいな。”“できひんねやったら、ここでしてしもたろ。”てなことを言いながら、そっと股の下から粟餅を一つ落として、しばらくしてから、機嫌が直ったんで、飲み始める。“旦さん、体の具合は?”“もう治ったがな。出すもん出したんやさかいに。もう、ここでやってしもうた。”と言うて立ち上がると、粟餅が転がってる。皆が“キャ〜”と言うて、大騒動。そのさなか、旦さんは、自分で出した自分のもんやさかいに、自分で始末をつけると、この粟餅を食べてしまう。また、輪をかけての大騒動。
そこへ、太鼓持ちの一八が飛んできて、“そんなことしはったら、御人体にかかわります。”と言うので、竹の皮を広げて粟餅を見せてやって、“お前も、こちらの趣向を見破って、粟餅を食べてくれたら、でぼちんに百円札一枚貼ったんのに。”と言ってやって、後は連中みんなで大笑い。しているうちに、ホンマに便所に行きとなった旦さん、誰も分からんように手水へ行こうとすると、一八が後ろからついてくる。あんまりしつこく祝儀を言うんで、今度はホンマもんを手水場へ行く途中の廊下でぽとんと。それを、頂きますと、一八が口へ持っていって…。って、こらエライことですわ。それから、この旦さん、新町では“ババの旦さん”とあだ名がついてしもうた。しかし、この話、エライ話でっせ〜。おもろいのんは、おもろいんですけど。
で、新町へは行けんようになったんで、この頃は、南・南地へ行っているとのこと。国鶴というて、可愛いのんが一人できて、鶴の家というお茶屋を一軒持たしてある。しかし、この家のおもしろいんが、この国鶴はもとより、その父親・母親と、一家三人がいたってのけんげしゃ・かつぎや。なんでもゲンをかつぐんで、ちょいちょいとゲンの悪いことを言うてやって、顔へ稲妻走らして、嫌な顔さして、これを見ながら一杯飲んでいる。って、さすがにエライ旦さんや。ババの旦さんだけあって。ここで、またおもしろいことを思いついた旦さん、この又兵衛さんに、明日・元日のこの時間に、一揃えの葬礼・葬式の行列を作って、さいぜんの鶴の家へ来てほしいと頼みます。十人ほどで、葬礼のいろを着て、位牌や香炉を持って、昼ごろに、“冥途から死人(しぶと)が迎えに来た。”と言うて来てもらいたいということ。葬礼のいろとは、白い着物や朝の裃のことで、白だけに縁起が悪く、色がないものなので、いろと言うたんですな。『古手買い』なんかにも出てきますわ。それに、昔は、死人を“しぶと”と発音してましたんやな。これも『らくだ』なんかには出てきます。つまり、葬式行列が、元日から、ゲンかつぎの家にやってくるという趣向。悪い考えや。おもろいけど。これを約束しておいて、二人は分かれてしまいます。
さて明くる日、元日ともなりますと、大晦日とはうって変わっての町の様子と人の気分。旦さんも、恒例の年始の行事を家で済ませますというと、いよいよ南へ。色街の正月というものは、また格別で、その陽気なこと。と、ここで下座から、手毬唄の十二月(じゅうにつき)が入りますわ。一昔前の上方では、正月というたら、この十二月やってたらしいですな。もちろん、鞠をつく手毬唄のほか、羽根つきにも唄われたりしていたらしいんでっさかいに、女の子の唄う唄といえば、女の子のもんなんですけど。しかし、この歌詞、別の意味で解釈すると、とってもやおまへんけど、女の子が唄えるようなもんやないらしいんですよ。ちょっとこれは、解釈の仕方の問題なので、あんまり言えませんけど…。この十二月は有名で、よくできた唄なんで、さまざまな替え唄やアレンジした唄もありますな。今ではほとんど見られませんが、芝居なんかでは、『夕霧伊左衛門』の幕開け、新町の吉田屋での餅つきの場面で、この十二月が使われていますし、寄席でも、正月の初席だと、必ず一人ぐらいは、いつもの出囃子ではなくて、この十二月で出はる人がいはりますな。桂米朝氏などは、よく初席なんか、この十二月で上がったはりますよねえ。毎日放送の『米朝一門顔見世大興行』や、関西テレビの『とっておき米朝一座』なんかでも、いつもの三下がり鞨鼓(かっこ)で出はる年もありますし、十二月で出たはる年もあります。
ちょっと話がそれてしまいましたが、旦さんは鶴の家へ。国鶴さんのおかはんが出てきて、まずは新年のごあいさつ。しかし、旦さんは、“エライ初夢を見てしもうた。枕元に国鶴が立って、暇乞い。おかはんをよろしゅうと言い残して、傍らの井戸へ身を投げ、それを追って、おかはんも飛び込んでしもた。”と、まずは先制攻撃。一家三人がけんげしゃだと知りながら、じわりじわりとやってきまっせ。“しかし、夢は逆夢というさかいに、ホンマはおかはんが先で、国鶴が後やったかも分からん。”って、これも、一旦上げといて、また落とすという、念の入った困らせよう。“親父どんは?”“早々からお礼に。”“へえ、葬礼に。国鶴は?”“二階で身仕舞いを。”“身終うたか。”“いや、髪を…。”“おろしたか。”てな、連発をしているところへ、国鶴さん、二階から降りてまいりまして、新年のごあいさつ。しかし、この場面、本当に目に浮かぶようなんですが、あでやかなんでしょうなあ。
そこで二人は連れ立って二階座敷へ。部屋の中も飾りつけが正月のもんに変わっている中、短冊が掛けかわったんを見つけた旦さん。“錆田(さびた)の先生からで、おとっつぁんの還暦を祝うて、林松右衛門の名を折り込んでありますの。のどかなる 林にかかる 松右衛門”“へえ、喉が鳴る はや死にかかる 松右衛門”て、うまいこと読まはりますわ、旦さん。しかし、この俳句というか川柳、よう考えてありますよねえ。次は、お屠蘇(とそ)を飲んで、“土葬か?屠蘇は薬酒やで。新年早々薬飲まして…。”燗したお酒に変えると、“こら火燗やなあ。湯燗か…。”やて。今度は重箱に手をつけて、“これ、家で作ったんか。年寄りが走り元を高下駄履いて、すべってこけたらどないすんねん。蓋を開けると、煮しめの上に青海苔が一枚、煮しめが草葉の陰から…。黒豆は苦労豆、数の子は貧乏人の子だくさん。かんぴょう(勘平、忠臣蔵のお軽・勘平。)さんは三十に、なるやならずで…。昆布巻き(棺巻、お棺を巻く布。昆布巻きは、こんまきと発音しますな。)の中から、死人(ニシン)が顔を出してる。”と、ゲンの悪いことの言い放題。
ここで国鶴さんは、芸妓仲間の一竜(いちりょう)はん・芝竜(しばりょう)はん・絹松っつぁん・小伝さんの四人が、ここの家から初出がしたいと言うてるので、知らしてやってもいいかと旦さんに聞き、知らしてやります。“そら、ちょっとでも早いほうがエエ。電報かなんかで。”って、何とも不気味な言い方。ここで、“線香三本でもエエさかいに…。”という言葉が出てきますが、これは、昔、芸妓はんなんかが、線香を立てて時間を計って、その料金が決まったことによるもので、線香代・花代などと呼ばれ、ここでは、四人でも、三人分の給料でイイので、この鶴の家さんで新年第一回目の座敷を務めたいということになるんですな。今でも、花代・お花のほうは使いますけど。ま、先ほども言いました『たちきれ』のサゲにもなっているんですが。それと、“知らす”というのは、呼びにやる、つまり、声がかかったので、どこそこのお座敷へ来さすということですな。知らしている間に、初詣に行くところを探します。“天神さんは、無罪の罪で…。大黒さんは、大きに苦労する。恵比須さんは、耳が遠うて目が近い。生国魂はんは、松屋町筋をまっすぐにただ一筋…。”って、国鶴さん、行くとこあらへんがな。と言うてるうちに、四人さんがやってきて、新年のごあいさつ。この場面も、いかにも色街の正月という雰囲気で、よろしいなあ。
ところへ、昨日・大晦日に約束していた又兵衛さんが、葬礼の行列を従えて、鶴の家へ。玄関で、“村上の旦さんに、冥途から死人が迎えに来たとお伝えを。”と、おかはんに取り次ぐと、おかはんが二階へ。旦さんは、京都の御影堂(みえいどう)に住んでる渋谷藤兵衛で、“めいどのしぶとう”とうまいこと言うて、又兵衛さんを二階へ上げます。この御影堂ですが、昔、京都の五条、鴨川と河原町通りとの間あたりにあった実際のお寺で、扇を作り始めた元祖のお寺として有名やったんですな。今はもうなくなってしまいましたが、跡地には扇塚の石碑だけが残ってますわ。そこで、旦さんは、下で待たしてある供の連中には、徳利燗の茶碗酒、海布(めえ、あらめのこと)と油揚げの炊いたん、ゴマをつけへん三角の握り飯をやってくれと言い出します。つまり、葬式につきもんのもんですわ。徳利燗て、一升徳利をそのまま燗しますし、あらめはお盆の精進に食べますわなあ。おにぎりも、三角にして、ゴマをつけへんのが葬式での常識やったんですわ。『近日息子』の古い言い草では、サゲの前のところで、“暖簾がくるりと裏返って、にぎり飯食うてまんねや。”というのがありますな。旦さんに続いて、この又兵衛さんも、なかなかの技持ち。芸妓はんの名前を、生霊に死霊、死ぬまつに香典、首つると言い出します。これもなかなかよう出来てるギャグですなあ。
下では、けんげしゃのおかはんが、正月からこんな目に会うて、情けのうて、ちょっと涙ぐんできたところへ、通りかかりましたのが、太鼓持ちの繁八。鶴の家の前に葬礼の行列ができてるし、おかはんが傍らで泣いている。ということは、ここの家に不幸があって、死んだんは、国鶴さんかおとっつぁん。しかし、国鶴さんが死んだんやったら、すでに見番(けんばん)が大騒ぎしているはずなので、おとっつぁんの方。様子を察して、おかはんにくやみを言うと、それが大間違いで、二階の村上の旦さんの仕業やというので、つけ込むのは幇間の習いと、二階へ上がってまいります。お座がしらけてるのが分かっているので、できるだけ派手に陽気な言葉を並べて、連中さんに新年のごあいさつ。しかし、旦さんは、これがおもろない。そらそうですわ。祝儀はずんで、こんな趣向してるのに、丸つぶれ。
“誰がお前を知らしたんや。お前のような目先の悪いやつは、今後一切ひいきにせん。帰れ。”と、旦さんに怒られて、しくじってしまいます。まあ、太鼓持ちてな人気商売、出入り禁止になるのは死活問題でっさかいに、“ちょっとごめんを。”とひとまず鶴の家を出て行き、しばらくしてから、白の経帷子(きょうかたびら)の死装束を着て、額には三角の角帽子(すんぼうし)、首から頭陀袋(ずだぶくろ)をさげて、手に小さい位牌を持って、再び鶴の家の二階へ。“今日からは繁八改め、死に恥。頓死玉の憂い(年玉の御礼)にまいりました。心ばかりの位牌(祝い)でございます。”とゲンの悪い言葉を並べて、ご機嫌を取り直します。“今までどおり、ひいきにしてやるぞ。”“そりゃありがたい、ご機嫌が直りましたか。ああ、めでたい。”と言うて、またしくじりよった。と、これがサゲになります。つまり、わざわざ死装束まで用意して、ゲンの悪いことを並べて、ご機嫌を取り戻したのに、“めでたい”という言葉を言ってしまったからですわな。どこにでもありそうなサゲで、しかも地の語りの、“また、しくじりよった。”という付け足しが必要ですので、そんなに良いサゲであるとも思えません。本来のサゲは、このゲンの悪い言葉を嫌がって、隣の間に逃げていく国鶴を追いかけて、同じように次の間へ行った旦さんが、“楽しみをしに(死に)きた。”というのがサゲになるらしいんですが、これはちょっと、放送コードにひっかかりそうなので、先ほどのサゲになっているということであります。私も、先ほどのサゲしか聞いたことがありません。ま、これぐらいのエッチ系のサゲならば、現代では演じてもイイんではないかと私は思うんですが、いかがなものでしょう?ちょっと議論の分かれるところかも分かりません。まあ、とりあえずは、先のサゲのあたりで一応の決着がつくんですかなあ。物足りない点も否めませんが…。
上演時間は、約三十分ぐらいですかなあ。大晦日・元日の話ですので、年末年始に限られるネタなんでしょうが、そんなに季節的にこだわる必要もないように、いつでもすんなりと聞けるネタではありますな。しかし、真夏とかいうような時には、ちょっと困りもんですけど…。内容は、旦さんと又兵衛さんとの会話部分、つまり大晦日である前半と、年が明けて、旦さんが鶴の家の二階でゲンの悪いことを言う後半とに別れますな。前半は、二人の立ち話だけなんですが、しかし、何ともいえんおもろい。ババの旦さんの話ねえ。いかにも上方的で、想像するだけでもおかしい。これを実際にあったこととして演じるだけでも、一つのネタとして、十分に語り出せると思うんですけど、どうでしょう?一度、この部分だけをクローズアップして一席物に仕立ててみては?後半は、随分と演者としては難しいと思います。いろいろと分かりにくい昔の言い草も多い中、旦さんがゲンの悪い言葉を並べていく。それでも、この旦さんにいやらしさがあっては、本当に好かんお人になりますし、そこは趣向でわざとこんなことをしているという心構えがいりますわな。その中で、ちょいちょいと色街の正月の雰囲気、大店の旦さんと小さなお茶屋を持たしてある芸妓との関係なんかを描き出しながら、笑いも取っていかなければならない。この部分で、ゲンの悪いことを言いながら、いやらしさを出さずに笑いを取るのは、相当に難しいでしょうなあ。そして、最後には、勢いよくトントンと太鼓持ちが出てきて、有無をいわさぬうちにサゲまで持っていく。ここら辺は、やはりなかなか年季が入ってないとできない話なんでしょうなあ。
このネタ、なぜにそんなに難しそうに思うのか?それには、他にも理由があるように思います。それは、そんなに筋立てがエエとはいえないからでしょう。だから、先ほどまで述べました内容をもう一回自分で読んでみましても、そんなにおもしろくないんですよ。活字だけを目で追ってみても、あんまりおもろない。前半はともかくとしまして、特に後半の方だけが。場面としては、正月の雰囲気がする南の小品なお茶屋で、出てくるのも芸妓はんに太鼓持ちと、にぎやかなんですが、しゃべってる内容というと、そんなに進展がないようにも思えるんですわ。いたってけんげしゃな家族を、その面倒を見ている旦那が正月からゲンの悪いことを言いに行くという、発想自体は落語的で、お笑いの材料にはなるんですがねえ。
所有音源は、桂米朝氏のものしかありません。落ち着いた大家の大旦那という感じの村上の旦さんが、いかにもうまく表現されておりまして、元日からちょっと趣向を凝らして一杯飲むという感じが、目に見えるようにおもしろく描き出されておりますよねえ。そこへ持ってきて、国鶴さんや他の四人の芸妓さんも品よく、特に正月という情景が出ていて、なんともきらびやかですなあ。やはり、米朝氏ぐらいになりますと、旦さんのいやらしさは感じられませんな。ところで、その米朝氏によりますと、初詣での件りは、師の故・四代目桂米團治氏の創作だそうで、それを受け継いでおられるらしく、また、又兵衛さんが鶴の家へやってくる途中で、天満の勘兵衛に会って、てんかんが起こるという件りはカットされているらしいです。そら、この部分だけは、なんぼ古いもん好きの私でも、やめた方がイイと思います。話の内容にあまり関係してきませんし。このネタ、米朝氏は、故・橘ノ圓都氏に教えてもらったらしいですが、米團治氏が亡くなった折のお通夜の晩に、故・三代目林家染語樓氏にも師匠のこのネタの様子を聞いたという、思い出のネタらしいですな。実は、テレビ・ラジオでしか落語を見聞きしない(というか、それしか機会がないというか…)私にとって、きっちりとナマで高座を拝見したことがあるのが、米朝氏のこのネタと『古手買い』ぐらいのものでございまして、私にとっても、思い出のネタなんですよねえ。
やっぱり、いつ聞いても、おもろい響きですわ、けんげしゃ茶屋。ほんで、最終的に印象に残るのが、ババの旦さん…。
<15.1.1 記>
<以降加筆修正>
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