お寒くなりました。やはり二月ですなあ。寒い季節は、やはり暖かいものが何よりのご馳走。コタツに入って食べるもんといいますと、やっぱりみかん。先月の読売テレビ・『平成紅梅亭』のビデオは、コタツに入ってみかん食べながら見てましてん。それで、突然、『みかん屋』に決めてしまいました。
毎度おなじみの主人公というのは、ちょっとアホで、何もせんとぶらぶらしているという男。これが甚兵衛はんの家へ呼ばれて、やってくるところから話は始まるという、落語には最もよくある『入り』。“うちのやつ呼びにやったが、行たかい?”“へえへえ、今、うちのやつ来ましたが…。”という、これもよく使われる一連のやりとり。ぶらぶらしているので、仕事を世話してやろうという。奥の襖を開けると、押入れにはいっぱいのみかん。甚兵衛はんの取引先に紀州の人がいて、借金のかたに送ってきたということ。そうでっさかいに、間に問屋はんや小売店が入ってるわけではなく、生産地から直送ということで、値段が安い。一個一円。“そら安いわ。こんなエエみかん、一個一円やて。土産に二十ほど買うて帰ろかしらん。”て、この主人公、何考えてんねん。このみかんを売り歩いて、商売をすんねやがな。つまり、みかんの荷を担いで、振り売りに歩きまんねんな。元値が一円でっさかいに、せいだい上を見て売りなはれと教えられますわ。始めからぎょうさん積んで歩いても、慣れてないので重たいやろうと、おうこ・天秤棒の前と後ろのカゴに百五十個ずつのみかんを入れて、“商いは牛のよだれ。気長うに商売すんねんで。”とかなんとか甚兵衛はんに言われもって、表へ出ます。
ところが、振り売りでっさかいに、声出して歩かんと、みかん屋や何屋が通ってんのか分からん。しかし、往来の真ん中で、声て出しにくいもんでっせ〜。ほんでまた、声出せたところで、どない言うて売って歩いたらエエや分からん。たてまえの売り声が分からん。鰯屋の売り声、“そら、とりたてや。新しい鰯、テテかむ鰯や。”ちゅうのを真似しよって、“新しいみかん、テテかむみかんや。”って、そら危のうて、みかんの皮むけへんで…。こら具合悪い、どこぞで売り声の稽古をしたろと、長屋の三つ並んだある共同便所のちょうど真ん中の前へ立ちよって、大きい声張り上げて、“みかん〜”と言うと、中から、“じゃかましいわ〜い。”と。便所の中で用足したはった人がいはったんですなあ。災難なんは、この人。この“みかん〜”いう大きな声にビックリして、持ってた紙を落としてしもた。そら水洗便所てなもんあれしまへん時代、共同便所に紙が備え付けたあるはずがない。便所行く時は、自分で持って入るのんが当たり前ですもんな。これではお尻拭けへんがな。しょうがないので、みかん屋に、奥から三軒目の自分の家に嫁はんがいるので、紙をもろて来てくれと頼みます。
しかし、みかん屋も、何が損して手水場の使いにやられんならんねんと、ぼやきながら、奥から三軒目の家へ。なんぼなんでも、知らん女の人の前へ出て、“便所で紙落とさはったんで、紙おくなはれ。”とは言いにくい。ちょっとでも品のある、きれいな言い方で言うたほうがエエやろうと、便所のことを厠、また、女の人が、“ちょっと高野へ。”と隠し言葉を使うてんのをちょっと知ってたもんでっさかいに、“おたくのご主人と、先ほど高野でお目にかかりまして。”と言い出します。すると、“はあ、うちのん、取り引きで紀州へ行ってますねんけど、もう高野へ行ってますか?”と、なんじゃ話が合うような、合わんような…。それにも増して、“高野で紙落とさはりまして。”“へえ、髪落とした?常々、世の中が嫌になったとか何とか言うてまっさかいに。”と、奥さんは涙ぐんでしまいます。エライ取り違いや、紙と髪が違うてますがな。なおのこと、“紙もろて来てくれと頼まれましたんで。”と、みかん屋が言うもんでっさかいに、よくよく聞いてみると、高野やのうて、共同便所のことですがな。しかし、紀州へ行ってる人が、なぜに便所にいはんねん?そうですねん、家間違うてますねやがな。奥から三軒目いうても、右側も左側も家がありまっさかいに、向かいの家へ入ってきたんですがな。
それ聞いて、ようようのことで、向かいの家の奥さんに事情を説明して、便所に紙を持って行きますなあ。これが縁になりまして、って、どエライ縁ですけども、このご主人、みかんを買うてやることに致します。またぞうろ家へ戻ってきて、“このみかん一つ何ぼや?”と聞くと、“一つ一円だす。”“何、一円。安すぎるやないか。この長屋、みな買うわ。”と長屋の連中を呼び出しますと、十やら二十やら、いろいろ言うてくるのがいるんで、このご主人、ややこしなってはかなんと、みかん屋の持ってるみかんを、立て替えて買うて、後で分けることにしますわ。前と後ろで百五十個ずつ、都合三百でっさかいに、三百円。“おおきに、ありがとうさんで。”と、みかん屋は帰りかけますが、甚兵衛はんが、上見て来いと言うてたんを思い出しまして、ここの家の上を見上げると…。汚い天井や。クモの巣はったある。って、上見るの意味が違うてるがな。
甚兵衛はんの家へ戻ってきて、皆売れたと、元の三百円を甚兵衛はんに払います。“利はそっちにあんねやろ。”“いえ、それが利ですねん。”“ほな元はそっちにあんねんなあ。”“いや、元はそれです。”って、何べん言うててもおんなじこっちゃ。つまり、一円で仕入れたもんを一円で売って、儲けがなし。それでは商売にならんがな。そこで甚兵衛はん、今度は丁寧に売り方を教えてやりますな。まず、こういうみかんみたいなもんは、そうそう表通りでは売れへん。長屋へ入る。長屋へ入ったら、一軒・二軒と声がかかる家もあろうが、放っといて、人の寄る所、井戸端とか水道端に荷を広げる。すると、長屋の連中が出てきて、“一つ何ぼや?”と尋ねるさかいに、“三円です。”と言うねん。“そこを半値の一円五十銭に負からんか。”と言うさかいに、鼻もいごかさんと、路地を出て行く。すると、後ろから、もういっぺん呼び止める。“気の短いみかん屋やなあ。二円五十銭に負からんか。”とか何とか言うさかいに、もう一ぺん戻って、元の場所に荷を降ろす。ほんなら、どこの長屋にもいてる“かしま婆”、“しゃべり婆”、口の端へほくろがあって、そこから毛が生えてるという、こせのおばはんが出てきて、このみかんは種が多いやの、皮がごついやの言いよるさかいに、荷の中から大きいみかんを五つほど出して、これを荷の上へ積み直して、“そんなみかんとみかんが違います。”と言うねや。これが商いの“荷造り”ちゅうねん。ここで始めて値を決めてお負けをする。昼前なら、“朝商いで”、夕方なら、“終いもんで”ちぇなこと言うて、二円五十銭で売れる。一円のもんを二円五十銭で売れたら、一円五十銭の儲け。つまり、この上見た分で、女房・子を養うねや。さすがに、甚兵衛はん、商いをよう知ったはる。物を買う側、売る側共に、この部分、なるほどと納得して聞き込んでしまいますよねえ。
教えられたみかん屋、さいぜんみかんを買うてもろた大将が、“また来いよ。買うたるさかいに。”と言うてたんを思い出して、ちょうど幸い、長屋やったもんですから、またおんなじ所へと売りにやってまいります。“ああ、さいぜんのみかん屋か。またみな買うたる。三百円でエエなあ。”“いや今度は、一つ三円。”“三円!そら高いがな。さっきと品物が違うのんか?”“いや、一緒です。この長屋、井戸端か水道端おまへんか?”“井戸もないし、水道はみな家に引いたある。”と言われ、しょうがないので、長屋の真ん中へ荷を広げる。長屋の連中がまたぞろぞろと出てきますわ。“三円は高いやないか。”“高いと思うねやったら、値切らんかい。ひとつ一円五十銭でどやと。”って、みかん屋のほうが値切り方教えてどないすんねん。“一円五十銭と言われると、鼻も動かさんと路地を出て行く。”と言いながら、鼻つまんで歩き出すみかん屋。って、ホンマのアホやがな。“おい、誰かここで引き止めんかい。気の短いみかん屋やなあ。二円五十銭でどや。”と一人でしゃべりながら、元の場所へ。“けったいなみかん屋やなあ。ああ、さいぜん、元値で安う売り過ぎて、問屋で怒られて、売り方教えられてきよったんやがな。”と、皆はだいたいの察しがつきますわ。“あんた、あんた、かしま婆・しゃべり婆。このみかんは種が多いの、皮がごついやろ言おうと思うてるやろ。”“わて、そんなこと思やせん。”“思やせんて、思てるに違いない。そんなみかんとみかんが違いますと、大きいのんを荷の上へ積み上げる。これを荷造りちゅうねん。よう覚えとけ。”って、あんたが覚えとかんかいな、みかん屋はん。こんなアホなことを言いながらも、ようようのことで一つ二円五十銭で売れますわ。しかし、一見して若く見えるのに、こうして商売してるのんは偉いなあと、中の一人がみかん屋の年を尋ねます。“あんたいくつや?”“五十六でんねん。”“五十六。アホは若う見える言うけど、ほんに若う見えるなあ。”“そこを負けといて、ホンマは二十六や。”“なんでそんな上に言うねや?”“へえ、残るところを持って、女房・子を養いまんねん。”と、これがサゲになります。“なんでそんなウソを言うねや?”“上見て言わな、女房・子を養えまへんねん。”というのも同じサゲですな。つまり、さいぜんに甚兵衛はんに、せいだい上見て、利を持って、女房・子を養うねやと言われてたもんでっさかいに、自分の年も上に言うて、ホンマの年との差で利を持って、女房・子を養う…、って、そんな年の差で養えますかいな。よくよく考えてみますと、何でここで長屋の連中の中の一人が、みかん屋に年を尋ねんならんのかが、ちょっと引っかかるような気もしないではないんですが。ちょっと無理が出来てきますかなあ。サゲ自体は悪いことおまへんねんけどねえ…。
上演時間は、十五分から二十分程度ですかな。場面設定や登場人物からいっても、大ネタというほどのものではなく、どちらかというと初歩的な部類に入るネタであるとされております。笑い所もたくさんあるんですが、前半では、やはり便所で紙落とす所から高野で髪落とすの間違いあたりですな。この部分で便所が舞台になるのは、やはり上方的な感じがします。しかも、演者によっては、みかん屋がなかなか紙持って来ないなので、“乾いてしもうた”とか“冷えてしもうた”なんかいうのが出てきまして、いかにもいう感じになりまんねん。後半は、甚兵衛はんに教えられたとおりに、長屋でみかんを売る所ですわな。鼻つまんで路地出ようとしたり、かしま婆見つけたり。しかしねえ、このかしま婆、今でもいはりまっせ。だいぶと数は減りました。減りましたけれども、いはりますわあ。どこの町内にでも、一人ぐらい。よ〜しゃべるおばちゃん。口の端にほくろがあって、そこから毛が出てるて。思い出すだけでも、笑えてきますわ。
東京では、売りに行く品物がかぼちゃに変わりまして、『かぼちゃ屋』として演じられております。内容はそんなに変わりませんわ。このネタ、長屋へ物を売りに行くという点では、『豆屋』や『始末の極意』の菜売りに似た所がありますし、銭の勘定が出てくるという点では、『壺算』なんかにも似た趣きがあります。その点からいいますと、やはり商売が盛んな大阪ならではのネタではないかという気がするんです。長屋でのみかんの売り方、半値にするとか、かしま婆が文句を言うとか、荷造りをするとか、商売の仕方がいかにも大阪らしくて、聞き手の我々の方も、ふんふん、ようあると聞き込んでしまいますよねえ。自分がみかんを買う側であるだけでなく、それ相応の商売をされている方なら、みかんを売る側としての心得もよく感じられますし。そして、お金の勘定があちこちに出てきます。上記に述べましたのは、後述いたします桂ざこば氏のものを参考にして書かして頂きましたが、みかんの元値は、一つ一円で、前と後ろのカゴに百五十ずつで、都合三百個。二回目に売りに行く時の最初の値段が一つ三円、半値で一円五十銭、売値は二円五十銭で、全部売って七百五十円。しかし、これは実は分かりやすくされている方で、一昔前の速記や録音を調べてみますと、一つ一厘で、十で一銭、前と後ろのカゴに百ずつで、都合二百個。二回目に売りに行く値は、十で十銭、半値で五銭、売るのが六銭。また、一つ五円で、十で五十円、数は二百個。二回目の値が十で百五十円、半値で七十五円、売るのが百円。とかいう風に、二回目の値段の交渉は、一つ何ぼではなくて、十で何ぼというかけひきで行われるようになっています。これはこれで、より現実味を帯びてはいるのですが、聞き手の我々にとっては、ちょっと頭の中の計算がややこしくなる。スッと言われてしまうと、ちょっと考えてしまいますわ。そこで、現在では、最初から最後まで、一つ何ぼの値段で通されている方が多いのだと思います。話の流れからいっても、私もその方が分かりやすくてイイと思いますよ。電卓もパソコンのエクセルもない時代、そろばん勘定に慣れてる商売人が聞き手に多かった時代では、十で何ぼの計算も、さしてややこしくなかったんでしょうなあ。しかし、そんな時分だと、このネタ、時間的にいっても、寄席なんかではよくうけたんでしょう。
所有音源は、故・二代目桂三木助氏、桂ざこば氏のものがあります。三木助氏のものは、もちろんSPレコードのものですので、録音時間が限られており、ちょいちょいと省いてあるところもあるのですが、おおよその部分は収録されております。やはり、十で何ぼの計算ですな。言葉の端に、東京的な物の言い方が入っているのも、三木助氏の経歴からいって当然のことですが、別に気にして感じるほどでもない関西弁で、おもしろいですなあ。特に、かしま婆の声、息と間は、いかにもこせの婆という感じが、声だけでも分かって、非常〜にウマイ。しかし、こういう関西弁でしゃべる三木助氏の録音を聞いていると、数十年前に、桂米朝氏に三木助襲名問題が持ち上がったのも、懐かしく思い出されますなあ。先ほども述べましたが、桂ざこば氏のものは、一つ何ぼという分かりやすいものでありまして、何の違和感もなく聞けますわ。便所の中の大将の描写が、なんや知らんけど、とにかくおもろい。そして、みかん屋が鼻つまんで路地出て行く姿なんか、見てるだけでも笑えてきますわ。
最近は、あんまり上演頻度が多いようには思えませんこのネタ、お寒い季節にはピッタリですので、噺家のみなさん、もうちょっと聞かして下さいな。私が商売してるさかいにかも知れませんけど。頭の体操にもよろしいし。
<15.2.1 記>
<以降加筆修正>
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