え〜、随分とエエ時候になりました。やはり、こういう季節の旅は格別のもんがありますな。ということで、今月は、東の旅より、『軽業』の一席を取り上げてみたいと思います。

 例によりまして、喜六・清八の二人連れ、お伊勢参りの途中でございまして、とある村へとかかってまいります。村の入口には、大きな笹が立てかけてあり、べんずり提灯が掛け並べてある。聞いてみますと、氏神さん、白髭大明神、の屋根替えの正遷宮やそうで、大勢の人が行き交っております。いそがん旅で、見物しようやないかと、鳥居をシュッとくぐりますと、正面の拝殿からは、御神楽の音。『清〜めの御神楽〜。』というキッカケで、正真正銘、『神楽』の囃子が下座から入ります。白髭大明神といいますと、猿田彦大神のことですわな。延命長寿、長生きのご利益があるとされております。私は、たまに国道161号線を車で走るんですが、琵琶湖のほとり、湖西の高島町に、白髭神社があるんですよね。琵琶湖の湖の中に朱塗りの鳥居が建っておりまして、非常に美しい風景なんですよ。本殿も、少しさびれたような白木造りで、なかなか落ち着いておりますわ。ここが白髭神社の総本社だと聞いていますので、他にも勧請(かんじょう)しはった神社が結構あるんでしょう。まあ、その中の一つですかな?それと、遷宮とは、神さんが遷らはることですねんけど、お伊勢さんの二十年に一回の遷宮が有名ですわなあ。ここの場合のように、六十一年周期や、五十一年というものもあるらしいですよ。別に、白髭神社が、必ず、六十一年に一回遷宮せんならんわけではないんやと思いますが…。

 参道の物売りというと、奥州孫太郎虫てな、お子達の疳(かん)の虫の薬や、陀羅助の消化薬、伊勢の貝細工、竹独楽屋に亀山のちょんべはんてなおもちゃ、お寿司屋はんなど。参詣を済ませまして、横手へと出てまいりますと、見世物小屋が並んだある。怪しげなムシロ掛けの小屋で、けったいなもん見せて、田舎の人の懐を狙おうという商売。入口には、四斗樽が置いたあって、その上に板があり、そこへ呼び込みが座って、売り上げの銭は、この樽の中へ入れていく。まず一番手は、一間の大イタチ。山から取り立てで、傍へ寄ったら危ないん。清やんは、『やめとき』と言いますが、やっぱり見たい喜ィさん。一人前八文。二人で十六文払って、小屋の中へ。『ずっと正面。ずっと正面。』と言われて、奥まで行ったが、何にもないん。よう見ると、大きい板が立てかけたある。この板、長さが一間で、真ん中に血が塗ったある。これで一間の板血やて。山から取り立てて、そら木は海からは取れんわな。傍へ寄ったら危ないて、こけてくるさかいに危ないやて。『銭はどうなんねん?』『取ったらもぎとり、代わろ、代わろ。』って、次の見世もん。次は、評判の天竺の白い孔雀、今広げたとこ。やめときゃエエのに、十六文払うて、中へ。今度は、正面に何にもないん。上を見上げると、白い布が吊ったある。越中ふんどしと、六尺ふんどしが干してある。三尺と六尺で九尺やて。おまけに、天竺木綿でできたあって、洗濯もんやさかいに、広げて干したある。『ふんどしで十六文、おなごの腰巻やったら、なんぼやろ?』てなアホなこと言いながら、また次の見世もんへ。次は、たげ。目が三つで、歯が二枚、ひっくり返って笑うてる。って、とにかく“たげ”て、何やねん?十六文で中へ入ると、正面に汚い下駄が一つ、ひっくり返したある。下駄がひっくり返って、たげ。鼻緒つけんのに、穴が三つ開いてるさかいに、目が三つ。歯は二枚で、ひっくり返って笑うてる。ゲタゲタゲタゲタやて。次は、取ったり見たり。飛び入り勝手次第やて。取ったり見たりて、何やねん?また、十六文で中へ入ると、正面に汚いおじやんが座ってる。取ったり見たりしてるわ、シラミを。飛び入り勝手次第て、何なら一緒に取ったってて。バカにすな!

 おもろいでんな〜。この見世もん小屋の風景。しかし、今でもこんなんありますねんで。京都の八坂神社でも、花見時分やら、祇園祭の時なんか、裏の絵馬堂のとこに、怪しげな小屋が出ますねん。ほんでまた、独特の声で呼び込みしはんねんけどねえ。いっぺん入ってみたろと思いますねんけど、なかなか、良家の子女では…。しかし、お二人さん、一人が八文で、二人で十六文、四軒で六十四文も取られましてんなあ。物好きなお方。ところで、この呼び込みの合間には、いろんなお囃子が早間の早弾きで入ります。『たすけ』に、『金毘羅船々』、『十日戎』など。これは、おそらく決まっているんでしょうが、やはりそれぞれに意味があるんでしょうかねえ?にぎやかなんばっかり並べたあるんでしょうか?

 裏手へ回りますと、今度は、高もん興行、軽業。今でいう、サーカースのアクロバットというか…。表には、十二枚の絵に書いた看板が掲げてあって、両木戸、木戸が左右に取ったある。木の札をぎょうさん積み上げて、鬱金(うこん)木綿の鉢巻きもん、半纏(はんてん)を引っ掛けました若い衆が、二枚の札をパチパチ鳴らして、呼び込みしとおる。江戸っ子とみえて、景気ように、『いらっしゃい、いらっしゃい。』この、“いらっしゃい”の声が、ホンマの江戸っ子を意味しておりまして、なかなか重要なんですよ。一昔前では、食べもん屋はんなんかでも、関西で“いらっしゃい”言うたはるようなとこ、なかなかなかったんですて。にぎやかに『すがき』が入りまして、一人前三十六文(四十八文にしたはる場合もありますけど)払うて、中へ。今度はちゃんとした小屋で、値段もエエ値しまっさかいに、ちゃんとした軽業ですわ。ざっと八分の入りで、『砂切(しゃぎり)』がかすかに聞こえる中、口上言いが舞台の七三まで出てくる。一応は、正装らしき五ツ紋付に、たっつけになったような“かるさん”というやつを履いて、拍子木を持ってるん。『東西』と、これから口上。この正遷宮に呼ばれた経緯や、お礼なんかを少し述べまして、いよいよ太夫さんの登場。

 『シュッ』という揚幕の音、『渡り拍子』に送られまして、わや竹ののら一さんが登場。『早竹の虎吉が門人で…』と出てきますが、この早竹虎吉さんは、明治に実在した本当の軽業師で、アメリカで興行もしはった、有名な人やったらしいです。ちなみに、このわや竹ののら一という名前、『地獄八景亡者戯』の最後にも出てきますね。太夫さん、たすきを掛けるなどの二度目の仕度をいたしまして、今度は連台の上へ。鯉の瀧昇りのように、連台が次第にせり上がりまして、ようようと、綱の上へと足を進める。つまり、舞台の上には、上手から下手へ綱が張ってあって、その一方に連台があったわけです。で、連台が上がって、綱の片方の端へ太夫さんが昇って、そこから、いよいよ綱渡りをするわけです。まずは、普通に歩く。『深草の少将は、小町がもとへ、通いの足取り〜。』って、風流な口上ですな。少将の百夜通いをふまえてまんねんな。それから、一本杉、だるま大師の座禅、邯鄲(かんたん)は夢の手枕、名古屋城金のしゃちほこ、義経八艘飛び。この辺もなかなかエエ名前がついてますなあ〜。誰が考えはったんやろ?この辺は、演者が片方の手で扇子を持って、これを綱に見立て、もう片方の手の指を二本出して、これを太夫さんの足元に見立てて、我々観客に見せるという、落語にしては、ちょっと珍しい表現の仕方で、ちょっとおもしろいところです。最後の八艘飛びなんか、見台の上へ飛んだり、演者自身の頭の上へ飛んだりと…。

 さて、いよいよメインへ。太夫さん、綱の半ばで手はもちろん、片方の足を離して、つまり、片足だけになって、くるぶしのところだけで、綱に引っかかって、逆立ちするという妙技に。口上言いは、『しころ』につられまして、扇で拍子をとりながら、“後付け”、つまり、しりとりで文句を言いながら浮かれてまいります。この文句も、よう考えてありますね。最後は、『下がり藤の軽業、軽業。』と、藤の花に似せて、一本足でぶら下がるはずでしたが、どうしたもんか、太夫さん、呼吸が狂うて、下へドスーン。『あ、さて、あ、さて。』『おい、口上言い、いつまで口上言うてんねん。太夫さん下へ落ちてるで。』『ああ、長口上は大ケガのもとや。』という、生兵法は大ケガのもとをふまえたサゲや、『太夫さん、どこが痛い。』『腰や。』『腰か。』『頭や。』『頭か。』『肩や。『一体、どこが痛い?』『かるわざじゅうが痛い。』という、軽業と体じゅうをかけたサゲ、『落ちるはずや。表に高札が出たある。』と、表の看板と、頼母子(たのもし)とか無尽(むじん)の、高い方へ落ちるというのをかけてあるサゲ、『太夫さんも木から落ちる。』と、猿も木から落ちるをかけたサゲなんかがあります。ま、今でも分かりやすいサゲとしては、“長口上”と、“軽業じゅう”がイイでしょうし、また、ほとんどがこの二つのサゲを使っておられるみたいです。

 上演時間は、二十分前後でしょう。あんまり長くやるよりも、にぎやかなうちに終わっておくほうがよろしいわなあ。ま、いわゆる、旅ネタで、前座ネタでもあります。東の旅では、『奈良名所』から『野辺』、そして、『煮売屋』へと続かずに、この『軽業』に行くというところでしょうか。厳密にいいますと、前半の見世もん小屋のところは、『もぎとり』、後半の軽業のところが、『軽業』として、別々の一席物で出来ないわけでもないらしいですわ。とにかく、下座からお囃子がふんだんに入るにぎやかなネタでして、後半の軽業小屋の中では、あたかも芝居噺のように、しぐさ、ふりを見せるところが多いので、やはり聞くよりも、見るほうが楽しいんではないでしょうか。そんなに笑いは多くはないんですが、見世もん小屋を次々と回る件りなんか、結構笑えますよねえ。といっても、昔ながらの古い言い草が多いところでの笑いですので、現代では、なかなか知っていないと笑えない部分もあります。越中と六尺で九尺とか、鼻緒の穴が三つとかねえ。後半の軽業小屋の中でも、緞帳(どんちょう)のギャグやとか、口上言いの『私も若い時ゃ、二度三度…』なんて所も。ちなみに、昔は、立派な権威のある芝居でなかったら、引き幕はなかなか使えなかったそうで、田舎芝居なんかは、緞帳が主に使われてたんですて。そやから、二流の芝居を、“緞帳芝居”とか何とかいったそうですよ。

 これはやはり、型のあまり崩れない、昔ながらの見世もん、軽業の風景をお客に見せるという意味でのネタとして残っていかなければ、誰もやらなくなってしまうかも分かりません。しかし、お囃子が多く、しぐさが多い、にぎやかなもんですから、湿った空気を一掃するような場合や、前座さんの元気のイイところなんかを見せるには、よろしいわなあ。私は、個人的には、ものすごく好きなネタなんですけど。中で使われているお囃子は、割り方早間で弾かれているもんが多いんですが、耳になじみのあるもんも多く、このような鳴りもんをどこで使うかなんかの割り振りも、昔のちょっとした人なら、常識的に考えられたんでしょうねえ。口上の文句なんかも。いやあ、よう出来たあるし、また、よう残ってますわ。

 ところで、さいぜんも言いましたが、『地獄』の軽業師と同じ名前が、この『軽業』の太夫さんなんですが、このサゲ前の綱から落ちて、死んで、そこから『地獄』へつながるというようなことを言って、切り場にして、切ってしまうこともあるらしいです。まあ、実際には続かないようですが…。続けるとなると、よう考えると、えげつなく長い話になりますしねえ。でも、『地獄』のストーリーからいくと、この軽業師を主人公にしていくのも一つの考えで、桂米朝氏の監修によります絵本の『じごくのそうべい』では、軽業の後、地獄へ行って、息を吹き返して、軽業興行に戻るという流れになっていますね。また、桂文枝氏が復活されたといわれる、『軽業講釈』の軽業の部分は、この『軽業』のところとほとんど同じですし、講釈の部分は、『くっしゃみ講釈』と同じです。ただ、鳴りもんの音が次第に大きくなるところや、講釈師の怒るところなんかを考えると、やはり趣きは全然違ってきますが…。

 所有音源は、桂米朝氏、故・三代目桂文我氏、桂春駒氏、他に、笑福亭松葉氏(七代目笑福亭松鶴)、五代目桂米團治氏なんかのものを見たことがあります。米朝氏のものは、きっちりとしておられて、やはり見る落語という感じがしますねえ。太夫さんのしぐさなんか、よく理解できます。文我氏のものは、前半の見世もん小屋では、呼び込みの勢いが良くて、また、おっちょこちょいの喜六に何ともいえんおかしみがありまして、後半の軽業では、口上言いの調子のイイところなんかが、よく現れておりました。春駒氏のものも、軽業の件りで出てくる口上言いが、いかにも威勢があって、それらしく見えましたね。松葉氏のものは、たしか、テレビ番組の東の旅のリレーの中での一コマやったと思いますんで、後半の軽業の部分しか見ていませんが、太夫さんの身支度なんか、しっかりやったはりました。足の動きでも、笑いを取ったはったように思います。米團治氏のものも、太夫さんの動き、黒紋付でやったはったんですが、ホンマの太夫さんみたいに見えましたよねえ。

 私は、割り合い、この手のネタ、好きですねん。笑いが少ないし、おもんないと言わはる人も多いんですけど、ちょっとだけ、残しといて〜。

<15.5.1 記>
<20.12.1 最終加筆>


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