だんだんお暑うなってきました。クーラーや扇風機も使う時期になってまいりましたが、私、割り合い、外出する時は、扇子持って出ること多いんです。暑がりいうのもあるんですけど。で、この前、今季初めて、扇子持って外出した時に、なんとなくこのネタ、思い出してしまいました。『始末の極意』でご機嫌をお伺いいたします。

 話の始まりは、毎度おなじみ、ある人が“始末の大家”ともいうべき人の家へ上がり込んで来るというところからですな。主人公も、この人に習って、始末・節約を色々とやってまんねんて。一枚の紙を三通りに使う方法。書き潰した紙で鼻かんで、日に当てて乾かしてから、便所の落とし紙にする。と、間違うて、主人公は、書き潰した紙を落とし紙にして、乾かしてから、鼻が…。かめるかいな。しかし、昔は、紙て貴重品でっさかいに、これぐらいのことはねえ。それに、ティッシュペーパーや、トイレットペーパーもないし。しかし、便所は水洗と違いまっさかいに、水に流れて溶けんでもよろしいねやわね。

 他にも、色々とありますわ。鉛筆の削りかすが焚きつけになるし、下駄の鼻緒が羽織の紐に。一本の扇子で半分広げて五年使い、破れた頃に、もう半分を広げて五年、都合十年使えるという主人公。しかし、これでは手荒いと。孫・子の代まで使える方法がある。扇子をバッと一面広げて、扇子の方を動かさんと、顔の方を動かす。て、余計暑いで。次は食べもん。そら、上から入れて下から出すのやさかいに、こんな無駄なもんはない。主人公は、おかずに塩がエエと。しかし、相手はさるもので、塩は減ると。梅干しを一つお皿において、手には茶碗と箸。この梅干しを食べたら、さぞかし酸っぱいやろなあと思うたら、口の中に酸い〜つばが出る。これをおかずにガサガサッと。て、条件反射の実験やがな。他にも、鰻がエエ。この人の家の隣が鰻屋で、時分時(じぶんどき)になったら、鰻を焼くエエ匂いがする。それをおかずに、これまたガサガサ。しかし、鰻と梅干しで食い合わせに。って、なるかいな。ところが、敵もさるもの。鰻屋も月末になたら、請求書持ってきよった。“鰻の匂いの嗅ぎ代”やて。『払うたるさかい。』言うて、財布から細かいもん出して、チャラチャラチャラッと。『へえ、おおきに。』と受け取ろうとしよるさかいに、『鰻の匂いだけやさかいに、お金も音だけでよかろう。』ちゅうて直したと。よっぽど、こっちの方が上手やわ。

 しかし、これでは体が持たん。汁の実に菜の浮いたもんぐらい食すて。まず、汁の方。鰹節屋へ行て、“使いもんにするさかいに。”ちゅうて、色々と見て、『わし一人で決めてもエエねんけど、うちのカカがうるさいさかいに、これこれ持って家までついて来て。』ちゅうて、包んで、丁稚に家まで持ってこさせる。家の前で、『いやあ、うちのカカ留守や。悪いけど、今晩一晩預からしてもろて、明日返事しまっさかいに。』と。家は分かったあるさかいに、置いて帰ってもらう。後で、この鰹節、沸いた湯の中へ丸ままポーンと入れて、グラグラッと炊く。十分にダシの出たところで、この鰹節をそーっと取り出して、これを火鉢の灰の中へ。ほんで、乾かしとくと、もとの鰹節と寸分違わず同じように見える。次の日に丁稚が来よるけど、『すまんなあ。留守やと思うたら、うちのカカ、鰹節買いに行っとったんや。二重になってしもたんで、今回は悪いけど、そのまま引き取って。今度また何ぞで入れ合わせするさかいに。』と言うと、向こうは物があんねやさかいに、ま、そのまま持って帰りよる。これでダシはでけたと。ほな、その鰹節を改めて買うたやつ、災難やで。何ぼ炊いても、ダシ出えへん…。

 次は菜の方。朝早う起きて、家の土間にムシロを二枚敷いて、水をふって待ってる。すると、お百姓が間引き菜ちゅうやつを、おうこ担いで、前と後ろのカゴに一杯詰めて売りにきよる。これを呼び止める。『これ、エエ菜やな。安かったら皆買うたるけど、これホンマに下までエエ菜か。いっぺん、このムシロの上へ皆ぶっちゃけてみ。』と言うと、カゴ逆さま向けて、ぶっちゃけよる。『ほんにエエ菜やな。なんぼや?』『お安うして、三円にしときます。』『そこをちょっと五銭負からんか?』『五銭だけ引きまんの?』『いや、皆で五銭でどや?』と言うたら、怒って菜をカゴへ入れ直して、出て行こうとしよる。て、そら怒るわ。そこで、『気の短い人やなあ。冗談や。もういっぺん、この上へ広げえな。』と言うて、もう一枚のムシロにぶっちゃけさせる。『見れば見るほどエエ菜やなあ。わしも男や、高う買うと言うたら、二割増しの、三割増しのてな、ケチなこと言わへん。ポーンと倍で、十銭でどや?』と言うたら、今度こそは、ホンマに怒って、菜をカゴに必死に詰めて、路地出て行こうとする。そこを、『もう三銭ほど付けよか?』言うたら、また震えながら、歩いて行きよる。あっちこっち当たった後やさかいに、菜が落ちているのを拾い集めて、さいぜんのムシロの上の菜を丁寧に取ると、合わせて、これが汁の実に。て、怒られるで。どつかれたら、身が増えたぐらいに思わなアカンやて。

 この前は、一銭玉二枚で、住吉さんにお賽銭上げてお詣りして、煙草ぎょうさん吸うて、御飯食べて、お土産もろて帰ってきたて。住吉さん、四社の社に賽銭箱があって、その縁に一銭玉乗せて、順々にお詣りしていく。四つ目の最後に、『御一同(ごいっとう)さんに。』言うて、賽銭箱へ放り込む。相手は神さんやさかいに、皆でエエように分けはるわいな。って、分けにくいで〜。今度は、裏手の駄菓子屋で、飴二つ、一銭で買う。これを、その辺で遊んでる、なるべく育ちのエエ子を探して、この子にやる。これ計り間違うたらアカン。すると、しつけが行き届いたあるんか、そのまま口へ運ぶようなことはせえへん。家帰って、親に見せようとする。これを見え隠れにつけて行て、それとのうその家の門口を通るふりをする。すると子供が、『あのおっちゃんにもろた。』ちゅうさかいに、おかはんが、『まあまあ、ただいまは子供にエエもんを頂きまして。』『いやいや、おたくの、ぼんが、あんまりお可愛らしいさかいに。』とべんちゃら言うてると、『どうぞご一服を。』と、その辺に腰下ろして、お茶とお菓子をもらう。煙草入れを出して、キセルで煙草吸おうとして、煙草入れ開けて、空やというのを相手にちょっと見せるような、見せんようなふりして、『エライこっちゃ。煙草切らしてもうた。』『お口に合うかどうか分かりまへんけど、うちのが吸いまっさかいに。』と、煙草出してくれはる。この煙草吸うてるうちに、おかみさんがお茶の入れ替えに奥へ引っ込まはる。この隙狙うて、空の煙草入れに、この煙草を一杯詰めて、後はふわふわっとふくらましといて、吸うのは、せいだいこの煙草吸う。この辺の呼吸は、なかなか難しおまっしゃろなあ。

 そうこうしているうちに昼時分、旦那さんが仕事先から帰ってくる。おかみさんが、『この子に、エエもんもらいましたんやわ。あんたからもお礼言うとくれやす。』てなこと言うさかいに、飴玉二つとはつゆ知らず、『エエもん頂きましたそうで。おい、ちょっと、時分時や。お茶漬けでも。』と、ここはあつかましいに、『ほな、ちょっとだけ。』と上がり込んで、御飯よばれる。漬物を二切れほど残しといて、これを見えるような見えんようなふりして、懐紙に包んで懐へ。『いや、お嫌いでしたら、残しといて頂いたら。』『いいえ、食べ残したん違いまんねん。うちのカカが、漬物漬けんの下手やさかいに、“漬物は、こんな風にして漬けんねん”と、後学のために持って帰りますねん。これ、こちらで漬けたはりますの?うまいですなあ。』『そんなことして頂かいでも、これ、五・六本包んだげとくれ。』と、これが土産になる。こらしかし、この人しかでけん高等技術が要りまっせ。

 しかし、この辺の始末は、いわば枝葉のようなもの。他にきっちりとした極意というものがある。『教えたげるさかいに、晩になったら、もういっぺん来なはれ。』と言われた主人公、日が暮れてから、もう一度、この家へ。閉まってる戸を叩いて、開けようとするが、この戸が開かん。いっぺん戸を持ち上げて、これを横へ、下ろして、また上へ横へ、下ろして上げて横へ、『そんなけ開いたら、体横にしたら、入れる。』て。中へ入ると、明かりは一切なし。真っ暗な家の中、手の鳴る方へ行くと、この人、ハダカ。家にいる時は、日が暮れたら着物切る必要がないと。それでも、汗かいたはる。何でて、頭の上に、天井から庭石が荒縄でくくったある。ひょっとこの石が落ちてきたらと思たら、冷や汗が。て、命がけや。二人連れ立って、裏の庭へ。履物のありかが分からん主人公、明かりを探すと、柱に木槌が吊ったある。これで、目と目の間をガツ〜ンと。こんなことしたら、目から火が出まっせ。その火で履物探さんかい。て、ホンマ、ここまできたら、もうエライわ。庭には、大きな松の木。そこへハシゴを掛けて、木登りをさせられる主人公。枝ぶりのエエところへぶら下がったところで、ハシゴを外される。まず、『左手を離せ。』と言う。言われるままにすると、右手・片手で枝へぶら下がる。『次は小指を離せ。薬指離せ。高々指離せ。』と段々危険な臭いがしてきましたで。『次は、人差し指や。』『ああ、無茶や。こればっかりは、離せません。』『よう離さんか?』『離しまへん。』『離すなよ。これ離さんのが極意じゃ。』とこれがサゲになります。ま、文章読んでるだけでは、何のこっちゃ分かりまへんやろ。右手の親指と人差し指で、丸を作ってください。そう、丸い形が作れます。お金のことですわな。これを離さんのが、始末の極意。ほんに尤もでございますなあ。しかし、よう出来たあるサゲやねえ〜。

 上演時間は、おおよそ三十分前後ですかねえ。鰻屋の集金のところで、盛り上がって、サゲなしで切られる場合も、寄席なんかではよくあります。また、途中で、鰹節の話や、住吉さんの話、省略することも可能ですので、二十分ぐらいで演じようと思っても、できると思います。また、新たに入れて、長くもできますしね。いろんな新しいケチ話を入れ込んでも、おもしろいでしょうなあ。まあ、飽きのこない、内容がごてつかない程度に。登場人物は、実際には、二人の男しか出てきませんが、割り方、変化に富んだ、笑いの多いネタでありますな。ケチの嫌味が感じられてはいけないネタですね。しかし、ケチの程度も、必要以上にここまで行くと、、逆に笑いにつながりますよ。何でも突き詰めて最後まで行くことですなあ。前半のいっぺん目の、始末についての話の中でも、もうここまでくると、笑いにさえなってしまってますもんな。梅干しと鰻の話、鰻屋が請求に来るところなんか、ありそでないような、しかも、これを音だけで追い返してしまうて、誰が考えたんでしょうなあ。奇抜で、よう笑えます。鰹節も、菜も、相手には気の毒なんですが、やっぱりおもろい。いっぺん、ホンマにやったろかいなあと思いますよねえ。でも、住吉さんの件りなんかは、この人でなけりゃできん芸当ですな。笑えますけど。しかし、これらの話は、おもしろいのはおもしろいでイイんです。(いいです、いいです、イーデス・ハンソン…。ハンソンさん、最近、どないしてはんねやろ?『枝雀寄席』ないしねえ…。)これを根本から覆そうとするのが、後半、二回目の、極意を教えてもらうところではないでしょうか。ま、相変わらずの、家の中での始末を説明した後の、緊迫感が十分に感じられる木登りの手離し。片手を離して、次は一本ずつ指を離してゆく。親指と、人差し指の輪でお金の形を作って、『これ離さんのが、極意じゃ。』て、そらそうですわ。ホンマに。このサゲは、なかなかに教訓じみたものがありますな。ま、ラジオやCDを聞くだけでは、ちょっと分かりづらいんですけどね。実際に見ると、よう分かるんですよ。一体、誰が考えはったんでっしゃろ?

 所有音源は、桂米朝氏、故・三代目桂文我氏、月亭八方氏、笑福亭三喬氏のものがあります。米朝氏のものは、やはり結構動きが多くて、楽しめますな。最後に、ヤマ場を置いたはるんやとは思いますが、あの手と指を離しながら、顔ゆがめて、苦しい表情しながら、体が震えるところなんか、ホンマに緊迫感ありまっせ。文我氏のものも、最後もおもろいんですけども、やはり、前半の、庶民市井の、よくあるようなケチ話をするところなんか、割り方、現代に近い感覚で、いかにも長屋で話を聞いているような、ホンマにすんなりと聞き込んでしまいましたな。あの軽い語り口でね。八方氏も、割りかし、得意ネタにしたはります。こちらも、前半の場面なんか、よう笑えます。というか、大爆笑できますな。あの、茶碗と箸持って、鰻の匂い嗅ぐ所なんか、いかにもうれしそうな顔で、好きですねん。鰹節屋の丁稚が、横目で鰹節の数を数えるところや、お百姓が、カゴ揺らしながら、怒って帰るとこなんかも、実際あったように思えますわ。住吉さんの件りは、入れておられないようです。後半の木登りも、緊迫感迫りますよ。数年前、朝日新聞かなんかの主催で、中之島公会堂やったと思いますが、落語会が開かれた際のものは、阪神の監督が、野村さんに代わるいう時で、マクラで新庄の話をしはりまして、腹かかえて、のたうって、笑った記憶がありますねやわ。半分以上、マクラでしたけど。三喬氏は、鰻屋の集金で、“けむに巻かれました。”というサゲをつけたところまでしか、聞いたことがありませんが、やはり笑いの多い、おもろいもんでしたよ。

 もうちょっと、我々も始末せなあきませんな。今の世の中。でも、私、このネタ、割り方好きなんですけど、ここまでは…。

<15.7.1 記>
<以降加筆修正>


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