
先日、知り合いの芸妓はんから聞いた話なんですが、そこそこの宝石屋さんの社長が亡くならはったんですよ。ほんで、この社長さんが公然と世話したはった、お手かけはん、二号はんが、社長さんが黙って店から持って来ては、もろてはった宝石やら時計やらを、正直にその店へ返しに行かはったんですて。もう随分と、お手当てはもろてはったちゅう話なんで。しかしまあ、こんな話もあるんですなあ。何というか、当たり前というか、殊勝というか…。で、今月は、二号はんの出てくる中でもちょっと珍しい話、『禍は下』をお送りいたします。
例によりまして、さる御大家の旦さん、御寮さんに、『袴を出してくるように。』と。何かといいますと、仲間内何人かで、網打ちに行こうという約束。天満橋のたもとから船を仕立てて、夜網を打ち、獲れた魚を料理屋へ持ち込んで、一杯飲もうという趣向。まあ、そういうことでっさかいに、寄合みたいなもんで、格好もんに、また、着物の裾が濡れてはかなんちゅうこともあってか、袴を着けて行こうとういことですわな。ということは、あんまりエエもんでもしょうがないんで、悪い方の袴をと頼みます。しかし、シャレた趣向ですな。昔の大阪では、こんなことも、至極当然にあったんでしょうなあ。割り合い、上方落語には、この種のもんは出てくるんですよ。『鯉舟』とか『風の神送り』とかねえ。お供には定吉を連れまして、土産でもできたらと、風呂敷、それに、夜でっさかいに、提灯に火を入れまして、帰りは遅うなると言い残して、出かけます。
下座では、時の鐘、それに『新内流し』がゆっくりと流れる中、旦さんは天満橋とは違う方向へ。ごじゃごじゃ言いながら、連いて行くと、お孝はんの所。そう、二号はん、お手かけはんのとこですな。関東では主に、お目かけはんといいますが。しかし、夜のことで、戸締りがしたある。定吉に提灯の紋を隠すようにさして、自分で表の戸を叩きますが、なかなか開けてくれへん。今度は定吉が、『お孝、お孝』と。『“様”を付けえ。』と言われて、『お孝、様』やて。そのうちに出てきはったんが、ここの家の女衆(おなごし)さん。旦さんが、『一杯飲みたい』と言うので、近所の仕出屋はんへ、定吉どんが使いへ。その間に、お酒の用意、お孝はんのご用意もでけまして、ちびちびやってると、定吉どんが帰ってくる。『お前にも、茶碗蒸しかなんぞ、言うてやったらよかったなあ。』と旦さんが言うので、『へえ、そうおっしゃるやろうと思うて、注文しときました。』やて。さすがに、慣れてるわ。料理も出来て来まして、お酒も進みますと、固苦しいので、羽織も袴も脱いでしまう。そうこうしていると、もう帰るのん、邪魔くさいん。誰しもある経験で、エエ心地になるとねえ。しかも、ここは二号はんの家。そこで、お孝はんの元に泊まることにします。となると、定吉どんが待っているんで、一人で帰らさなあかん。持ってきた風呂敷包みに、定吉がたたんだ羽織と、お孝はんがたたんだ袴を入れて、網打ちが済んで、獲れた魚を料理屋で料理して、皆で一杯飲んで、夜明かしになるさかいにという口上と共に、先に帰らせることになります。それから、お金の一円を付けて、川筋で、遅うまで店開けてる魚屋へ入って、なんでもエエさかいに買うて帰れと。つまり、網で獲れた魚の土産を持たせて帰るという演出ですな。こういうところにも、どこぞで御寮さんに後ろめたいことしてる、旦さんの気持ちがよう出てますな。今でもようありますわなあ。飲みに行って、帰りが遅うなった時に、お土産買うて帰ることて。しかし、一円とは大金な。というのも、エエだけ魚買うて、後は定吉に駄賃代わりにやるつもりという、これも旦さんの心遣い。しかし、ここらは、御寮さんへの言い訳でっさかいに、うまいことやらないかん。どう考えても子供のことで、危ないん。『“禍は下から”というさかいに、気をつけるんやで。』と、釘を刺されます。
定吉っどん、お孝はんの家を出ますると、もうすっかり夜更け。川筋に出て、魚屋へと入り、『網で獲れたもんが欲しい。』と言うと、魚屋のおっさんも、『うちは皆、網で獲れたもんばっかりや。』と言うので、めざしにちりめんじゃこと、かまぼこを買うてしまいます。って、こらエライことなるで〜。駄賃がぎょうさん余ったところで、店へ帰ると、御寮さんがお待ちかね。旦さんが遅うなるので、先に帰ってきたと、土産を差し出すと、これがめざしにちりめんじゃこにかまぼこ。御寮さんに問い詰められ、めざしは、目を並べて泳いでる。じゃこは網でいっぱいに獲れ、かまぼこは板につかまって泳いでる…。って、そんなアホな。実は、旦さんが獲った魚は、道端で犬に吠えつかれてやってしまい、魚屋で買うてきたという言い訳。ここらの機転は、なかなかよう利くがな、定吉っどん。しかし、もう一つ。一緒に入ってた羽織は、ぐちゃぐちゃにたたんであるんで、定吉がしたと分かったが、袴の方は…。キレイにたたんだあるがな。『わたい、きっちり、たためまんねん。』と定吉が言い張るので、御寮さん、袴を開いて、ぐちゃぐちゃにして、定吉にたたみ直させます。ところが、これが、たためへんがな。しょうがないので、『お孝はんがたたんだ。』と、ついに言ってしまいます。さあ、今度こそ、正真正銘の大騒ぎ。さすがに御寮さん、旦さんにお手かけはんがいることを、うすうすとは知っていたみたいですが、やはり、そこは女の人。悋気が先に立ちますわ。『しかし、何で、お手かけはんのことが分かりましたん?』『袴のたたみ方やがな。』『ああ、やっぱり、禍は下からや。』と、これがサゲになります。ま、演題で、先にサゲを割ってしまってはいるんですが。先に、旦さんが、定吉どんに諭した、“禍は下から”という諺、下々の方から禍は起こるという意味やったんですが、最後に、袴のたたみ方、つまり、下半身の方から禍が起こったというのが、これにかけてあるんですな。しかし、これも、ちょっとエッチっぽく、“下から”を解釈できないでもないんですけどね…。最近は、こんな諺もあんまり使いませんが、“慈悲は上から、禍は下から”てなことも言いますな。
上演時間は、十五分から二十分前後ですかな。そんなに大爆笑できるネタではなく、また、その割りに、意外と難しくもあるネタですので、上演頻度は、うんと少ないです。珍しいネタといってもいいですね。冒頭の網打ちに出かける会話、ここでは、日常会話と同じように、お手かけはんのことなんか語られることのないように進展していきまして、定吉を連れて、お孝はんの家へ行く所、天満橋と違う方向へ向かうあたりから、いよいよ定吉どんが重要になってくるわけです。お孝はんの家の戸を叩くところや、茶碗蒸しをついでに注文してくるところなんか、いかにも、こましゃくれた感じなんかも入っていて、昔の丁稚さんをよく表現されていますね。おもろいところでもあるんですが。一円もろて、川筋で魚を買うところは、東京では『権助魚』に入っています。店へ帰って、御寮さんに言い訳する場面なんか、最大のヤマ場ですわな。ここも、おもろいけども。しかし、魚は犬に食われて、魚屋で買うてきたと、何とか切り抜けられるところが、また定吉っどんのエライとこ。普通の人間、なかなか、うまいこと言えまへんで。一難去って、また一難。今度は違う矛先から、袴のことを聞かれますな。羽織がぐちゃぐちゃなのに、袴はたたんである。それに、もう一度、たたませられる。こら、どうしようもないん。昔の人て、やはり、袴をたためるというのは、大人はもちろんできたでしょうが、子供では、ねえ…。エエ袴やったら、着付けのちょっとできる人で、座らんと、立ったままたためる人なんかも、いてはったみたいですけど。今では、ほとんどの大人でも、たためないでしょう。私も、無理です。しかし、やはりこのネタ、生かすも殺すも、この定吉どんの活躍次第のような感じもしますので、定吉っどんの描き方が難しいですな。
所有音源は、桂米朝氏のものがあります。米朝氏でも、なかなか演じられることがないので、一回しか聞いたことはないんですが、やはり、昔の大店の主さんなら、お手かけはんがいてもおかしくない、ちょっとしたステータス的な感じがあったような時代背景なんかがよう分かりますな。定吉っどんの笑いも適度にありましたし。しかし、なかなかやりにくいネタではありますかな。
ところで、お手かけはんのことがバレてしもた、この旦さん、この後、どないなったんやろ?御寮さんに、エライお目玉食らわせられはったんでしょうなあ…。
<15.9.1 記>
<以降加筆修正>
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