随分と涼しくなってまいりました。やはり秋本番ですな。食欲の秋、読書の秋、芸術の秋などといわれておりますが、その芸術の中でも、絵描きさんの出てくる話、『抜け雀』をお届けしたいと存じます。絵描きさんの話自体珍しいんですが、その中でも、またちょっと珍しいネタで。

 お所は、東海道は相州・小田原の宿。小松屋清兵衛方という宿屋さんの前にお立ちになりましたのが、年の頃なら三十前後の若い男。元は黒の五ツ紋付であったというのが分からんぐらいに、色があせて、羊羹色になってしもた着物を着て、これまた元は織物であったと推測できるか、というような帯。中へ入ると、亭主との応対。十日ほど滞在の予定だが、前金を渡しておかないといけないかと尋ねると、勘定は出立の折で結構という返事。それに、酒をよう飲むということ。お風呂へ入りますというと、上がって晩御飯を食べて、一升飲み、ゴロッと寝てしまう。明くる朝、朝御飯を食べると、その辺の散歩に出かけて、帰ってくると昼御飯。そこで五合飲んで、昼寝をする。それから風呂に入って、晩御飯を食べて一升。ゴロッと寝てしまう。という具合で、毎日一升五合飲みながら、このペースで数日滞在。

 となると、放っとかんのは、ここの女将さん。そらそやわ、こんなけ飲んで食べて、しかもまた、それなりの身なりの人やったら、まだエエけど、ヒョロピーやし。ひょろっとよろけたら、ピーと破れる着物。ちょっと袖引っ張ったら、ピーと破けるしやて。うまいこと、あだ名付けはるわ。こんなお客、金持ってるわけがない。“うちは五日ごとに勘定をもらいます。”と言うて、もろてきたらという作戦。しかし、入って来はったときに、出立の折にと言うてあるので、ちょっともらいに行きにくい。しまいには、養子のおやっさん、女将さんに、『酒代だけでも、もろてきなはれ。』と言われて、二階へと上がってまいります。

 さて、お客の方も、それと分かって、勘定を聞いてみると、一両と三分。『安いなあ。茶代も入れて、二両もあったら良いじゃろう。しかし、無い。』って、そうやと思た。女将さんがにらんだとおりの一文無し。しかし、当ては三つあるということ。一つは、泊まっている間に、金を拾う。もう一つが、自分が死んでしまうこと。最後が、この宿屋の一家が死に絶えること。って、そんなアホな。着物や持ち物を売っても、金にはならんし。しかし、この亭主、一文無しには付き合いが深いとみえて、この前に泊まった表具屋の一文無しは、ボロボロになってた衝立(ついたて)を張り替えさせて、宿賃の代わりにしたということ。そこで、お客に職業を尋ねたところ、これが絵師。絵描きさん。というので、その衝立に絵を描いてもらうことになります。って、白紙やったら、まだなんぼか値打ちあんのに、けったいな絵描かれたらかなわんで。しかも、衝立見て、『一文無しというものは、なかなかイイ腕をしておるものじゃ。』って、んなアホな。

 亭主に硯を持って来さすと、『墨がこびりついておる。』と、洗い流させ、自分の持ってる墨を出して、亭主にすらせる。なんでて、自分で墨すったら、手が疲れて、後で絵描けんて。ぜいたくなもんや、一文無しやのに。力を入れずに、ゆっくりと墨をすってるご亭主、『エエにおいがしますな。』『鼻だけは一人前と見えるな。』って、エエ加減にせえ。と言うてるうちに、筆を持ちますというと、雀を五羽描きます。五羽で二両。えらい高い雀や。『これは宿賃のかたに描いたのであるから、“売ってくれ”という者があっても、わしがまた参るまで、売ることはならんぞ。』てな大きなこと言いながら、この絵描きさん、スッーと出立してしまいます。さあ、こうなりますと、もうエライ夫婦喧嘩や。

 明くる朝、怒って起きても来ない女将さんの代わりに、亭主が二階へ上がって、雨戸を開けますと、朝日がサッーと射してまいります。すると、どっからともなく、チュチュ、バタバタという音。部屋の中に、何ぞいよるんかいなあと、障子を開けますというと、衝立の中の雀が、バタバタバタバタッーと、絵の中から抜け出る。しばらくすると、また部屋の中へ入ってきて、元の衝立の中へスッーと戻る。さあ、こうなると大変。早速に女将さんにこのことを言うが、信じてくれへん。仕方がないので、明くる朝、今度は女将さんが二階へ上がり、雨戸を開け、障子を開けると、雀がバタバタ。

 これがまた、エライ評判となりまして、見物人が押し寄せるので、この宿屋さんは大繁盛。小田原のお殿様、大久保加賀守様、一度その雀を見たいと、やって来られまして、千両で買いたいということ。しかし、先ほどの絵師との約束があるので、これを断ったご亭主。これがまた一層の噂を呼んで、エライ繁盛。もう泊まることがないぐらいのいっぱいで、階段やら便所にまで、お泊り客が詰まる。

 ある日のこと、歳の頃なら六十を越したという感じの上品なお方。一晩泊まりたいとやってまいりますが、すでにいっぱいで、お断り。しかし、絵だけでも見せてくれというので、二階へ上げて、衝立を見せると。『ああ、やっぱり。』と。続いて、『この雀は、このままでは必ず死ぬ。』『絵に描いたもんが死にますかいな。』『いや、飛び出すだけの力を持っておる雀、力が尽きたら必ず死ぬ。わしが一筆書き添えれば、雀は死なん。』と言われますが、せっかく評判になった絵、けったいなもん描かれて、台無しにされては困ると断りますが、『二千両の値打ちになるぞ。』と言われて、しょうがなしに描かれてしまいます。またもや硯を持って来さされ、この人の持ってる墨をすらされると、これまたエエにおい。『鼻だけは一人前じゃな。』って、おんなじやがな。筆を取り上げますというと、鳥かごを描きます。つまり、羽を休める場所が必要というわけ。しかし、こんなもん描かれて、大丈夫かいなあと心配しておりますと、明くる朝、きっちりと絵から抜け出ました雀、今度は鳥かごの中へ入って、止まり木で羽を休める。となると、今度は、大久保候が『二千両で。』と。これまたエライ評判。

 と、またある日、立派な駕籠のお乗り物が、宿屋さんの表へ着きますというと、出てまいりましたのは、立派な着物を着た、そうあの、ヒョロピー。『改めて、あの絵は、その方に進呈する。』と言われますが、この前の鳥かごの話を、この方にしますと、早速に二階へ上がって、例の絵の前へ。ジッーと見ていたかと思うと、手をついて、頭を下げる。『おなつかしゅう存じます。』と。実は、あの鳥かごを描いたのは、この人のお父さん。道理で、おんなじような言い草してはったんやね。『かかる所に気が付かぬとは、まだまだ修行が足りませぬ。不幸の罪は、平にお許しいただきとうございます。』『何をおっしゃいますやら。これほどの絵を描かはったんでっさかいに、お父さんに、何の親不孝なことがございますかいな。』『いや亭主、親不孝ではあるまいか。現在、親にかご描かせた。』というのがサゲになりますね。『双蝶々曲輪日記(ふたつちょうちょうくるわにっき)・橋本の段』の中に、“現在、親に駕籠かかし…”という有名な浄瑠璃がありまして、これがサゲにかけてあるわけですな。つまり、駕籠担きというものが賤しい職業とされていた時代、“親に駕籠を担かせるなんて…”というのと、話の内容の“鳥かごを描かせた”というのがかけてありますね。ま、浄瑠璃の文句を知らなくても、ちょっと昔の人なら、それぐらいのことはよう分かったはったんでしょうなあ。『住吉駕籠』の雲駕籠のサゲや、『莨(たばこ)の火』の駕籠担きにも、そのニュアンスがちょっと残ってますかな。昔は、二人で担ぐ駕籠が、一人を乗せる訳ですから、随分と悪さをした駕籠屋もあったというんで。

 上演時間は、三十分前後ですかな。全体的に、笑いが極端に少ないんですが、内容としては、上品な、美談のようなものですので、寄席には合わないかも分かりません。何かの会とか、特別な時の方が、じっくりと聴いてもらえますしね。昔は、宮様の前や貴人の方などの前で演じられたことがあったようですので、御前落語のネタなんかには、ちょうどイイんでしょう。そら、そんな方の前で、女郎買いの話なんて、あんまりできませんもんね…。笑い所とて、そんなに大爆笑できないんですが、まずは、宿賃を払えと、もめる夫婦のあたりですかな。ここに出てくるご夫婦、関西弁なんですが、これは前にも述べましたが、これでイイんです。上方落語なんですから。ところが、お客の絵師の方は、ちょっと偉そうで、どちらかというと、関西弁でも、お侍に近い言葉遣い。ま、最後にも出てきますが、どこぞの藩の御用絵師になったともいうべき感じですので、単なる町中の絵描きさんとは、ちょっと違うん。次に、お金がないと分かって、そうそう怒らないところに、このご亭主の心構えが十二分に描き出されているように思えますね。普通、一文無しと分かったら、もっと怒って、手荒いことにもなりますわな。墨をすらせるあたりなんかにも、ちょっとした笑いがあって、描くのが雀。これが飛び出すと分かるのですが、元来の上方式では、この雀、座敷を飛び回るだけで、外には出ないもんだったらしいですよ。後は、大繁盛の宿屋となって、それから、絵師のお父っつぁんの登場。これはなかなか風格がありますな。息子が描いたものに不満があって、鳥かごを描き足してやるなんて、なかなか親子の情というのは、そんなもんかいなあと思わせられます。大久保候の、千両・二千両というのも、時間の経過と値打ちの上がり方をよく感じさせられます。で、最後に、立派になって再び登場する絵描きさん。衝立の前で頭を下げて、“親不孝”なんて言うあたり、昔の親子・師弟の関係をよく表現されていますね。

 東京でも、同じ題で、同じ筋で演じられております。というか、東京の方が演じられる方も多いんと違いますやろか?どちらかというと、じっくりと、会話ではなく、地の部分を入れながらの話なんですから。『竹の水仙』の左甚五郎の話にもよく似ていますし、講釈や浪曲にもよくある形態の話で、美談ではあるんですが、お父さんの絵描きさんが出てくるところに、この話のおもしろさ、そしてサゲの楽しさがありますかな。

 所有音源としましては、桂米朝氏、故・桂吉朝氏、そして、同じ趣向で、『抜け蟹』としての桂文太氏のものがあります。米朝氏のものは、やはり風格があって、落ち着いて聞けるものでしたな。ま、少ない中でも、少しは笑いを取ったはりましたが。吉朝氏のものも、割り方、地の部分の語りも、持って行き方がうまくて、“どうなんのんかいなあ?”と聞き込まれますね。また、文太氏は、雀ではなくて、蟹が抜け出すということになっています。場面も、東海道は坂ノ下宿。弘法大師の蟹坂峠の話にかけてあるんですな。そして、朝・昼・晩で一升づつ、都合三升飲む絵師が描くのは、桶屋の職人が宿賃のかたにつくった、たらい。ここに五匹の蟹を描く。朝日がさすと、その蟹が庭へ降り、池で水浴びして、元のたらいへ。後で出てくる父親が描くのが、苔むした岩。ですので、サゲの部分は、『親不孝ではあるまいか。親をコケにした。』というものでした。詳細は、もうちょっと違う部分もあるんですが。この絵描きさんが、なかなかひょうきんに表現されていまして、そんなに笑いが少ないとは感じさせられませんでしたね。しかし、サゲ前の絵師が涙まじりに手をつくところなんか、いかにも情があって、良かったですよ。

 この手の話、意外と滅びていくような気もしないではないんですが、語りのうまい、誰かに受け継がれていって欲しいものですよね。

<15.10.1 記>
<17.12.1 最終加筆>


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