私の家も、随分と古うございまして、いろんな小動物が住み付いております。十数年前ですが、屋根の瓦を全て新調いたしましてからというものは、それまで天井裏を走り回っておりましたネズミが、ピタッと出んようになりました。ところが、ところが、最近、どっかから、またもやネズミがやって来たと見えまして、またそのネズミが子を産んだんか、随分と天井裏を走り回り始めましてん。こらいかんというので、薬局でネズミ捕りを買うてきまして、出そうなところに置いときますと、もうすでに、二日目にして、二匹ひっかかりましたんやわ。まだまだいてるとは思うんですけどねえ…。というところで、今月はネズミの出てくるお話、いくつかはあるんですけど、その中で『豊竹屋』をお届けしたいと存じます。ま、タイトルからして、お分かりかとは存じますが、浄瑠璃・義太夫のお話で。
ここにございましたのは、豊竹屋節右衛門さんという、名前からしてお分かりのように、浄瑠璃の大好きな人。朝から晩まで語ってなはるけれども、ちゃんとしたものを一段・二段と語ってるわけやないん。見たり聞いたりするもの、日常生活の中のものを浄瑠璃の節をつけて語っているという妙な人。今日も今日とて、朝風呂へ参りますと、湯船の中でも浄瑠璃。『アツ、アツ、アツッ。やいとへピリピリしみるのが、これがこらえて、おらりょ〜か。』て、熱いねやったら、出たらエエのに。とうとう、のぼせて、ひっくり返ってしもた。ようやく帰りかけますと、朝御飯食べてないところへ、あちこちからエエにおい。『こちらは天麩羅。こちらは鰻屋。心の内の食べたさ〜を。推量あれよ、往来の人。』って、言われた方、ビックリするわ。
家へ帰ってくると、おかみさん、朝御飯の用意がしたある。『して女房。今朝のおかずは?何、今朝はシャケに、味噌汁とな。んふぅ、だはぁ〜。箸取り上げて、お椀の蓋、開くれば味噌汁、絹ごし豆腐、煮干の頭の浮いたるわ〜。あやしかり〜け〜る〜。』って、己の方がよっぽど怪しいわ。
てなこと言うてるうちに、『テン、ちょっとお邪魔をいたします。』てな、これまた妙な節を付けて言いながら、この家を訪れる人がいる。これが、三味線堀に住んでる花梨胴八という方。これも名前からしてお分かりになる通りで、口三味線を弾くというのが趣味。朝から晩まで、三味線の音を口で言いながら歩いているという、けったいな人のところには、これまたおんなじような人が集まって来るもんで。一度お手合わせをしたいとやって来られたということ。『どうぞ、そちらからお先に。』『いいえ、そちらこそお先に。』と言い合うていると、『先、先、先。先に旗持ち〜、踊りつつ〜。三味や太鼓で打ち囃す。』『ハァ、チン、チン、チンドン屋。』やて、ウマイなあ。『水をジャージャー出しっ放し。隣の婆さん、せん〜た〜く〜。』『ジャ、ジャ、ジャジャジャッ、ジャッジャッ〜。シャボン〜。』ウマイわ。『去年の暮れの大晦日、米屋と酒屋に責められて〜。』『てんてこ舞い、てんてこ舞い。』やて。『二十五日のお祭りは?』『天神さん、天神さん。』『子どもの着物を親が着て。』『つんつるてん、つんつるてん。』ちゅうのも、最近、言わんようになりましたけれども。『ミカンのようでミカンでない。橙のようで橙でない。』『キンカン、キンカン、キンカン、キンカン。』『そばに似れどもそばではなく、うどんに似れどもうどんでなく、酢をかけ蜜かけ食べるのは〜。』『ところてん、かんてん。』『それをあんまり食べ過ぎて、かけ行く先は〜。』『雪隠、雪隠。』て、ちゃんとオチまで出てくるわ。ま、この辺の浄瑠璃と三味線の受け答えは、色々とありまして、演者によっても違いますし、創作しやすいですわな。
と言うてるところに、『棚の上にネズミが三つ出でて、またこちらも三つ出でて、むちゅまじく(三つと三つで、“六つ”と、“睦まじい”、それに、鳴き声の“チュウ”もかけてあるんですな)、一つのお餅を引いて行く。餅は小さいか、大きいか?』と語ると、ネズミの方が『チュウ、チュウ、チュウ』やて。これを聞いて感心したんは、胴八っつぁん。『さすがは節右衛門さんとこのネズミ。うまいこと弾きまんなあ。』『いいえ。かじってるだけでございます。』と、これがサゲですな。ネズミが口三味線で、『チュウ』と受けたのを聞いた胴八っつぁんの方にも、三味線の“弾く”と、餅を“引く”がかけてあるんですが、節右衛門さんの方も、芸事をちょっと“かじる”と、本当の餅を“かじる”がかけてございますね。洒落づくしで分かりやすい、粋なサゲですな。
上記に述べましたのは、四代目林家染丸氏のものを元にさせて頂きました。他にも、色々と型の違うものもありまして、参考に、故・三遊亭百生氏のものも、ご紹介いたします。冒頭は、風呂屋ではございませんで、一月二十五日の初天神に、天満の天神さんへお参りするところから始まります。一銭玉を二十五枚、紙で止めてあったのを破って、一銭だけお賽銭にしようとして、賽銭箱に投げ入れたのは、二十四銭の方。もう、一銭だけ残しても、しょうがないので、ついでにお賽銭に入れての帰り道、お腹は減ってきて、出店がぎょうさん出ているが、お金がないので食べられない。そこで、先ほどの、朝風呂帰りの“往来の人”の浄瑠璃。これも、文句が少し違ってまして、なかなかおもしろい。しかし、このお賽銭の件りは、『いらちの愛宕詣り』に出てくることもありますねえ。しょうがなしに家に帰ってくると、『カカ、今お帰りなされたと、火鉢の端に、どっかとあぐら。莨をスパスパ。あたりを眺め。』てなこと言うてるん。留守中に、在所の、田舎からおばはんが来はって、あわびを土産にくれはった。この辺も浄瑠璃で語りながら、そうなると、一杯飲みたいので、おかみさんを酒屋へ走らせる。
そこへ、東京から花梨屋胴八さんがやって来る。『先、弾いて。』『先、やり。』と言い合うてるうちに、『やり、やり、やり。槍につけても思い出す〜。脇坂〜さ〜ん〜の、槍の鞘。』『てん、てん、貂(てん)の皮。』丹波黒井城攻めの際に、敵の赤井氏から贈られた貂の皮が、脇坂家代々の旗指物。賤ヶ岳七本槍の一人にもなってますし、忠臣蔵でも有名な脇坂氏。昔は、こんなんも一般常識として通用したんでしょうなあ。『うまいこと合いますな。合います、なます(酢のもんですな)に使うのは?』『ハァ、キンカン、キンカン』『おいちょうかぶ(花札の遊びですな)の付け目には。』『ぷつん。』『着物のようで着物でなし。羽織のようで羽織でない。』『はんてん、はんてん。』『犬のようで犬でなし。猫のようで猫でなし。』『ちん(ま、犬の一種みたいなもんですな)、ちん、ちん、ちん。』『日本で一番よう火の付くライターは。』『ペンギン(国産ライターのメーカーですわ)、ペンギン。』また、同じ“てんてこ舞い”でも、『つまらん節季に書き出し眺めて、こわい顔。』と。“せっちん”でも、『ビールで天麩羅食べ過ぎて、お腹がしくしく痛むので…。』と。『秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ』『てん、てん、天智天皇。』などと。
上演時間は、十五分から二十分前後、本ネタだけですと、十分で、できるネタではありますね。マクラで、浄瑠璃の小噺なんかをくっつけて、二十分以上にもできないこともありませんが、そんなに長くならない程度にしとく方がよろしいわな。土台が、小難しいというような浄瑠璃を分かりやすく、生活の中に取り入れるということですので、大笑い・大爆笑はできないかもわかりませんが、バカバカしい話として、寄席向きでありますな。冒頭の節右衛門さんが風呂屋、または天神さんへ行くところなどは、いかにこの人が浄瑠璃好きで、勝手に語るかということを表現されていて、胴八っつぁんがやってきて、掛け合いになるところが、何といっても、聞きどころ、笑いどころでもありますな。この辺なんか、もっと現代的なものに変えていっても、おもしろいと思いますよ。しかし、この掛け合いの妙、実は、浄瑠璃を語る部分の息つぎの仕方、それに、三味線の相方を入れる間が、なかなか難しいように思えます。これは、やはり浄瑠璃を本当に聞き慣れていないと、間の抜けたものになりますね。そして、サゲは、割り合い洒落がかけてあって、なかなか乙なもん。さらっとして、聞けますよ。
登場人物の名前ですが、豊竹屋節右衛門に花梨胴八なんて、よう考えたある。浄瑠璃の太夫さんは、“竹本”か“豊竹”ですし、節回しの節が入っています。三味線も、棹の部分は、花梨の木が一般的によく使われていますし、胴の部分もありますので。また、現在、関西では、一般的に大喜利が行われる場合、必ずといってイイほど入っている遊びが、いわゆる“ベンベン”。『〜のようで、〜でない。』『ベンベン。』『〜のようでも、〜でない。』『ベンベン。それは何かと尋ねたら。』『あ〜あ、〜〜。』『ベ〜ン、ベ〜ン。』というやつ。実は、あれ、このネタが元になってできた遊びなんですよ。しかも、考えはったんは、かの笑福亭仁鶴氏。『ブチッ。糸切れた。』ちゅうギャグも生まれましたな。KinkiKidsの堂本剛君も、よく“ベンベン”使うたはりますけど、このネタからきてたて、知ったはりました?
東京でも、同じ演題、同じ内容で演じられておりますが、やはり、東京での上演といえば、故・六代目三遊亭圓生氏のものでしょう。何といっても、子供時分には、浄瑠璃語りで舞台に立ったはったという話も聞くぐらいで、声・ノド・節回し、浄瑠璃はウマイですなあ。寄席では、よく演じたはって、得意ネタにしてはったらしいので、音源も、結構残っていますね。ま、元は上方ネタですので、圓生氏亡き後は、東京でもあんまり演じられていない感がありますよね。
所有音源は、前記の百生氏と染丸氏、他にもそこそこ聞いております。百生氏のものは、時期が初天神の一月二十五日になっておりますので、当然、正月の初席なんかに焦点を当てられている感じがしますね。お餅も連想しやすいのでしょう。あの不思議な、何ともいえんダミ声が、浄瑠璃にまたよく合いまして、芸達者ぶりが非常によく分かりますわ。染丸氏のものは、対照的に、澄み切った声で、これまた浄瑠璃をうまく語られる。どちらも、おもしろいですね。
上演頻度は、最近、少なくなってきたような感もしないではないんですが、時間的にいっても、お手軽ですし、ノドのエエ方、どんどん浄瑠璃を聞かせとくれやすな。
<15.11.1 記>
<以降加筆修正>
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