実家であります私の家へ来ていました姉一家が、ようやくと神奈川県・川崎の家へと帰りました。新幹線で帰ったんでありますが、私の家に置いたままだった姉のお雛さんや、滞在していた間の荷物なんかを車に載せまして、私が運転して、六時間かけて届けてまいりました。一泊して、明くる日も、六時間かけて帰ってきましたが。しかし、なんと、その次の日に電話がかかってきて、『神戸に転勤になんねん。』て、どういうこっちゃ?京都から川崎まで持って行ったのに。もうちょっと待っといたら良かったわ…。しかも、二月中に引っ越しやったんで、お雛さんなんか、箱から出されんままに、神戸に行ったんでっせ。ま、そんな運送屋みたいなことしましたが、今月は、『仔猫』をお送りいたしましょう。

 お所は船場でございまして、ちょうど夕景小前、流しの商売、“流し”とか“流れ”とかいいますが、店閉まおうというところの、その前へ立ちましたのが、どっから見ても田舎から出てきたとこと、一目で分かるおなごしさん。手には書き付けを持ちまして、『ちょっくら、ものを尋ねるがのう。』て、こっからしてエライ言葉や。横町の人置屋、つまり口入屋から来はったんですが、丁稚さんが先に帰ってしもて、行く家が分からん。書き付けを番頭はんに見せると、これが十一屋、ここの家ですわ。しかし、言葉も言葉ですが、ここで始めて番頭はんが、おなごしさんの顔を見ると、これまた言葉と揃いのおもろい顔。よそに頼んである口もあるさかいに、一旦、口入屋はんに往んでてと諭しますと、帰る道が分からんという。丁稚に送らそうとすると、それでは、さいぜんと同じことになるので、大人五・六人で送れて。この忙しい時に。昔の奉公人となりますと、男は子供時分から丁稚・手代・番頭と勤め上げて、暖簾分けしてもらうので、請人、身元保証人は、しっかりした人でなければいけなかった。しかし、女のお方は、半期・一年で契約更新という形で、良ければそのままずっと働く方もおられるし、辞められて、口入屋さんから、また違う奉公先へ行かれることもある。ま、口入屋さんというと、今の職業紹介所みたいな所ですか。詳しくは、『口入屋』というネタにも出てきますがな。

 わちゃわちゃ言うてるところへ、奥から出て来られたのが、ここの御寮さん。おなごしのことなら、店でやいやい言うてもらうことがない。御寮さんが、じかに応対。他に頼んであったんも、ウソではないんやが、お給金のやりとりをせんならん。半期で一両、一年で二両しかならへんということですけど、このお鍋というおなごしさん、給金欲しさで奉公に上がったわけではなく、田舎にいる時に、“大阪で、たとえ三日でも奉公したら、立った柱に花咲かせたる。”と、からかわれて、やって来たとのこと。つまり、もう柱になってしもた木なんかに、花が咲いて実が付くわけはないんですから、無茶言われてたんですな。それと、半期に一両というのが、給金として、安かったのかどうか、私もよく分かりませんが…。

 これが縁になりまして、お鍋どん、ここの家に住み込みで働きます。この方、誠に働きもんで、用事を自分から探すというぐらい。丁稚小者の端に至るまで、衿あかの付いたもんを着てんのん、見たことがないということ。ある日のこと、今日は仕事がぎょうさんあって、一時ばかりは夜なべをせんならんと皆が思うてるところが、思わん早う片付いた。こういう時には、旦さんも目のあるもんで、奉公人の晩御飯にうどんの一膳もつけて、早う休むようにとなりますが、そうなると、また、妙に寝られんもんで、若いもんが集まってのよもやま話。こう早う片付いたというのも、お鍋どんのおかげ。店へ出てきて、大の大人が二人がかりで運ぶ荷物を、一人で二つ抱えて運びよった。また、この前、褌(ふんどし)が汚れてたんで、ついでのもんができたら一緒に洗濯しようと思うて、押入れの隅へ入れといた。それから、洗うもんができたさかいにと、押入れの中で褌探してたら、お鍋がやってきて、『これじゃろ。誰のか分からんが、洗うといた。』と。足袋に穴が開いてたので、捨てようと思うてたら、『もったいないことしなさるな。』ちゅうて、繕いして、糊まで付けて、返してくれたということも。

 そうすると、『横町のぼて屋のおなごしと、お鍋と、どっちカカにする方がエエ?』と言い出す奴もいる。“ぼて”て、あの竹やなんかで編んだ籠に紙貼ったある、着物やとか、いろんなもん入れる入れもんのことですな。お相撲さんの明け荷とも、ちょっと違うんですけど、だいたいあんな感じのもんです。『古手買い』の中にも、“三番のぼて…”とかいうて出てきますね。そのぼて屋のおなごしさん、町内でも評判のキレイな人。それに比べるとお鍋は…。しかし、お鍋をカカにするという茶人も。茶人ちゅうのは、ま、風流な人とか、ちょっと変わった人ぐらいに、ここでは使われてますな。別に、茶道習うたはる人でも何でもおまへんで。この人の理由も、聞いてみると、もっとも。ぼて屋のおなごしは、見た目は美しい塗りの重箱やが、中身は、食うても、うもない、体に精もつかん。お鍋は、欠けたすり鉢やが、中身はおいしいし、体にもエエと。

 こんなことを言うてると、お鍋の一件を知らんなという人も。半月ほど前、宵から雨の降ってた晩、夜中に手水へ行きとなった。しかし、家の中にある、旦さんや御寮さんが行かはる、お上の便所へは行けん。母屋からちょっと離れた大裏の便所まで行て、しゃがんで窓から外を見たら、雨があかって月が出てる。その月やら雲を見て、きばってたと。なんじゃ、キレイような、きたないような…。それから三番蔵の方で足音がするので、月明かりで見てみると、これがお鍋。自分の後ろやら、あたりをキョロキョロ見渡して、うれしそうにヒヒヒヒヒ…。布団へ飛んで帰ったんやが、慌ててて、尻拭くのん忘れてた。て、エライ話や。

 すると、この輪の中へ番頭はんも入ってきた。番頭はんも、妙なお鍋を見たと。何日か前、やっぱり夜中に手水へ行って、帰り道、おなごしの部屋の明かりが付いてる。夜なべでもして、途中で寝てしもたんかいなあと、ちょっと障子の隙間から覗いてみると、お鍋が、鏡の前で座ってる。ヒョイと顔を上げたとこを見ると、見当の違うた目で鏡の中の自分を見てる。口には、ベッタリと血が付いて、恨めしそうにしてたと。こんな話してると、『今晩はよう手水へ行かん、おまる抱いて寝る。』ちゅうやつも。

 『色街と違うで。早う寝なはれ。』と入ってきたのは、ここの旦さん。皆を寝にやりますが、番頭はんだけは、旦さんに呼ばれる。というのも、この旦さんも、さいぜんからのお鍋の怪しさに気づいていたと。そこら、やっぱり大家の旦那ですな。夜になると、二重三重の閉まりを抜けて、外へ出て行く。いつの間にやら帰ってきて、昼間は、一生懸命働く。外で怪しいことをして、縄付きなるのも、信用にかかわるさかいに、番頭はんに断り言わせて、暇出そうと。しかし、証拠がないので、明日、御寮さんの芝居行きのお供をさしてる間に、持ち物を調べてみようということで、この晩は、これでお開き。さあ、どうなることやら…。

 翌日になりまして、いよいよ旦さんと番頭どんが、二階のおなごしの部屋へ。入ってみると、荷物は、つづらが一つ。しかし、鍵がかかって開かへん。こんなもんぐらいと、番頭はんが錠前をねじ切ります。って、こんなん、ちょっとやそっとで出来る芸当違いまっせ。この人も、ちょっとおかしいで…。着物やら帯、一つずつ取り出して、調べてみるが、なんともない。いよいよ、あと二枚というところで、プ〜ンと、けったいな臭い。やめとこかと旦さんが言い出すのを制して、番頭はんが、もう一枚着物を取り上げると、下には赤やら黒やら、まんだらの色の毛皮が血まみれで。恐ろしくて、旦さんが蓋を閉めた拍子に、番頭どん指詰める。旦さんはもう、番頭はんに断りを言うて、暇出さすように言います。番頭どんも怖いので、隣の部屋に若い衆の助太刀を入れといてもらうということで、ようよう承知をいたします。まだ、終わりちゃいまっせ〜。さて、お鍋どんの正体は?

 家へ帰ってきたお鍋どん、水を持ってきて欲しい言われて、番頭どんの部屋へ。タバコを吸いながら、番頭どんも、言いにくいとみえて、あれこれの話。エエ奉公人置き当てた、うち来てどのくらいなる?芝居面白かったかとか…。この芝居がまた、四谷怪談て、ああ、こわ〜。同じこと言うてても仕方がないので、これから言う話、先に“ウン”と返事をしてくれと。しかし、お鍋は、『わし、お前の話ちゅうの、何か知ってるでのう。番頭さんは、来年別家をなさるそうじゃが、わしもまだ定まった男のいる体じゃなし、わし、お前のためなら…。』って、そんな話と違うがな。実は、御寮さんの妹さんが、不縁になって、嫁ぎ先から、実家へ帰りにくいので、この家へ来はる。いずれ、元のところへ収まるのは分かってんねやが、しばらくの間、この家にいはる。しかし、気がねなんで、おなごし代わりということで、置いてもらうことになるので、おなごしが一人余る。そこで、一番新しく来た、お鍋どんに口入屋へ帰って欲しいと。うまいこと言うなあ〜。番頭はん。こんなん、二・三経験してはんねやろね。しかし、妹さんは無かったはず、勝手元周りを教えてから往ぬと、押し問答。しているうちに、お鍋どんが勘づいてしまいます。

 『そうじゃあるまい、番頭さん。お前、わしの留守中、何か見はせなんだか?』『見た見た。堪忍しとくれ。』『あれを見られたんでは、仕方がない。一通り聞いとおくれ。こういうわけじゃ。』というところで、おなじみ、芝居のくどきのように、下座から『四つの袖』が入りましての物語り。お鍋どんの父親というのは、百姓片手の山猟師。生き物の命を取るというもので、このお鍋どんに報いがきて、七歳にして、飼っていた猫がケガをして家に戻ってきた時に、その猫をなめたのが始まり、血の味を覚えて、猫さえ見ると、獲って食べるのが、この人の病気。鬼娘じゃといわれて村におられず、大阪に出てきて、奉公すると治るかと思ったが、夜になると、閉まりを越えて、町で猫をとっ捕まえ、喉笛くらい付くまでが夢うつつ、猫の血が喉元過ぎると正気に戻り、後悔するということ。もう、これからは、手足を縛って寝ますので、この家に置いて下さいとのこと。いや〜、しかし、どエライ病や。毎晩、猫食うてたんやて。ビックリした番頭はんですが、気を取り直し、『しかし、昼間、あんなけおとなしいお前が、そんなことを…。ああ、猫かぶってたんか。』というのがサゲになります。ご承知のとおり、“猫をかぶる”、いつもの正体を現さないで、人前なんかでは、おとなしくしていることの諺ですな。

 もっとも、元来のサゲは、これではございませえで、番頭はんが、『そのお前さん、郷(くに)は、どこやった?』『芸州は、海田でがんす。』『道理で、猫をかじるのやな。』というものであります。芸州は安芸の国のことなんですが、昔は、芸妓・芸者はんのことを、芸衆と言うた。これは、『遊山船』の、大阪の粋(すい)言葉の件りにも出てきます。また、芸妓はんのことを、猫とも言うたん。これも、『宿屋仇』なんかに出てきます。ですから、芸州と芸衆がかけてあって、それで猫をかじるという意味なんですわ。現代では、ちょっと分かりづらくなってしまいましたね。サゲ自体からいくと、“猫かぶり”のサゲは、番頭はんの一人しゃべりの中でのものですから、ちょっとサゲになる息・タイミングからいうと、あんまり感心せず、会話のやりとりで、“猫をかじる”の方が、イイと思うんです。しかし、話の内容からいって、ここで急に郷里を尋ねるというのもねえ…。最初の、お目見えの時に、番頭はんは十分心得てるようにも思うんですが。それが、奉公人が何人もいるので、郷里のことなんか、いちいち覚えてないと解すると、道理にもなるんですけど。不細工なお鍋どんが、最後に、芸衆・猫、つまりべっぴんの芸妓はんになって終わるというのも、ちょっと一興ですかな。ちなみに、“猫かぶり”のサゲに変えられたのは、故・四代目桂米團治氏らしいので、戦後すぐぐらいには、もうすでに、“猫をかじる”のサゲも、分かりづらくなっていたのでありましょうか?

 上演時間は、三十分から四十分前後、やはり時間のかかる、大きなネタではありますな。落語会でも、最後のトリとか、独演会に出すようなネタでございますね。そんなに笑いが多いネタではないんですが、田舎丸出しのお鍋どんが登場する所、昔は、もっと身近で、つい笑ってしまうという感じだったのでしょう。別に、田舎をバカにしたり、あざけっているという類の笑いではなくって、街中にいてると、つい、“ああ”と思ってしまうという類の笑いで。ある日のこと、晩御飯にうどんをつけるというのも、今では、あんまり考えられませんけど、昔の商家では、よくあったそうでございますなあ。普段は、粗末なご飯ですが、うどんと一緒に白いご飯食べるちゅうのも、今ではちょっと見慣れませんが…。と、言いたいとこやったんですが、よう考えたら、今でも白いご飯とうどんを、昼の定食で食べたはる人いはりますし、ラーメンとご飯も食べますわなあ。特に、関西圏の方は。お好み焼き、たこ焼きと、ご飯も食べますし。こんなとこに、その名残りが出てんねやろか?暮れやなんかに、うどんの中でも、小田巻きがついたら、上等のごっつぉうやったらしいですな。これも、今ではあんまりメニューで見かけませんが、うどんの茶碗蒸し版みたいなもん。昔は、卵自体が高かったからね。

 それを食べた後の、奉公人集まってのしゃべりの輪。これも、なかなかおもろいん。昔の奉公したはる人の様子が、よう出てます。それに、ちょっと番頭はんが加わって、上から旦さんが、少しだけ怒っておく。この辺が、商家の雰囲気をにおわせます。話は、この辺から、思わぬ展開、スリルとサスペンスに満ちたものへ。お鍋どんの持ち物から、けったいな毛皮が出てきて、エライこと。しかし、この番頭はんと旦さんが出てくるあたり、よくその役割が出てますよね。大家の旦さんですから、家から縄付きなんぞ出したくないん。といって、錠前を切ってまで、最後の着物を調べてまで…、とはすっと思えない。しかし、事が分かった以上は、家から追い出さねばならんという。逆に、番頭はんも、怖がりなんですが、物事をやるとなると、錠前ねじ切ったり、着物調べたりと、最後までつきとめようとする。この両者の対比が、いかにも大家の旦那と、奉公人とはいえ、店を仕切る番頭という間柄をよく表現しておりますな。この辺の描き方は、やはり技がいりますかな。ま、なんじゃかんじゃいいながらも、このネタの主題は、お鍋どんなんですから、この方の表現が難しいんでしょうけど。特に、最後の述懐のセリフ、自分で自分が悔しいというような。実は、私、忘れてはいけないのが、御寮さんだと思うんです。ちょっとしか出てきませんが、ひじょ〜うに上品で、いかにもセレブな感じがして。

 所有音源は、故・桂枝雀氏、桂福團治氏、故・桂吉朝氏、桂雀々氏のもの、他にも、故・桂米之助氏のものを聞いたことがあります。枝雀氏のものは、やはり笑いの多いものでしたな。特に、中ほどの、奉公人が集まってしゃべるあたり、おもろかったです。しかし、お鍋どんも、以外とかわいらしく映っておりまして、驚く番頭はんなんかも目に浮かびますね。福團治氏も、割り合い、お鍋どんがかわいらしかった。それにも増して、上品な御寮さん、よろしいなあ。吉朝氏は、やはり、旦さんにご大家を感じますし、ヤマ場がちょ〜うどサゲ前のセリフに持っていくあたり、うまいですよね。雀々氏も、お鍋どんがかわいらしく、番頭はんがおもしろかった。米之助氏のものは、たしか、米團治氏の追善落語会かなんかの時の模様だったと思いますが、良かったですなあ。あの淡々としたしゃべりの中で、細いお体ですのに、お鍋どんが異様にエエ体格に見えてしまって、ラストにヤマ場が来てました。ホンマに、これからどないなんねやろと思うて、見てましたわ。サゲは、古風に、“猫をかじる”でしたな。あの『仔猫』、もう一回見てみたかったんですけどねえ…。

 この話、虚構ではあるんでしょうが、まんざらウソのようにも思えませんねん。実は、私の家は、先祖代々鳥屋を営んでおりますが、父親は、幼い頃から、霊がよく付いてたんですて。生きた鶏を毎日さばくんですからな。ですから、昔は毎月、鳥供養に、おがみ屋はん、霊媒師みたいな人ですかな、この人が、家に来てはったらしいですわ。でっさかいに、このお鍋どんの話も、まんざら他人事のようには思われませんね。ちなみに、私が生まれた時に、そのおがみ屋はんは、“もう大丈夫。この家に私の用事はなくなりました。”と、来はらへんようになったんですて。するってえと、わたしゃ、鶏の霊のかたまりか?

<16.3.1 記>
<20.12.1 最終加筆>


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