だんだんと暖かくなってまいりますと、やはり、その象徴のようにして咲くのが、桜の花ですわな。そこで、今月はご陽気に、『鶴満寺』をお届けいたしましょう。桜の出てくる話ではあるんですが、ちょっと珍しい部類のネタですかな。

 陽気がようなってくると、出てまいりますのが花見の御連中さん。大阪は船場あたりの旦さん、ひとつ花見にでも出かけよかというので、なじみの芸妓はん・舞妓はんからお茶屋の女将さん、太鼓持ちなんかを連れまして、やってまいりますのは、長柄の鶴満寺。その道中の陽気なこと…。と、下座からお囃子が入ります。(何を弾いてはんのか、私では、ちょっと分かりまへんのや。勉強不足で、ごめんなさい。ご存知の方は、ご一報を。)鶴満寺さん、今でもおんなじ場所にございます。天台宗系のお寺で、奈良時代の創建と伝えられ、河内・西中島と移転して、江戸時代中頃の寛延年間(1750年代のころ)に、この地に順次再興されたんですと。ご本尊は阿弥陀如来さん、釣鐘も有名なんですてね。その再興当時に植えられ始めた枝垂桜は、たちまち評判となって、桜の名所であったらしい。境内には腰掛け茶屋も出て、随分に賑わったらしいんですが、明治十八年(1885)の大洪水で被害を受け、それからでも桜は、わずかに盛り返したんですが、今ではすっかり、その面影は残っていないらしいですよ。

 賑やかにやってまいりました一行、例年になく境内が静かなんで、太鼓持ちの繁八が、寺男の権助に聞いてみると、毎年、あまりに騒がしいので、住職の言いつけで、今年からは、和歌やとか俳諧、つまり歌詠みの方以外は、境内に入れない、きまりとなったということ。一行は、歌詠みの会の者と言い張りますが、それはダメ。せっかく来てんので、引き返すのもゲンが悪いと、住職に掛け合おうとしますが、これが夕方まで留守。そうなると、それが幸い。旦さんからの言いつけで、繁八がこの権助に、天保銭一枚、つまり百文(実際には、九十六ぐらいやったそうですが)をつかませると、これがうまいこと言うて、中へ入れてくれた。境内は、満開で桜の花盛り。しかも、誰もいないので、いっそうに独り占めしたような気分。気持ちよろしいやろなあ。早速に、毛氈(もうせん)を敷いて、酒・肴の用意。

 ところが、歌詠みというているので、これを見咎めた権助、中へ入れただけでも怒られそうなもんやのに、この上に花見の宴会となると、具合悪いと、文句をつけようとしますが、またもや旦さんから繁八に合図があって、今度は権助に一朱つかませますわ。すると、またもや態度が変わって、どうぞ、どうぞと。ここでお重を広げて、ちびちびと飲んで、食べ始めますわ。していると、向こうの桜の木の陰から、いかにも、この輪の中へ入りたそうにして見ているのが、さいぜんの権助。これを見てとった旦さんが、繁八に言うて、一杯飲ませてやりますわ。始めは断りながらも、一杯だけ。これがまた、おいしそうに飲まはんね。もう結構、結構と言いながら、二杯目。飲みながら、ベラベラといらんことをしゃべり出しますわ。今年から住職が変わって、河内の大きいお寺から来はって、頭はエエねやけども、固苦しい。この人が、歌詠みしかアカンと言い出さはったん。この権助さん、実は、このお寺に三代仕えたはる寺男で、前の前の住職は、かわいらしいこぢんまりとした、おじいちゃんで、花見時分なんぞは、笑うて花を見てはったんやて。次の住職は、派手な方で、酒も好き。花見には、よう飲んで騒いで、踊ってるうちに、酒が頭に回って、コトンと死んでもた。その次が、今のアホ。って、そんなこと言うたら、怒られるで。

 だんだん酔うてきた権助さん、皆に酒を注がせます。ここら、『らくだ』とか『市助酒』なんかとおんなじで、おもろいとこですわなあ。三味線を見つけて、さあ、芸妓はんに弾いてもろて、一踊り。と、下座から、おなじみの『負けない節』。『踊り踊るな〜ら…』と、ご陽気に始まりますが、踊ってるうちに、酔いが回ってきて、グ〜グ〜と。このお囃子がまた、次第に音が小さくなっていくのも、心憎い演出ですね。そのうちに、この船場の一行、寝たのが幸いと、皆帰ってしまいます。そらそやわ、こんな酔っぱらい、かなんわ…。

 と、そこへ帰ってきたのが、真面目な住職。境内が散らかっているので、権助を呼びますが、そこらに見当たらへん。桜の木の根元に寝てる人があるので、よく見ると、これが権助さん。エライ酔うてるので、訳を聞くと、歌詠みの方が来られて、エエ歌詠んで、帰ったて。“坊主抱いて寝りゃ かわいてならぬ どこが尻やら 頭やら”て、そら、ちょんこ節やがな。『八五郎坊主』に出てきますな。こら、どエライ皮肉や。こら、違うた。“花の色は 移りにけりな いたづらに 我が身世にふる ながめせしまに”やて。『そら、お前、小野小町の歌。百人一首やないかい。』『何、百に一朱。何で分かったんやろ?初めが百で、後が一朱ですわ。』袖の下にもらったのが、先は天保一枚、つまり百文と、後が一朱であったということと、百人一首がかけてあるサゲです。ま、分かりやすいサゲであるんですが、初めのときに、天保一枚、百文と言うておかないと、昨今の方では、天保一枚だけでは、何の意味か、さっぱり分からんでしょうけど…。

 上演時間は、二十五分前後ですかな。つきつめると、二十分ぐらいで、やれないこともないではありましょうけれども。笑い所としては、やっぱり権助さんの挙動でございましょうな。最初は嫌がりながらも、ちょっともらうと、気が変わって、酒を飲むと、これがまた一層に変わる。住職に見つかって、ちょっと反省と。割り合い、かわいらしいですなあ。袖の下なんかもらうのが、悪いとか、悪ないとかいう問題以前に、やはり、歌詠み以外に境内に入れないという住職の固さに、ちょっと嫌気もさしてたんでしょうなあ。そんな気持ちも、分からんではありませんわな。陽気も良うなって、酒飲むには、一番気候がエエといわれるような季節ですかなら。また、騒がれるのが、嫌だという住職の気持ちも、少しは分からんでもないんです。花見時分の大暴れて、ホンマ、今でも見るに耐えませんもんね。桜の枝折る奴いてるし、明くる朝なんか、ゴミだらけやし。ま、その辺は両方共に気持ちがよう分かりますわ。というのも、私の家の隣の道が、桜並木なんで、時候が良かったら人は多いわ、その人で、ガレージから車出せんわ、ゴミ多いわ。そやけど、そんなけの人出てきてもらわな、商売できひんし…。

 というわけで、一にも二にも、権助さんの描き方が重要ポイントですな。特に、酒飲みながらの、三代住職についての述懐のあたり。他に出てくる方々も、それぞれに特色がありますけれども。また、桜の花盛りという風景も、大きく表現して欲しいですね。このネタ、あんまり演じられることはありません。むしろ、珍しい部類といってもイイでしょう。それは、第一に季節が限られていること。そして、重要なのは、あんまりエエ役どころで、鶴満寺さんが出てこないことなんですよねえ。住職が、ちょっと悪者らしく聞こえますんでね。別に、悪いわけでも何でもないんですが。今でも、実際に現存しているだけに、やりにくいのでありましょうなあ。

 このネタ、あらすじは、狂言の『花折』と一緒です。というか、時代からいって、そら、この『花折』から作り出されたネタなんでしょう。狂言のほうでは、花見客は、お寺の中に入れてもらえず、塀の外で、宴会を始めます。すると、あんまり楽しそうなんで、寺の者が、つい扉を開けて、花見客を中へ入れてしまい、自分も一緒に宴会。土産に、桜の枝を一つずつ持たせて帰らし、このお寺の方は寝てしまう。ここに住職が帰ってきて、怒られると。落語では、東京でも、『鶴満寺』のまま、または、『小町桜』なんかいう題で、同じ内容として演じられております。故・八代目桂文楽氏の名演は、有名でしたな。上方のより、もっとあっさりしてましたが。それでも、東京でも、演じられる方は、少ないと思いますよ。

 所有音源は、桂雀々氏のものしかありません。マクラの観光バスの話は、腹かかえて笑えますなあ。本題では、やはり、権助さんが、かわいらしいですな。コロッと態度を変えたり、踊り騒いだり。なかなか、おもしろいん。それにも増して、実は、最後に出てくる住職が、この方に似合わず、ものすごくきっちりと表現されていて、ここに一流を感じますよ。朝日放送の『枝雀寄席』で拝見したものは、『負けない節』のところの文句は替え歌で、『花はいろいろ〜』でしたし、読売テレビの『平成紅梅亭』の時は、例のちょんこ節の文句で、洒落てはりましたな。私は、氏のものしか聞いたことがございませんで、それを参考に、上記のように記しましたが、元来のものは、ちょっと違うかも分かりません。勉強不足で、申し訳ございません。また、他に、昔は、染二のお師匠はん、今の林家染丸氏やなんかも、やってはったと聞いたことがありますし、桂枝三郎氏なんかも、やったはるちゅう噂だけは、聞いてまんねんけども。

 そんなに大爆笑できるネタではなく、私も、そんなに好きなネタではないんですが、なんじゃちょっと、小水(こみず)がかかる…。って、そら『高津の富』や。

<16.4.1 記>
<以降加筆修正>


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