さて、心地よいお天気の日々が続いております。もう五月。エエ時候ですな。五月五日と申しますると、子供の日。端午の節句とか申しまして、各ご家庭では、男のお子達が主役となりますな。そこで、今月は、ちょっとお珍しい、『人形買い』というネタで。
毎度おなじみ、長屋の住人、同じ長屋の住人の家へ上がり込んでくるところから話が始まります。今朝方、祓い給え屋の先生のところから、初孫の節句の祝いちゅうので、粽(ちまき)を一軒ずつ配りはったん。そこで、この長屋のつなぎで、泣き笑い共に、慶弔共に、一軒あたり四十八文と決めたあるわけやが、柏餅と違うて、張り込んで、粽にしはったんやさかいに、もうちょっと何かしとかなあかんと。ちなみに、祓い給え屋ちゅのは、拝み屋はんみたいなもんですかな。そこら近所にいてはった、神道者ともいうべき人。祝詞(のりと)の最後が、『祓い給え、清め給え。』で終わるので、この名前が付いてたんでしょう。簡単なお祓いなんかしはんねね。それと、やっぱり、昔から粽の方が、柏餅より、ちょっと高かったと見えますな。田舎の方では、粽も、自分とこの家で作ったはったんで、そうでもないんですが、街中では、やっぱり、ちょっと値が張ったんでしょうなあ。ま、そこで、一軒ずつ百金、百文集めて、二十四軒で、二貫四百文、これで人形買うて、祝いにしようと。千文で一貫、四貫で四分、つまり一両。一貫=一分ですな。しかし、百文ずついうて、文句言う奴もいてるかもしれん。何かにつけて、ごてくさ言うのは、講釈師と八卦見。一応、断って行った方がエエんやが、八卦見の先生は、朝方、仕事に行ったんを見かけたので、おそらく留守。そやから、講釈師の先生に言うといたらエエんやが、しかし、お金の方は?今から集めに行っても、仕事に出てるもんもおるんで、夕方に回ろうと。すると、二貫四百文は、立て替えとかないかん。何じゃかんじゃ言いながらも、二人共、まとまった金がないん。木挽きの鶴やんが、頼母子(たのもし)の金がまとまったんやけども、カカに見つかったら、うるさいさかい、家に置いとけへんので、預かってくれと持って来た、あれ出して、立て替えとこうということで、人形を買いに。
おっと、その前に、講釈氏の先生とこへ。そこで、こうこうと、百文出してもらって、人形を買いに行く訳を話します。『商人は掛け値を言う。計略を以って、安く買うべし。計略とは、密なるを以って良しとする。』と、また難しい物の言いよう。ほどほどにしながら、二人連れ立って御堂前の人形屋はんへ。昔は、御堂前に人形屋はんがたくさんあったそうで、御堂筋拡張のために、集団移転しはった先が、今は有名な松屋町なんですと。その御堂前の人形屋はんの中にある一軒へ。上の棚に並んでる人形、着せ付けや顔がエエと思うたら、値は二両三分。隣の金太郎さんも同じ値。『そやなあ、着せ付けがエエ。』って、腹掛け一枚やがな。下に置いたある、神功皇后(じんぐうこうごう)さんと太閤秀吉さん、人形屋はんは、そろばん置いて、こうこうと。これをもろた長屋の一人が、これでは高いと、そろばんをパチパチ。って、これ何ぼや?皆、玉上げたある。そろばん知らんねやがな。あっさり聞いてみると、二貫六百。そこを長屋のつなぎで来てんのでと、三百負けさして、二貫三百で。それに、さっきも言うてた、文句言う人間がいてるのんで、二体共に持って帰って、どっちか一つを決めて、もう一つを人形屋はんへ返すということで。そこで、丁稚さんに風呂敷包みに人形を包んでもらって、お金を払って、三人で長屋へ。
帰り道でも、またゴジャゴジャと。そういえば、人形は二貫三百やのに、集めるお金は、二貫四百。つまり、この差額の百文は、駄賃、おためですわ。この百文で、焼豆腐をあてに、二合ずつ飲もうという算段。そんな話をしていると、丁稚さんが、『その人形、何ぼでお買いになりました?』と。正直に、二貫六百を二貫三百にしてもろたと言うてると、これは、二貫でも一貫でも、損せん人形。つまり、去年の売れ残りで、蔵にあったんを、ホコリ払うて並べといたもんですわ。そういやあ、ちょっと着物に色あせがあるやろか。そやけど、買うたもんでも、毎年出すし、年と共に古うなっていくんでっさかいに、気にせえへんといえば、気にせんでもエエかも知れまへんわな。
そやけど、番頭はんは商売がうまい。と思うてると、さいぜんのは、あの店のご養子の若旦那なんですて。番頭はんてなもんは、まだまだ上手(うわて)。ところが、その若旦那と、おもよどんちゅう、おなごしさんの仲がどうも怪しい。って、エライこと言い出す丁稚さんやな。丁稚さんがお腹痛いいうて、二階で寝てたら、おもよどんが上がってきて、隣の部屋に入って、鏡台の前で髪をときつけてる様子。そこへ若旦那が来て、“何してんねん?”“髪をときつけてますのん。”“そんなとこしてるとこ見ると、エエのんが出来たんやろ。ちょっと、その櫛貸して。”“おなごの櫛なんか、どないしなはんね。”“髪をときつけてみたいねやがな。お前の髪を。”“やめとくなはれ。”“櫛こっち貸しなはれ。”“若旦那、あれ〜。”って、こら、エライ話や。おもろいけども。こんな話聞いてたら、長屋一丁ほど通り過ぎてしもた。しかも、八文やって、続き聞こうかて…。
さいぜん、仕事に行っていなかった、八卦見の先生の所へ。事情を話して、神功皇后さんと、太閤秀吉さんの人形、どちらのほうがイイかと聞くと、八卦で占うてみるとのこと。筮竹(ぜいちく)に算木、易書みたいなもん並べて出してきて、なんじゃかんじゃと。これが、また分からん。太閤秀吉公は、尾州の産で、日本を治め、その勢いは火が燃え上がるごとく。それを火と見立て、今年生まれた子を暦からいうと金(金星なんでしょうか?その辺は、私もいまいちよく分かりません。ご存知の方は、またご一報を…。)、金と火は相性が悪い。また、神功皇后様は、女で、北をつかさどり、北は陰、陰は水。金と水を合すれば、相性が良いので、神功皇后の人形のほうが良いと。『ありがとうございました。』っと、出て行きかけると、『これこれ、見料を置いていかんか。』と、そんな殺生な。自分から占いはったのに。仕方がないので、値段を聞くと、一人前が二十四文。二人で四十八文。
そやさかいに、ごてつく奴はかなわんねやと、もう一軒、さいぜんの講釈師の先生宅へ。二体の人形のうち、どちらが良いかと尋ねると、これまた、エライことが始まった。太閤はんの講釈や。コンパクトに出生から、天下取りまでを語って、『奢侈に興じ、その家三代続かぬとある。男子の初節句、三代続かぬは縁起悪し。』と、ここでも、神功皇后さんの人形のほうが良いとなりますな。ということで、神功皇后さんの人形を置いて、太閤秀吉さんの人形を持って、丁稚さんを帰らせます。しかし、こんな講釈聞かしてもろててもエエのんかいな。と思うてると、やっぱり、そや。一人前二十四文、二人で四十八文の席料やて。値段決まってんのかいな。ほんで、今度は大道の易者はん違うさかい、釈場の小屋中のつもりで、茶代が二文に座布団代が四文。って、よう計算したら、こら駄賃の百文超えてまっせ。自前になって、損してるがな。こないなったら、もう、祓い給え屋の先生からもらう、お礼、つまり、おためをあてにでもせんとしょうがないん。
ブツブツ、ブツブツ言いながら、やっと祓い給え屋の先生の所へ。今朝方は、粽を頂きましてと、お礼と口上を兼ねて二人がごじゃごじゃと。ヤマコ張って、粽にしてもろたけど、焼豆腐で二合ずつが、自前になって、エライ災難。ほんで、粽かて、砂糖付けて食べんのに、砂糖買うて来なアカンわ、硬うなったら食えんし、とボヤキながら、『どうぞ、御仏前に。』って、んなアホな。見かねてもう一人が、本日は誠に良いお天気ですが、雨が続いたら、長屋のへっこんだに水が溜まってしょうがない。共同便所にも溜まるし。上から落としたら、ビシャッと…。『それはさておき、神功皇后さんの人形を。』って、なんじゃ、キレイような汚い話で。
ありがたく受け取った、祓い給え屋の先生。『そもそも神功皇后様と申し奉るは…』と、これまた始まった。仲哀天皇様のお妃様で、筑紫三韓征伐の折の物語、それに、応神天皇をお腹に宿しておられる時の話をやりだしますわ。調子に乗って、『続いて人皇十五代…』と、まだまだ続きそうな様子なので、『待ったぁ。祓い給え、清め給えはエエけれども、そない長いことやってもろたら、またお金要りまんねやろうけれども、先生とこのんは、おための内から、引いといとくなはれ。』と、これがサゲになりますな。お分かりの通りに、この祓い給え屋の先生のお話も、商売でっさかいに、お金払はんならんやろうと思うた二人は、おための内から引いといてくれと、先に言い出すということですな。先に、八卦見の先生、講釈師の先生の前例があるわけですから。ちょっと、間とテンポが、ズレるような感じを受けるサゲですが、なかなかおもろいもんですな。
上演時間は、三十分前後。たっぷりやると、四十分かかりますな。大層なマクラを付けんでも。全編通して、細かい笑いも多く、筋も変化に富んでいて、登場人物も多いですので、たっぷりと大トリに出来るネタですわな。ま、場面が、長屋ちゅうのが、庶民性のあるとこなんですけれども。冒頭の長屋の住人、二人の会話、なかなか庶民性が出ておりまして、当時の風俗史としても、よく聞けますよ。何かの祝い・弔い共に、長屋というか、町内というか、皆で何かするちゅうのん。今では、すけのうなりましたけどな。葬式のしきびやとか、帳場ぐらいにしか残ってませんやろか。私ら、子供時分なんか、入学祝いやとかでも、親戚だけやのうて、隣や向かいの家から、なんぼかもろてましたで。内祝でお返しもしてましたけどな。ま、細かい笑いがありながらも、講釈師の先生の所へ寄ってから、人形屋はんへ。ここでの応対も、さすがは上方、大阪らしい取引き。三百ほど負けてもらいますわな。この辺が、上方落語の特徴でもあるんですけど、『壺算』やとか『古手買い』、『三十石』の伏見人形の件りなんかと共に、商売のおもしろさが描かれております。特に、丁稚さんが、ネタばらしをしてしまうんでね。この丁稚さん、登場時間はそんなに長くはないんですが、ちょっと気休めという雰囲気で、よろしいなあ。それでも、若旦那とおもよどんとの件りは、このネタの中での一番の笑わし所ではないでしょうか。
長屋に帰ってきて、八卦見・講釈師・祓い給え屋と、順々に行くわけですが、それぞれに、本職の商売を見せなければいけませんね。この辺がなかなか、芸達者な方でなければ演じられない由縁と、このネタが難しい由縁でもございましょう。逆に、我々聞き手にとっては、聞き所ではあるんですが。演者の方によっても、ここをメインとして、力入れてやられる方や、あっさりとやられる方、いろいろあると思います。ま、ほどほどに。
このネタ、やはり、以上の本職を見せるところや、登場人物が多い、それにも増して、演じられる期間が非常に限定されているという理由もあって、最近では、あんまり上演される機会がございません。昔は、多かったみたいなんですけど。故・初代の桂春團治氏や、近くでは、故・五代目の笑福亭松鶴氏、そして、故・六代目松鶴氏も、得意ネタにしてはったらしいんですが、何といっても、我々の世代では、笑福亭仁鶴氏ですな。おそらく、五代目・六代目松鶴氏、そして、仁鶴氏という系譜になるんでしょうなあ。
ところで、やはり、お話の中には、今とは違う、気になる点がいくつかあります。まずは、粽。ざいぜんも言いましたが、街中では、柏餅よりも値が高かったのか、それに家では作らずに、餅屋・饅頭屋の類で売ってはったのか。そして、砂糖は入っていなかったのかということ。味付いてへんかったんやろねえ。そして、お金の勘定は、貫と文、両などが出てくるんで、時代は江戸時代の設定なんでしょうか?そういやあ、祓い給え屋はんは、明治になってから東西屋、そして、チンドン屋さんになるという系譜を持ってはいるんですが、拝み屋はんの系譜からいくと、後代になっても、祓い給え屋でもおかしくないですわな。しかし、共同便所という所や、全ての雰囲気において、明治の香りもしないではありませんしね。ま、御堂前の人形屋はんが、いつ頃、松屋町に移転しはったんかは、私も知りませんけど…。そういやあ、お金の勘定も、明治の頃では、五十円を五十金、五十両などと、めかして言っていた方もたくさんあったと聞いておりますし、話によりますと、戦後間なしまで、一文銭は使えたらしいんで。というようなところで、このネタ、作られたのは江戸時代でしょうが、明治の時代になって、いろんな方の手を経ていく間に、大成されてゆくことになったというあたりで、ご勘弁願いましょうかな。
東京でも、同じ題、同じ内容で演じられております。金額は、古風に、上記のようなものを使う方もありますが、明治となってからの、円と銭を使われている方のほうが多いと思います。祓い給え屋は、神道者となっていますね。人形を買う件りのやりとりや、三者三様の八卦・講釈・祝詞のような由来を語る部分なんかは、非常にあっさりと、さらりと演じていられるようですので、全体的には筋が主体の物語となっています。我々には、ちょっと物足りなさが残るんですが…。故・六代目三遊亭圓生氏なんかも、時節になったら、やったはりましたな。
所有音源は、笑福亭仁鶴氏のものがあります。前述しましたが、私世代になると、もう『人形買い』て、仁鶴氏の十八番ネタのように思えてなりませんね。お若い時分から、やったはったようで、人気もありましたしね。最初から最後まで、あくまで主体の長屋の二人は崩さずに、いろんな人が出てきて、いろんな場面が出てくるという、おもろいもんですな。特に、丁稚さんの一人しゃべりがおもしろいん。最後の、三者が登場する場面も、あまりにもしつこくなりすぎない程度であって、しかしながら、力が入って、聞かし所となっているあたりなんか、よろしいなあ。ちなみに、マクラで語っておられる、菖蒲(しょうぶ)を小屋根へ放り上げる習慣、確かに昔はあったようで、今でも、京都の旅館・炭屋はんなんかでは、やってはりますし、少し地方の、田舎町なんかで、まだ残っているらしいですよ。
私、このネタ、ものすごい好きなんです。ぜひとも、ここそこで、年一回は聞けるように、演者の皆様方、ひとつがんばってみとくれやすな。
<16.5.1 記>
<以降加筆修正>
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