今月は、四月ということで、桜の季節にふさわしい天神山を選びました。内容に、ものすごく関係があるというわけではありませんが、発端と幕切れに花見が出てくるので、つい天神山を思い出してしまいました。
さて、ストーリーですが、最初は、道端に立って立ち話をする二人から始まります。花見へ行く人達を見て、一人が、「結構やなあ、それに比べてわしらは…」「心配すな、この世は夢の浮き世というてな…」というあたりの会話、実は妙に気になって、心に残ってしまうのですが、それは、最後の別れのシーンを見事に言い当てているからでしょうか?
そこへ出てきたのが、ヘンチキの源助、この登場場面、「今、風呂屋の表、八百屋の表…」というところ、“どうらんの幸助”や“猿後家”などと同じです。頭は半分剃って、半分伸ばしてあり、上は単(ひとえ)、腰のあたりがが袷(あわせ)、裾が綿入という着物、足は紺足袋と白足袋、草履と下駄を片方ずつ履き、手には両方とも使ったことのある、しびんに入れた酒、おまるに詰めた弁当と、いかにも関西でいう“ヘンチキ”の格好、二人に“花見ですか?”と尋ねられ、正直に言うのもおもしろくないので、“花見”とのゴロ合わせで、“墓見”と言い、本当に石塔や塔婆を見て一杯飲むために、一心寺へ。
禅の勤めの囃子が入って、一心寺の墓場へ行きますが、最初に見つけるのが、千田川留吉という相撲取りの墓、この人、“花筏”の親方でも出てきます。その後に、小糸という人の墓の前で飲み始めます。この小糸さんも、“立ち切れ”などの芸妓さんの名前でよく使われています。弁当の肴、鰆(さわら)のきずし、烏賊(いか)の鹿の子焼、卵の巻き焼が普通は出てきますが、後二者は“住吉駕籠”にも出てきますが、鰆というのがいかにも春らしさを感じさせます。ここで、源助が“拳”をしますが、この拳、今ではなじみがありませんが、ジャンケンの元祖みたいなもので、お座敷での一種の遊びみたいなものです。帰りがけに、その墓の横から、しゃれこうべが出てきて、持って帰ってしまいます。
その夜、戸を叩いて、すき間から入ってきたのが、小糸さんの幽霊、鉦入りの合方が入って、理由を話すところ、いかにも色っぽいところです。聞けば、一心寺で心中を誓って死んだが、男だけが死なずに逃げてしまい、成仏できなかったとのことで、回向してもらった代わりに、源助の嫁はんになってしまいます。
明くる朝、隣に住んでいる、やもめのどうらんの安兵衛が、イチャイチャしているのを聞いて寝られなかったと来るので、理由を話すと、もう一つ落ちていないかと一心寺へ行くことになります。そう骸骨の落ちているはずもなく、向かいの安井の天神さんに嫁はんを欲しいとお祈りしますが、手を合わしながら一人で大きな声で頼むので、後ろから子供に石を投げられ、裏手へ回ります。そこで、狐を捕ろうと、巣から出てくる狐を待っている、角右衛門と会います。この天神さんへのお祈りや、角右衛門との会話のあたり、ここらへんが、この落語の一番の笑いどころでありましょう。その中の河内音頭に、あんな節があるのを、この落語ではじめて知りましたが、おそらく、昔の節回しではないでしょうか?
メスの狐を捕った角右衛門は高津の黒焼き屋に持って行くと言いますが、この高津の黒焼き屋は、昔は名代のものだったらしく、“親子茶屋”なんかにも出てきます。黒焼きは、漢方薬の一種で、そのまま、あるいは粉末にして、そのまま飲んだり、煎じて飲んだりします。三円に売るというのを、一円にまけてもらって、一円払い、狐にも嫁はんを頼んで逃がします。「狐て臭いもんやなあ…」とありますが、本当にイタチや狐は臭いらしいです。
その狐が人間に化け、“おつねはん”として安兵衛の嫁はんとなり、童子という男の子が生まれます。三年後、長屋の衆がおつねはんの言葉尻に、必ず“コン”という言葉が出るといって確かめに行き、とうとう正体がバレてしまいます。来序の鳴り物が入る中、寝ている童子に狐として天神山に帰ると言い残して、障子に歌を書いて、姿を消します。
恋しくば 尋ね来てみよ 南なる 天神山の 森の中まで
来序は、“猫の忠信”にも出てきますが、芝居でも狐の登場には必ず鳴らされます。この場面は、演者が踊りを見せて、芝居や浄瑠璃のように、障子抜けをしたり、短冊に実際に歌を書いて、口にくわえて見せ、狐になったことにして、高座を降りる、つまり、話自体が、“芦屋道満大内鑑”の“葛の葉の子別れ”をパロディー化しているのですよ、というのをサゲとしています。しかし、芦屋道満大内鑑・葛の葉の子別れの外題自体を、“貸家道楽大裏長屋・グズのかかの子を放ったらかし”と文字ってさげたり、子供と別れるときに“もうこん、こん”、つまり、狐の鳴き声の“コン”と、もう来ないという意味の“来ん”をかけたサゲ、また、狐の正体がバレないままにサゲ無しで終わったりと、サゲはいろいろと使われています。
このネタは、葛の葉の子別れをもとにして作られているので、子供の名が童子、父親が安倍保名(あべのやすな)で安兵衛、狐を捕まえたのが石川悪右衛門で角右衛門となっています。ちなみに、「角右衛門て、何じゃ吉右衛門の弟みたいなな」というところがありますが、これは、初代の中村吉右衛門を売り出すために、松竹が五代目・笑福亭松鶴氏に頼んだという話を聞いたことがあります。
全般的に見ると、“骨つり”にも似たところが多くありますが、やはり土台は違う話のようです。上演時間は三十分か、もう少し長いぐらいかと思います。話全体の場面転換が多いので、途中でついていけなくなると、おもしろくも何ともなくなる話ですが、おもしろくなくても、ググッと話に引き込まれるようになれば、成功かと思います。また、下座囃子が多く入るので、にぎやかかと思いきや、そんな感じはあまりしません。そんなこんなで、やる方としては笑いがそんなに多くない割に、型を崩せない、難しい話かと思います。
所有音源は、故・桂文枝氏と故・桂枝雀氏、桂ざこば氏、桂文珍氏のものがあります。文枝氏のものは、型どおりの、枝雀氏のものはちょっと現代的な、枝雀風のものでありますが、約二十年ぐらい前の録音では、枝雀氏も文枝氏と同じ、型どおりのきっちりしたものでありました。文枝氏は、大内鑑のシャレのサゲ、枝雀氏は、狐がおしかけ女房をするところで、サゲをつけずに終わっています。ざこば氏のものも、二十年以前のものだったと思いますが、テンポがあって、おもろいもんでした。文珍氏のものは、お笑いの多い、楽しいもんですなあ。どちらにしても、やはり、型どおりの、昔の風情が漂う天神山が、私は好きです。
<12.4.1 記>
<20.7.1 最終加筆>
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