
先月、かねてからの念願でありました、DVDレコーダーを、やっと買うことができました。今まで使ってたビデオデッキが壊れたんでね。ビデオを買ってもよかったんですが、編集のしやすいDVDのほうが、何かと便利でしょ。何のためにかて、もちろん落語番組のためでんがな。お古い方に呼んでもらうと、DVDは“デーブイデー”となる訳で、その“デーブ”を取りまして、デーブ、デブ、デブ…と。お太りの方には、大変申し訳ございませんが、デブといえば、やはりお相撲さんで。そこで、今月は、DVD購入記念、『鍬潟』をお届けいたしましょう。って、無理矢理こじつけやな。
主人公というのは、ごく小柄なお方。でも、子供やおへんねん。れっきとした大人で。そやけど、丈は二尺もないねやて。近所の子供相手に相撲を取って、楽しんでる。この方にも、奥さんござりまして、これがまたようできた、なかなかの貞女。今日も今日とて、腹減ったと亭主が家に帰ってくる。いつものように、子供と相撲とってきただけに、着物が泥だらけ。おかみさん、着物の糊付けしてるとかで、手が離せん。御飯の用意はできてますねやが、給仕がでけん。一人でよそうて、一人で食べてもらおうとしますが、それができまへんねやな。お櫃が水屋の上に置いてあるさかいに、届きまへんねや。嫁さんが、お櫃取りますが、それが気にくわん。ご亭主、『御飯食わん。』と怒り出します。と、嫁はん、思い出したんは、さいぜん、隣の甚兵衛はんが、“大将、帰ったら、また遊びに来とくなはれ。”言うてはったと、ご亭主に告げると、これをエエしおに、隣の家へ。
『ごめんやす』と入っていっても、鳥カゴの陰になって、甚兵衛はんは、主人公が見えん。いつも置いてある打盤(うちばん)がなかったら、上へよう上がれん。甚兵衛はんに、引っ張り上げてもろうて、火鉢の端、タバコ吸おうと思うても、キセルに火が入れられへんので、甚兵衛さんにつけてもろうての世間話。聞くとまた夫婦喧嘩。でも、最近は、怒って手出そうと思うても、踏まい継ぎのぼってる間に、相手が逃げてしまうので、どうしょうもない。つくづく小さいのが嫌になって、人間やめたろうかしらんて。“便所へ行たら、臭みが早う回る”“川の淵歩いてたら、こまんじゃこに喰われる”てなこといわれる。しかし、甚兵衛はんが言うのには、損ばっかりやないと。反物一反買うたら、着物と前掛けが作れるやろて。前掛けどころか、羽織と風呂敷できますねやて。『太閤秀吉さんいう人、知ってるか?』『はぁ、よう知ってまっせ。昨日、風呂屋で会うた。』て、会わへん、会わへん。あの人は、五尺足らずで、天下を我が物にしはった。七尺もある加藤清正は、太閤はんの家来やて。江戸浅草の観音さん、お身丈は一寸八分でも、十八間四面のお堂の主。仁王さんは、大きいても、門番。山椒は小粒でもヒリヒリと辛い。と、ここら、『野崎詣り』と同じ言い草でんな。
『ところで、相撲取りでも、小さいのはいてますか?』と。そら、大きい相撲取りばっかりが勝つとは決まってないし、小さいのが大きいのを負かすところに相撲のおもしろさがある。階級別でもおまへんしね。近年では、舞ノ海が曙を倒したりすんの見てると、やっぱり、おもしろいん。そこで、次のような話を甚兵衛はんが、主人公に語って聞かせます。昔、将軍家で祝い事があって、御前相撲が催されることになり、大きい力士と小さい力士を取り組ませようということになった。大きいのは、信州小諸の雷電為右衛門で、背が八尺からある。小さいのは、大阪の鍬潟三吉で、背は四尺足らずで、横幅四尺。四斗樽みたいなもん。噂に聞く、故・二代目桂春團治氏の大型版みたいなもんでっしゃろか?まず、鍬潟に使いをやると、『結構なことで。雷電関と相撲が取れましたら、相撲は負けても勝ちみたいなもんでございます。』と。次に、雷電にも使いを行かせて、鍬潟関がこうこうと言われたことを告げると、『断りもせんと、負けても勝ちて、小生意気な。』と腹を立てながらも、承知をした。当日までの間に、鍬潟はエイの油(荏胡麻、えごまの油のことですな。)を体に塗っては天日で乾かし、塗っては乾かし。
いよいよ、当日になって、結びの一番。両者土俵へ上がって、十分に仕切った後、雷電が立ち上がると、鍬潟が『待った』」。と、“待った”が八十五回。つまり、体が大きいさかいに、立ったり座ったりしている間に、疲れるやろうと。しかし、雷電も、そこは、わきまえているので、百回ぐらいは待ってやろうと、エエ加減に仕切り出した。そこを見て取って、八十六ぺん目に、ヨイショと立つと、鍬潟は、後ろへ下がって、土俵際へ行き、大手を広げた。こしゃくなやっちゃと、雷電が肩をつかむと、油ですべる。手をつかむと、これもズルッ。これではかなんと、後ろの褌(みつ)をつかもうとすると、鍬潟が雷電の股の下をくぐって、後ろへ回り、折りかがみの所をボーンと突く。これで雷電がゴロッ。“鍬潟が勝った”というお客の声が、地の底通って、竜宮の乙姫さん起こして、耳悪うして医者通い。って、んなアホな。
雷電、部屋へ帰って手を嗅ぐと、油の臭い。こしゃくなと怒って、鍬潟の部屋を訪ねると、大阪へ帰ったと。一年経って、大阪へ来た折、鍬潟の家を訪ねると、家族で朝御飯のお粥さんを食べてるん。近所の子供らやと思うてると、これが自分の子供で、七人いると。相撲取りというものは、嫁はんもろうて、子供作ったら、力が落ちると、相撲やめるぐらいのもん。そこを悲しい目をしてまでも、油を塗って乾かし、相撲を取ってやろうという度胸に、雷電が感心し、兄弟分になったという話。しかも、『わしが負けたんやさかいに』と、雷電が弟分に。こんな話聞いてると、主人公も力がわいてきた。ところで、甚兵衛はん、朝日山と遠縁にあたるとかで、相撲取りに知り合いがいはる。それを聞いて、この主人公、甚兵衛はんに紹介状を書いてもらって、相撲部屋へ。
部屋で親方に手紙を見せると、御飯食べて、稽古したら大きなるでと、早速に稽古をつけてやろうということになる。下駄の上に座って話聞いてる人がねえ。弟子になんねんて。竿嶽という、ま、背がひょろ長い弟子に、この主人公の世話をさせますわ。稽古場へ連れて入ると、関取に、子供と間違われる。甚兵衛はんからの世話でと、紹介しますが、ふんどしでは相撲が取れん。そこで、稽古休んでる、この竿嶽のまわしを借りて、主人公につけさしますが、これが何ぼ巻いても、端が出てこうへん。エエ加減にしとくと、人間を芯にしたコマみたいなもんができる。この締め込み巻きつける時の相撲甚句は、聞き所でもありますな。早速、土俵で、『待った』。って、そら、本番の取り組みやがな。稽古では何の意味もないがな。関取にぶつかると、痛い!胸板は硬いと思うてると、これが膝ぼんやて。柔らかい所がエエと、手出してもらうと、今度はホンマにコマみたいに回される。この辺で、稽古を終わらして、竿嶽にまわしをほどいてもらいます。って、横に転がされてるだけやがな。着物着せてもろうて、親方に挨拶して帰ります。稽古したら大きなるので、毎日通うと約束しなはって。
帰りがけ、親方・関取・竿嶽に感謝しながら、甚句思い出しながら、道を歩いてる。家へと帰ってきまして、おかみさんに事情を話す。『これから俺のことを“関”と呼べよ。』『風引きなはったんか?』やて。その咳と違うがな。腹減ったんですが、もうちょっと用意ができてないので、その場でゴロッと横になって寝てしまう。稽古の疲れが出たんですな。嫁はんも、風邪引かしたらいかんというので、布団を掛けて、寝かしてる間に、用意ができた。『関、関』と起こして、御飯の用意ができたことを告げる。『カカ、やっぱり、稽古はせんならんもんやなぁ。いつもやったら、布団のまま、押入れへ放り込まれるとこやのに、今日は、グーッと伸びしたら、手や足が布団から、はみ出よるがな。』『はみ出るはずやがな。座布団着せたあんねや。』と、これがサゲになります。つまり、稽古で体が大きくなったと思って、それで布団から手や足が、はみ出てると主人公は思うたんですが、実は座布団やったということですな。
上演時間は、三十五分前後ですかな。結構長いお話で、落語会などでも十分、トリに使われるネタではあるんです。笑いとしては、前半、主人公がおかみさん・甚兵衛さんとのやりとりの中で、世間一般の人よりも、ずば抜けて小人であるという所の対比、そして、後半の実際に稽古する所の、これまた普通よりも格段に大きい相撲取りとの対比なんでございます。しかし、この両所の部分、非常に難しい。単に、小さいための笑いというだけでは、異常なる嫌味が出てしまうからなんですな。つまり、聞いているお客さんの中にも、“小さい、小さい”と世間から思われ、コンプレックスのある人が、少なからず、いてはるんですよね。ですから、お客さんに、不快感を与えるようでは、これが笑いにはつながらない。話の持っていきようとしての、演者の腕がいりますわな。『野崎詣り』なんかの小さいとは、また違って、この場合は、話自体の主題に小さいことが全面に出ているだけに、その分、演じるほうも難しい。これは、『莨の火』やとか、『景清』なんかにもいえることだと私は思います。
聞き所としては、演題にもなっております、鍬潟という関取のお話や、相撲甚句の喉なんかがありますね。話の中で、例え話を出して、それを行動に移したり、諭したりする演出は、落語の中にはよく出てきます。『厩火事』とか、『口合小町』なんかでも。その中で、このネタの鍬潟の話、本当のことなのかどうか、それは私も存じませんが、泣ける話やおまへんか。美談というかね。私ら、これ聞かしてもろただけでも、涙出てきますわ。鍬潟はもちろんのこと、事情をすっきりと呑み込んだ雷電の潔さなんかもね。ほんに、感心する所です。また、甚句なんですが、これも、さらりと流されている方もありますし、喉のエエ方は、聞かし所でたっぷりとやられている方もありますわな。少し田舎びた感じも出まして、よろしいなあ。
このネタ、意外と大ネタの割りに、上演頻度が少ないん。それは、ハッキリ言わせていただくと、そんなにおもろないん。それに、筋があるというものでもないん。ほんならどこがエエねんといわれると、それが、まあ…?その割りに、さいぜんも申しましたが、演じるほうは難しい。となると、自然、廃れてはいきますわなぁ。ですから、単なる相撲が好きだけでは、演じていけないんですよね。そういうことで、一つの提案としまして、やはり、鍬潟の話を中心にして、イイ意味での感心する話として、全体の雰囲気を出しては、いかがでございましょうかねえ?そうなると、割り合い、東京落語に近づくんではないでしょうか。という意味でも、東京で、もうちょっとやられたら、イイ話にまとめ上がるんではないかと思います。もちろん、東京でも、故・六代目三遊亭圓生氏なんか、時折、やったはったと思いますので、これも、ご参考に。最近は、東京で、あんまり聞きませんけどね。
所有音源は、故・桂文枝氏、林家小染氏のものがあります。上記に述べましたのは、文枝氏のものを参考にさせていただきましたが、やっぱり、嫌味がのうて、よろしいな。これがポイント。甚兵衛はんや親方等も、親切な人として描かれておりますし。それにも増して、やっぱり声がよろしいわ。行司さんの掛け声に、甚句ね。小染氏のものは、上記のものと、少し違う所もありまして、鍬潟と雷電が相撲を取るのは、東京と大阪の合併相撲での千秋楽ですし、相撲の取り組み方自体も違う。双方共に体の寸法も違うし、主人公が訪れる部屋も違う。ま、どちらが本当ということはないんで、それは型の違いということでして。昔の速記本なんかには、冒頭で、道頓堀の芝居を覗く件りがあったりするのもありますし。元へ戻りますが、小染氏のものでは、主人公は、小さいながらも、体はエエ体してるような声と描き方で、なかなか、おもろいですよねえ。部屋に出てくる相撲取りも、立派なもので。ちなみに、文枝氏は、甚句を聞かせる型ですが、小染氏は普通程度で。ところでね、この文枝氏の甚句の二番目の文句、“勢州桑名のな”というのは、小染氏の『尻餅』の中に出てきまんねやわ。
このネタ、故・三代目林家染丸氏の得意ネタであったそうで、それ故に、代々の林家、故・四代目林家小染氏、さいぜんの五代目小染氏なんかがやってはって、同じ吉本所属なだけに、文枝氏にも広がったのでしょうか。とにかく、演者の皆様方、滅ぼさんようにね。
<16.10.1 記>
<17.4.1 最終加筆>
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