先月、初めて自分で味噌を作りました。近所に三百年以前からの麹(こうじ)屋さんがありまして、冬期は、小売りもしてくれはるという話を聞いたんで、麹を買い求めましてね。大豆を炊いて、すりつぶして、塩と麹を混ぜたものと一緒にしまして、桶の中へ入れて、秋口まで待ちますねん。うまいこと作れたかどうかは、さて、お楽しみ。米麹がちょっと余ったんで、甘酒を作りますと共に、どぶろくも作ったろかいなあと思うたんですけど、これは御法度。密造酒はね。作り方は分かってまっさかいに、作ってみたいのは、山々なんですけど。しかし、出来たもん飲んで、目やら手しびれたら、悲しいしね。そんなこと思いながら、今月は、お酒にまつわるお話で、有名な『替り目』にしました。

 どこぞの大将、一杯飲んでの帰りがけと見えて、客待ちしてる人力俥夫つかまえて、「あっち行け」やて。おまけに、小便すんのに、“し〜こいこい”も言わせてからに。これではかなん、人間助けると思うて、乗ってくれやすという俥屋に請合いまして、大将も俥に乗りなはる。乗ったはエエが、行き先が知れん。「おばはんとこまで、見舞いに行ってくれるか。北海道や。」て、んなアホな。家まで送らせていただきますという俥屋に従って、走り出したところで、「止まれ」やて。左側の家の戸叩いて、中の人を起こしてくれと。しかし、知らん人やったら、どエライ迷惑でっさかいに、俥屋もドキドキしながら、叩き出す。「へえ、どなた。なんや、あんたかいな。」と、そら、そうなりまっしゃろ。ここ、大将の家ですがな。酔いたんぼ家へ上げといて、おかみさんは俥屋に払いを済まそうとする。しかし、そこの電信棒から、ゴミ箱まで乗せただけで、乗ったとこ見えたある。悪いさかいに、なんぼかでも渡して、俥屋はんには引き取ってもらいます。こんなん、今でもたまに、いはりまっせ。

 家の中でも、そらまだ、すんなりとは寝えへんわ。歌を歌い出すと、うるさいさかいに、おかみさんも、「ご近所、ぼやいてはるがな。」と。「近所ぼやかしたらいかん。わし、謝りに行て来る。」て、これのほうが、余計に迷惑やがな。寝床が敷いたっても、安もんのおやまはんやないにゃし、そうは寝られん。「“外は外、内は内でまた、お酒の味も変わるもんでっさかいに、一杯だけでも、飲んで寝はったら、どうです。”てなこと言うたら、“こらすまん、すぐ寝るわ。”と、こないなるねや。“早う寝え”と言われると、余計に寝られん。」て、しょうがないなあ。「それでは、我が家のお酒も、飲んでから休まはったら?」と、おかみさんが言うと、「頼まれたら、しゃ〜ない。」て、どっちでも飲む気やがな。燗がエエらしいんですが、あいにくと、ここのお家、火種落としてしもた。電気・ガスのない時分でっさかいに、いっぺん火消したら、酒の燗ぐらいで、火つけんのも、もったいない。「近所は?」と、主人公が聞くので、「みな、寝たはるわ。」「さいぜん、ぼやいてはったのに?」やて。しまいには、マッチすって、その火で徳利の底をあぶって、それで燗に…。て、ならへん、ならへん。

 ひやでもと、少しずつ、我慢しながら飲もうとしますが、今度は、あてやて。“あては雁之助だんね”違いまっせ。亡くなりはったけども。何ぞ、つまむもん。「こうこでも、エエねや。」「お漬もんや、みな喰てしもた。」て、こら、おかみさんがいかん。なんぼなんでも、“喰てしもた”は、いかんで。女のお方ですねやさかいに。“いただきました”と。「佃煮は?らっきょは?梅干しは?」と聞きますが、みな「いただきました」と。「ほたら…」「いただきました」て、それもないで。“ほたら”は、食べられへんで…。ほんまに、何にもないかと思うたら、「ひや御飯ならおますけど。」て、これも、何にもならんで〜。ひや御飯食べて、酒は…。飲めんで〜。「何ぞ、つまむもんはないんか?」「茶瓶の蓋でもつまんだら。」て、こうなったら、おかみさんも、もう、おもろいわ。ここら、もう夫婦のイキやね。大笑いしますわ。茶瓶の蓋をちょっとつまんでは、酒を飲み、酒を飲んでは、またちょっとつまむ。想像しただけでも、わらけるわ。

 すると、向かいの漬もん桶の中から、こうこ一本もろて来いやて。悪いさかいに、起こして、断り言うて来いと。みな、寝てはるがな。今度は、金盥(かなだらい)とバケツで、“火事や”言うて、起こして回れやて。「起きてきはったら、どないすんねんな?」「無事、火事は鎮火いたしました。そのお礼に、こうこ一本。」て、これも無理な話。さいぜん帰ってきたときに、角のおでん屋、店は閉まってたけど、まだ中は火があって、起きてる様子やさかいに、何ぞ、好きなもんでもエエさかいにと、おかみさんに、あてを買いに行かせます。出て行った後では、述懐のひとり言。酒飲みの番しに生まれて来たようなもんやけど、おかみさんも、かわいそうな身の上。愛想つかして、出て行かれても、こっちも困る。心の中では、カカ大明神と手合わしてるけれども、どうも、亭主を尻に敷こうとしやがるのに、腹が立つ。弱味を見せたらいかんさかいに、偉そうにしとかないかん。って、おかみさん、門口で、まだ立ったはるがな。こら、エライこと聞かれてしもた。

 これからがやりにくなると思うてる所へ、屋台のうどん屋さんが通りかかります。「うどん屋」「ヘイ。どちらでございます?“うどん屋”は、どちらです?」「うどん屋は、お前やないかい。」てなこと言いながら、呼び止める。「湯は、沸いてるか?」「へえ、チンチンと沸いてます。」「チンチン沸こうが、ワンワン沸こうが、どっちでもエエねん。」て、始めから、うどん屋はんも、かわいそうでんな。つまり、徳利出して、酒の燗をさせようという魂胆。つけてもらって、飲んでみると、なかなかの上燗。「燗は、うどん屋に限る。」て、んなアホな。うどん屋さんにも酒を勧めますが、「不調法で」と断る。あんまり断り続けるのもと、一杯だけもらうと、今度は、「これは騙された。一杯飲みやがったがな。調法な不調法や。」て。しかし、うどん屋はんも、うどん食べてもらわなどんならんので、「うどんは?」「わい、うどん嫌いや。まあ、もっと中入れ。」「荷が置いたありまっさかいに。」「心配しいな。置かしといたる。」て、意味が違うがな。今度は、都々逸の一つもひねり出しますが、うどん屋はんも「よおよお」と、いかにも気のない返事。

 としてる所へ、今度は、「左官の留、知ってるやろ?」て、そんな人、知らんがな。『住吉駕籠』でもないのに。この留さん、奥さんに死に別れ、幼い女の子がいた。家へ行って、酔うて帰る時に、『おっちゃん、ぼうち』言うて、チョコチョコ歩いて、帽子持って来てくれた。男手一つで育てた、その子が、この前、嫁入りしたんやて。親類がすけないさかいにと、ここの大将も、婚礼に呼ばれたん。当日、この子が、留めさんの前に手をついて、『長々、お世話になりました…』てなこと言うてるさかいに、留さん、泣くかいなあと思うてたら、泣かなんだ。今度は、大将の前で、『お父っつぁんも、一人になりまっさかいに、寂しいでっしゃろ。たまには、お酒のお相手したげとくれやす。』言うてると、留さんも、ボロボロと泣き始めた。って、ここ、泣ける所でっせ〜。こう文章書いてる私も、ちょっとウルウル…。その留さんと、今日飲んで、それから帰ってきて…。て、そんな話、付き合うてたら、いつまでかかるや分からん。隙を見て、うどん屋はんも、荷かたげて、逃げて行く。

 そこへ、おかみさん帰ってきはって、様子を見ると、お酒の燗が出来てる。うどん屋さんの話を聞きますが、肝心のうどんは、取ってやらず。そこで、大声で、「うどん屋さ〜ん」「おい、うどん屋、あそこの家、呼んでるで。」「いいえ、あそこへは行かれしまへん。」「何でやねん?」「今時分行たら、ちょう〜ど銚子の替り目でっしゃろ。」と、これがサゲになります。うだうだと聞かされた後でっさかいに、“もう一本つけてくれ”てなこと言われる思わはったんでっしゃろなあ。なかなか、よう出来たサゲですな。演題そのものにも、なっておりますが。しかし、これも、単なる“替り目”という意味だけではなく、中間あたり、亭主が女房に感謝するところの心情の変化、これも“替り目”という名前・サゲの言葉にかけてあるともいわれていますね。心温まる気分いたしますわ。

 上演時間は、三十分前後ですね。そんなに短いものではありません。ただ、前半部分、今言いました、おかみさんが、主人公のひとり言を聞いてる所までで切られることも、よくあります。もっとも、短い時には、茶瓶の蓋で切られることもありますね。寄席なんかでも、前半部分だけでの上演は、頻度が高いと思われますよ。ただ、最後までやったほうが、味わいは、ありますがね。笑いどころとしては、やはり前半部分のほうが多く、どちらかというと、後半は泣きにかかるという。笑いあり、涙ありの、一昔前の松竹新喜劇のようで。冒頭に出てきます俥屋をひやかす件りからして、おもろい。私もよく、経験しますが、もうこないなった酔っぱらいは、身内に面倒見てもらわなしょがないん。はたで見てるもんは、おもろいかも知れんけど。家へ上がってからも、グダグダ言いながら、おかみさんの言い草も負けてられへん。“ほたら”で「喰てしもた」やとか、つまむもんで、ひや御飯に茶瓶の蓋て。この人なりゃこそや。実は、この後の、亭主が、がらりと変わって、おかみさん想いを見せる所、男のお方なら、誰しも思ってはるんと違いますか?というよりも、最近は、表でも、奥さんのほうがエラそうにしてはる方、たくさん見かけますので、そんなこともおまへんやろか?しかし、この部分が、このご亭主の主体であるというか、話の中の要点であるというか、重要な部分ですね。

 後半は、俥屋はんに続いて、またまた、つっころばし役のようにして、うどん屋さんが出てまいります。でも、どちらかと申しますと、俥屋さんより、うどん屋はんのほうが、真っ正直に描かれている気がしますね。留さんの話聞きながらでも、うどん屋の荷も気になるというあたりなんか。で、この留めさんの所は、やはり、涙もんですな。私は、まだ経験もしてませんし、子供が結婚するなんて、夢にも思いませんけれども、やっぱり、それでも、イイ意味での涙を催しますわな。サゲも、よう分かりますし。

 冒頭部分、俥屋ではなくて、現代風に、タクシーにされている方も、おられますよねえ。昔の録音ですと、桂米朝氏も、タクシーでやられておりますし、故・桂春蝶氏なんかも、そうですわ。故・桂枝雀氏なんかは、普通に家に帰ってはります。この話、そんなに昔の、古い古い話として演じられてませんしね。ほん、一昔前なら、こんな情景、どこのご家庭でも、ようありましたんでしょう。最近では、屋台のうどん屋さんなんか、あんまり見かけませんし、火種が無いなんてこと、ありませんのですが、話の主眼自体としては、十分、現代でも通用するお話だと思いますよね。東京でも、同じ題、同じ演出で、これもよく演じられております。たしか、都々逸をもうちょっと唄ったりする所が、あったか、なかったか?サゲも同じで、東西共に、古くからある話みたいですが、多分、元来は、東京ネタだったみたいです。

 所有音源は、その米朝氏、枝雀氏、春蝶氏、桂塩鯛氏、桂雀松氏、桂む雀氏などのものがあります。米朝氏のものは、さいぜんの、笑いあり涙ありを、地のままでいくというような、ほんとに心温まる感じがしますな。主人公の酔い方もうまいですし、うどん屋はんの慌てぶりなんか、目に見えるようですな。枝雀氏のものは、これは大爆笑でしたな。大笑いもしますが、涙の出てくる所は、しっかりと涙が出る。実は、細かい所に、細かいウマさがありまして、サゲの部分、「うどん屋、あそこで呼んでるで」という、近所の人か何かの、さりげないセリフなんか、妙を得ているという感じがしますね。あの、茶瓶の蓋をつまむふりをする所は、ホンマ、大笑いです。春蝶氏のものは、時間のせいか、前半部分のみしか聞いたことございませんが、夫婦のやりとりが、これまた、いかにも、どこぞの家でありそうな会話、お茶の間の壁へ首突っ込んで聞いてるみたいで、おもろかったですよ。塩鯛氏のものも、うどん屋さんの慌てる所なんか、ホンマもんみたいですわ。雀松氏は、師の枝雀氏ゆずりのものか、大爆笑を取っておられました。かわいらしい主人公でね。む雀氏も、おもろいもので、酔いたんぼを扱う、おかみさんの気持ちなんか、よう分かりますわ。

 私自体は、たまらん好きなという部類に入るネタではないんですが、落語としては、イイ話ですわな。こんなんこそ、息の長〜いもんなんでしょう。時代が変われども、人の心は…。

<17.3.1 記>


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