先月、お約束いたしましたとおり、今月は、故・桂文枝氏の持ちネタのうちから、何しましょ?持ちネタ、得意ネタ、多い方でしたさかいにねえ。ほんでまた、あの声が、何ともいえん、私、好きでねえ。別に、声フェチやおへんねけども。三条大橋の『京名所』から始まる『三十石』、雷のお松っつぁんの出てくる『船弁慶』というような大ネタから、誰もが真似する「ひっぱりな」ちゅう『時うどん』まで。その中でも、王道を行く、大ネタ中の大ネタで、『立ち切れ』をお届けいたしましょう。ま、演題についても、これまた異論の残るもんですけども…。一応、この場では、『立ち切れ』で、統一させていただきますわ。

 お所は船場、主人公は若旦那とくれば、だいたいお察しのつく話の内容。丁稚を引き寄せて、話聞いてる。というのは、今日は下で、ご親類が集まっての相談。極道な若旦那のこれからの処遇。京のおじさんは、高瀬船の綱引きにする、丹波のおじさんは、野良仕事さして、牛の角で突き殺させると。また、兵庫のおばさんは、嵐の日に、つぶれかけた船で海へ出すて。これやったら、死骸が上がらんでエエさかいに。すると、中でも番頭はん、お金を使うて、こんなことになったんやさかいに、お金のありがたさが分かったらエエ、乞食にさせよて。おなごしさんが、ボロボロの着物持ってきたり、頭陀袋、縄の帯なんかを、それぞれ用意してる。

 それと聞いた若旦那、階段を下りまして、皆が寄ってる場へ。立ちはだかって、番頭を叱りつける。奉公人風情の番頭に、主家である若旦那に意見をするのか。乞食にしてみいと。すると、番頭はん、タバコを一服吸い付けてのご意見。蔵の鍵一つ預けられん若旦那、こっちが乞食にする、そちらが乞食にしてみい、願う足り叶う足りで、乞食にしましょう。着物を着替えさせようとすると、「乞食は嫌や。乞食以外なら、何でもする。」と。この言葉を聞きまして、蔵の中へ百日入ることになります。蔵住居。というても、中は普通のお部屋みたいに、畳も敷いたあるし、布団もある。そこに、丁稚の一人を付けてある。つまり、普通の生活はできますねやけれども、外へ一歩も出られへん。

 この若旦那、何でこんなことになったかというと、ある日のこと、仲間の寄り合いがありまして、親旦那の名代で出ましたところが、ある芸妓はんに一目惚れ。南で紀ノ庄の小糸という、親はお茶屋をしております、いわゆる娘芸者。小糸はんのほうでも、“こんなウブな若旦那”と、お互いが惚れ合う仲。となると、若旦那は毎日のお茶屋通い。お金を使い過ぎる。で、親族会議となって、気になるやろさかいに、丁稚をつけて、あることないこと聞かせる。そこで、乞食から蔵住居へと、番頭の計略ですな。

 ちょうど、その日の日が暮れ。ちょっと派手な着物を着まして、どっから見ても、色街の出と分かる人が、「ごめんやす。若旦那は?」留守やと聞くと、手紙を渡してくれと。これを番頭が受け取りまして、引き出しの中へ。鍵を掛けておく。と、次の日は二通。明くる日は、戸開ける前から待ってる。となると、もう、毎日手紙ばっかり。そうこうしているうち、八十日目からは、ピタッと手紙が来んようになった。“色街の恋も、所詮、こんなもんかいなあ。”と、番頭はん、三文がんほど笑うたて。皮肉な笑い程度やろか?

 百日経った時に、番頭はんが蔵へ入っての、ごあいさつ。若旦那のほうは、「もう百日経ったんかいな。早いなあ。出んとこか知らん。」と、ホンマかどうかは知りませんけど、こんなこと言うてなはる。番頭はんも悪いので、手紙のことを若旦那に伝える。この手紙が、百日続いたら、親旦那に頼んで、小糸さんをお嫁さんにもろたげるつもりやったらしいですが、八十日目でイタチの道。一番最後に来た手紙を若旦那に差し上げる。後学のためにと、開けてみると、墨も絶え絶えに、“これがこの世の最期でございます。”と。しょうむない手紙やと、若旦那は口では言いますが、やはり、気になってますねやろか?そんなことより、蔵へ入る前に、天満の天神さんへ、蔵住居できますように願掛けしたあんので、そのお礼に、お参りに行きたいと。床屋も来ている、親旦那もお待ちかねというのも聞かずに、丁稚を一人、供につけまして、天満の天神さんへ。

 往来へ出ますと、丁稚をまいて、人力俥に乗る。南の紀ノ庄まで。「ごめん」と入って行くと、おなごしさん、お仲はんはビックリ。若旦那ですもん。おかはんに取り次いでもらって、小糸をと言いますが、おかはんの出してきたんは、白木の位牌。しかし、縁起でもない。と見ると、“俗名 お糸”、小糸の本名。って、死んでしまわはったん?訳を聞くと、若旦那が殺したようなもんやて。若旦那が蔵へ入らはった、あの日、若旦那と小糸はん、芝居行く約束してはったんやて。小糸はん、朝早うから用意して待ってはったんやけれども、一向に若旦那のお越しがない。夕景になって、手紙書くと言い出す。色街から船場の真ん中へ手紙なんか…、と思うたが、気に病む様子なんで、一本書いて持たせてやる。明くる日からは、おかはんも、お仲はんも、皆で書いて届けさす。しかし、返事がない。小糸はん、若旦那に嫌われてしもたと、気にして、病気がちになる。だんだん悪うなってきて、今日か明日かという時に、誂えてあった三味線が届く。若旦那の紋と、小糸はんの紋が比翼に入ってる代物。これで元気をつけさそうと、おかはんは、がんばりますが、小糸はん、この三味線を弾きたいと。自分では持たれしまへんさかいに、おかはん、お仲はんに支えてもらって、やっと、一撥。テンと弾いたところで、“おかあちゃん、しんどい。”。これがこの世の別れ。泣けますな。

 そういう事情やったとは知らなんだ。若旦那は、百日の蔵住居してはったん。ちょっとでも、このこと知ってはったら、小糸はんも、ねえ。今日しも、この日は、小糸はんの三七日。お仏壇に線香上げて、手向けに若旦那、一杯飲み始めます。してるところへ、芸妓はん連中がやってまいります。三七日の法事に、呼んではったんやね。皆で揃うて、風呂屋へ行て、お化粧してたら、いつもの、のろけ。は、ここの家では禁句。ふと、番台の縁起棚見たら、まだ、“小糸”の名前が書いたある提灯が吊ったある。あれも、来年は、なくなんねんなあと思うと、皆で泣き出して、お化粧メチャクチャ。もういっぺん塗り直してて、遅うなったと。よ〜く見ると、先にいてはったんは、人殺し。でなかった、若旦那。それにも事情があったんやと、お酌して、若旦那が飲んで、咳き込みますと、お仏壇に供えてあった、あの例の三味線が、勝手に鳴り出す。「シッー」というのがきっかけで、下座から入るのは、地歌の『雪』。冒頭の次、“ほんに昔の昔のこと〜よ〜”と流れる中、若旦那は泣きながらのセリフ。生涯、女房は持てへんて。おかはんも、「このお言葉を土産に、エエとこへ行くんやで。」と。続いて、“おし〜の〜”というところで、三味線の糸がプツッ。何でやしらんと、おかはんに見てもらうと、もう弾かへんとのこと。「何でだんねん?」「ちょうど線香が、立ち切れました。」と、これがサゲになります。つまり、昔の芸妓はんのお代、線香で勘定してはったんですな。帳場のことを線香場なんかいうて。線香一本で一花、二本で二花とか。今でも、“花代・お花”といいますわな。で、これが立ち切れてしもた、労働時間が終わってもたんで、もう弾かんと、まあ、そういう意味ですな。ちなみに、線香の側からいうと、これは、「立ち切りました」と言うのが正しいとされておりますね。ですから、演題を『立ち切り』とされている方も、おられます。『立ち切れ線香』・『線香の立ち切れ』、また、“たちきれ”と発音するのか、“たちぎれ”と発音するのか、この辺も、諸説分かれるとこみたいです。

 上演時間は、三十分前後、とにかく、じっくりと聞かせるネタですので、どっちかというと、寄席向きというよりも、各種落語会、格のあるところで演じられるものですな。どの場所でもエエという類のものでもありませんし、また、笑いとしては、そんなにございませんものね。冒頭部分、若旦那と丁稚のやりとりは、少しおもしろい所ではあるんですが、このネタの最後の結末を知っている方にとっては、笑ってもいられませんしね。次が、親類の場に、若旦那が直談判。怒り方にも、ちょっとエエとこの方、やさしい部分がありますね。それに比べて、番頭はんは、いかにも、船場の白ねずみという感じ。こんな計略考えはったんですもん。また、それにひっかかる若旦那も、ごくウブなもん。蔵住居となってからの、ト書き、説明の地の部分で、やっと詳しい事情が知れる。小糸はんの存在が分かる訳ですな。そして、手紙がやってくる。この文使い、色街の人間と、それとなく分かる言葉、雰囲気なんかが出ると、よろしなあ。後の演出にも、かかってきますし。後半、蔵を出てからの若旦那が行きつく先は、やっぱり小糸はんの家。忘れられへんわな。しかし、死んでもたと聞いて、ビックリ。ここからが、おかはんの述懐のセリフ。長い一人しゃべりなんですが、まだ、亡くなって二十日ほど、悲しみの癒えないところです。ちなみに、手紙の終わるのが八十日ほどでっさかいに、そこで亡くならはって、蔵出て来た日が三七日と、よう考えたありますな。これが、初七日・三十五日・四十九日では、どうもバランスが合わん。やっぱり、三七日でないと。それから、芸妓はん連中のしゃべり、いっぺんに明るなりまんな。そして、ラストを飾るのが、待ち人の意味もある『雪』を聞きながらの、若旦那とおかはんのセリフ。ホンマ、涙出てくるわ。あわれ〜な感じで。ちなみに、地唄の『雪』いうたら、東京ですんませんけど、何じゃ知らん、わたしゃ、故・武原はんさんを思い出しますねけども。

 これだけ見てきますと、やっぱりこのネタが、上方落語を代表する大ネタであることは、誰もが認めるとこでありましょう。場面は、船場の一流の商家と、南の一流のお茶屋はん。登場人物にも品があり、何よりも、最後の三味線の手が入るところ、伴奏にして、セリフが入るという、上方落語の特徴でもありますもんな。何かこの、近松の心中物でも見ている感じで。古来、いろんな方が、いろんな風にして、演じられてきたこのネタ、私も、御多分に漏れず、大好きですねん。

 所有音源は、故・桂小文治氏、故・橘ノ圓都氏、桂米朝氏、故・桂文枝氏、桂福團治氏のものがあります。小文治氏のものは、ホントに泣けました。というか、一番最初に聞いた時、もちろん、録音のものに違いないのですが、泣いてしまいました。あの、また、三味線のテンと鳴った時の驚きようが、いかにも芸妓はんらしくて。圓都氏のものでは、おかはんに味がありましたな。人の親でもあるという立場と、お茶屋のお女将さんという立場が、実に妙を得ておりまして。米朝氏のものは、なぜか、少し、お笑いの、笑わす部分が、他の方よりも多いように感じられまして、これは落語であるということを感じさせられるものであります。私にとって、これが、非常に意外なんですよ。お若い時は、よくやってはったみたいですけど、最近は、あんまり耳にいたしませんが。文枝氏も、お若い時分から得意ネタとして、晩年まで、よくやってはりました。何ともいえん、色気が話全体にありましてね。あの、最後の、若旦那が目に手当てて、『雪』の中でセリフ言う所なんか、思い出しただけでも、涙出てきますわ。福團治氏は、若旦那が、いかにもウブな方として描かれておりまして、よろしな。それぞれに、やっぱり、エエ所、ございます。

 この手の恋愛、今では考えられへんにゃろか?それとも、形は違うだけで、その実、中身は、えろう変わらへんのですかな?

<17.5.1 記>


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