今年も、暑い夏が過ぎ去ろうとしております。そんな中、またもや、先月、どっかの猫がうちの家に入り込んで、暴れる日が続きました。夜中のうちに、野良猫がね。人の家の廊下走ったり、池はまって、水しぶきあげたり。寝られたもんやおへんでしたわ。そこで、今月は、『猫の災難』の時と同様に、猫の出てくるお話、『猫の忠信』で、ご機嫌を伺います。

 道端で出会ったのは、次郎貴と六さん。次郎貴は、これから、会の相談へ、稽古屋へ行くところ。この稽古屋はんちゅうのは、浄瑠璃・義太夫の稽古屋はん。六さんも稽古仲間の割りに、何にも知らんかった様子。“たてか、みどりか?という、やりとりがありますが、“たて”というのは、通し、最初から最後まで、同じ演題を語るというもので、“みどり”とは、よりどりみどりで、違う物語でも、エエとこを一段ずつ語るというものですな。今度は、珍しく、たて会、『義経千本桜』の、千本のたて。となると、六さんは、『すし屋』で、長丁場は、かなん…。ところが、『すし屋』は、吉野屋の常吉、常丸が語るんやて。声がエエさかいにね。ほんなら、『渡海屋』は?こら、片岡はん。『山の場』は、掛け合いでやて。それでは、六さんの語るとこがない。お師匠はんが言うのには、『椎の木』の小揚げでも。こら、もう、ほんの端役、導入部ぐらいのとこで、目立つわけが無い。六さんの名前は、あの稽古屋の連名頭で、連名板の一番初めに掛かってる。昨日・今日入った常丸が、『すし屋』て。浄瑠璃には、三年や五年かかっても出ん、色というのがある。こら、お師匠はんも言うてた。“色も色、五色の色。素人のくせに、玄人ぶって、赤い顔して、黄色い声出して、前から、やめとけ言われて、青うになる。”て、おもろおまんな。

 しかし、六さんも、最近は、男のお師匠はんを見つけて、稽古しようとしてるとこやて。つまり、あの稽古屋のお師匠はん、お静さんが、若うてキレイやさかいに、“あわよかったら”ちゅう連中が集まってる、あわよか連やろて。次郎貴も、「当てられた」やて。でも、何ぼ通うても、アカンというのは、エエ男が出来たあるということ。それでも、こたえん次郎貴。自分が、そのエエ男やという、証拠があるのやて。この前、稽古が遅うなって、皆でしゃべってると、お師匠はんが、立ち上がって、お手水へと。手水場が、暗うて、寂しい所やさかいに、皆がついて行くという中で、“それやったら、次郎さん、ついて来とくなはるか。”ちゅうて、小便のお供。中の様子を聞いてると、感心も得心もしたて。そら、お師匠はんの上品な“しし”の音。“チンチロリン、チンチロリン、コロリンシャン”て、お琴やがな。出てきはって、手洗うて、吊ったある手拭いで、手拭こうとしはるさかいに、そら濡れてまっしゃろと、サラの手拭い出したげたと。すると、手拭かはって、返ししなに、“一番気が置けえで、好きでっせ。”と、次郎さんの手をギュッと握ってくれはった、それから、便所行ても、手拭かん。て、汚いな。

 ところが、六さん、そのエエ男の正体を見てきたとこやて。つまり、さいぜん、稽古屋の前を通りかかったんで、寄ってみよかと、障子の穴から、覗いて見ると、常吉がいてる。これが、お師匠はんと二人、肩寄せ合うて、昼から一杯飲んでる。ぬくい造りを製造して。造りを醤油につけて、常丸が口の中へ、ロレロレロレロレ、口移しで、お師匠はんが口の中へと。こんなこと言いながら、二人は別れてします。しかし、この話を聞いてしもたんで、いっぺんは見とかないかん。次郎はんも、稽古屋へ来まするというと、障子の穴から中の様子を。やっぱり、ぬくい造りをしてるわ。こら口惜しい。でも、ここで踏み込んでも、お師匠はんは、“わては、一人もんです。”と言い張られたら、何にもならん。そこで、思いついた妙案。常やんのかか、おとわはん、町内一の悋気しい。つまり、やきもち焼き。その、おとわはんに、このことを告げ口して、炊きつけたろて。次郎はんの、叔父さんが、この前から瀬戸もん屋始めたとこやさかいに、その悋気で皿も鉢も、バンバーンと割った後に、儲けさしたろ。て、こら、おもろなってきた。

 常やんの家までやって来ると、中では、おとわはん、一人で針仕事をしている様子。聞いてみると、常やんに、今度の会で、当日に黙って後ろから着せ掛けて、驚かしてやろうという算段。「貞女やなあ〜。こんなエエ女房がありながら…。」て、こらちょっと、けったいな具合。次郎はんは、さいぜん稽古屋で見てきたとこを、おとわはんにしゃべります。さあ、その気になってきた、おとわはん、着物も引き裂かんばかり…。と、思いきや、その“ぬくい造り”が、いんまの今、今しがたのことと聞いた、おとわはん、急に風向きが変わったせいか、また落ちついて、針仕事の続きにかかる。亭主の恥を明るみに出すまい、とか何とかいう腹でもない。というのも、実は、常やん、奥の間で、さっきから寝てるのやて。そんなアホな。

 と、声を立ててるところへ、起き出して来たのは、まさに常やん。こら、誰でも怒るわ。人の留守をにらんで、女房の悋気を炊きつけるて。これからは、友達とも思わんさかいに、道で会うても、声かけんといてくれて。しかし、そこまで言われると、次郎はんもつらい。この次郎はんかて、さいぜん、稽古屋で見てきたんですもん。でっさかいに、次郎はんも、おとわはんを借りて、おとわはんに見てもろて、それでもやっぱり、常やんとソックリやと思うぐらいの人やったら、許して欲しいて。そらそうですわな。次郎はんかて、得心がいかんわ。でも、外へ出たら、立つ汐がなくなって、その辺で逃げるさかいにと、常やんに言われながらも、次郎はんと、おとわはんは、稽古屋の前へ。「早いなあ〜。もう来てる。」と、次郎はん。おとわはんも、覗きますというと、やっぱり、常やんに間違いない。こら、おかしい。と、次郎はん、思い出したんは、常やんと二人で講釈場へ、講釈聞きに行った時のこと。その日の演題が、『難波戦記・真田の抜け穴』、大阪城から、いくつか穴が掘ったあって、真田幸村が、そこを通って戦う。また、もぐって、違う穴から出て、戦う。一人の幸村が、五人にも、七人にも見えたて。ここのところを、常やんが一生懸命聞いてたんで、さては、自分の家から、稽古屋まで、土の中に穴掘って、行き来してるのやないかと。おとわはんも、またもや、悋気がわいてきて、急いで、家へ帰って、畳を上げたところを、穴の出口に、いかき(ザル)でつかまえる。て、イタチやがな。

 家に帰って、戸を開けると、「早いなあ〜」と、もう居てる。て、別に、常やんが移動したわけやないん。こないだうちから、いろんな人に、“想いが叶いましたなあ”とか、“一杯飲ましてもらわな”と言われてたんは、このことか。それに、常やん、ここ四・五日前から、頭に幕がかかってるような、おかしな気分。こら、つまり、狐狸妖怪の類ですな。氷の羊羹やおまへんで。怪しい魔性のものの仕業ということ。そこで、今度は、じきじきに、常やんが次郎さんと一緒に稽古屋へ。常やんが、常やん見に行きまんねんと。おとわはんも、「その辺で、逃げ出しまっさかいに、後を追わんように。」て、おんなじように言うてなはる。しかし、常やんは、そんな陽気なこと言うてられへん。留守の、おとわはんには、ガッチリと閂(かんぬき)下ろして、トントントンと、三つの合図で戸を叩くまで、姿かたちが、常やんと一緒のもんでも、家の中へ入れることはならんと、十分に諭しまして、二人で家を出る。稽古屋の前まで来ますと、まず、次郎はんが中を見て、「早いなあ〜」と。すると、今度は、常やんが常やん、自分の姿をまじまじと見る。「着物の縞柄・持ち物まで、よ〜う似せたな。こうなったら、俺があいつか、あいつが俺か。」て、心細いこと言わんといてや。やっぱり、氷の羊羹の仕業ですな。羊羹が冷たいさかいに、造りがぬくい。って、んな、アホな。

 ここで相談。まず、次郎はんが、中へ入ってゆくと、中の常やんが、盃を指すに違いない。これを受けて、一杯飲んでから、“常やん、ご返杯”と、盃を差し出す。受け取ろうとした手をグッと握って、指が五本あったら、人間やが、もし、違うもんやったら、キセルで、二つ三つどついてから、外で待ってる常やんを呼ぶのやて。と、キセルを借り受けまして、恐る恐る、次郎はんは、中へと入ってゆきます。「ごめん」と入ってゆくと、お師匠はん、中の常やんに、お盃を次郎はんにあげとくれやすと。「一ついこ」と、この盃を次郎はんが受ける。馬の小便かなんかやったら、エライこっちゃと思いながら、玉子の菜種もすすめられる。これも、恐る恐る食べてみると、別にどうもない。何でもエエわと、飲み・食べした後に、「ご返杯」。「おう」と、受け取ろうとした手を掴むと、指どころか、丸い。「丸い、丸い」と、叫んだもんでっさかいに、外の常やんが、慌てて飛んで入ってくる。二人の常やんに驚くお師匠はんを制して、外からの常やんが、内ちの常やんの手を握って、「こう」と、キセルで打つ。下座から、ツケが入ったり、入らない場合もありますが、内の常やん、「申します。申〜します。」で、これまた、下座から、『来序』。つまり、名乗りの場面。『来序』、“テン、ドロドロドロ”ちゅうやつで、語尾を伸ばすといいますと、こらもう、狐の正体なんですが…。正親町(おおぎまち)天皇の頃、山城・大和に鼠がはびこり、民衆の困難に、その時分の博士に占ってもらうと、高貴な方に飼われている三毛猫の生皮を剥いで、三味に張り、天に向かって弾くと、鼠がいなくなるという。この、内にいた常やんの両親は、伏見院様の手元に飼われていた猫で、その三味にされたと。その時は、子猫であった、内の常やん、父母恋しと泣くばかり。流れ流れて、その三味線が、このお師匠はんの家にあると聞き、こうやって、入り込んできた。あの壁に掛かっている三味線、その三味線の子が、この常やんに化けてた、猫であったと。

 つまり、狐狸妖怪の類は、猫やったんですな。というところで、次郎はんが、「今度の会は、大当たりやで。」と。つまり、役者が揃うてる。吉野屋の常吉で、義経。猫が毎日タダで酒を飲んでたんで、狐忠信が、猫のタダ飲む。駿河屋の次郎吉で、駿河の次郎。「けど、肝心の静御前は?」「お師匠はんが、お静さん。姿といい、器量といい、静御前にピッタリやがな。」「あほらしい。わてみたいなお多福が、なんの静に似合うかいな。」猫が顔を上げて、「ニアウ」と、これがサゲになりますな。つまり、“似合う”と、猫の鳴き声で、“ニアウ”をかけてあるんです。サゲ、そのもの自体は、エエもんとは思えませんが、分かりやすいですな。それに、ここまで大仰になってきて、正体が判明、どないなんのんかいなあと思わせたところで、いかにもアホらしい、軽いサゲというのも、考えようによっては、おもしろいかも分かりませんね。

 上演時間は、三十分前後ですな。もっと大まかに、二十分ぐらいで、できないこともありませんが、私といたしましては、このネタは、じっくりと、やっていただきたい。というのは、土台が、手に汗握る、何か人間の仕業と違うものが出てくる話ですので、その正体が分かるところまでを、いかにも仰々しく、細かく描いていただくほうが、かえって、最後のバカバカしさが目立つといおうか。冒頭部分は、稽古屋仲間、次郎貴と六さんとの会話で、おもしろさがありますな。この次郎貴の“貴”というもの、“兄貴・姉貴”などの“貴”と同じ、一種の敬称ともいうべき語で、『住吉駕籠』なんかに出てくる、“ジキ”の旦那も、“爺々貴”という、同じ“貴”からきていますね。また、俳名(はいみょう)に、“丸”の字を付けるのも、よくある話で、常吉が常丸ですな。これも、『稽古屋』に出てきますが。さて、この会話の部分は、非常によく、昔の稽古屋はん、特に浄瑠璃仲間なんかの雰囲気というか、空気というものを、色濃く残している場面で、全くの現代人ですと、少し説明が要る所も、なきにしもあらずですが、それがまた、お古い感じで、時代風俗とでも申しましょうか、なかなかよろしな。ちなみに、『千本桜』の、『すし屋』は、いがみの権太が、すし桶持って、登場しますな。『渡海屋』は、知盛の渡海屋銀平が出てきますし、『山の場』は、静御前と狐忠信の、吉野山の道行き。『椎の木』は、荷物を間違えて、二十両の金子が出てくるやつですわな。その後、次郎貴の小便の件り。ここも、おかしい。お師匠はんの小便の音という所だけは、最近、放送のせいか、やられない方のほうが多いようにも思えますね。そして、“ぬくい造り”ですが、これは、多分、後で、狐狸妖怪が氷の羊羹で、羊羹が冷たいさかいに、造りがぬくいと、これを言いたいための伏線で作られたものでありましょう。と、私は思いますが、よく出来ていますね。この取り合わせが。そして、次郎はんが、常やんの家へ行く途中、おとわはんの悋気で、瀬戸もん割らして、おっさんの瀬戸もん屋儲けさすなんて、いかにも大阪的な発想ですな。

 中盤部分、次郎はんが、おとわはんを訪ねる所、おとわはん、針仕事をしております。この部分が、いかにも庶民的な、おかみさんいう感じが、よく出ております。特に、針を髪の毛へ持っていって、髪の油をつける仕草なんかね。そこで、この悋気を炊きつける。この場面、なかなかおもしろいですな。真実を言うような、なかなか言わんような、かけひき。そこで逆上して、着物を引き裂きかける、この心情も、よう分かる。と、ここで、風向きが一変。この辺りから、話全体が、なんじゃ、おかしな雰囲気へ。寝ている常やんが起きてきて、事情が変わってくる。先に、次郎さんと、おとわはんが、稽古屋へ。「おかしなとこへ、おしっこしたん違う?」て言われるのも、おもろいですな。昔、よう、小さい赤い鳥居ありましたな。小便除けに。あれに小便したら、こないなるて、んな、アホな。ほんでまた、稽古屋の中の常やんを見て、真田の抜け穴を連想するて、ここも、よう考えたあるわ。こんなん、誰が思い付かはったんやろ?これで、ようやく怪しいものの類やと判明して、常やん自身が、稽古屋へ乗り込む。次郎はんて、何べん、稽古屋行きまんねん?正体は猫なんですが、『千本桜』の狐に似せて、鳴り物は『来序』で、語尾が引っ張られる。“猫のタダ飲む”も、よう考えたありますな。

 このネタ、ご存知のように、『千本桜』のパロディーとして作られたものであります。ですから、以前は、もっと『千本桜』の登場人物が、稽古屋の仲間として出てきていたみたいです。歌舞伎が常識であった時代、これを踏まえて作られたものですから、もっと、単純なものと思いきや、中身は、そうではない。笑いもふんだんにありますし、スリルとサスペンスに富む、非常にすばらしい作品となっていますね。これは、まさに、先人達が積み重ねていった苦労の末であると思われます。もちろん、この話の眼目は、『千本桜』なのですが、この、“どないなんのんかいなあ?常やんが二人も…。”と、ワクワクしながら、胸が踊るような感覚に、我々観客が持っていかれれば、演者としては、最高の出来ではないでしょうか。この期待感がね。

 東京でも、同じ題、同じ演出ですね。ただ、関西でもいわれるとおり、『猫忠』と略した題で、演じられるほうが多いですかな。しかし、東京では、この私が提唱する、スリル感が、なぜか半減しているような気がいたします。もっと軽い感じなんですよ。ま、これが、当初のこのネタ、『千本桜』のパロディーという意味で、演じられているからかも分かりませんが。ハッキリ言って、私は、引っ張って、引っ張って、引っ張って、どないなんのんかいなあちゅうとこで、ボワッと解決して、どないもならんかったというサゲで終わる、上方の演出のほうが好きですな。

 所有音源は、故・橘ノ圓都氏、桂米朝氏、故・桂文枝氏、故・桂春蝶氏、故・桂吉朝氏のものがあります。圓都氏のものは、実は、東京演出に近いような、意外とあっさりしたもので、寄席でも普通に演じられるような、少し軽い感じのものであります。もっとも、この音源は、多分、スタジオ録音かなんかだったのでしょう、お客さんの声は入っておりません。ですから、実際に、このように演じられていたかは、はなはだ疑わしいかも分からないのですが。しかし、やっぱり、ヤマ場の猫のセリフなんかは、聞き応えがありますな。米朝氏のものは、やはり、よろしおす。十八番ネタであるといっても、私は良いと思います。というのも、私が子供時分、手に汗握る思いで、このネタを聞いた記憶があるのでございますよ。全く引き込まれますね。これぞ、落語の真髄といってもイイほど、入り込んでしまいます。語りの良さ、登場人物の描き方、仕草など、どれを取っても一級品で、猫のセリフなんかでも、思い出しただけで、ゾクゾクしますわ。文枝氏のものは、もう少し、お笑い本位のものでしたが、いかにも猫のつらさが出ておりましたな。春蝶氏のものも、文枝氏同様に、笑いの多いものでしたが、やはり、お静さんもさることながら、おとわはんに色気があって、悋気の所なんか、真に迫る思いでしたわ。吉朝氏のものも、米朝氏同様、私は引き込まれてしまいました。エエもんでしたなあ〜。特に、猫がセリフの途中で、三味線を指す所、三味の音が入るなんか、にくい演出もありまして、よっぽど大事にされているネタなんだなあと思いました。その分、十分に、楽しませていただけます。

 とりあえず、パロディーネタとはいえ、わたしゃ、ものすごい、好きですねん、このネタ。その分、下手には、やって欲しくもないんですがね。

<17.9.1 記>
<17.12.1 最終加筆>


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