先日、ある方に頼まれまして、『景清(かげきよ)』のテープを進呈いたしました。この方は、京都・安井の金毘羅さんの、桂米朝さんの勉強会へ、よく行ったはるみたいで、ある時、行きたかったらしいのですが、その日は、たまたま会合がありまして、行けなかったらしいのです。で、その日の会合の後、たまたま、お会いいたしまして、その日の演題の中の、『景清』を一度、聞いてみたかったらしいので、後日、私の音源の中から、カセットテープをお渡しいたしました。というようなことがありまして、今月は、その『景清』を。

 これは、京都のお話でございまして、主人公の名前は、柳定次郎。ご職業は、刀の目貫師(めぬきし)でございます。仕事は、京で随一といわれるほどの腕の良さでございますが、酒と女に身を持ち崩しまして、中年からの“そこひ”、つまり白内障がもとで、目が見えんようになってしまいました。非常に失礼な言い方でございますが、いわゆるところの、“めくら”はん。今日しも、杖を振り回しまして、歌の一つも歌いながら、道を歩いてる。と、呼び止められましたのは、甚兵衛はんの家。職人さんだけあって、強情で、目が見えんさかいに、甚兵衛はんの家を通り過ぎてても、“歌の区切りが悪いさかいに”とか、犬がいるというても、犬を踏んでしまう始末。まだ、目が見えんようになって、日が浅いさかいに、いろんな失敗しはんねね。ま、杖を下駄の鼻緒に通して、忘れんようにして、家へ上がり込みます。

 医者へかかっても、治る見込みがないので、針か、あんまか、何ぞ修行して、それで、お母はんと二人、食べて行こうと思うてるて。そやけど、腕がエエだけに、鏨(たがね)彫りの仕事がもったいない。それでは、神仏に願掛けたらと。しかし、これも、いっぺんは、やってみはってんて。柳谷の観音さんへ、三七、二十一日の願掛け。中途から、随分と見えるような感じになってきたんで、こらいけると、満願の日は、お籠りをいたしますと、お母はんを帰して、一人で御祈願。観音経を唱えてなはる。と、途中で、けったいな声に。つまり、女のお方の声がしまんねやわ。狐か狸かと思うて、尋ねてみると、この方も、お籠り。指を出してみるが、分からんて、この人も、目が御不自由。所を聞くと、住んでる所も近く。二人並んで、観音経を唱え出した。すると、髪の油のエエ匂いもするし、ポーンと突いたら、突き返してくる。手を握ったら、指もちゃんと五本あって、握り返してくる。さあ、おかしなことになってきましたで。観音さんの前で。二人が意気投合して、山を降りた小料理屋へ入って、かしわのすき焼きで一杯。しかし、銭は?賽銭箱ひっくり返してて。バチ当たりまっせ。おかげで、それから、目がうずいて、うずいて。て、当たり前や。ほんでまた、それを怒って、観音さんに、“悋気も、エエ加減にせえ”言うてきたて。そら、目も開かんわ。

 こんなことしてたんでは、あきまへんで。日本一といわれる仕事をする人だけに、ほんに惜しい。しかし、金づち持っても、仕事はでけん。死んだろかと思うても、母親一人残して、先に死ぬわけにもいかん。そこで、甚兵衛はんの知恵。清水の観音さんへ、お参りしたらて。昔、平家の侍で、悪七兵衛景清(あくしちびょうえかげきよ)という豪傑が、源氏の世の中を見るのは、忍びないというので、自分で自分の目をえぐり取って、清水寺へ奉納したという話がある。そやさかいに、いっぺん、お参りしてみてはと。しかし、柳谷さんも、清水さんも、同じ観音仲間でっさかいに、先に、話聞いてたら、目開けてくれはらへんのと違います?ごもっとも、ごもっとも。そやけど、まあ、アカンのは元々で、百日・二百日、何年かかってもかまへんさかいに、お参りし続けなはれと、教えてもらいます。

 それからというもの、毎日、この定次郎、清水さんへお参りをいたしまして、今日しも、百日目。“ま〜つ〜か〜ぜ〜や〜”と御詠歌を唱えながら、清水さんへと、上って参りますと、「桧皮屋根の建立」と、下座から、おなじみの『禅の勤め』が入ります。お寺さんでっさかいに。ちょうど、この日は、月の十八日、観音さんの御命日で、ひときわ賑やか。本堂の前へ参りまして、いつものように観音経を唱える。目を開けようとしますが、これが、やっぱり、開きません。手拍子のきっかけを作ったり、お賽銭入れたりしますが、やっぱりアカン。と、こうなると、毒づき出す。「アカンのなら、最初に言うとけ。銭だけ取りやがって。」て、んな都合のエエ。

 と、後ろから聞き慣れた声がすると思うと、甚兵衛はん。満願の日やと思うて、来てくれはったんやね。百日だけやのうて、気長に信心しなはれと諭しますが、そういう訳にもいかん。お賽銭がなくなるばかり。そやけど、お金やないと言われますが、それも聞かん。というのも、出しなに、お母はんが縫うてくれた着物を、着せてくれはったんですて。“帰りには、この着物の縞柄ぐらいは、見えるようになって帰ってきてや。赤いご飯炊いて、待ってるさかいに。”て。そんな家に、“目は開きまへん”と言うて、帰れしまへんがな。そんななったら、お母はんは、死にますやろ。ほんなら、定次郎も死ぬ。二人死なすのは、この観音。て、これこそ、バチ当たるで。甚兵衛はん、定次郎はんとお母はんの世話、暮らし向きは、自分が何とかして、助けたげるさかいに、また明日から、信心し直しなはれと、またもや諭します。それでも、「この親切心の半分でも、この観音にあったら。」て、まだ、文句言うてるわ。

 甚兵衛はんに手を引いてもらいながら、「一人来て、二人連れ立つ、極楽の」と、下座から地唄の『鳥辺山』が入りまして、二人で石段を降りてゆく。と、空に雲が出てきたかと思うと、ポツ、ポツ。次第に、車軸を流すような雨が、ザァー。雷がゴロゴロ。甚兵衛はんは、大の雷ぎらい。どっか行ってしもた。後に残った定次郎も、雷と雨で、そこにヘタリこんで、気絶してしもた。フッと気がつくと、辺りには人は誰もおりませんし、甚兵衛はんを呼んでも、応答がない。杖も、どっかいってしもた。歩き慣れた京の町、何とか歩けるし、また、どこぞで倒れて死んだら、死んだ時のこっちゃと、歩き出そうとします。と、御扉が、ギギギギギィーと開きまして、清水の観音さん、それへお出ましになります。「善哉、善哉」と、下座から楽の音が入りまして、定次郎を呼ぶ声。どこに、ぜんざい屋があんのかいなあと聞いておりますと、甚兵衛はんではなくて、清水の観音さん。こらありがたいと、じかに応対しますが、目は治らんて。そやけど、お母はんが長年信心してくれている徳を持って、目を貸し与えると。何じゃ、そりゃ?つまり、さいぜん申しました、くり抜いて奉納された、景清の目を貸してやろうということ。そら、随分古いもんやし、三日前から、塩水に漬けてた。て、数の子やがな。またもや、ぜんざい屋を呼びまして、帰って行かれる。ホンマかいなあと、観音経を唱えながら、恐る恐る目を開けてみると、開いた、開いた!こら、ありがたい。そこで、その晩、一晩は、清水さんへお籠りをいたします。

 明くる日、山を降りまして、歩いていますが、そら、景清の目が入ってるもんでっさかいに、手も足も、堂々と動きよる。力が入って、エライもん。それへさして、やってまいりましたのが、どこのお方かは存じませんが、お大名のお行列。京都は、王城の地、つまり、御所がありまっさかいに、“下に下に”という制し声は使わなかったんだそうでございまして、“控え控え”と言ったんだそうでございます。「控え控え」と、下座から、これもおなじみ、『大拍子』が入りまして、大名のお行列。そこへ、この定次郎が現れる。景清になりきってるもんでっさかいに、耐えることがでけん。右に左に、空中にと、お供の侍を投げ飛ばし、ツケが入っての大立ち回り。お殿様お駕籠へ手をかけまして、棒鼻を押さえるというと、「乗り物、待てえ〜。」「何やつなるぞ。名を名乗れ。」「我が名が聞きたくば、名乗って聞かせん。耳を揃えて、よく承れ。」と、これまた下座から、『一丁入り』。つまり、景清の名乗りの場面ですな。なかなか、聞き応えがございます。そこで、お駕籠の戸が開きまして、お殿様が、「そちゃ、気が違うたか?」「いや、目が違うた。」と、これがサゲになっておりますな。大名行列に暴れ込むぐらいですから、“気が違うたか”と言われると、景清の、違う人の目でっさかいに、“目が違うた”と。ま、分かりやすいサゲですが、サゲ自体は、あんまりイイものとは思われません。ですから、たいがい、目が開いた所で、サゲをつけずに、「おめでたいお話でございます。」とか、また、適当なサゲをつけたりして、終わられることが多いですね。だいたい、大名行列の部分は、演じられることが少のうございます。ちょっと、内容的にも、話の筋から、変わってきますのでね。古くから、途中で終わることが多かったみたいですね。それに、このお行列の部分は、『こぶ弁慶』の演出と似ている、というか、全く一緒の感じになってしまうということもありましてね。

 上演時間は、やはり、サゲまで行くと、三十分を越えますな。途中で切られても、結構、お時間は要します。大作といってもイイぐらいの話です。ですから、寄席向きというよりも、落語会とか、何かの会のトリなんかで、出てきますね。始めの、甚兵衛はんの家での会話の部分、特に、柳谷の観音さんで、女の人と、ややこしいになるあたり、おもろいですな。あれだけで、一席できるほどでっせ。しかし、清水さんの坂も、たいがいですが、柳谷の観音さんは、大変な道のりですよ。長岡京の、山の中ですし。京都市内からと違うて、柳谷の近くから通わはったんでしょうけど、それでも、二十一日も、よう参らはるなあ。それにも増して、お目が不自由で。開けて欲しいという一心でしょう。現在では、白内障いうたら、手術したら、すぐ治るみたいでっさかいにねえ。大丈夫と分かっておりましても。しかし、お母はんと二人暮らしの生計を立てるのは、難しい。腕が惜しいですな。

 それから、清水の観音さんへの満願の日。これはまた、笑いの中にも涙がございます。清水の仁王門をくぐりまして、石段の右側、三重塔の前あたりに、石塔がございまして、これが、景清爪形観音と申します。景清が、自分の爪で彫った観音さんが、中に入っているとか。でっさかいに、ま、景清の目の話が本当かどうかは疑わしいでしょうけど、伝説としては、残っておりますね。また、「檜皮屋根の建立」は、「瓦の御寄進」といわれているものもありますが、別にどっちがどっちというものでもないのでしょう。ただ、やはり、檜皮のほうが古い時代なのでしょうねえ。現在でも、清水さんの本堂は、檜皮ですし、瓦は、他の伽藍に使われている所もありますので、一概に、全てが檜皮葺きであったともいえないと思いますよ。

 観音さんの前で、毒づく所も、おもろいですが、やっぱり涙を誘う所もございます。お母はんの着物の場面なんかね。本当に、泣きそうになりますわ。それから、雨と雷に打たれて、気絶した後に、観音さんのお出まし。ちなみに、清水の御本尊は、三十三年に一回しか、御開帳されません。2000年にありましたので、今度は、2033年。前にも述べましたが、ありがたいことに、私は、何回か見に行かせていただきましたけれども。ま、2033年までは、どうにか生きてまっしゃろ。あの時、テレビで見てたら、御扉開けはる瞬間に、やはり、ギギギギィーいうて、音してましたな。また、“善哉”ですが、あながち食べ物の“ぜんざい”と、別物ともいえないんですな。お釈迦さんが、お弟子さんを褒めるのに、“善哉”、つまり“善き哉(よきかな)”と言ったと、経典の中の言葉となっておりまして、それが、室町時代の、一休さん・一休宗純氏が、小豆のぜんざいを食べて、“善き哉”と言ったところから、ぜんざいの名が生まれたという説があるみたいなんですわ。

 そして、最後の大名行列の部分、何といっても、メインは、景清の名乗りのセリフなんでしょう。しかし、ここも、たっぷりとやる演出もあれば、短めにやる演出もあり、様々ですな。つまり、目が開いたことによる、笑いあり、涙ありの話の延長上としての、大名行列ですと、短めにしとくほうが良いのでしょうね。話全体のバランスとしては。しかし、この大名行列の部分をメインにして、いかにもバカバカしい演出にするには、前段部分までを、涙の部分を少し押さえ気味に、笑いを多く入れて、持って行かれるのでしょう。

 この話、テレビやラジオ、放送の音源等では、現在、ほとんど演じられることがございません。それは、お分かりの通り、目の御不自由な方を題材にしておりますのでね。誠に失礼ですが、『○の釣り』など、演題に入っているものもありますが、桂吉朝氏などは、うまく、『昆陽の御池』として、演じられておりますね。お口の不自由な方の出てこない演出で。昔の寄席なんかですと、お客さんに、そういう方が来られたら、その手の方の出てくる、このような話は、絶対に演じられなかったようです。しかし、このネタ、演じるのに苦労しますわね。定次郎さんのところは、ずっと目をつぶったままで演じる訳ですから。

 東京でも、同じ題、同じような演出ですが、やはり、『景清』といえば、故・八代目桂文楽氏でありましょう。見事なまでの人情話として、ホントに涙がこぼれてしまいますな。余計なものは、一切入っておりませんし、サゲもなく、目が開いた所で終わります。元来は、この後に、実に上方的な、賑やかな大名行列の場面が出てくるなんて、まるで想像できないぐらいです。

 所有音源は、故・三遊亭百生氏、桂米朝氏、故・桂文枝氏のものがあります。百生氏のものは、多分、どこかの寄席でのものだったと思いますが、二十分あまりであります割に、サゲまで演じておられます。時間のせいもあってか、柳谷の観音さんの部分は省かれておりますが、これがまた、東京で演じられているとは、つゆほども思えないぐらい、上方式の、派手な演出でございます。やはり、メインは、景清の名乗りの場面。ここを長々と演じておられます。ですから、そこまでの目が開く所まで、涙は少し押さえ気味で、お笑い本位でございますな。でも、これが、まさに、元来の上方の『景清』であると、聞き応えのあるものでございました。多分、そこそこ老齢になられてからの録音だとは思うのですが、そんなことは全然感じられません。米朝氏のものは、これまた対照的に、笑いあり、涙あり、まるで、松竹新喜劇を見ているような感じであります。どちらかというと、東京演出に近い形の、本当に泣ける話ではありますな。最後まで行かれずに、目が開いた所で、「下取りの目は置いていけ」と、サゲを付けられておりました。文枝氏のものは、ラジオの録音で聞いたため、とりあえず、目の不自由なことに関する言葉は、ほとんど使われておりませんでした。これも腕なんでしょうねえ。サゲまで演じられておりましたが、全体の流れを崩さないため、名乗りの部分は、短く押さえ気味にされておりました。こちらも、笑いあり、涙ありでしたわ。

 私、割り合い、このネタ、好きなんですが、ちょっと聞く機会は、少ないですな。そら、しょうがないわ。てなこと言いながらも、不穏当な発言が、多々ありましたことを、深くお詫び申し上げて起きます。

<17.10.1 記>


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