先月、二年ぶりに東京へ行ってきたんですよ。前回は、末廣亭へお邪魔いたしましたが、今回は、時間の都合で、浅草演芸ホールの前を通っただけという。江戸東京博物館へも行ってまいりましたが、デッカイもんでしたなあ。あら、見んのに、一日がかりですな。と、まあ、とりあえず、今月は、大江戸見物記念で、『江戸荒物』をさしてもらいまひょ。

 主人公というのは、あいも変わらん、ちょっとおもろい男。これまた、毎度おなじみの、ちょっと知恵のある人のお家へ。家の前で、けったいなこというてるもんがいまっさかいに、ひとまず家へ上げてやります。“けったいな”ちゅうのは、いわゆる“江戸っ子”、江戸の言葉を使うてるさかい。この男、今度、東京荒物・江戸荒物てな商売始めたて。しかし、東京から、荒もん仕入れるのは大変…。て、大阪のもんでんがな。品物が東京のもんやのうて、売る側、つまり、この男が、江戸流、東京風の言葉を使うて、東京風に商売をするのやて。しかし、“おいでやす。何しまひょ?”てなこと言うてたんでは、そらあかんと。“いらっしゃい。何でもあります。”と。帰りがけには、“ありがとうございました。気に入ったら、またいらっしゃい。”と。それと、同じ品物でも、言い方、称え、名称が変わると。“ざるでもって、天秤棒でもって”いうのは、“いかき”と“おうこ”のこと。“一貫、二貫、三貫、二四と四貫八百になりやす”、“アマ、シばちにシがねえから、シをもっちきな”なんかいうて、“ひ”が“し”になると。

 こんなことを教えてもらいながら、その問題の家、荒物屋へと帰って来る。店番してんのは、この男のおかみさん。これがまた、絵に描いたような、大阪弁丸出しの人で、もっちゃりしたはる。「アマ、アマ」「按摩はん呼ぶのか?」やて。「シをもっちきな」「塩て、なめくじでも出たんか?」と。もっちゃりしてまっしゃろ。と言うてるところへ、お客さん、「いらっしゃい。何でもあります。」「わらじを一足分けてもらいたいん。」「ざるでもって、天秤棒でもって…」「いや、そない、たいそな買いもんやおまへんねん。誰か、言葉の分かる人、いてへんのかいな?」と、このまま帰ってしまいます。そらそやわ。今度は、「ごめんよっ」と、こら、ホンマもんの江戸っ子や。「たわしあるかい?」と、これが分からん。昔、関西では、“切りわら”いうてましたさかいに。「たわして、何です?」て、逆に聞きながら、「そこにあるじゃねえか」「ああ、切りわらで」「いくらだよ?」と聞かれますが、この“いくら”も、分からん。「いくらでもよろしわ」「じゃあ、十銭で、三つばかりもらって行くよ。」て、エライ損や。

 もう、江戸っ子はやめたろかいなあと、悲しいになってるところへ、やってまいりましたのが、おなごしさん。「ちょっくら、およろしい?」て、これまた、田舎から出て来たてやがな。「横町の長谷川から来よりましたんじゃがぬう。うちかたさあに、なあひろはあのつんつべなあの、おざあちゅて…?」て、こら何のこっちゃ、サッパリ分からん。私でも、分からんがな。何べんも、おなごしさんに、同じことを言うてもらいますが、それでも、分からん。一つずつ切って、ゆっくり言うてもらうと、つまり、横町の長谷川はんから来はった、おなごしさん。“うちかたさあに”いうのは、“家方さまに”つまり、“ここの家に”ちゅう意味ですわ。“なあひろはあのつんつべなあ”、こらまた、難しい。“七ひろ半のつるべ縄”ちゅうとこですわ。しかし、この意味が、よう分からはったなあ。要するに、つるべ縄を買いに来はったん。ところが、エライこっちゃ。つるべ縄仕入れんのん、コロッと忘れてたんやがな。江戸荒物・東京荒物だけに、“おまへん”てな、もっちゃりしたこと言われへん。“何でもあります”やさかいに、“有る”ことが、“有ります”、“無い”ことは、“無います”となるはずやと、思いついた主人公が、「つるべ縄、無います、無います。」すると、おなごしさんが、「やんれえ、今から綯う(のう、なう)とったんでは、間に合わんがぬ。」と、これがサゲになります。お分かりになりますか?“無います、無います”を、おなごしさんは、縄を綯う、“綯います、綯います”と間違わはったんやね。だから、“今から綯うてたんでは、間に合わん”と。井戸なんかで使う、つるべ縄でっさかいにね。言葉の勘違いから生まれる、ちょっとしたおもしろいサゲなんですが、つるべ縄自体が、あまり存在しなくなった昨今、一瞬に何のことか分からん、お客様も、おられるかも分かりませんね。

 上演時間は、このネタ自体は、短いもので、十分か十五分程度。しかし、そこそこのマクラをつけて、短いものながら、一席となっておりますね。寄席なんかでは、演じやすいものです。お国自慢の、「訛りは、国の手形と申しまして…」という、有名なマクラなんかをつけると、だいぶ長くなりますがね。全体としては、筋がどうの、話がどうのというような類のものではなく、東京と大阪の言葉の違い、言葉遊びを扱った、お笑いのネタでありますな。前半は、少し江戸・東京を知ってる人に、ほんの少し江戸弁・東京弁を教わる所。無理して、江戸っ子をきめこんでいるところから、急にもっちゃリした大阪弁になるところなんか、ちょっとホッとしますな。後半は、おかみさんとの少しのやりとりと、後はお客さんとの対応。一人目が大阪の人で、二人目が江戸っ子、三人目が田舎から出て来て間もない、おなごしさん。三段落ちのようで、なかなか、それぞれに、噛み合わんところが、おもしろい。特に、三人目のおなごしさんなんか、普通に聞いてても、何のこっちゃ分かりまへんもんね。『仔猫』のおなべどんも、ひどいもんやけれども。この話、やはり全体的に、トントンと話が運ぶと、なかなかリズムもあって、おもしろい。バカにするとか何とかの意味ではなくって、特色のある言葉の違いでね。ですから、テレビやラジオのなかったような時代では、もっとうけたことではありましょう。上方の演者が、江戸弁を使うところも、また一興なんですが、東京の人にいわせると、随分、ひどい言葉なんでしょうね。テレビ見てて、変な関西弁使うてる東京人が出てくるように…。

 この話、一つ気になる所は、元来の関西弁であった、“切りわら、いかき、おうこ”などの言葉は、現在、関西では、ほとんど聞かれなくなっていて、東京式の、“たわし、ざる、天秤棒”が、広く使われているという、なんとも情けない実情ですな。こんな所にも、テレビ・ラジオの影響、東京一極集中を思い知らされる思いがしますわ。先月、行って来ましたけどね。そら、もう、やっぱり、人の寄る所に…、ですわな。何ぼがんばっても、わてら…。そして、これも、そうですが、荒もん屋はんが、少のうなってしもたことね。金もん屋はんも、そうですけど。近所に必ず、一軒は、あったんですけどねえ。今は、ホームセンターですか。落とし紙の横に、三方売ったはったりしてね。何じゃ、キレイような、汚いような…。

 所有音源は、故・露の五郎兵衛氏、故・桂枝雀氏、笑福亭福笑氏のものがあります。五郎兵衛氏のものは、意外に、江戸っ子の関東弁が、うまくて、様になっておりまして、さすがの腕を感じさせられました。枝雀氏のものは、随分お若い頃の、多分、小米時代のものだと思いますが、なかなか、笑いも取ってはりましたねえ。荒物屋のお客さんに、炭屋のおっさんも混じっておりまして。特に、大げさに江戸っ子をきめこむところがおもしろかったり、おなごしさんが、妙に、かわいらしく演じられたりしていて。近年は、ほとんど聞きませんでしたな、このネタ。福笑氏のものは、これも大仰な江戸弁で、勢いがあって、よろしな。おかみさんと言い争いする場面なんかも、あったりして。

 とにかく、そんなに、大層なネタではございませんので、お気軽に笑ってください。東京には、多分、無いネタでしょ。『上方荒物』て…。

<17.11.1 記>
<21.6。1 最終加筆>


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