先月、十一月八日、桂吉朝氏が亡くなられました。私は、病気だとか、体調不良だとか、一切知らなかったので、本当にビックリしましたわ。まだまだ、五十歳と、お若いのに。というよりも、噺家としては、これからが、脂も乗り、また、落ちついた役もできる、一番充実したお年頃になられる矢先でしたので、惜しいとの一言に尽きますね。これからの上方落語界を引っ張っていかれる、お一人だっただけに。この損害は、大きな打撃ですわ。全くの個人的には、大好きな大好きな、というような方でなかったのですが、大看板の一つが上がらなくなる寂しさは、寂寥に耐えません。ご冥福をお祈りいたします。あの、古典をしっかり学ばれた上にも、ちょっとした現代的なセンスが光って、声の良さ、芝居・音曲の精巧さ、立ち居振る舞い一つでも、しっかりとされておりましたもんね。師の桂米朝氏ゆずりの得意ネタも、たくさん持っておられまして、『仔猫』『猫の忠信』『地獄八景亡者戯』『蛸芝居』『七段目』『ふぐ鍋』『質屋蔵』『宿屋仇』『どうらんの幸助』などなど、本当に、数えれば、尽きないぐらい、イイものを聞かせていただきました。その中で、本来は、もっと大ネタを紹介すべきなんですが、今月は、『時うどん』を。小品なネタにも、この方独自の、工夫がたくさんに詰まっておりましたのでね。

 ひやかし帰りの二人の男、寒い冬の晩に、ぶらぶら歩いてるところから、話は始まります。廓のひやかし帰りですな。“ひやかしゃ廓の一の客”てなこと言いまして、今でも、色街なんぞ、歩いてるだけで、こう、気分が晴れるもん。都々逸の言い合いなんかもありまして、ふと気がつくと、腹も減ってきた。ちょうどそこへ見えてきたんが、屋台のうどん屋。しかし、銭は?一人は八文、もう一人が七文しか持ってない。都合十五文。うどんは、十六文と決まったあるので、一文足らん。そこを、兄貴分の一人が、知恵を凝らしまして、とりあえず、食べ始めようと。

 「うどん屋、熱いのつけてんか?」「へえ、今すぐに。うど〜んぇ〜」「じゃかましいわい。」て、散々な。「あついか?あつけりゃ、肌脱げ。」て、これも、古くさい。これもひやかしのうちで、なんじゃかんじゃと、うどん屋はんをからかうてるうちに、うどんが一杯でけた。衛生的な割り箸で、ダシも旨いし、うどんも腰がある。なかなか、おいしいがな。「お前とこ、名前覚えとこ。屋号は?」「当たり屋でんねん。」て、これも、気持ちがエエ。してる間に、後ろから、連れの男が、うどん食べてるほうの男の、着物の袂を引っ張る。「ひっぱりな」て、おなじみのフレーズですなあ。私ら、子供の時分、よう言うてた。「半分残しといてや。」「分かってるがな。」てなこと言いながら、どんどんどんどん食べていく。「ひっぱりな。そんなに、このうどんが食いたいか?食いたけりゃ、食え。」と、差し出す鉢の中には、もう、三本ほどしか、うどんが残ってへん。後からの男のほうが、八文で、余計にお金出してんのに。泣きながらも、うどんをすっくり食べてしまう。

 「おかわり、つけまひょか?」「もうエエ。もうエエ。銭が細かいで、手出して。一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、六つ、七つ、八つと。うどん屋、今、何時や?」「へえ、確か、九つで。」「十、十一、十二、十三、十四、十五、十六と。」「へえ、おおきに。ありがとさんで。」と、うまいこといった。お分かり?つまり、八つまでは、一文銭を八枚払うて、“今、何時や?”“九つで”“十、十一…”と。“九つ”は、払わんと、十から、十六までの七文を払う。つまり、これで都合十五文。十五文で、食べられましたがな。こうなると、今度は、自分一人でやってみたいのは、後でうどんを食うた男。早速、次の日に…。

 ちなみに、一応、ここで、ご説明しておきますが、昔の時間の数え方、数字もありますし、干支もございます。日の出を“明け六つ”、日の入りが“暮れ六つ”で、それぞれの間を六等分しますねやな。そやから、季節によって、昼と夜の長さが違いまっさかいに、一刻の長さも、変わってきます。ちなみに、春分・秋分の、一番わかりやすい例えでいうと、このうどんを食べたのは、九つでっさかいに、夜中の十二時ごろ。さて、お分かりになりました?

 そして、この男が、明くる日に、うどん屋を探して歩いているのが、宵の口から。ちょ〜ど、一軒、見つけまして、うどんを注文。ところが、うまいことは、いかへんがな。建て前も言わんし、「あついことおまへんで。」やて。「“お連れさんも、つけまひょか?”と、言わんかい。」て、誰もいてへんがな。ダシ飲んでみたら、だだ辛いわ、うどんは、腰がのうて、ふにゃふにゃやわ。おまけに、屋号が、ハズレ屋て、そんな名前付ける店、ありまっか?「ひっぱりな」て、誰も、引っ張ってへんがな。うどん屋のおっさん、気持ち悪がってるわ。「“おかわり、つけまひょか?”と言わんかい。」て言うときながら、「もうエエ、もうエエ。」て、言わしなはんな。さあ、こっからが、最大のヤマ場。「一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、六つ、七つ、八つと。うどん屋、今、何時や?」「へえ、確か、五つでおまんな。」「六つ、七つ、八つ…。」と、三文損しよった。と、これがサゲになりますな。単に、「六つ、七つ、八つ…。」だけで、終わられる方も、おられますが。別に、どちらでもイイのですが、あまりにも有名なネタですので、そんなに、説明が要らないという意味でもあるんでしょうな。いらんこと言うよりも。この男が、うどんを食べに行ったのが、前日と同じ時刻やったら、話にはならんかったんですが、五つ、つまり、今の夜八時ごろやったことから、こんなことになったわけです。しかし、よう考えたある、話やね。

 上演時間は、十五分から、二十分前後。そんなに長くならない程度に、笑いをドッと取られるのが、良いものですね。やはり、寄席向きでしょうな。冒頭の、ひやかし帰り、都々逸の出てくる件りなんかは、いろんなもんに置き換えても、おもしろいでしょうし、また、全くカットされている方も、多いです。元来は、なかったもんなんでしょうかねえ?私も、詳しくは知りませんが。古い方のですと、故・桂文枝氏は、やっておられましたよね。というか、あれだけで、一席できるぐらい、わたしゃ、あの方の、あの部分が、好きやったんですが。ひょっとしたら、文枝氏が、作らはったんやろか?ごじゃごじゃ言いながら、うどん屋を見つけて、うどん屋をからかいながら、うどんを食べ出す。あの辺の呼吸は、トントンと、調子良く、運ばなければいけませんね。そして、うどんをおいしそうに食べる。あの場面見るだけで、うどん食べとなりますもんね。途中で入る、「ひっぱりな」、名文句ですわな。そして、食べ終わってからの勘定も、すらすらと。一番最初、子供の時分、あれ聞いたとき、すぐには、私も理解できませんでしたもん。それぐらい、巧妙なんですよね。後半は、ちょっと愚かしいほうの男が主人公。宵の口から、うどん屋探してるという、その、“宵の口”というのが、実は、サゲに通じる、キーポイントなんですがね。ほんでまた、当たったうどん屋が、しまりのなさそうな、味ないうどん屋。それにも増して、一人で、「ひっぱりな」をやってるんでっさかいに、そら、うどん屋のおやっさんも、けったいに思うたはりまっしゃろ。それから、勘定になって、サゲになる。

 とりあえず、最初から最後まで、笑いの多いネタですし、世間一般、広く知れ渡っておりますので、そんなに大層にも、思われない方のほうが、多いと思います。しかし、意外と、このネタは、スベリもしいやすいですし、当たりも大当たりになりますよね。下手にやると、全く、うわついてしまって、クスッとの笑いもありませんが、興に乗って、調子よく運ぶと、ドッとウケますな。大御所連がやられると、これがまた、新鮮ですし。そんなに、簡単なネタでは、ないとおもいますよ。誰もが知ってるだけに。

 東京では、『時そば』ですよね。これは、上方の『時うどん』が、流入したもので、そばに変わっておりますが、内容自体は、同じ物です。というよりも、『時そば』が、あまりにも有名になりすぎて、知れ渡ったというべきでしょう。ですから、上方に『時うどん』があることすら、知らない方のほうが、まだまだ世間には、多いのと違いますか?惜しいことですが。

 所有音源は、さいぜんも言いました、文枝氏、桂きん枝氏、桂南光氏、笑福亭福笑氏、故・桂吉朝氏、桂文我氏、桂坊枝氏、他に、笑福亭鶴志氏のものなど、たくさんの方のものを聞いたことがあります。やはり、印象に残ってるのは、あの文枝氏の、「ひっぱりな」。あの声でね。私の大好きなものの中の一つでもありました。昔は、花月なんかでも、よくやってはったみたいですし、テレビの時間が少ないときでも、出してはりましたが、さすがに、近年は、ちょっと少なかったですね。でも、私は好きでした。あの都々逸比べから、うどん屋のからかい、うどんをおいしそうに食べるところ、明くる日の失敗、どれを取っても、イイもんでしたな。多分、このネタのときは、最後まで、羽織脱ぎはれへんこと、多かったん違いましたやろか?正確には、覚えてませんねんけども。「ひっぱりな」で。きん枝のものは、意外と、キッチリしているもので、おもしろいのもおもしろいですが、正確な感じがしましたな。南光氏も、爆笑を取ってはりました。うどんが、おいしそうに見えて。福笑氏のものは、もう、爆笑に継ぐ爆笑ですわ。特に、「チュッチュ、チュッチュ」言いながら、箸で、もう一人の男を追い回すところなんか。時刻の説明なんかもあって、非常に分かりやすい、おもしろいものでした。吉朝氏のものも、爆笑を取っておられましたね。都々逸は、なしで、本当の、うどん屋だけで笑わせるという。つまり、最初から、二人連れではなくって、影で見ていた男が、明くる日にマネをするという演出で。それでまた、うどんをおいしそうに食べはること。『風邪うどん』なんかでも、そうですが。文我氏のものは、普通のものと、親子寄席での、子供さん相手のものも聞いたことがありますが、これも、うどんがおいっそうに見えて。あの、扇子を口でくわえて、割り箸を割るところなんか、いかにも、それらしくて、また、笑いを取っておられましたね。坊枝氏のものは、師の文枝氏ゆずりのものか、都々逸からして、笑いを取っておられ、これも、なかなかエエもんで、大笑いできますよ。鶴志氏のものは、そんなに変化に富んだという類のものではありませんが、調子良く、笑いを取られておりましたよね。

 一回、何かの時に、吉朝氏が、サゲの時刻を読むところで、噛んでしまわはったんを聞いてしまったことがあったんですよ。あれ、相当、悔しかったと思いますよ。あれだけ、順当で、爆笑やっただけに。そんな思い出も、ふと、頭に浮かんでしまいました…。

<17.12.1 記>
<18.3.1 最終加筆>


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