
それでは、お約束どおり、今月は、先月からの続きで、『こぶ弁慶』をお楽しみくださいませ。
さて、先にお風呂へ入りました、喜六・清八のお二人さん、風呂の底が抜けんばかりに騒ぎまして、上がってまいりますと、お膳拵えがでけたある。ここらが、旅の楽しみですな。一杯飲んで、お三味線のお姉さんを頼むという。言うてるところへ、「ちょっと、おじゃまを」て、隣りの部屋から。大阪もんというので、一座することに。すると、あっちからも、こっちからも、お膳持ってきて、一緒に飲み始めます。しまいには、「向うの部屋の十五人、割引で参加を。」て、団体割引やがな。部屋が狭いというので、襖を開け放ちまして、三つほど座敷ぶち抜いての大宴会。そこへ、お三味線のお姉さんが上がってきて、一つ陽気に、やっとやっと。と、下座から、これもおなじみの『負けない節』。「踊〜り〜踊るな〜ら〜」というやつで。さんざんに騒ぎましたあげく、「ちょっと怖い」と言うてる人がある。見ると、クモ(蜘蛛)ですわ。こんなけ人数が集まったら、人の気は様々で、皆それぞれに、怖いもの、嫌いなものがある。ムカデやとか、ヘビやとか。反対に、好きなもんも、いろいろ。ま、この部分、『饅頭こわい』と、ほとんど一緒なんですけどね。中に、寿司が好きと言うてる人もある。ほんなら、隣りの人も、おんなじように、すし。と違うた、“つち”。特に壁土。さいぜん、便所へ行った帰りに落ちてた、壁土がおいしそう。て、ホンマかいな?皆が不思議そうに見てるので、それでは、食べるとこをご覧に入れようというので、皆を引き連れまして、廊下の壁の崩れたとこへ。ちょっと味見してみるというと、これが類まれなき絶品の味。十年・二十年やない、五十年や百年は経ってるという。前に、本願寺さんで、こんな味を…。て、この人、どこでも、こんなことしてはんねやがな。皆が見てる前もあって、酒のせいもあってか、“こらうまい、こらうまい”と、この人、エエ加減でやめときゃよかったんでしょうが、お腹いっぱい、この壁土を食べてしもた。
と、明くる朝、皆はそれぞれに目的地へと、旅立ちますが、ここに一人だけ、エライことになった人がいる。夜前、壁土を食べた方ですわ。朝から高熱を発しまして、動くことができません。しばらくは、この宿屋にいておりましたが、ずっとこのままというわけにはいかんので、通しの駕籠を雇いまして、駕籠に乗って、京都へと。この方、京都の人で、綾小路麩屋町という、いたって、あやふやな所に住んでおります。て、別に、あやふやでも何でもないんですが、実際にある地名です。わたしゃ、京都に住んでますんでね。単なる言葉遊び、語呂合わせなんですが。数日は、気分が悪かったんですが、すっかりと治りまして、安心したような時分に、右の肩のところに、プツっと、なんじゃ、できもんのようなもんが、出来た。なんじゃいなと思うて、かゆいさかいに、かいたりしていると、これがだんだんだんだん、大きなってきた。しまいには、人間の頭とおんなじ大きさのこぶが、自分の肩にできまして、ここに、ぼつぼつ、目や鼻ができ、口が開いて、物を言うようになってきた。て、どエライことですがな。双頭みたいなもんです。一時、南米の奥地で、双頭のヘビがいるとか、流行りましたけど、あんなんでっしゃろか?紋章で、双頭の鷲とかありまっけど、あんな感じでもないんでっしゃろか?
「お〜い」と呼ぶので、聞いてみると、このこぶ、実は、武蔵坊弁慶。これまた、古風な。実は、あの岡屋半左衛門という宿屋さんの、壁土には、大津の絵師である、浮世又平という方が、一心不乱に描いた、この弁慶さんの絵姿が、塗り込めてあったんですと。有名な、吃(ども)の又平ですな。『猿後家』にも、ちょっとだけ出てきますが。歌舞伎や文楽にも、度々登場する。ま、最近は、体の不自由な方の問題がありますので、あんまり演じられないかも知れませんが。大津絵ですがな。民芸調の。三井寺の門前に、やったはるとこありますけれども。弁慶と釣鐘なんか、よう画題になって、大津絵で描かれております。あれが、塗り込めてあって、その塗り込められたのを無念に思い、再び、この世を源氏の御世にしたいと、心を砕く折に、この人が、この壁土を食べたことで、この人の体を借りて、世間に出て来たんですと。日に、飯は二升、酒は三升、女郎買いにも連れて行けて。うわぁ、しかも、よりにもよって、あの豪傑の弁慶ですがな。せめて、義経さんぐらいやったら、おとなしいに、してくれはったのに。
正体が知れるというと、もう、この人にはお構いなし。この人の手や足、体の全てが、弁慶の思うままに動くようになる。となると、本人さんは、病気にでもならな、しょうがない。ところへ、友達が尋ねてくる。お見舞いに。弁慶が寝ているのは、幸いで、事情を話す。医者に見せたが、見立てがつかん。て、そら、当たり前や。しかし、その友達が言うのには、医者や薬では治りそうもないので、神仏の力では?つまり、願掛け。京都に住んでるもんの得で、蛸薬師さんへ、蛸を断ってお参りしたら、どんなイボでも取れるという。そやさかいに、こぶやといわずに、イボにして、日参してみては、どうやと。そら、それぐらいでないと、こんな、けったいな病気、治りまへんわなあ。
と思いながら、この人、明くる日から、蛸薬師さんへ、日参を始めます。今でも、新京極にありますわな。蛸薬師通りという通りの名前にも、使われております。『京名所(三十石)』の中にも、この蛸薬師さんの由来が、あんまりあてにならん程度に、出てまいりますが。昔々、ここに京都では有名な、『富貴』いう寄席があったんでやすけれども。今日しも、参詣を済ませまして、下向道、ちょうど夕景、あちらこちらで撞きます入相の鐘が、聞こえてまいります。「亀井・片岡・伊勢・駿河、君の御供なして、一の谷へ。急げや、急げ。」て、急に弁慶が大きな声を出す。陣鐘と、間違うてはんねやがな。戦陣の、戦(いくさ)の時の鐘とね。ビックリしながら、寺町へとかかってまいりますというと、向うからやってまいりますのは、お大名のお行列。京都は、王城の地でっさかいに、「下に、下に」とは、申しません。「控え、控え」と、制し声を使います。金紋・先箱・大鳥毛、行列美々しく、「控え、控え〜」。と、ここで、大名行列でっさかいに、下座から、『大拍子』が入ります。いろんなお侍が通りますが、それとはまた別に、「どうぞお静かに」と言うて、紋付着て、なだめてる町役のような方もいる。見ると、炭屋のおやっさん。しかし、なんじゃ、けったいなとこに、こぶがある。町内の人がいうのには、この前、あの炭屋へ、べっぴんのおなごしが来て、おやっさんが、夜這いに行ったて。ほんで、そのおなごしに、箱枕で、ゴ〜ンといかれて、こぶがでけたんやと。しかし、人に聞かれたら、面目ないので、棚の上のもん取ろうとしたら、上から金づちが落ちてきてということにしてあるということ。これをおもしろがって、町内の若いもんが、「おやっさん、こんなとこに大きなこぶが、でけてまんな。」「いやあ、年は、とりとうもないもんで。棚の上のもん取ろうと思うたら…」「上から、おなごしが落ちてきて…」て、おもろいでんなあ。
と、ごじゃごじゃしてるうちに、行列が、当の弁慶の前に。しかし、弁慶は、頭を下げるようなこといたしません。大名行列に暴れ込んで行きます。『景清』と、同じ演出で。ツケが入りながらの、立ち回りでございます。右へ左へと、侍連中を投げ飛ばし、掴んでは、空中へ放り投げる。放り上げたんと、落ちてくんのが、途中で会うて、挨拶しとおる。「ご貴殿は、お上りか?」「貴殿は、お下りですか?」てなもん。て、んなアホな。とうとう、お殿様のお駕籠までやってまいります。棒鼻へ手をかけますと、「乗り物、待〜て〜」と、見得を切りまして、「我が名が聞きたくば、名乗って聞かせん。耳をさらえて、よく承れ〜。」と、下座から『一丁入り』。いうても、志ん生さんは、出てきまへんが…。豪傑でっさかいに。ここで、弁慶の名乗り。クライマックスの見せ所で。すると、お駕籠の戸がスーッと開きまして、お殿様、「我が行列の妨げをなす、けしからん奴。新刀の試し切りにいたす。」「しばらくお待ちを。これは、私ではございません。こぶの弁慶がいたす所存で。言うだけ言うたら、また、グーッと寝ております。どうぞ、命ばかりはお助けを。昼間のことでございましたら、ご威光にもかかわりましょうが、何分、夜分のことでございますので、どうぞお見逃しのほどを。」「昼間なら、まだ勘弁いたそうが。夜のこぶは見逃せん。」と、これがサゲになりますな。“夜の昆布は見逃せん”という、風習というか、ことわざというか、これが元になっております。夜の昆布は、“喜ぶ”につながるらしいのでね。夜分に出て来た昆布は、食べとかないかんのですよ。今でも、たま〜に、飲み屋はんの、乾きもんに、おしゃぶり昆布みたいなんとか、揚げた昆布なんか出てきますけども、ちょっとつまんどかなね。ま、最近は、あんまり聞かなくなりましたので、ほとんどの方は、サゲを変えられますね。お殿様の肩に、義経公のこぶが出来ていたとか、相手が弁慶だけに、手打ちは、義経(よしとけ)にしておけとか、お殿様が国元へ持って帰って、見せしめにするので、こぶがだしに使われるとか。いろいろと工夫されております。ちょっと、“夜のこぶ”が、分かりづらく思えますのでね。
上演時間は、『こぶ弁慶』だけですと、二十分ぐらいで出来ますけれども、先月の『宿屋町』の部分から、この『こぶ弁慶』まで続けてやられると、やはり、三十分以上、四十分ぐらいは、かかりますね。しかも、好きなもん、嫌いなもんの所を、引き延ばしてやろうと思えば、随分長くなりますし、また、大名行列の描写も、克明に長くやろうと思えば、できますし。ま、とりあえず、全部続けて、お一人で演じられるのであれば、聞き応えもたっぷりありますし、時間の余裕のある、落語会向きですな。前半・後半で、演者が変わって、リレー形式になるということも、昔の寄席では、あったらしいのですが。全編通して、笑いも多く、筋の運びもありますし、サゲの前に大盛り上がりがあって、どちらかというと、派手なネタではありますな。私は、個人的に大好きなネタです。とりあえず、今月分の『こぶ弁慶』だけの内容ですと、宿屋さんで一杯飲んで、知らんもん同士が盛り上がる、なかなか楽しいもんですな。昔の旅て、往々にして、こんなこともあったのでしょうねえ。好きなもん・嫌いなもんの部分は、『饅頭こわい』があるせいもありますが、そんなに大げさでなくっても、話の流れからいくと、十分に楽しめます。しかし、そんな中でも、土好きて。そんな人、いはる?なんか、昔は、子供の疳の虫封じにエエとか、妊婦さんが食べはるとかいうてはった人も、いはりましたし、『やかんなめ』とかいう、けったいな噺もありまっさかいになあ。それでも。ほんでまた、土を言いたいがために、先に寿司を出すというのも、心憎い。綾小路麩屋町も、そうですわな。あやふやが、言いたいて。おもろいですけれども。しかし、壁土の中に描かれていたのが、これまた弁慶て。話の中にも、寝ている所がありますが、どうも、この弁慶、よう昼寝は、しはるみたいですわ。そやさかいに、たまたま、蛸薬師さんの日参が遅れた日、夕方になってなってしもて、鐘で起きて、大名行列に暴れ込んでしまって、サゲが、夜のこぶになるという。ここも、実は、時間の経過を、よう計算してあんねやね。頭が二つあるという、無茶苦茶な、考えられないような内容の中にも、キッチリしてある所も、多分にあるという。この辺が、落語のおもしろさでもありますね。よう、でけたあるわ。ちなみに、現在、蛸薬師さんの面している新京極の通りは、明治の初年に一大歓楽街として造営されたもんでっさかいに、この主人公が、寺町通りを通るのも、当然なのですね。お行列が出てきてからの、近所の人の噂話、あれ、おもろいですわな。こぶつながりで、あんなん、入れてあるんでしょうけど。話の流れからいくと、別に、いらんといえば、いらんかも知れませんが、そやけど、入れといて欲しいですわな。そして、最後の見せ場で、大立ち回りから、弁慶の名乗り。もう、聞いてて、ゾクゾクする場面です。好きですにゃわ。大津の宿に、岡屋半左衛門さんという宿屋さんが実在したかどうかは、私は知りませんが、ただ、この話、一応、宿屋さんに泊まって、明くる日に出立する所から、話の主人公が、喜六・清八から、この、こぶの出来た人に変わりますので、ご注意のほどを。
この『こぶ弁慶』の部分も、東京にあるのかどうか知りませんが、私は、聞いたことがありません。また、実は、私、『宿屋町』と『こぶ弁慶』で、『こぶ弁慶』として、また、『宿屋町』単独では、聞いたことがありますが、『こぶ弁慶』単独だけで、一席となって、聞いたことがございません。レコードなんかの、各種音源では、単独でやられているものも、あるみたいなんですが、まだ、めぐりあっていないのですね。所有音源は、故・桂枝雀氏で『宿屋町・こぶ弁慶』、故・桂吉朝氏で『宿屋町』『宿屋町・こぶ弁慶』、月亭八天氏で『宿屋町』などがあります。枝雀氏のものは、やはり、大爆笑ですわ。お若い時分の頃のものから、晩年のものまで、いくつかありますが、それぞれにまた、おもしろさがありますな。年代によって、いろんなものが入ったり、また、抜かれたりして。サゲも、いくつか変わっておりますね。お若い時分は、得意ネタにもしておられたらしく、売り出しネタでもあったようで、パワフルですな。ま、この力強さは、最後まで変わっては、おりませんが。とにかく、爆笑の連続で。特にといいますと、鯛とハモの言い争いとか、土を食べる所、そして、なんといっても、最後のヤマ場。弁慶の名乗りですな。わたしゃ、大好きなもののうちの一つです。吉朝氏も、得意ネタ、そして、これで売り出されたネタで、よろしな。時間のないときは、軽く、『宿屋町』だけでも、やってはりました。それでも、十分に堪能できるくらい、すばらしいものでございましたな。本当に、早く亡くなられたのが、惜しい限りで。八天氏のものも、おもしろかったですよ。地の部分の、おなごしさんの説明部分だけで、もう、おかしくて。たしか、師の月亭八方氏から、じかにお稽古があったとかで。その八方氏も、師の月亭可朝氏からとかで、前に、MBSの『特撰!!落語全集』で、しゃべってはりましたな。
やっぱり、壁土は、食べんほうが、よろしよ。今度、大津絵で、藤娘やとか、なまずになったら、困りますもん…。
<18.3.1 記>
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