
リンクページでも、ご紹介しておりますが、私、仕事の一貫で、親子丼してますねん。普段は、ひま〜なもんですけど、桜の時期だけは、忙しいんです。店の前が桜並木なんでね。今年は、長いこと咲いてたせいもあって、たくさんの方に来ていただき、この場をお借りいたしましても、御礼を申し上げておきます。あんまり、儲かる仕事では、おへんねけど…。で、予想以上に使ってしまったものが、一つだけあるんです。お米。年に数回は、敦賀の農協さんまで、直接、買いに行って、精米してもらうんですけどね。そんなことで、今月は、『米揚げ笊』を、お届けいたしましょう。
あいも変わりません、ぶらぶらしている男を、一枚引っ張り出しますというと、お笑いが多そうで。いうても、『祝いのし』違いまっせ。甚兵衛はんに呼ばれて、家へ上がってくる。「うちの奴、行たかい?」「へえへえ、さいぜん、うちの奴来ましたけど…」「そない言うたら、どっちのカカか、分からん。」「ちょうど幸い、一緒に使おう。」て、ま、一連の件りですわな。仕事を世話してやろうということ。ありがたいことですなあ。天満の源蔵町に、笊屋重兵衛さんというお家があって、笊の売り子を世話して欲しいと、頼まれてるて。漢字で書きますと、笊。つまり、今でいう、“ざる”。昔、関西では、これを“いかき”と、呼んでたん。『舟弁慶』の焼豆腐のところとか、『猫の忠信』の真田の抜け穴のところとか、いろんな落語の中に、“いかき”で登場します。本人さんに聞いてみると、今からでも行ってみるとのこと。“思い立ったが吉日”で。そうそう、“出た日が命日”。縁起悪いなあ〜。書き付けを一つ持たされましたが、“男というものは、三言しゃべれば、氏素性が現れる”、“言葉多きは、品少なし”ということで、委細はお手紙でと、いらんことは、しゃべらんようにと言い付けられます。“男のしゃべりは、みっともない”、よう言われましたわ…。しかし、源蔵町へ行く道筋は?「ここの表を難波へ出て、南海電車に乗って…」とか、「紀州街道を南に…」て、それでは和歌山へ行ってしまうがな。「和歌山から天満へは、行けまへんか?」て、また、団子理屈で。ここら、『池田の猪買い』と、同じ趣向ですね。「分からなんだら、たんねて行きなはれ。“問うは当座の恥、問はぬは末代までの恥”てなこというたある。ここの表が丼池(どぶいけ)筋や。これをドーンと北へ突き当たる。」「デボチン打つわ。」「丼池の北浜には橋が無い。」「昔から無い、いまだに無い。これ一つの不思議。」「何の不思議なことがあろう。“橋無い川は、渡れん”てなこと言おうがな。」「渡るに渡れんことおまへんで。船で渡るか、泳いで渡るか。」「それでは、事が大胆な。」「ほたら、どないしょう?」て、なかなかテンポのエエとこですわ。「一丁東へ行くと、栴檀(せんだん)ノ木橋というのがある。」「これを渡りまんねやろ。」「いや、これは、渡らへん。もう一つ行くと、浪花橋という橋がある。」「これも、渡りまへんねやろ。」「いや、これを渡るねや。」て、ここもおもろいとこ。この橋を渡った所が、天満の源蔵町で、笊屋重兵衛さんを尋ねたら、分かるということ。この掛け合い、笑いどころですな。
表へと出まして、ぶつぶつ言いながら歩き出しますが、“問うは、豆腐屋の損で、問わなんだら、松茸屋の損”、“研ぐは、研ぎ屋の錆びで、研がなんだら、真っ赤いけの錆び”て、どっから、こんなもん、思いつきまんねん?しかし、たんねて行きなはれと言われると、いっぺんは、誰ぞに聞きたいもん。こんなん聞くのんでも、落ち着いてる人に聞いたら、時間かかってしょうがないので、なるべく忙しのう、したはる人に。「ちょっと物をおたんねを。あんた、えろう、せいてなはるな。」「ちょっと心ぜきですが。」「何が心ぜきでんねん?」「うちの家内に、気(け)がつきましてん。」「ケツネが。」「違うがな。産気でっしゃないかいな。」「どこへ参詣しなはる?」て、おもろいでんなあ。「子供が産まれかかってまんので、産婆はん呼びにやるので、せいてまんねん。」「ほんなら、物をおたんねを。」て、けったいな人や。はよ、行かしたげたらエエのに。「あんた、丼池の甚兵衛はん、知ってなはるか?」「知らん」「知らんて、わて、この前、向うで、まむしよばれた。」て、鰻丼ですわ。ごはんとごはんで、鰻をまぶすという。そんなこと言うたかて、見ず知らずの人が、甚兵衛はん知ってるほうが、怖いがな。「へえへえ、知ってます。」言われたら、そのほうがかえって、ビックリするわ。『住吉駕籠』の、河内の狭山の治右衛門さんの孫やないにゃし。ここで、先ほど甚兵衛さんの教えてもらった道筋を言い出して、「そこへ行くには、どう行たら、よろしい?」て、そのまま、言わはった通りに行ったらエエがな。もういっぺん、誰ぞに…。また、急いでる人を見つけて、「ちょっと、物をおたんねを。」「なんじゃな、ちょいちょい。」て、おんなじ人ですがな。おもろいなあ。
あっちで尋ね、こっちで尋ね、やってまいりましたのが、天満の源蔵町。今でも、町名が使われているのかどうか、わたしゃ、京都の人間で、ようは、知りませんねやが、『菅原伝授手習鑑・寺子屋』に出てくる、武部源蔵からきてるんでしょうなあ。ここで、また物をたんねます。「ちょっとお聞きしますが、笊屋重兵衛さんのお家は、ご存知ですか?」「笊屋重兵衛なら、手前じゃが。」「拍子の悪い、何軒ほど手前で?お留守ですか?」て、ここも、『池田の猪買い』と一緒ですな。しかし、主人公が用事を何にも言わんので、不思議がって聞いてみると、男のしゃべりはみっともないので、委細はお手紙でと。その手紙を出すのん、忘れてるて、よっぽど慌てもんですがな。「お掛けやす」と言われても、でんぼが出来てるし、薬飲んでる関係で、お茶が飲めんし、タバコも吸わん。てなこと言いながら、「笊の売り子がいてるそうですなあ。入ってもろとくれやす。」「もう入ってまんねん。」て、この人やがな。おもろいなあ。早速、今から売り歩きに。品もんは、四色。大豆、中豆、小豆に、米を揚げる米揚げ笊と。目の粗さなんかが、違うんでしょうなあ。私ら、実際には、知らないので、ご勘弁のほどを。何で、外へ振り売りに出るかというと、はんぱもんなんですな。二八(にっぱち)というて、二月と八月に切った竹は、どうもないんですが、他の月に切った竹は、竹に粉が付くん。嫌がる方が多いので、店では売れへんし、外で売り歩く。これも、上から二つ三っつ、ポンポンと叩くと、粉が荷の中へ落ちる。“つぶれるような品もんと、品もんが違います。”と言いながら。うまいこと考えたある。やっぱり、商売ですな。しかし、この二八の粉の話は、ホンマなんでしょうかなあ?これも、知りませんねやが。二八いうたら、私ら、一年でも、最もお客さんの少ない、暇な月のこといいますけどねえ。値段も書いてもろうてあって、格好はモーニング?て、たいそな。尻からげの一つもして、大きい声で「いかぁ〜き」。庭で声出して、笊屋はんが、笊買いまっかいな。外へ出て、「いかぁ〜き」。これも、買えへん。近所は、直接、店に買いにきはるがな。
「いかぁ…」と、なかなか往来の真ん中で、声て、出にくいもん。こんな商売、初めてですもんな。それに、建て前、つまり、売り声を聞くのん、忘れてた。この辺は、『崇徳院』とか、『厄払い』なんかでも、よく分かるところです。稽古しているうちに、「大豆、中豆、小豆に、米を揚げる米揚げ笊」と、なかなかエエ節回しになってきた。大きな声張り上げまして、やってまいりましたのが、堂島。昔は、米相場の立ったところで、エライとこやったんですな。日本中の米の値段は、この堂島で決まったんですもん。そら、相場師の権威たるもん、相当なもんですわ。豪快な金持ちなんかも、多かったそうで。『住吉駕籠』に、ジキの名でも、出てきます。“朝の一声は、天から降る。”てなこといいまして、強気の方は、昇る・上がるという言葉を喜び、弱気の方は、下がる・下るという言葉を喜ぶ。つまり、相場が上がって得をする方と、下がったほうが得をする方がね。強気も強気、カンカンの強気の店の前へ出まして、「米を揚げる米揚げ笊」と、どなったもんでっさかいに、こら、一騒動。主人に呼ばれた番頭はんも、頭が下がるので、そっくり返って、返事をする。早速に、笊屋を家へ呼び入れますが、これも手先が下がるといかんので、すくうて呼ぶ。「暖簾が邪魔になる。はずしたろか?」「暖簾は頭で、上げて入る。」て、また縁起よろしい。「みな買うたるぞ」「お家へ放り上げる」「気に入った。小遣いや。」「飛び上がるほどうれしい。浮かび上がります。神棚へ上げて、拝み上げとります。」と、いよいよもって、ホンマもんになってきた。「兄弟は?」「上ばっかし。兄と姉で。姉のほうは、上町の上汐町(うえしおまち)の上田屋右衛門いう、紙屋の上の女中務めとります。」嬉しい言葉ばっかりでんな。「兄は、京は、高瀬のずっーと上のほう。高田屋高助いう、背の高い、鼻の高い、威高い(いだかい)、気高い(けだかい)男でおます。」こうなったら、この方も、家や屋敷に別荘までやると。そら、大層な喜びよう。「この前、便りがあって、今、いる所は、上すぎるので、ニ・三丁下がった所に、宿替えすると…。」さあ、エライこと言うてしもた。おまけに、「お気に触ったら、頭を下げて…」て、余計、いかんがな。そばで見ていた番頭はんが、割って入りまして、「相場というものは、頂上の見えんもんだっせ。トントーンと上がったところで、二・三丁下がります。そこで初めて、“ああ、あそこが頂上やったんやなあ”と、分かります。旦さんみたいに、そうドンドンドンドン上がるばっかりでは、高つぶれに、つぶれてしまいますがな。なあ、笊屋はん。」「アホらしい。つぶれるような品もんと、品もんが違います。」と、これがサゲになりますな。番頭はんが、助け舟を出してくれはったんですけれども、相場のつぶれると、白い粉を叩き落すところでの、“つぶれるような…”が、かけてあるんですな。なかなか、うまいこと考えたあるサゲで。
上演時間は、十五分から二十分前後ですかね。寄席では、よく演じられるネタですな。笑いもギャグも、豊富ですし。前座ネタのようにされてもいますが、結構、大御所連が得意で、やったはります。最近は、少し、以前ほど、上演頻度が多いようにも思えませんが、それでも、人気のネタですし、私も、好きなネタです。前半の、甚兵衛さんとのやりとりは、落語の中によく出てくるもので、仕事の世話。今回は、笊の売り子。それで、手紙を書いてもらって、天満へ行く道筋を教えてもらう。この辺りから、ことわざといおうか、言い回しといおうか、その類のものが、たくさん出てきますね。それも、昔風で、上方式の。今では、ほとんどが、ことわざも、東京式になってしまっているみたいなんでね。それを知る上でも、貴重な言い回しですな。この道筋を教えてもらうところから、表で人に聞くところ、さいぜんも言いました、『池田の猪買い』と一緒ですが、おもろいでんなあ。好きな部分の一つです。初めて聞いた時は、腹抱えて笑いましたもん。そして、笊屋重兵衛さんとも、おもしろいやりとりがあって、早速に売りに出る。しかし、この商売のポイントを教わるところ、粉を叩き落すなんて、いかにも、上方的な発想で、商売ですなあ。この辺は、やはり、大阪独特で。うまいこと節が付いて、やってくるのが、堂島の米相場師の家。これも、大阪ならではで。調子良くしゃべりすぎて、結局は、失敗してしまうのですが、そこで番頭はんの、はからいがあって、サゲと。このサゲのところ、「つぶれるような品もんと」で、扇子をポンポンと叩いて、「品もんが違います」と言う、間というか、呼吸というか、最高ですな。この落語、最初から最後まで、全編通して、テンポよく、トントンと進むと、非常に効果が上がるのです。掛け合いというか、受け答えというか。最後の、このサゲまで、“ポンポン”で、調子がイイという、このネタを象徴しているような終わり方ですわ。
東京でも、あるんでしょうけれども、ほとんど聞きません。上方ネタですな。所有音源は、故・六代目笑福亭松鶴氏、故・桂文枝氏、他に、故・笑福亭松葉氏(七代目笑福亭松鶴氏)のものを聞いたことがあります。松鶴氏は、やはり、良かったですな。この方のは、そんなにテンポが良くて、トントンと運ぶタイプのでは、なかったのですが、それがまた、おかしくて、おかしくて。あまりに堂々としておられる大御所の割りに、細かい細かい、ちょっとした言葉が、たまらん笑いのツボに入り込みますねや。ほんでまた、声が大きい、大きい。MDでも、音割れるぐらいに、笊屋はんの売り声が入っております。時間の関係か、何の関係か、サゲの手前、「下がるという言葉を言いまして、しくじりをいたします。」で、切られているものもありました。文枝氏も、おもろいでんなあ。こちらのほうが、やはり、テンポ良く、流れがスムーズであります。しかし、この方のも、声が大きい。ほんま、世間でいうたら、アホ声の類でっせ。別に、このネタは、声の大きくするネタではないと思うんですが、しかし、演出上、それが常套なんでしょうかねえ。とりあえず、お二方とも、大御所だけにか、かえって、おもろかった。松葉氏のものは、残念ながら、読売テレビの『平成紅梅亭』の時の模様だったと思いますが、もうすでに、体調を悪くされていたせいもあって、途中から声が出なくなり、大変に、かわいそうなものでした。今言ったように、声を張り上げるがために。本当に、惜しい人でしたな。完全版を、聞いておきたかった。
これねえ、たまに、風呂入った時に、叫びたくなりますねん。「米を揚げる米揚げ笊」
<18.5.1 記>
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