
先日、車で、滋賀県の信楽方面に行きました帰りがけ、いつも通る道なのですが、大津は、瀬田の唐橋の、橋のたもとの信号で、停まりましてん。ちょうど、朝からの小雨がやんでおりまして、車の中から、信号待ちの間にしろ、その風景を見ておりますと、やはり、自然の美しさを感じますね。と、その間、ほんの数秒でも、思ってしまったのがきっかけで、今月は、その瀬田夕照(せたのせきしょう)にちなみまして、『近江八景』というお話を。ちなみに、先に言うときますが、この落語、近江八景が舞台で、滋賀県での出来事を取り扱うという風な、そんなものではございません。また、関西一円にお住まいですと、ご承知かとは思いますが、近江八景とは、瀬田夕照(せたのせきしょう)・石山秋月(いしやまのしゅうげつ)・三井晩鐘(みいのばんしょう)・粟津晴嵐(あわづのせいらん)・堅田落雁(かたたのらくがん)・矢橋帰帆(やばせのきはん)・唐崎夜雨(からさきのやう)でございますね。
昔の夜店やら、露店・縁日なんかになりますというと、必ず一人は、易者はんちゅうのがいてなはる。今でも、街角なんかに出てはる人は、ちょこちょこいてはりますし、“○○の母”なんて、有名になったはる方も、おられますね。たいがいが、この、机の上に四角い行灯かなんか置いて、中にろうそく立てまして、じっと座って、本読んでるてな光景が、通り相場の現在ですが。もっとも、数年前、私、家の近所ですが、四条京阪の前あたりで、一回、呼び止められたことありましたわ。「どうですか?」言うて。ぎょうさん人の通ったはる所で、それまで、黙って、本読んではった、若い女の易者はんが、私が通った時だけ、声かけはるて、これもおかしな話で。慌てて、飛んで逃げて帰ってきましたけれども、いまだに、この謎が解けまへんねやがね。やっぱし、おなじく、四条通りで、うちの近所のおっちゃんが、暇そうにしてる易者はんに、見料も聞かんと、占うてもろて、“お釣りなんか持ってへんやろう”という腹づもりで、一万円出したら、ちゃんと、釣り持ってたというような話もありますねん。そういえば、これも、近くですが、朝早く、○○神社に、散歩がてらに参拝に行ったところ、境内の隅のほうに、軽トラックが着きまして、見るからにあやしげな、ヤ○ザ屋さんと思しき人が、テント組んで、その中に、どっから現れたんか、着物着た易者はんが座らはった現場を目撃してしもた、なんてこともありましたわ。
ま、そんないらんことは、エエとしまして、昔の易者はん、いろんな道具を並べまして、お客を呼び込んでおりますな。「今日は師匠の十三回忌じゃによって、見料は半額、手の筋はタダじゃ。」と。見物の一人が、「こら、下手でっせ。この前、天王寺さんでも、“師匠の十三回忌”言うてた。」「そら、わしではない。」「いいや、そこにホクロがあった。」「そっちから人相を見るな。」て、そらそやわ。「一歩も後へは寄らんぞ。」「寄れんはずや。後ろが溝や。」おもろいなあ。「お前は、泉州堺、包丁鍛冶と見たが、どうじゃ?泉州堺は、軒が深いので、でぼちん見たら分かる。口元見たら、上が出刃で、下が薄刃じゃ。」て、エエかいな。「お前は、東成郡大今里村、弥右衛門の倅で、弥助じゃな?笠に書いたある。」て、これこそ、八卦やおまへんがな。
てなこというてると、出てまいりましたのが、二人の男。一人が、八卦を見てもらおうと。松島のおやまはん、お女郎さんのことですわ。エエ仲になりまして、来年三月に、年季が明けたら、この男の所に来るという約束がでけたある。それがホンマかどうかを、見てもらおうということ。しかし、連れの男、この前、松島へ行て、その時の相方が言うには、その際に、向うから来る男が、紅梅さんのホンマの間夫(まぶ)やと。つまり、この男とは別に、ホンマにエエ仲の男がいると。その男ちゅうのは、役者にもないエエ顔してて、その紅梅が、年を伸ばしてまでも、貢いでるて。それに引きかえ、この男、おもろい顔やなあ。と、ここまで言いますと、もう辛抱ならん。首をかけてでもと、易者はんに見てもらう。スッと見ただけで、「女のことやな」て、当たってまんがな。しかも、玄人でも、おやま。となると、見てもらうほうも、釣り込まれて、話し出す。親方の家へ集まった晩に、皆で松島へ繰り込んだ。総初会の馴染みなしで、こっちの数と、向うの数が一緒。くじ引きで、相手を決めた。それが、さいぜんの紅梅さん。通い続けているうちに、数ヶ月前、来年三月に年季が明けるが、家へ帰るわけにもいかず、嫁にもろてくれはる人も、いはれへん。ちゅうさかいに、この男が引き受けたと。易者はんの道具を壊さんばかりに、意気込んでおりますな。
この男の歳も聞きまして、早速に、易をたてる。易の表は、沢火革(たっかかく)。沢辺に燃ゆる火が、勢い盛んに立ち昇るという、上々吉の易。しかし、これが変ずると、水火既済(すいかきせい)となって、あまり良くない。この女には、間夫があって、急にそこには行けないので、一旦、この男の所に来てから、それから、またその間夫の所に行くと。つまり、騙されるて。この易の部分、本当にこんな言葉があるのか、私も、よくは知りませんが、案外、ウソの少ない落語の世界ですから、本当かも分かりませんね。そういえば、『人形買い』にも、おんなじような言葉が出てきますが。私の知り合いの人で、大学の先生ですけれども、自分で易を見はる方がおられまして、こんな風な言葉は、言うてはったように思うんですけど。話戻りまして、この男、これぐらいでは納得がでけん。女からの手紙を取り出します。「一つ、金一円五十銭也…、相流し申し候。」て、質屋の書付や。間違うてるがな。文を読みますというと、“恋しき君のおもかげを、しばしがほどは、三井もせで、文の矢橋の通い路や、心堅田の雁ならで、我唐崎に夜の雨。濡れて乾かぬ比良の雪。瀬田の夕べと打ち解けて、堅き心は、石山の、月のかくるる恋の闇。粟津に暮らす、我が思い、不憫と察しあるなれば、また来る春に近江路や、八つの景色に戯れて、書き送り参らせ候。かしく。”と。なかなかウマイこと考えたある。近江八景を読み込んだ手紙ですな。すると、この紅梅さんちゅうのも、わりかし、学のある方ですやろか?しかし、これに注釈をつける易者はん。「最初、先の女が、比良の暮雪ほども白粉(おしろい)を塗り立てたのを、お前が一目、三井寺より、我が持ちもんにせんものと、心矢橋にはやって、唐崎の夜の雨と濡れかかっても、その女は、石山の秋の月じゃによって、文の頼りも堅田より。それに、お前の気が、そわそわと浮御堂、この女も、根がどう落雁の強い女じゃ故に、とても瀬田いは、持ちかねる。こりゃ、いっそ、粟津の晴嵐としなさい。」て、これもなかなかの名文。近江八景を近江八景で返すとは。「おおきに、ありがとう。」「こりゃこりゃ、見料を置いていかんか。」「アホらしい。近江八景に、膳所は、いらんわい。」と、これがサゲになっておりますね。お金の意味の“ゼゼ”と、近江の地名であります、“膳所”がかけてあるんですな。ここも、風光明媚な土地なんですが、近江八景には、入っておりませんのでね。しかしまあ、何と、粋なサゲやおまへんか。言葉遊びとは言いながら。しかし、関西一円なら通じますけど、地方で、知らない方なんかは、何のこっちゃ、さっぱり、分からんかも知れませんけども。マクラで、先に、近江八景を説明される方も、おられますね。また、『掛取り』の、芝居好きな、醤油屋はんの言い訳にも、使われております。この近江八景の手紙の文句も、少し重複する部分が、あるのは、あるんですが。
上演時間は、十五分から二十分程度、爆笑はないかも分かりませんが、適度に笑えますな。というよりも、どちらかというと、小品な、あっさりとした、粋な感じがします。どちらかというと、調子良く運んでいくタイプの話でございましょう。寄席向きでございまして、笑いと笑いの間に、こんなネタが挟まると、これまた、一段と、エエ雰囲気になりまして。前半部分の、占いの主人公が登場するまでは、マクラのようで、大道での雰囲気をよくあらわしておりますね。一人ずつ、細かいギャグや笑いがございますが、大笑いでもなく、かといって、全くおもろないわけでもなく、おかしみが出ているといったところでしょうか。話の本題からいくと、別に、ひっつけてある必要性は、ないように思えて、実は、ここもはずせないという、何ともいえん部分ですな。でも、要るんですよねえ。後半からが、いよいよの、おやまはんが来るか来んかの、占い部分。この辺の話も、昔ですと、よう分かったんでしょうけど、私も、実際には、知りませんのでね。しかし、易の見立てでは、一旦、この男の所へ来て、それから、本題の間夫の所へ行くという、これも、なかなかようでけたある話。そして、近江八景を読み込んだ手紙を見せて、今度は、それを受けて、易者はんが、これまた、八景づくしの易の解釈。粋なもんどすなあ。しかし、両方とも、お客さんに、ある程度、意味が分かるように、読み込みの部分を、しゃべらなければなりませんね。そして、“膳所はいらん”と。うまいこと考えたあるわ。昔の人て、ホンマ、こんな言葉遊びは、ウマイですよねえ。
東京でも、あるんでしょうか?私は知りませんが、やはり、近江八景自体が、一般常識として、知られては、いませんので、そんなに、ポピュラーなものではないでしょう。関西でも、最近は、知ら〜らへん人、いはるんちゃう?所有音源は、故・橘ノ圓都氏、桂米朝氏、故・桂文紅氏などのものがあります。圓都氏から、それぞれ諸氏に伝わったものなのでしょうが、やはり、易者はんに、独特の味がありましたな。淡々としたしゃべりの中に。だいたい、この手の、お侍やとか、お医者さんであるとか、どちらかというと、世間からは、難しいと思われているタイプの職業の人のしゃべりは、ウマイですもんな。また、ほんで、それらしく聞こえること、聞こえること。米朝氏も、易者はん、そして、後半に出てくる主人公の男、その両方共に、焦点が合っておりまして、おかしみのある、粋なもんですわいな。文紅氏は、お若い時の録音のものか、どちらかというと、占ってもらうほうの男が、おもしろかった。この、何というか、廓遊びの雰囲気があるというか。
どちらにしろ、あんまり流行るネタでは、ありませんわいな。大笑いもないし、近江八景知らなんだら、何のこっちゃ、意味も分からんし。でも、こんなん、私は、好きですねんわ。
<18.6.1 記>
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