
できました、できました、天満天神繁盛亭。9月15日に。待ちに待った、上方落語の定席。落語の小屋。いつ行っても、落語が聞けるという。うれしい限りですわ。東京では、まだまだ残っておりますのでね。私も、寄附したかったんですが、しようしようと思っているうちに、今になってしまいまして、結局、出来ずに…。というか、寄附は、まだ受け付けてはるのやそうですけれども。ホンマ、いっぺん、行かなあきまへんわ。ま、落ち着いた、来年の二月ぐらいに。と、陽気なことばかりでもございませんで、文楽の人形遣い、人間国宝の吉田玉男さんが、お亡くなりになられました。こちらのほうも、衝撃でしたのでね。あの、『菅原伝授手習鑑』の、天拝山の段なんか、思い出しますわ。て、わたい、ちょっとけったいな所、好きですねん。ま、今月は、浄瑠璃に関するところで、『寝床』なと、どうでしょうか?
主人公は、ある大家の旦那さん。今日は、浄瑠璃の会を開くというので、声の調子を…。「金だらい持ってきまひょか?」えづいてんのん、違いまっせ。今日は、久七どんが、町内を触れ回って、お客さん、浄瑠璃の会に来てもらう人を言うて歩いたと。この前、提灯屋さんに、言いに行くのを忘れて、会が終わった後に、さんざんに、聞きたかったと愚痴をこぼされたので、今日は、一番に知らせに行ったと。すると、三ヶ町いっぺんに、祭りの提灯の注文があって、今日はもう、夜通し、提灯貼ってんならんというので、よろしゅうお断りと。そら、しょうがない。商売ですからな。また、日を改めて、さしで、ゆっくりと語ってやりましょうかと。次は、豆腐屋さんへ知らしに行って来たと。するとこれが、親類に法事があって、油揚げ一切を引き受けてしもたんですと。厚揚げ、薄揚げに、ひろうすなど。この、ひろうすがまた、手がかかってかかって。夜通し仕事で、よろしゅうお断り。次は、金もん屋。こら、頼母子(たのもし)の講元で、今晩が初回の貰いになっておりますので、どうしても、外すわけがいかん。お断りと。つまり、皆で掛け金、積み立てしていくやつですなあ。甚兵衛さんは?こら、おかみさんが臨月でございまして、今日・明日、産まれるや分からんちゅうので、お断り。玉子屋の息子、これは、京都へ行く用事、母親が病気で寝てる。手伝いの又兵衛、観音講の導師でございまして、これも、そちらへ行かねばと。裏長屋一統は、やもめが死んだとかで、夜伽せんならん。つまりは、町内の者、一人も来ない。て、ホンマかいな?
だんだん、ご機嫌ナナメの旦さん、それでは、今日は、店の者一統に語り聞かせましょうと。しかし、これもエライこと。御寮さんは、“今日は、浄瑠璃の会です。”と言うと、親元へ帰ってしもたと。番頭どんは、“得意先回ってくるわ。”と、戻ってきぃひん。庭で、はしご登って、なんじゃしてた太七どん、“旦さんの、お浄瑠璃の会。”というただけで、はしごから落ちて、大ケガで、無理やと。杢兵衛どん、眼病ですと。へぇ、なんで、眼悪うて?眼病には、涙を催すのが、一番いかんのやそうで、旦さんのお浄瑠璃、誠に結構で、知らず知らず、涙が出てくる。これが、病気の障りとなるので、ダメでございますと。ほんなら、肝心の久七どん。本人さんは?「わたしゃ、どっこも、具合悪いことございません。因果と達者な。」もう、こら覚悟せないかん。一人だけで、お店の方々が、救われればと、泣きながら承知を…。
旦さんも、随分と分かってきた。つまり、浄瑠璃を聞くのが嫌やねやろと。そら、玄人と違うて、素人のこと、そう思えばこそ、料理も誂えて、お酒も出して、ご馳走した上で、聞かせるのやと。こんなありがたいお浄瑠璃、昔の名人上手というようなお方が、苦心して付けた節に…。“その節が邪魔になる。”て、ごもっとも、ごもっとも。さあ、もう怒ってしもた旦さん、“生涯、浄瑠璃は語りません。”と。もういっぺん、町内回って、知らせて来い。提灯屋てなもん、すぐ、家あけ渡せ。豆腐屋は、火の用心が悪いので、出て行け。甚兵衛の嫁はんてなもん、先月も、子供産んだやないか。又兵衛も、なんべん、金を融通したことか。観音がありがたかったら、観音に金貸してもらえ。皆出て行ってもろて、後からは、浄瑠璃の好きな人に、タダで家貸すて。店のもんも、こんな店に奉公してるさかいに、嫌な浄瑠璃の一つも聞かんならんねやろ。今日中に暇出しますので、親元へ往んどくれ。と、一間へ入り込みまして、襖締め切って、怒り爆発でございます。
となると、もう、こちらも勘弁せなしょうがない。久七どんが、もういっぺん町内を回りまして、事情を話して、来てもらわなねえ。提灯屋さんは、浄瑠璃のことが頭に着いて離れんので、仕事してられへん。よそから職人を呼んできて、代わりをさせて、浄瑠璃を聞かせてもらおうと、やって来るとのこと。豆腐屋さんも、同じことで、間もなくやってくる。頼母子も、他の人に頼んで、行ってもらう。甚兵衛さん、おかみさんの子が、浄瑠璃という言葉で、今日生まれるのん、見合せ。って、んなアホな。観音講も、導師を他の人に任せて、やってくる。観音より、お浄瑠璃がありがたいと。裏長屋では、死人が生き返りまして…。まあ、皆がうち揃うて、やってまいりますので、どうぞお語りを。玄人の方は、お金さえ出せば、聞くのは聞けますが、旦さんのお浄瑠璃は、どんなけお金出しても、聞かしていただける時しか、聞けない。芸惜しみをなさいますなと。これまた、うまいこと、とりなして行かはるもんで、今まで、カンカンになってた旦さんも、次第に、つられてまいりまして、それでは、今日のところは、御簾内で、ほんの数段だけでもと。
宵の口になりますというと、皆がぞろぞろと集まってまいります。玄関では、番頭はんが、粋なお計らい。一人につき、二つずつ、キルク、コルクの栓を渡してなはる。つまり、耳栓ですわな。皆がワアワアと、好き勝手なことを言うております。あの声は、よそで、いっぺんだけ聞いたことがある。夜中に動物園の裏通ると、あんな声聞こえる。昔、旦さんの先祖が、浄瑠璃語りを絞め殺した呪いで、あんな声になるとか。と、いうてるうちに、玉子屋の息子はんもやって来る。この人は、ホンマに、京都へ用事があったらしく、出かけていると、不意に嫌な予感がする。家へ帰ってくると、病気のお母はんが、着物着替えて、出て行こうとする。聞いてみると、お浄瑠璃の会。達者なもんが聞いても、危ないのに、病人が聞いたら、死んでしまいますと、とめたが、若いもんはまだ、将来があると。亡くなるのやったら、先に年寄りが…。これを押さえて出て来たて。親子別れの浄瑠璃ですがな。これだけで、一段、物語できまっせ。しかし、これも、分からんことはない。十年以前、五十を過ぎた、でっぷりと肥えた、体格のエエお方が、浄瑠璃好きやというので、一番前で聞いたことがあると。最初のうちは、大丈夫でしたが、そのうちにだんだん様子がおかしなって、脂汗が出たかと思うと、ひっくり返ってしもた。医者へ運んだが、手遅れ。原因がわからんと、医者を数軒回ったが、半年ほどして、死んでしもた。解剖してみると、胸の内から、浄瑠璃のかたまりが、ゴロゴロっと。ホンマかいな?
そうこうしているうちに、お膳が運ばれまして、お酒も出る。このお料理が、誠に結構。仕出屋で、誂えてますねやさかいにね。と、またそこへ持ってきて、肝心の浄瑠璃が。飲んでる酒の味が、変わりそうになるぐらい。しかし、こうして、来ているからには、ちょっとぐらいは、褒めないかん。「ウマイ。ウマイなあ〜。照り焼き。」て、照り焼き褒めてどないしまんねん。ちょっとは、月番が。て、褒めんのに、別に、月番関係おへんがな。「どうする、どうする」どないもならんわ。「後家殺し」人殺しや。ちぇなこと言うてるうちに、お腹の皮が張ってくると、目の皮がたるんでくるというやつで、一人が、ゴロっと寝てしまいますというと、あちこちで、みんな寝てします。一方、旦さんのほうは、ものの二十段も語りましたうちに、皆があんまり静かなんで、きっと聞き込んでいるに違いない。どないしてよんのかいなあと、御簾を持ち上げて、見てみますというと、皆が寝てる。「何じゃこれは!こら、番頭!お前が、寝てどないすんねや。お茶を差し替えたりして、起こさんかい。」「いえ、私は、皆様方が寝てから、眠りにつきました。」て、ごもっとも、ごもっとも。しかし、隅のほうで一人、泣いてるもんがいる。誰やと思うたら、丁稚の定吉。「さぞかし、浄瑠璃が悲しいて泣いてるのやろ。「三十三間堂か?」「そんなとこやございません」「先代萩のまま炊き場か?」「そんなとこやございません」「佐倉惣五郎の子別れか?」「そんなとこやございません。」「そちは、どこが悲しいて泣いているのじゃ?」「あそこ」「あそことは、わしが浄瑠璃語ってた床じゃ。」「ちょうど、あそこが私の、寝床でございます。」と、サゲになりますな。「私だけが寝ることが出来ません。ちょうど床になっております。」と、意味合いは、おんなじようなもんですけど、言葉が違うものがたくさんございますので、どれといって、サゲの言葉を決め付けるものでもございませんが。つまり、浄瑠璃の床と、寝床をかけてあるサゲでございます。ま、丁稚さんの寝床で、旦さんが浄瑠璃を語っているかというと、これまた、問題なのですが、その辺は、あまり推測されないほうが、よろしいかと。分かりやすいサゲですので。というよりも、サゲを先に考えられたのではないかなあとも、思いますが。
上演時間は、やはり三十分前後は、かかるでしょう。コンパクトにまとめて、二十分ぐらいで、やられる方もありますが。たっぷり聞かせるのであれば、四十分・五十分かかりますね。そういう場合は、落語会向きですね。全編通して、笑いが散りばめまれております。ですから、浄瑠璃ネタとして、難しく考えていただくよりも、もっと気楽に聞いていただけるネタでありますな。前半部分は、久七どんが、旦さんに、浄瑠璃の会に誰も来ないという、断りを言う場面。なかなか、おもしろ、おかしくでけております。登場人物の名前は、演者の方によっても異なりますので、別に、久七でなければならないことはないのですが。また、町内の方々のお名前や職業、断りの理由も、少し違っておりますね。いろんなものがございます。しかし、ここの場面は、一気にしゃべってしまうことが肝心で、テンポ良く、トントンと行くと、聞いておりまして、非常に気持ちのええもんでございますな。旦さんは、気分悪いやろけど。そして、店のもんの断りもありまして、旦さんがヘソを曲げる。カーっと怒るという場面までは、なかなか勢いがないと、やれませんなあ。そして、もういっぺん町内回って、だんだんと、旦さんを骨抜きにしていく。これも、久七どんの話の仕様、技ですなあ。また、タバコを吸いながら、キセルを持ちながら、旦さんの顔が少しずつ少しずつ、ニヤけたもんに変わっていく辺りなんか、おもしろいですわな。後半部分、どやどやと、町内の方が集まりまして、この浄瑠璃の話。うだうだの話ですが、おもろいもんです。浄瑠璃で、死人が出たて。そして、エエもんだけ食べて、飲んで、寝てしまってから、サゲになるという。
しかし、このお話、浄瑠璃の、昔のお話だと思っては、なりませんよ。現代でも、おんなじこってす。カラオケ。これが一番、近いですかな。ちょっと、うまなったら、誰ぞに聞かしたい。始めのうちは、家族に聞かせますが、それでは、物足りん。会を開いたり、素人の参加企画に応募したり。カラオケやったら、スナックで聞かせるちゅうのも、よう、ありますわなあ。一曲ぐらいやったら、よろしいけど、そう何曲も、立て続けは、ちょっとしんどい。まして、浄瑠璃てな、長丁場、一段だけでも、もう、騒音の域に達しますもんな。
東京でも、同じ題で演じられております。内容も、サゲも、ほぼ同じようなものであります。故・五代目古今亭志ん生氏や、故・六代目三遊亭圓生氏なんかも、得意でやったはりました。私、聞かせていただいたものには、圓生氏のもので、浄瑠璃がお得意なだけあって、一節・二節、実際の浄瑠璃が入っているものがあったように思いますねやが。浄瑠璃ネタとはいいながら、実際に語る場面は、出てこないのが普通なのでね。
所有音源は、故・四代目桂文團治氏、故・桂枝雀氏、笑福亭鶴光氏、林家染丸氏、桂ざこば氏、桂南光氏などのものがあり、他に、笑福亭松枝氏のものなどを聞いたことがあります。文團治氏のものは、やはり、今を考えると、古風なものでござりまして、時間も短く、非常にコンパクトになっておりました。お笑いだけではなくて、筋のある話ぶりで、さすがに味のあるものでありますな。枝雀氏のものは、大爆笑編です。もう、腹抱えて、のた打ち回って笑い転げるというような。笑いの連続というような、枝雀氏の中でも、代表するぐらいのネタでありましたわ。昔は、サゲまでやったはったらしいのですが、私は、途中で切られるものしか聞いたことございません。鶴光氏のものも、時間をかけて、たっぷりとやってはりました。聞き応えのある部類に、入るのではないでしょうか。ですから、最後の丁稚さんが、余計いっそうに、無邪気に見えて、かわいらしかった。染丸氏も、浄瑠璃こそ語りは、されませんが、得意ネタといっても、過言ではないでしょう。意外とねえ、あの、お膳の上の肴を、扇子を箸に見立てて食べるところが、いかにも、おいしそうでね。ざこば氏のものは、これも、意外と、あっさり目の語り部分があって、おもしろい。ちょっとした、何気ない言葉の端が、余計、おもろいというような。南光氏も、師の枝雀氏のもののようで、大爆笑ですわ。息をつかせぬ、前半部分のしゃべりなんか、なかなかマネできませんよ。途中で切られて、『素人浄瑠璃』という題で、演じられておりますか。ま、度々言いますが、『寝床』では、サゲが分かってしまいますのでね。松枝氏のものも、これも、爆笑に次ぐ爆笑で、良かった。トボけた味わいが大いにありまして、わたしゃ、好きですわ。
元来、筋を追いかけて行くというものであったこのネタが、先人達のいろんな工夫によって、こんな大爆笑を引き起こすものになったのでありましょうなあ。
<18.10.1 記>
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