あけまして、おめでとうございます。旧年中は、いろいろとお世話になりましたが、どうぞ本年も、この『上方落語のネタ』をよろしくお願い申し上げる次第でございます。ま、毎年の月並みではございますけれども。今年は亥歳でございまして、猪の出てくるお話を。『池田の猪買い』『鉄砲勇助』、こら、いかんなあ。皆、既に、出てますがな。ほんなら、お正月の初席で、ふさわしいネタを。実は、昨年、NHKの新人演芸大賞、演芸部門では、NON STYLEが受賞されました。結構、個人的に、おもろいので、好きでは、あるんですが。ま、それは、それとしまして、落語部門でございますが、笑福亭風喬氏が、受賞されました。最後まで残った、五名の方々の模様が、テレビで映っておりましたが、その中で、風喬氏がやってはったのが、この『平の陰』。審査員の織田正吉さんも、おっしゃっておりましたが、時間制限があるとはいえ、正直、この五つのネタの中では、少し、見劣りがする感じが、しないでもありません。しかし、語り口といい、話の持って行きようといい、やはり、光っておったのは、言うまでもございませんでした。緊張されていたのは、もちろんでしょうが、そんな感じもなく。何か、久々に、このネタの良さを思い出した気がいたします。というところで、今月は、そのNHKの時に使われておりました演題のほうで、『平(ひら)の陰』を。『無筆の手紙』、『手紙無筆』ともいいますし、題としては、『無筆の手紙』のほうが、イイかも分かりませんねやが、それは、それといたしまして。

 ある男、少し、知恵者の家へ入って行くという、オーソドックスな、落語の始まりが、導入部となっております。実は、手紙が来たんですが、この男、字が読めんので、ぜひとも、読んで欲しいと。昔は、こんな人、ようあったんですなあ。落語の中にも、ちょいちょい出てまいります。『向う付け』やとか、『口入屋』なんかにも、ちょいと出てきたりしますが。無筆いうてね。私ら、子供時分の近所のおばあさん、お家の懐事情で、舞妓はんや、芸妓はんに出てはった方なんかやと、新聞でも、難しい字が、ちょっと読めんちゅう人、ちょこちょこ、いはりましたけどなあ。あんまり、いらんこと言うたら、いかんけど…。さて、この読んでもらうほうも、実は、読めん。無筆でございます。しかし、普段から偉そうにしてるだけに、読めんとは、なかなか言えまへんがな。そこは適当に、ごまかしながら読んでいきますというと、これが、落語の材料になりますな。

 まず、封筒に差出人の名前は書いてあるが、どっから来た手紙なんかも、分からん。親類なんかに、手紙の一本も、よこそうというふうな人は、なかなかいてない。思い出してみると、上町のおっさんがいてる。「そうや、“上町のおっさんより”としたある。さあ、往(い)に。」て、なんで、帰らないかんねん。それだけでは、何にもならんがな。手紙の中身を読んでもらわな。封を開けますというと、中は、真っ白な紙。こらいかん。薄墨というて、身内に不幸があった時は、薄い墨で手紙を書く。こら、薄いも薄い、薄すぎる。おっさんが死んだだけやのうて、おばはんも、家族中、皆死んでもた。そやさかいに、こないに薄い。て、何も書いてあらへんのと違う?「そら、裏でっせ。」て、そうそう、その通り。手紙の裏ですがな。「うわっ。書きよったな。字ばっかり。」て、漫画や挿し絵の入るの手紙て、そうそう、おへんで。こらもう、逃げられへんとこまで、来てしもた。鳥目やなんか、言うてる場合やない。「“長いこと会わなんだが、元気か?”て」「おかしいなあ。この前、会うたとこだっせ。」て、それを、先に言わんかいなやて。「バッタリ会うて、まむし喰いに行きましてんけど、そのことが、書いたあるのんと、違いまっか?」「ああ、書いたある。“まむし喰いに行って、旨かったなあ。それでは、御免。さいなら。しまい。”と。」そんな手紙、ありまっかいな。

 「おかしいなあ。大事なこと、書いておまへんか?今度、祝い事があるんやけれども、お膳が足らんので、お膳を貸して欲しいと言うてたんやけれども。」「ああ、書いたある。“追伸”と。“お膳をお貸しくだされたく候。今度こそ、さいなら。お元気で。”と。」「お膳の数は、書いておまへんか?」「ああ、書いたある。“お膳の数は、ん人前”」て、判じもんやがな。そんなもん、分からんわ。大体の予想をて。「“お膳の数は、五人前”」「おかしいなあ。十人前言うてたのに。」「ああ、書いたある。“五人前が二回で、十人前”」て、んな、アホな。「それだけでっか?おかしいなあ。盃も、貸して欲しい言うてたんやけどなあ。」「ああ、書いたある。“盃も、お貸しくだされたく。”」て、しまいに怒られまっせ。「『書いたある、書いたある』て、あんた、さっきから、人の言うた後ばっかり、おんなじように言うてなはる。あんたこそ、無筆でっしゃろ?」「いいや、違う。」「ほんなら、なんで、さいぜんの盃が、分かりまへんでしてん?」「盃は書いてあったんやけれども、お膳の陰で、見えなんでん。」と、これがサゲになりますね。つまり、盃が小さいので、お膳の陰へ隠れて、見えなんだと。厳密に言いますと、サゲは他にもありまして、演題の『平の陰』からすると、「大平の陰で見えなんでん」とするのが、本当なのでしょうねえ。つまり、あの大きい平たいお椀のことですわ。盃を銚子に変えまして、「とっくりと見なんだんや」と、されているものもあります。つまり、お銚子、徳利と、“とっくり”をかけてあるんですな。

 上演時間は、十分前後、寄席向きですな。特に時間のないときなんか、うってつけのお話で。登場人物も、二人だけですし、そんなに難しい話だとは思われませんが、これはこれで、なかなか呼吸の要るもので。要するに、あんまりテンポ良くしゃべるのではなくて、十分に間合いを取って演じられるというか。本題は、字の読めない人が、これまた字の読めない人に、手紙を読んでるふりをしながら、話をするというものですから、そこにおかしみがございますね。天下国家を揺るがすような、そんな大それた内容ではございませんので、お気楽にお聞きくださりませ。

 所有音源は、故・六代目笑福亭松鶴氏、笑福亭鶴光氏、笑福亭鶴志氏のものがあります。このネタ、晩年の松鶴氏が、好んで演じられておりましたので、十八番ネタのようにされていますが、しかし、それは、ご病気で、ロレツの回る回らんの問題もありましたんでね。でも、このネタのおかしさは、最高のものがありましたな。じっくりと取られた間に、大きなお声で。私の音源の中には、『石段』の出囃子のものがありましたが、晩年は、体調のお加減もあり、トップに出てはったんやろか?鶴光氏のものは、これに東京風の味付けもあり、おもろいものでございます。東京でも、寄席では、演じられておりますのでね。鶴志氏は、松鶴氏が乗り移ったかのような間で、よろしいなあ。多分、お元気やったら、ああいう高座やったんちゃうかいなあと思うぐらいの、おもしろい、またウマイものでございました。

 とりあえず、風喬氏、そんな強引な押し出しはございませんでしたが、これからも、がんばって欲しい噺家さんのお一人でございますね。というても、多分、わたいより、歳上やと思いまんねんけど…。

<19.1.1 記>


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