
お寒い季節でございます。といっても、今年は、“チョ〜”が付くぐらいの暖冬で、うちの近所の梅も、もう、数輪咲いてきております。この分ですと、三月の始めには、桜の花が…。て、そんな無茶なこと、おへんけれども、今月は、『二人ぐせ』をご紹介いたしましょう。別に、大意はございません。
おもろい友達が、表から入ってまいりますと、お話の始まりで。「居てるかえ?」と入ってくるなり、「どうや、一杯飲めるてなことないか?」と。しかし、「不景気続きで、つまらん、つまらん。」ちょっとしゃべっていると、お互いに、すぐ“一杯飲める”、そして、“つまらん”という言葉が出てくる。なんじゃいうたら、“つまらん、つまらん”、“一杯飲める、一杯飲める”。要するに、これが癖というもの。無くて七癖てなこといいますが、こらあ、なかなか直るもんやない。「どうや、お互いに、癖の直し合いしょうか?」て。おもろなってきた。“つまらん”と“一杯飲める”、お互いに、一回言うたら、千円の罰金。娯楽のすけない時代でっさかいに、こんなことでも、賭けて、楽しめたんですなあ。
「そんなんで、千円取られたら、そら、つまらん。」て、そら、言うた。しかし、まだ、心構えがない。要するに、キッカケが要る。人の家のこっちゃさかいにと、大胆にも、そばにあった湯呑みを、土間かなんかへ、バーンと。こんなもん、手拍子かなんかでもエエのに。「それも、数が揃うたあるもんや。ほんまに、つま…。」「五百円」て、半分でっさかいにね。そやけど、これは、セーフにしとこて。しかし、それは別として、ここの家の、この人、叔母はんが死んで、遺産で儲けたて。「そんなこと、言わんといてくれ。葬式代も、わしが払うたぐらいのもんやのに。それを、世間のやつ、皆、儲かったようにいいやがって、こんな、つ…。」エライこっちゃ。言いそう、言いそう。「つじつまの合わんことは無い。」やて。惜しかった。危ない、危ない。「もう、去んでくれ。」
帰りかけますが、どうにか、エエ知恵が欲しい。知り合いの、ちょっと賢いというか、知恵者の元へ。訳を話しますというと、名案が浮かんだと見える。いっぺん、家へ帰って、汚〜い風にして、手も糠だらけにして、向うの家に行く。“田舎の親類から、大根百本もろた。いっぺんに食べ切れへんさかいに、漬けもんにしようと思うたんやが、樽が無い。これぐらいの、醤油の五升樽に、大根百本詰まろかな?”と。そら、“詰まらん”と、こないなるに決まってるて。こらしかし、なかなかの知恵でっせ。思い浮かばへんがな。「お茶が入ったさかいに、どうや?」「いやいや、千円儲けた帰りに、羊羹なと、買うてきますさかいに。」
と、おお張り切りで、言われた通りの風をいたしまして、さいぜんの家へ。「田舎の親類から…」「田舎てどこや?」て、始めから、つまづいてるがな。「大根百本もろたんや」「ひとつ、おくれ」て、そんなん、どうでもよろしいねん。「これぐらいの醤油樽、大根百本詰まろかな?」「つ…」っと、ここで、気が付きなはった。敵も、さるもの。「入りきらん」と。「無理に押し込んだら?」「底が抜ける」て、感づかはったらしい。「ああ、それより、今日は、お前なんか、相手にしてられへんねん。カカ、紋付の羽織出してえな。」「紋付て?」「兄貴とこ、婚礼や。」「うわっ。一杯飲める。」て、言うてしもたがな。千円払わないかん。千円を出しますというと、「羽織は、そっちへ、片付けて。」つまり、こちらも、ウソでんがな。「田舎の親類から、大根百本…。」て、まだ言うてなはる。
あべこべに、千円取られてもうて、エライ損やがな。と、先ほどの、知恵を出してもろた家へ。羊羹どころの騒ぎやない。また、相談。人間、好きなもんには、心を奪われるといいますが、相手の好きなもんは、これが、将棋。この男も、勝った試しがない。それと、向うの家に乗り込んで行くというような、大胆なことでは、いかん。呼び込んでこな。それやったら、毎日、夕方に、風呂行くのに、誘いにやって来るとのこと。これが、チャンスですな。将棋盤を目の前にして、浮かん顔をしてる。二・三べん呼ばれても、聞こえんふりをする。いわゆる詰将棋ですわ。盤の上には、真ん中に、王さんだけ。持ち駒が、角に金に、歩が三枚。これは、絶対に、詰まん手らしい。これを見ると、相手も寄ってくるに違いない。何手かさして、困った顔の一つもしたところで、横手から、“詰まろかな”と。ほな、“詰まらん”と言うに違いないて。将棋は、詰むとか、詰まんとか、いいますけれども、“詰まろかな?”と、うまいこと持って行ったら、“こら、詰まらん”と、こないなるて。しかし、これも、相当な知恵でっせ。私も、中学三年間、将棋部に入ってましたが、こら、気持ちが、よう分かる。お互いに。要するに、これ以上、どうしようもない、王さんを取られるという意味で、“詰む”といいますねやが。それと、この詰将棋、実際にやってみたことはありませんが、本当に、絶対に詰まないみたいですわ。意外と、落語て、ウソが多いようで、ホントの所は、しっかりしてるんですよねえ。
さて、家へ帰るなり、将棋盤を出してきまして、さいぜんのように考え込む。て、まだ、昼過ぎでんがな。ようようのことに、夕方になりまして、風呂を誘いに、来よった、来よった。しかし、二・三べんは、聞こえんふりをして、将棋盤。入って来よった、入って来よった。詰将棋を考えているというと、持ち駒を貸せと。持ってみると、汗でベチャベチャ。昼から考えて、待ってまんねやさかいに。ちょっと考えてみるが、なかなか、うまいこといかへん。今度は、この男の側に、王さんになってもらって、逃げてもらう。なんべんかやった後に、「詰まろかな?」「こら、詰まらん」「言うた、言うた。千円出せ。」「何、千円?ははぁ、こら、ようでけた。感心も得心もするわ。こら、エライ。わしゃ、倍の二千円払おう。」「うわっ。一杯飲める。「今ので、差し引きや。」と、これがサゲになりますわ。“二千円”で、思わず、“一杯飲める”と、言うてしもたんですなあ。さいぜんの、婚礼の時の、“一杯飲める”と合わして、差し引きとなりますね。しかし、ようでけたある。こちらこそ、感心も得心もする、サゲですわ。倍の、二千円払おう!
上演時間は、十分から、長くても、二十分までぐらい。これこそ、長々とやるべきものでは、ないはずですね。ピッタリ、寄席向きでございます。爆笑とは、いえないかも分かりませんが、おもしろい話の連続で、いかにも落語らしい、なかなかエエ話なんですよ。ツボ、ツボで、わっと、よく受けますしね。冒頭の、お互いの癖の直し合い、なかなか、出来るものではありません。何気ないところに、何気ない癖がある訳で。私も、ありまっしゃろなあ。それから、知恵を借りましての、大根の件り。しかし、ようでけたある。誰が考えはったんやろ?私やったら、すぐに、“そら、詰まらん”と、言うてまっしゃろけどなあ。ここら、我々観客の感心する所であります。しかししかし、それ以上に、予想外で笑わしてくれるのが、落語のネタで、“入り切らん”て。もひとつ言うたら、“底が抜ける”やて。大笑いする部分です。ほんで、婚礼で、逆に千円取られる。二回目の作戦、詰将棋も、ようでけた話ですなあ。最近は、随分と、遠のいてますが、私も、将棋好きでしたさかいにねえ。この相手の男が、倍の二千円払う気持ちも、よく分かりますわ。結局、差し引き0ですが。
東京でも、同じ題、同じ内容です。『のめる』の題もありますが。と、思っておりましたところ、桂米朝氏の著述や、意見などによりますと、実は、この上記に述べましたのは、東京風の演出らしいです。東西共に、あるのはありますし、サゲも一緒の詰将棋ですが、少し、内容に違いもあるんですと。もうちょっと、おなじような、引っかけの部分があって、数日たって、主人公の男が出向いていって、詰将棋で、サゲになるんですて。全く知りませんでしたわ。というか、その上方式の、原版みたいなもんを、わたしゃ、聞いたことございませんので。いっぺん、どこぞで、聞かしてもらわな、いかんわ。
所有音源は、その米朝氏、笑福亭松喬氏、故・桂喜丸氏のものがあります。この話は、実は、トントンと、調子良く運ぶのが肝要なのでありまして、その点では、やはり、米朝氏は、ツボを押さえておられるように思えますね。あっさりしたもんですが、非常に気持ちの良い、テンポのある口調で、しかも、主人公に、そんなにアホさが、無い。別に、落語には、アホが必ず出てくるかといえば、そうでもないのですよ。昔々、寄席へ出てはった頃は、わりかし、よくやってはったネタらしいですわ。テレビやなんかでも、時間のない時や、正月みたいな時にも、出してはりましたねえ。意外と、わたしゃ、好きなんですよ。松喬氏も、時間の限られた時なんか、やってはります。テンポがあって、調子が良いかといえば、そうでもなく、十分な間も取ってはるんですが、それがまた、おもろい。何ででしょうねえ?よく笑えます。喜丸氏のものは、米朝氏のように、調子良いもので、なかなかに、おもしろかった。よう受けてた記憶がありますねえ。
癖の話、落語には、結構、あるんですが、その中でも、わたしゃ、好きですねえ。この話。一杯、飲めるしやろか?
<19.2.1 記>
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